要件定義



なぜ、今、要件定義なのか。


経済の要件定義とは、国民が経済に対して何を望み、それを実現する為には、どの様な経済の仕組みを構築するかを定義する事である。経済の仕組みを一つのシステムとして認識する事がその前提となる。

今、なぜ、経済の要件定義をする必要があるのか。
それは、経済の仕組みは、人工的な装置、システムだからである。
経済を人工的な装置、システムだという考え方は、なぜか今までされてこなかった。経済を自然科学と同質なものとして扱ってきた。その為に、数学も経済学もひたすら観察して法則を探す事ばかりに精力を費やし、その背後に隠された構造や仕組みに目を向けようとすらしなかった。その証拠に、経済の世界で会計に地位が異様に低い
経済は、人工の構造物である。自然に作られたものとは違う。例えば、飛行機と鳥との違いである。飛行機と鳥は共に空を飛ぶ。しかし、同じ物として扱う事は、できない。飛行機は、機械であり、鳥は生物である。
飛行機と鳥との違いは、子供でもできる。しかし、経済と自然現象とを混同している人は多くいる。経済学者や政治家の中にすら経済現象と自然現象を同一の次元で語っている人がいる。経済現象と自然現象を同一の次元では語れない。鳥ならば、鳥の自由意志に任せておいても空を飛ぶことに何の問題もない。鳥が飛ぶことは、鳥の自由意志に任せればいい。
それに対して飛行機は、人が操縦しないと安全に飛ぶことはできない。第一、飛行機は、合目的的な機械である。飛行機を飛ばすためには、操縦者の目的が必要である。飛行機には意思はない。飛行機は、自分の意志で勝手に飛ぶことはできないのである。飛行機を飛ばす目的は、操縦者が持たなければならない。目的を神の意志に委ねる事はできない。言い換えると経済上の禍の原因を神に転化する事はできない。
経済現象は、人為的な現象である。経済の仕組みを成り立たせている要素や構造が明らかになれば変動の原因は明らかにできる。
経済と言っても現実に経済を動かしているのは、経済の仕組みである。
故に、経済の要件定義と言っても経済の仕組みの要件定義と言える。

統計の目的は、どうなっているのか。即ち、説明を目的とするのか。
どうするのか。即ち、予測を目的とする。
説明と言うのは、世の中の仕組みや自然現象の法則等を解明することを意味する。
予測とは、変化の先行きを読み、将来に起こる現象に備えることを意味する。

経済は、人、物、「お金」がそれぞれ場を形成し、三階層を構成している。また、生産、分配、支出の三段階を構成し、非金融法人企業、金融、家計、財政、海外部門による構造がある。
人、物、「お金」は、個々独立した場を形成するとともに、実体の動きによって関連付けられている。物的空間は、物の法則で、貨幣空間は、「お金」の論理によって支配されている。人口の変化は、独立した変化をするが、人口の変化は、生産や消費を通じて物的空間と結びつけられ、所得や支出を通じて貨幣空間と結びつけられる。
市場は、重層的場を形成しているのである。

経済を分析する時、一局面だけとらえていると重大な過ちを犯す。経済で重要になるのは、働きと位置と関係である。経済性を単に生産性と言う側面だで捉えるのは危険である。所得は、労働の成果や対価と言う働きだけでなく、分配の手段、支出の為の原資でもある。消費は支出によって実現する。
経済効率は、費用を削減し、価格を下げる事だけで達成されるわけではない。この点を履き違えると分配や消費の働きを抑制してしまう事になる。経済で重要なのは、釣り合い、均衡なのである。

経済が複雑になり直線的な論理展開では、対応しきれなくなった今日、構造的な取り組みが要求されている。
産業構造は、経済の発展とともに一次産業主体から、二次産業主体、三次産業主体へと変遷する事が知られている。また市場も成長とともに飽和していき、成熟してくるとか飽和な状態に音入る。生活様式も生活水準の向上とともに変化する。それは、消費構造支出構成に現れる。
産業構造の変化、市場構造の変化、人口構成の変化、生活水準の変化が「お金」の流れや偏り、フローとストックの関係にどの様な影響を与えているか。そして、「お金」の流れの変化によってどの様な経済現象が起こっているかを明らかにする。
どの様な前提条件のもとにINPUTをどの様に設定するかによって、どの様なOUTPUTがでるかを予測し、その予測に基づいた政策をとることが求められる。要件定義は、その前提となる。

変化の前提は、所得構造と支出構造にある。所得は、入り口に位置し支出は出口に位置する。原則、支払準備高の範囲内で支出はされる。支払準備の原資は、所得と所有物(物的資産と金融資産)である。支出構成は、産業構造に反映する。産業構造は、所得を制約する。

重要なのは、収支の均衡である。収支の構成とは、収入の構成と支出の構成である。収入の構成は、所得借入資産の取り崩し。支出の構成は、決済返済資産形成である。


要件定義で重要なのは、関係を正しく認識する事である。


経済を構成する要素は無数にある。手始めに、それをどう要約し、グループ化していくかから着手する。その際、想定しておく必要があるのは、何を定数とし、何を変数とするかである。変化しているのは何か、変化していないのは何か。気を付けなければならないのは、変化していなくても変化に対して何らかの影響を与えている要因である。変数は、何を目的変数とすべきか、何を説明変数とするかを想定する必要がある。
故に、位置と運動と関係を明らかにしていく必要がある。

経済現象は、複数の要素が相互に影響し合って、生産、分配、消費を実現する過程で生じる。
故に、金利とか、為替の変動、所得、物価、地価など個々の要素だけを追っても先の見通しすらつかない。
経済の構造。複数の要素をどの様に組み立て、前提条件や基準をどこに置くか等が経済理論の基準とならなければならない。
故に、直線的な論理展開では、経済の動きは理解できない。複合的、構造的な分析が求められる。その為には、どの様なモデルを構築するかが、鍵となる。留意すべき点は、社会的効用が適正に評価され、生産物が適正に配分されているかである。

自動車の軌跡は、エンジンの動きだけからでは追跡できない。ブレーキやアクセルの動きだけでも追跡できない。自動車の軌跡を理解する為には、個々の部品の動きを統合する必要がある。部分と全体の動きを掌握できなければ自動車を運転する事はできない。
人間の病は、血圧や血流だけで診断する事は難しい。鼓動や体温、痛みだけでも診断は難しい。いろいろな診察を複合する事で診断する。
経済も同様である。物価や損益だけでは、経済の状態は推し量れない。
問題なのは、経済を構成する要素や部品が全体に対してどの様な働きをし、どのような影響を与えているかがわからなければ、経済の先行きを予測する事はできない。

経済では要素間の関係が決定的になる。特に相関関係が鍵となる。
相関関係は、時間が陰に作用している場合と、陽に作用している場合を考える必要がある。更に、相関関係に時間的な順序があれば因果を形成している事になる。この点を見極める事が時系列分析の鍵になる。

相関関係が成り立っているかどうかが問題なのではなく。どの様な条件下で相関関係が成り立ち(あるいは、成り立っていなかったのが)、どの様な条件の変化によって相関関係が成り立たなくなった(あるいは、相関関係が成り立たったのか)のかである。
例えば為替や景気と金利の間に何らかの因果関係がある事は明らかである。しかし、為替や景気と金利の間に相関関係が常に成り立っているかと言うと、そうとは限らない。そこが問題なのであり、金融政策を悩ましくする原因なのである。

原因を明らかにするためには、要素間の関係を解明する必要がある。要素間の関係で重要なのは、因果関係である。因果関係を探究する前に相関関係の有無を知る必要がある。
何が原因で、何が結果か。環境の変化によって構造的な変化が促されたのか。構造的な変化によって環境の変化を引き起こしたのか。推測する以外にない。現時点では、因果関係より、相関関係を優先する場合が多い。しかし、ずれにしても経済を分析する上では決定的な事になる。

因果関係が明らかな事を操作して計測可能な事を確認し、動きを推測する。推測に基づいて予測し計画する。それが一連の意思決定過程を成り立たせる。
エンジンを入れたら、ブレーキを外し、アクセルを踏んで、車を始動する。車が動き出したら、速度を確認して、自分の進むべき道を計画する。

最終的には、政策判断に、直接、関わっている数値を見極める事にある。また、間接的にどの数値に影響を与えるかを明らかにする事である。


要件定義の鍵は、手順である。


要件定義を成立させるためには、要件定義の目的前提初期条件最終的成果物を予め明確にしておく必要がある。なぜならば、目的、前提、初期条件、最終的成果物によって要件定義の構成や内容が変わる、即ち、目的前提初期条件最終成果物によって要件定義の構成や内容は、制約されるからである。

論理で大切なのは、始点は何か始点をどこにするかである。始点を明確にし、その根拠を明らかにしないと論理の正当性は、検証できない
始点は、自明な事に置かないと論理そのものの土台が脆弱となる。

経済とは何か。経済の仕組みの目的や働きを要件定義をした上で、では、今何を明らかにしなければならないのかを改めて定義する。
何を明らかにしたいのか何を知りたいのか。それが肝なのである。

最終的には、解を得る事である。解とは何か。それは、自分たちがどの様に事態を捉えどの様に判断しどの様に決断対処すべきかである。
その為には、第一に、過去のデータに基づいて現状を認識する事。第二に、仮説を立て相関関係や因果関係を明らかにする。第三に、将来を予測する事。第四に、問題点や将来予測される事態何を準備しておくべきか。また、将来、予測される事態が生じた時にどの様な行動をとるべきか。そして、最後に、現在われわれが採るべき政策・行動は何かの五点を求める事である。その為のアルゴリズムが要求されている。
即ち、第一に、現状認識の為のアルゴリズム。第二に、相関関係、因果関係を明らかにするためのアルゴリズム。第三に、将来を予測する為のアルゴリズム。第四に、問題点を明らかにし、将来に何を備えておくべきかを明らかにするアルゴリズム。第五に、現在何をすべきかを明らかにするアルゴリズムである。

経済分析の要件定義をする目的として考えられるのは、
第一に、仮説を立てて検証する。例えば、事故や災害、失敗の原因を明らかにして再発を防止する。(検定)
第二に、現状を正しく認識する。例えば、現在位置を確認し、目的地との距離、到着時間を推定すると言ったような事。(操縦席、コクピット化、メーター)
第三に、異常事態、危険な事象を察知して警報を発する。例えば、火災や事故が発生したら警報する。(警報器)
第四に、事故や災害が発生した時迅速に対応できるように準備する。地震が起きた時に備えて、機材を準備し、地震訓練をする。(ハザードマップ)
第五に、将来を予測し、将来に起こる事に準備する。例えば、天気を予測して雨が降りそうだったら、傘を用意する。(予報)
第六に、状況の変化を想定し最善な策を講じておく。コースを想定して最短な経路を選択する(ナビ)。複数の投資案件を事前に分析して、最善な投資先を選ぶための指針を作る等である。

要約すると第一に、仮説によって法則や仕組みを明らかにし、併せて検証する。第二に、現状や状況の変化を明らかにする。(前提の確認)第三に、予測、予報する。第四に、予防、対策、予定、計画を立てる。第五に、意思決定する。第五に、事前に模擬訓練シュミレーションテストをして確認する。そして、第六に、分析である。

経済分析で避けなければならないのは、目的や要件をあいまいなまま分析する事である。他の国がやっているからとか、皆がやっているからと言った安易に考え方で経済分析をしても、前提条件が違えば結果の正当性は保てない。最初から目的が曖昧では、動機と結果とを関連付けて判断する事が出来ない。分析の為の分析に終わってしまう。分析は、合目的的な行為である。

経済を分析する目的は、第一に、現状を分析して問題点や仕組み、原理を推測する。第二に、将来を予測して最適解を求める。第三に、異常値を検出し、警報を発して危機的状況に陥る事を予防する事である。
何が原因なのかを明らかにし、将来を予測し、非常に備える。

経済の統計データの多くは、置かれている環境や国、時代の影響を大きく受ける。それを統一的な基準で分析しようと試みる人が多い。しかし、江戸時代の日本と現代日本は、同じ尺度では測れないし、現代の中国と日本とも同じ基準では測れない。ところが多くの評論家は、中国のGDPが日本のGDPを追い越したと騒ぎ立てる。中国のGDPが日本のGDPを追い越した事は象徴的な出来事であるかもしれないが、それが経済的にどのような影響があるかは、単にGDPの値を比較しただけでは解明できない。

また、経済の数値には、第一に、残高、第二に、差額、第四に比率などがある。また、数値が表す意味は、増減、占有率、過不足、余り・余剰、対比などがあり、意味によって働きも変わってくる。

数値には、その根拠となる事によって性格の差が生じる。第一に、因果関係が明確な値。第二に、計測可能な値。第三に、推測に基づく値である。第四に、計画や予測に基づく値、第五に名目的な値である。
第一の因果関係が明確な値は、政策や管理が可能な数値である。金利や税率、公共投資額等、政策的に決められる数値がこれにあたる。
第二の、計測可能な値は、何らかの結果に基づく値であり、条件次第では管理が可能である。財務諸表や人口、物価などが典型的なものである。会計は、一定の規則によって経営活動を記録したものである。会計を計測可能としているのは、予め決められた会計原則、規則、手順に基づいて経済活動を貨幣的に記録する事が法的に義務付けられているからである。制度的に制約されているから精度の高い会計記録が残せるのである。
第三の推測に基づく値は、何らかの根拠によって統計的、あるいは確率的に求められる値である。総所得、総生産、市場規模、物価と言った統計データは、推測に基づいている値が多い。
第四の、予測、計画に基づく値は、目的や目標から逆算され導き出される値である。推測と予測は、非常に微妙な関係である。何らかの根拠に基づいて予測それる場合もあり、この辺の定義は、個々の要件や目的によって仕訳される値である。
第五の名目的な値とは、それ自体が実体を持たない値である。対極に実体的な値がある。実体的な値とは、何らかの実体から抽出された値である。価格は、一般に名目的であり、相対的な値である。従属的な値ともいえる。
数値の性格は、分析や調査において前提条件を構成する者であり、数値の性格に依っては、調査手段や段取りも変わってくる。
確定的な数値か、予測・推測に基づく数値かを最初に見極めておく事が経済を分析する上では必須の事である。

予測した事推測した事実際の状態現実に起こった事誤差を是正して間違いを減らしていく。それが経済予測の原則である。


要件定義の基準


経済の状態を測る基準とは何か。その点を不明確にして景気の状態の是非を問題にするのは、無意味である。
しかも、経済に対する根本的な理念が狂っていたら、そこから導き出される基準も指標も最初から間違っている。
経済は、決して、競争でも、金儲けでもない。
経済の根本は、生きる為の活動であり、生きる為に必要な資源を調達、あるいは、生産し、それを必要としている人、総てに遍く分配する事である。「お金」も競争も手段に過ぎない。経済の根本は生きる為の活動である。

経済は、現実である。経済が現実離れすれば、経済は成り立たなくなるのである。経済は、実体を直視する事である。「お金」によって経済の仕組みは、動いている。しかし、「お金」には、実体がない。実体は、現実の生活である。「お金」のために、現実の生活が成り立たなくなるようなら、それは、「お金」を動かす仕組みに問題が生じているのである。

経済に求められるのは、第一に持続可能性である。第二に、公平な分配である。第三の、目的の実現である。
公平な分配とは、必要な物を、必要な時に、必要とするだけ、必要とする人に提供する事である。
経済は、合目的的な行為である。個々の経済主体は目的によって制約される。目的の実現は、それぞれの部門は、それぞれの部門の役割、働きによって制約される。国家には国家の目的があり、企業には企業の目的があり、家庭には家庭の目的があり、個人には個人の目的がある。それぞれの主体に応じて経済の目的も違ってくる。
経済は、何を目的としているかである。経済の目的は、利益を上げる事でも、「お金」儲けでもない。人々の生活を支える事である。いくら利益が上がってもそこで働く人々の生活が成り立たなくなるのでは、意味がない。
経済の仕組みに求められるのは、生産と消費をいかにして関連付けるかにある。その為に、所得と労働、所得と家計、収入と支出、収益と費用をどの様に結びつけるかが鍵となる。利益は、収益と費用の効率を測る指標であるが、利益ばかりを追求すると収益と費用の真の関係が見えなくなる。「お金」儲けは手段であって目的にはならない。

持続可能性の是非が問題だとしたら、何が持続を不可能にするのか。何を持続不可能にするのかは、経済の目的を中心に据えると見えてくる。経済の目的は、公平な分配と生産と消費を結び付ける事にある。いずれも「お金」の問題ではない。「お金」は、分配の手段であり、生産と消費を結び付ける手段でもあるからである。鍵は、所得にある。なぜならば、所得が労働と言う生産手段と生産主体である企業と結びつけると同時に、消費主体である家計と企業とを結び付けているからである。
だから、所得の根源である費用を無原則に先原資、利益ばかりを追求すれば生産と消費との関係は断ち切られるのである。
そこに利益をどの様な基準で測るかの意義があるのである。また、価格は、家計と企業を結び付ける要素でもある。
持続可能性を測る基準は、雇用所得水準と分散収益、費用、利益の関係フロー(損益)とストック(貸借)の関係から求められる。
持続を難しくする要素は、財政、家計、金融、企業、海外部門、各々にある。

先ず我々が知りたいのは、現代の経済の状態をどう評価したらいいのかである。次に、現在の経済の状態が持続可能か、否かである。
持続する事が難しいとしたら、現在の状態が破綻したらどうなるのか。破綻させる要因は何かである。
持続可能かどうかが、経済を評価する為の決定的な要因だとしたら、何を持続可能しなければならないかが最初に明らかにしなければならない事である。何を持続していかなければならないのか。第一に、人々の暮らしである。第二に、国家の独立と主権である。
人々の暮らしが持続するという為に、国民の財産と生命が守る事が必須条件である。
全ての国民が最低限の生活ができる様にしなければならない。
そして、国民の権利と義務を維持する事が最低限の条件となる。故に、国家の主権と独立を守ることが必須条件である。国家の主権と独立を守るためには、少なくとも対等の交易が出来なければならない。経済的に成り立たなくなれば、国家の主権と独立は守れないからである。財政が破綻すれば、徴税権を奪われたり、内政干渉を招くからである。

一国の経済が成り立つか否かは、国家財政が持続できるか否かにかかっている。財政が持続不可能だとされた時、国家経済は破綻する。

国家経済が持続できなくなる要因、経済危機の原因としては、流動性が失われる事から発生する危機財政危機収益性が低下する事から発生する危機資産価値が下落する事によって生じる危機物価の上昇が原因となる危機物価の下落が引き起こす危機物不足による危機が考えられる。

経済は、現実である。人々の生活が成り立たなくなったら経済は、破綻するのである。
要するに人々の生活が持続できなくなったら実質的に経済は、破綻する。持続可能性が経済を測る最終的な基準となる。
現実を忘れて「お金」に執着していると経済の本質を見失い。経済そのものが成り立たなくなる。
欲望を否定したりはしない、しかし、経済は、欲望だけで成り立っているわけではない。経済は、生きようとする意欲で成り立っているのである。
経済危機は、現実に根ざしている事を忘れてはならない。現実に根ざしているからこそ、生々しい争いごとであり、また、抜き差しならない、綺麗事ではすまない事なのである。人々の生活、家族の生存がかかった事なのである。
それを忘れると経済危機の根幹が見えてこない。経済危機の本質は、「お金」ではない。人と物の問題である。

私は、現代の経済の状態は、持続できないと考える。
なぜならば、第一に、フローとストックの均衡(バランス)が修復できないほど拡大している事である。
第二に、部門間の不均衡の拡大である。第三に、財政の悪化である。第四に、国債の大量の発行。第五に、中央銀行が大量に国債を買い支えている上に、株を大量に所有している。第六に、デフレーションから抜け出せないでいる。第七に、家電、電力と言った主力産業が立ち直れない。第八に、長期間にわたるゼロ金利と、金融緩和である。第九に、金融機関の経営の悪化である。第十に、資産価値の低位安定である。第十一に、市場が飽和状態で経済成長が望めない。第十二に、米中関係等、海外経済関係の悪化である。
これらの事を考えると経済は、持続可能とは思えない。経済の持続が難しくなると経済は破綻する。


何が経済を破綻させるのか。


何が現在の経済を破綻させるのか
第一に考えられるのは、金融危機である。金融危機は、資金の流動性を喪失させ、「お金」を循環させなくなる。第二に、物価の異常な高騰。第三に、恐慌である。第四に、財政破綻。第五に、通貨危機である。為替制度が破綻すると海外から必要な資源や資金が調達できなくなる。第六に、戦争。そして、第七に、内乱、革命である。そこまでいかなくても政治的混乱である。
戦争や内乱は、経済破綻の結果引き起こされる。

故に、我々が明らかにすべきなのは、金融危機や物価の高騰、恐慌、財政破綻、交易関係の破綻の危険性がどの程度あるか。金融危機や物価の高騰、恐慌、財政破綻、交易関係の破綻の発生原因は何で、金融危機や物価の高騰、恐慌、財政破綻、交易関係の破綻が起こった時、どう対処すべきかである。

次に、金融危機とは何か、物価の異常な状態とはどの様な事態を指すのか、恐慌とは何か、財政破綻とは何か、交易の破綻とはどのような状態かを要件定義する。
その上で、各々の事態を測定する指標を決めるのである。

第一の金融危機とは、金融部門を中心にして発生する危機である。金融危機は、金融の持続可能性を危うくする。金融危機は、金融機関の経営が成り立たなくなり、金融機関や金融ネットワークが機能不全に陥る事である。金融機関や金融ネットワークが機能不全に陥ると「お金」の流動性が極端に低下し、市場取引が機能しなくなる。つまり、市場に「お金」が流れなくなるのである。
金融危機は、金融機関の収益が急速に悪化し、多くの金融機関の経営が成り立たなくなる事である。それが信用不安を引き起こし、一金融機関の問題だけでなくなり、金融業界全体のネットワーク、市場を機能不全にしてしまう事である。「お金」が市場の循環しなくなるのである。つまり、市場に「お金」が廻らなくなるのである。
金融危機を伝播させるのは、短期金融市場である。短期金融市場は銀行間で資金を融通する市場で短期金融市場が機能しなくなると一気に資金の流動性が失われる。

金融危機の原因の根本には、フローとストックの不均衡の拡大がある。フローとストックの不均衡の拡大は、フローとストックを乖離してしまう。その結果、フローによる裏付けのないストックが増加する。
フローとストックの拡大の好例は、バブル現象である。ストックが経済の実体から乖離して増殖していく。
実体的取引の裏付けのない資金の増殖は、貨幣価値希薄にする。
フローとストックの不均衡は、フローを拡大するか、ストックを縮小させるか、あるいは、フローの拡大を計りつつストックを縮小するかしか解決できない。
なぜならば、実体のないストックの拡大は、フローの障害となるからである。

前提となるのは、実体的経済が脆弱化する事である。つまり、民間企業が本業の事業から適正な収益を上げられなくなり、投機的取引にのめり込んでいく事にある。
これは、高度成長後や円高不況後の日本の状態である。

資産価値の急速な下落は、不良債権を発生させ増幅させる。不良債権は、対極に不良債務を派生させるのである。不良債権だけを処理しようとすると不良債務だけが置き去りにされる。
不良債権かどうかは、働きから判断すべきなのである。例え担保価値を割れていても返済能力さえあれば問題ないはずである。
企業に対する資金の調達力は、資産価値だけでなく、収益性からも評価すべきなのに、結局、資産価値だけでしか評価してこなかった。

第二の、物価の異常な高騰とは、消費、即ち家計部門、および市場を中心にして起こる現象である。ハイパーインフレーションを指す。ハイパーインフレーションとは、経済の実体、生活から懸け離れた速度で物の価格、物価が急上昇する事である。必然的に所得と支出の均衡が保てなくなる。貨幣制度の崩壊を招く。
インフレーションもデフレーションも貨幣的現象だという事を忘れてはならない。インフレーションやデフレーションは、貨幣の振る舞いによって引き起こされる現象である。ただ、インフレーションやデフレーションと言った貨幣の振る舞いの背後に物的要素と人的は要素がある。
インフレーションやデフレーションの原因は、生産、分配、消費、貯蓄の不均衡と通貨の流通量との関係がある。

背景にあるのは、市場環境の変化余剰資金の処理である。変化に対する対応や余剰資金の処理を間違うと物価を制御できなくなる。
特に、ハイパーインフレーションは、財政インフレーションだと言われている事にも注意しなければならない。実体経済の実需だけで物価は制御不能な状態には陥らない。なぜならば、物や人の数量は有限だからである。それに対して貨幣価値は上に開いている。つまり限りがない。
江戸時代の飢饉の際、大金を抱いて餓死した旅人がいたとされる。なぜなら、小判は食べられない事を、江戸時代の人々は知っていたのである。黄金は、飢饉の時は役に立たない。しかし、「お金」の分配機能が正常に働かなくなると、終戦直後の様に「お金」のない者は餓死してしまうのである。
ハイパーインフレーションは、貨幣的な現象なのである。

基本的に収入は、不確実であり、支出は固定的、確定的である。故に、収支、損益は、不確実なものであり、人は、常に、将来資金不足に陥る不安を抱いている。それが問題なのである。資金不足に陥らないためには、固定的支出を節約し、収入の安定を計り、いざと言う時のために蓄えをする。それが経済の鉄則である。

近代工業が発達する以前は、生産の予測は難しい消費の予測は立てやすいと言うのが通り相場だった。
しかし、近代の産業革命、工業生産は、生産量を確定的なものにした。しかし、生産量は、予測できても販売量は不確実である。工業生産は、流行り廃りがあり、天候に左右される農産物とは逆に売上を予測するのが難しくなった。
生産にも消費にもそれぞれ固有の周期がある。複雑にいろいろな要素が絡み合って需要と供給を適合させるのは難しい。当然、集権的に計画的に需給を制御するのは現在の技術では不可能である。
その為に、生産の周期と消費の周期の不整合が生じ、市場は、不飽和状態と過飽和状態を繰り返す事になる。
この様な生産、分配、消費、貯蓄の不均衡な状態に、更に、金銭的要因が加わると物価は、激しく振幅する事になる。
金銭的要因として需給関係が不安定な時に過剰な資金が供給されると物価の制御が難しくなるのである。

第三の、恐慌とは、生産主体を中心として起こる現象である。金融危機が貸借の問題ならば、恐慌は損益上の問題である。
現在の経済の原理は、収益の中から費用を捻出し、費用を要に分配をし、投資された資金を返済する。その柱の収益が費用を賄えなくなる事で、分配機能が正常に働かなくなる事によって起こる危機が恐慌である。
景気の急速な悪化によって企業の収益力が低下し、経営が成り立たなくなり、多くの企業が破産する事で失業率が上昇し、総所得が急落する事である。市場が機能不全に陥るのである。
恐慌は、金融危機が金融市場によって起こる事が実物市場で起こったような事である。実際、多くの場合、恐慌と金融危機は連動して起こる。
恐慌は市場的現象である。市場は常に不安定な状態にある。
拡大し続けて生きた市場が何かの出来事をキッカケにして縮小に転じる事がある。拡大から縮小への転換が急激に起こると収益と費用の均衡が保てなくなり、多くの企業が破綻する。また、資産価値の急激な下落は、企業の資金調達力を奪う。収益の低下と資産価値の下落が同時に起こると民間企業は、「お金」を廻す力を失う。

市場経済の主柱である収益が不確かな事が問題なのである。それに対して支出は確定的で固定的である不確実なものの上に確実な事を組み立てなければならない。だからこそ経済は不安定になるのである。
経済信用の土台は資金調達力によって築かれ、資金の均衡は収益によって保たれている。
経済を不安定にさせるのは、収益力と資金の調達力の問題でなのある。


市場経済では市場と言う場が要である。


市場経済では、市場と言う場が中核的な役割を果たしている。
市場経済では、市場の健全さを保つ事が重要となる。市場は、基本的に取引の場である。市場が健全さを失ってくれば負債が比率が上昇してくる。負債本来の働きは、取引の為の支払いを準備する事にある。

市場は、需要と供給によって生産と消費を調整する機能、収入と支出によって「お金」の流通を制御する機能がある。そして、その中核を握るのが、取引であり。取引は、分配の手段である。

市場経済は、単位期間における損益を柱にして資金の過不足を貸借で補う。適正な収益を上げられなくなると経済は成り立たなくなる。この原則が往々にして忘れられるのである。競争力ばかり重視されると費用は蔑ろにされる。費用の持つ意味が顧みられなくなる。
単に生産効率ばかり追求すると価格がすべてに優先される。単純に費用を平準化、平均化しようとする思想に支配される。市場が追求するのは、製品の質や費用も加味した適正な価格である。
行きつくところはも賃金の平均化、平準化である。同一労働、同一賃金である。同一労働、同一賃金は、例えていえば、野球選手の報酬を成績や能力や守備位置、一軍、二軍に関係なく一律にするという思想である。同一労働、同一賃金は、労働の質が評価されなくなる。そうなると量から質への転換ができなくなる。適正な価格が維持できなくなれば適正な収益が維持できなくなり、適正な費用が確保されなくなる。適正な費用が確保できなくなれば、所得の相対的縮小が始まる。それが市場全体に伝播した時、恐慌は、始まるのである。
反対に格差の拡大も市場の機能を低下させる。生産と消費の均衡が保てなくなるからである。

バブル崩壊後の停滞を長引かせたのは、適正な収益が保てない時に、規制を緩和して過当競争をさせた事が一因である。病気で体力を失った企業や金融機関に全力疾走をさせれば結果は明らかである。

金融危機や物価の高騰、恐慌などの共通した原因は、名目的価値と実体的価値の乖離がある。名目的価値は、貨幣的価値であり、負債を意味する。それに対して実体的価値は、資産である。

資産価値の低下によって含み資産による資金の調達能力が弱まった。さらに、過当競争によって収益力の低下した企業は、収益からの資金調達力も失った。資金調達力を失った企業は、経費削減と内部留保の取り崩しによって資金を捻出し、外部資金を頼らなくなり。それが金融機関の体力を奪っていったのである。根っこにあるのは、本業によって適正な収益が上げられなくなったことである。

第四の、財政破綻は、一般政府部門を中心にして起こる危機である。長期間、歳入を歳出が上回る、歳出の支払いに障害が生じる事である。場合によっては、行政サービスが働かなくなったり、海外から、資金の調達ができなくなったりする。
財政問題を深刻にするのは、財政が国債と表裏の関係にあるからである。元来、国債は、紙幣の源なのであり、国債の拡大は、紙幣の拡大、負債の拡大を伴う。これがストックの拡大を促す事にある。

財政問題を複雑にしているのは、公共投資と景気を結び付けて考えるからである。公共投資は、景気に決定的な影響を与える。また、失業対策としても有効である。しかし、それは二義的な事であって主ではない。景気対策のために、財政を破綻させたら元も子もない
公共投資が有効なのは、公共投資が拡大再生産に結び付いた場合である。一過性の投資では、ばら撒いた「お金」の量以上の効果を期待する事が出来ない。発展途上の地域や国は、道路や鉄道、港湾、空港、や電気、ガス、上下水道、通信などの社会資本が充実して来たら都市や産業が発達する。しかし、設備の更新や修繕と言った事業は、過大な効果を期待する事はできない。成熟した社会では、景気対策として公共投資に過大な期待をするのは危険である。むしろ、部門間の資金の貸し借りを歪ませるだけに終わる危険性がある。

財政も歳入歳出の均衡を無視する事はできないのである。

財政の一番の役割は、社会資本の充実と所得の再分配、国身の福利、教育、治安、国防である。財政が破綻するとこれらの働きが失われる。

第五の通貨危機は、海外部門を中心にして起こる危機である。最大の原因は、余剰資金が国際市場で暴れる事である。根底に国家間の金利差などが要因となる。
通貨危機は、海外交易の破綻をもたらす。海外交易の破綻は、輸出入の不均衡になり外貨準備が枯渇したり、為替を急落させる。逆に通貨危機の背景には交易戦争が隠されていたりする。
海外交易の破綻は、為替制度の破綻にもつながる。そして、為替制度の破綻は、通貨危機を招く危険性が高い。
海外交易で一番の問題は、例え少量でもその国が生存するために不可欠な資源で国内で調達できない資源が、海外から調達できなくなる事なのである。特に島国である我が国は逃げ場を失う事になる。島国は、外敵から国土守る時には、有利だが、自由な交易を断たれると経済成長に限りが生じる。この様に国家経済においては、地理的な要件が決定的前提となる。
通貨危機は、財政破綻が原因でも起こる。財政が破綻する事で交易の決済が滞り、あるいは、支払い不能状態に陥り、海外から必要な資金を調達できなくなる状態になるからである。
そして、金融危機は、ハイパーインフレーションや恐慌の原因にもなる。
いずれにしても国家の主権、独立に重大な影響を与える事であり、最悪の場合、戦争や内乱を引き起こす要因となる。戦争や革命は、経済破綻の原因にも、結果にもなる。

経済危機の怖さは、一つの危機が単独に発生するだけでなく、一つの危機が他の要素の危機に連鎖し拡大していく事である。故に、連鎖をどこで断ち切るかが最大の課題となる。金融危機は、財政危機やハイパーインフレーション、恐慌などに連鎖しやすい。また、財政危機は、通貨危機や金融危機に連鎖する場合が多い。その延長線上に戦争や内乱、革命などの破局的な事象が待ち受けている。だからこそ、危機の連鎖をどこで断ち切るかが鍵になるのである。

財政政策、金融政策だけで経済危機に対処する事は不可能である。部分的、単一的な対処、あるいは、現象論的な施策では経済危機は乗り越えられない。経済危機に対しては、複合的、構造的、総合的な対処が必要なのである。
バブルの際、窓口規制などで銀行の融資を止めながら、住専や農林系などのノンバンクを規制しなかったために、かえって傷を大きくしたのが好例である。

何がキッカケになって経済危機は起こるのか。
過去には、リーマンブラザースの破綻が連鎖して流動性が枯渇したリーマンショック。石油価格の暴騰が物価上昇を招いたオイルショック、プラザ合意による円高不況等があげられる。キッカケは、金融機関の破綻や財政破綻、物価の急上昇、為替の変動、極端な物不足等である。

経済の目的・役割


先ず経済とは何かを定義する必要がある。なぜならば、現状の問題点は、経済本来の働きに対するものだからである。

経済とは、生きる為の活動を言う。経済とは、生活である。経済は、生きる為に必要なすべての活動を言う。
国民経済は、全ての国民が生きる為に必要な活動を言う。
故に、国民経済の仕組みは、国民が生きる為に必要な財を生産し、満遍なく分配する為の仕組みである。

経済の仕組みは、「お金」を循環させる過程で生産、分配、消費を実現する事である。「お金」は、目的ではなく手段である。経済の仕組みの目的は、人々の生活に必要な財を生産し、必要とする人に、必要とする時に、必要とするだけ供給する事である。ただ、手段である「お金」は、財を分配する段階で決定的な働きをしている。その為に、経済において「お金」は、支配的な役割を演じているのである。
経済が問題とする事は本来、人々がゆとりのある生活をする為に、必要な財は何か、どれくらい必要としているか、どの様に分配すべきかなのである。そして、それを実現する為に、どれくらいの金額の「お金」を供給し、どの様に循環させるかが問題となるのである。
経済の実体は、名目的な事では実物的な物である。人は、「お金」を食べて生きているわけではないし、「お金」を着ているわけでもない。

この事を前提として経済の仕組みの要件定義の以下の手順で要点を明らかにする。
要件定義には、第一に、目的を明確にする。
第二に、要件定義の為の前提条件、初期設定を設定する。
第三に、経済を構成する要素を定義する。
第四に、最小単位と働きを定義する。
第五に、最小単位な依って形成される経済の構成要素・部門を定義する。
第六に、経済の基本的な流れと経済の流れが生み出す空間を定義する。
第七に、経済の仕組みの構成を明らかにする。
第八に、経済における「お金」の働きを明らかにする。
第九に、人と物と「お金」の関係を明らかとする。
第十に、最終成果物、指標を設定する。

次に、何を目的として要件定義をしようとしているのかを明らかにする必要がある。

要件定義における経済の目的は、問題設定から求められる。
経済の問題とは、現在の経済状態の問題点はどこにあるのか。なぜならば、経済の現在の状態を正確に把握していないとどうすべきかの方向性が見えてこないからである。本当に経済に問題があるのか。経済の問題とは何か。その点を改めて検証する必要がある。先ずどのような現象が起こっているのか。物価に異常な動きはないか。財政はどうか、金利はどうか。失業者は増えていないか。一つひとつ事実関係を調べるのである。
経済は、生きる為の活動であるから、生活に何らかの支障が起こっているか。また、現在は、生活に支障は起きていないが、将来、何らかの支障が起こる可能性があるのか、この点が問題なのである。
何が問題で、何に、どの様な影響を与えているのか。そして、現在経済の何が問題なのか。物が不足しているのか、貧富の格差が広がっているのか。失業者が多いのか。これらの項目を一つひとつ洗い出し、検証するのである。
そして、問題点の原因は何か。何らかの問題があると判断された原因を明らかにする。失業率が高くなったら、その原因を探るのである。物価の異常な上昇があったらその原因は何かを明らかにする。
問題を解決する手段はあるのか。問題の原因を明らかにした上で総合的な見地で対策を立てる。

これらの問題を解くためには、まず現状を正しく知る必要がある。

ここで私が行おうとしているのは、現在の経済の仕組みを明らかにし、現在経済がどの様な状況にあり、どの様な問題があって、それを解決する為には、どの様な手段があるのか。そして、解決できない場合は、どの様な状態が想定され、それを回避する事が出来るか。回避できないとしたらどの様にリスク(不確実性)を制御するのかを明らかにする事である。

目的を明確にするためには、経済とは何か。経済の仕組みに対して何が期待されているのかを明らかにする必要がある。それを前々章で「経済とは何なにか」、前章の「経済に望まれている事」によって明らかにした。

経済の役割は、生きていくために必要な資源、財を生産し、必要としている人に遍く分配し、人々の生活や人生を実現する事である。

経済の目的は、人を生かす事であり、自己実現にある。

経済とは生きる為の活動である。
故に、経済とは、人を生かすための仕組みである。人を生かすための仕組みは、使い方を間違えば人を殺す仕組みに変質する。
人を生かすための仕組みの目的とは、国民が生きていくために必要な財を生産し、あるいは、調達して国民に遍く配分する為の仕組みである。
経済の仕組みの目標は、必要な資源を必要とする人に必要なだけ、提供する事である。

尚、経済を分析する上で気を付けなければならないのは、過学習である。
過学習にならないように調節するのが分析の要諦である。


経済の前提条件・設定


経済は、現実であり、生きていかなければならないという事が前提である。故に、現実の営みが前提となる。人の生業が前提となる。
しかし、経済は、人為的な事である。自然に成るものではない。経済の仕組みには、始まりがあり、何事もゼロから始まらなければならない。経済の仕組みの初期設定は、ゼロである。
経済は、始め仕組みとしては空だが現実の生活を前提としなければ成り立たない。つまり、経済の仕組みは、始まりは空であっても無ではない。
そして、それを最も象徴しているのが「お金」である。「お金」は、経済の仕組みを動かす原動力である。「お金」は、人工的な存在である。貨幣制度は、「お金」がなければ動かない。しかし、全ての経済主体は、始まりは無一文である。故に、「お金」は、過去の遺産を担保として成立して、発展過程で過去の遺産を取り込んでいくのである。その過程が後々重要な働きをする。故に、初期設定を見直す必要があるのである。

もう一つ忘れてはならないのは、生活が時の流れとともにあるように、経済も時の流れを前提として成り立っているという点である。
経済は、生産、分配、消費、貯蓄と言う流れがある。この流れには、順序があり、不可逆的であり、周期的に循環している。それが経済の時を生み出している。
全ての経済主体、部門は、初期条件はゼロである。故に、先ず、資金調達から始まる。次に財の生産である。
生産、分配、消費は時間の経過を前提としている。故に、最初の資金調達は貸し借りから始まる。紙幣は、その証書である。貸し彼から始まるから貨幣経済の原点は負なのである。金融は負の存在である。
貨幣制度は、分配は、「お金」を予め分配し、必要に応じて市場から財を購入するという二段階で行われる。
故に、分配の仕組みには、「お金」の分配の仕組みと財の分配の仕組みの二つの仕組みからなる。

経済の仕組みは、生産、分配、消費、金融の仕組みが、順繰りに折り重なってできているという事である。
始まりは、段階的になるために、生産、分配、消費、金融のスタートに時間差が生じる。
一つ手前の生産に基づいて所得を分配し、分配された所得に基づいて支出し、購入した財を基づいて生産する。
そして、一定の過程を一巡すると生産、分配、消費、金融の仕組みが並行的に作動しているという構造をしている。
過去、現在、未来が一つの仕組みに共存している。故に、経済の仕組みを見る時、どうしても三期を見る必要が出てくる。

この段階的・階層的構造が経済の仕組みの特徴である。
そして、過去と現在と未来が並存するのが経済の仕組みの特徴なのである。

経済体制と言うのは、歴史的産物である。必ずしも、明確な理論に基づいた仮定、設計図の上に建てられた体制ではない。むしろ、経験やその時々の状況に合わせて構築されたものである。
なぜならば、経済は、継続性が求められるものだからである。過去の体制や経験、技術、知識を全く断絶したら経済は即成り立たなくなる。日々の生活は継続した事だからである。革命中も、戦争中も、大災害の後も人々の生活を中断する事はできない。故に、何らかの形で経済行為は継続せざるを得ないのである。
経済を語る時、歴史的事実、背景を無視する事はできない。むしろ、それは大前提となる。ただ、歴史は、論理的に形成されるものではない。故に、その結果である経済体制は、論理的な整合性を欠いている場合や部分が多い。

歴史的事実を前提としなければ成り立たない。しかし、だからといって歴史的事実を全て検証したとしても経済のアルゴリズムが解明できるわけではない。なぜならば、歴史的事実だけでは普遍性が乏しいからである。歴史的事実を整理し、その背後にある法則性を解明して初めて経済体制の仕組みを解き明かす事が出来るのである。

それは、自然科学は、自然現象の背後にある法則を帰納法的に見出し、演繹的に工学技術に転用する事で発達してきたのである。自然法則を見出した事で自然の力を人工的に活用する事が可能となったように、経済体制も経済現象の背後にある法則を明らかにしてはじめて人間の意志で制御する事が可能となるのである。
その兆しは、システムにある。

要件定義に入る前に確認しておく事は、我々が分析の対象とするのは、現在の経済現象であり、その前提となる現在の経済体制だという点である。

貨幣制度も、市場制度も、資本主義も、自由主義も、歴史的事実を前提として成り立っている。この事を所与の事として、私は、論理を組み立てていく事とする。
故に、歴史的事実とは何を指すのか。それは、特に、貨幣制度が成り立つための前提が重要となる。現在の貨幣制度は、歴史的な産物とする。

今の経済の仕組みの特徴は、生産の場と消費の場が個々独立し、固有の場を形成している事である。そして、生産の場と消費の場を繋げる形で分配の場は、成立した。現在の世の中の仕組みは、生産の場と消費がの場が分離する過程で成立したのである。

生産の場と消費の場が分離独立する過程で、個人が経済的に独立し、私的所有権や市民権などの権利が確立した。この様な近代的個人を基礎として民主主義や国民国家が成立したのである。
経済的に独立した個人は、生産者と消費者を兼ねる存在である。つまり、個人は、売り手であり、買手でもある。これが、市場経済に対称性をもたらしている。
また、生産の場と消費の場が分離独立する事で、市場が成立し、物流や貨幣経済が発達した。

経済の仕組みは、所得を入り口にした支出を出口にしている。故に、所得と支出の関係が経済の動向を決める。そして、所得と支出が生産、分配、消費を結び付け制御しているのである。
所得は、生産局面では人件費と言う費用であり、分配局面では、報酬と言う評価であり、支出局面では、生活費である。そして、支出は、収益と投資に転化する。収益は、フローを投資はストックを形成する。
人は、生産局面では、労働者であり、分配局面では、所得者であり、消費局面では消費者である。この流れが経済の動向を定めている事を忘れてはならない。つまり、人は、生産者(労働者)であり、所得者であり、消費者である。生産、所得、支出の働きが個人によって一体化されているのである。
生産の効率を測る尺度は利益で収益と費用の関係から導き出される。分配の基準は、働きと成果で報酬によって測られる。支出の基準は、収入と支出、消費と貯蓄によって測られる。
生産局面で利益だけを重視し、ひたすら、費用の削減を求めると、必然的に所得は圧迫され、支出が減少する。生産、分配、支出をいかに調節するかが経済の肝なのである。
所得格差が広がり、放置すると一方に貧窮する者が増加し、他方で飽食者が増加する。生活に困窮する者が増え、生きる事も困難になる者が増えれば、治安が悪化し、社会を維持する事も難しくなる。
所得格差を是正する意味で所得再配分の比重が大きくなり、税負担が重くなる。税負担と言うのは、直接的な反対給付がない分、負担感や不公平感ばかりを残す傾向がある。
故に、収益構造が重要なのである。費用は、悪だからと削減してしまうと分配に支障をきたすのである。相対的に費用が縮小すると所得は圧迫を受ける。
生産効率が向上し、所得が圧迫されるようになると、所得再配分の比重が大きくなり、税負担が重くなる。税負担と言うのは、直接的な反対給付がない分、負担感や不公平感ばかりを残す傾向がある。
消費構造の変化は、産業構造の変化を強要する。
そして、生産、分配、支出が不均衡になると、それが時間価値を歪め、物価や景気に影響し、フローとストックの比率を歪ませる。なぜならば、総生産、総所得、総支出は付加価値であり、時間価値だからである。

自由主義体制を成り立たせる要件は、第一に、私的所有権を認めている。第二に、法治主義だという点である。第三に、市場経済だという点である。第四に、期間損益主義を根本としている。第五に貨幣制度に基づいている。これらの要件を前提とする事で自由主義体制は成り立っている。

現在の経済体制は、第一に、貨幣制度を下敷きにしている。第二に、市場経済を前提としている。第三に、資本主義を基礎として成り立っている。
要するに、自由主義経済だという事である。

自由主義体制は、働きに応じて報酬(収入)を得て、必要に応じて財を市場から購入し、手に入れる。その為に、貨幣経済と市場経済は必須の前提となる。

現代の貨幣制度は、不換紙幣を主とし、一部を硬貨によって成り立っている事を前提とする。そして、為替制度は、変動為替制度とする。ただ、現在の貨幣制度のアルゴリズムを明らかにする為には、不換紙幣制度が成立する為の前提が重要となる。それが歴史的な前提となる。不換紙幣が成り立つためには、先ず、紙幣の生成過程が重要な働きをしている。次に、兌換紙幣から不換紙幣への転換が歴史的前提として機能している必要がある。故に、これらの歴史過程を前提として論理を展開する事とする。

経済の本質は数学である。数は、経済的要因で成立し、発達した。
経済は、純粋に数学的であり、論理的、客観的である。故に、統計を解析すれば経済の動きは明白になる。
経済の客観性を奪うのは人間の恣意であり、都合である。

経済数学で重要なのは、基本が自然数、離散数で、行列だという点である。そして、基礎となるのは、対称性と均衡である。
何と何が対称的で、均衡しているかである。

全体の対称性と構成の非対称性が経済の実体を表している。
経済の基本は均衡にある。
例えば、所得と支出は均衡(対称)しているが、家計、非金融企業、金融、財政、海外部門が占める割合は、非対称的である。そして、部門のストックの残高は、付加価値、即ち、総生産、総所得、総支出を制約し、個々の部門の割合の形成に作用する。
これらの関係を上げると以下の様になる。
所得=支出(収入=支出)
債権=債務(資産と負債、実質価値と名目的価値の関係を制約する。)
貸方=借方(取引の対称性を担保する。)
総資産=総資本(総負債+純資産)
総生産=総所得=総支出
家計+非金融法人企業+金融機関+財政=海外部門の経常収支
経常収支=資本収支(フローとストックの対称性の根拠となる。)
収益=費用+利益
取引量の総和=0
均衡が経済の枠組みを構成する。そして、枠組みは、フローとストックの関係を制約する。
市場経済は、資金が回っていれば機能する。本業で利益が上がらなくなっても資金繰りがつけば経営は、継続できる。これは民間企業だけでなく、財政や企業、金融機関も同じである。金融機関は、いくら預金を貯め込んでも借金に過ぎない。金融機関は、資金を運用する事で利益を得ている。資金の運用先がなくなれば、本来の利益は上げられなくなる。高度成長が終焉し、本業で利益が上げられなくなった多くの企業は、借金で経営を持続しようとした。しかし、利益が上げられなければ名目が立たないために、資産を運用した事で名目的に利益が上がっているように見せかけた。名目的な利益を上げるためには、負債を拡大する必要がある。それがストックとフローの均衡を破ったのである。ストックの拡大によってフローは圧迫を受ける事になる。その結果が低金利、ゼロ金利、実質的な利益率の低下、デフレーションである。これは、貨幣価値の希薄化を招く。

何に投資をするのかを考えた場合、比較対照されるのは、金利、利益率、地代・家賃、物価上昇率、所得の上昇率である。金利は、負債から派生し、利益率は、収益を元にする。物価上昇率や金利より利益率が低ければ、投資は抑制されるだろう。その他に為替の変動幅や資産の上昇率等が基準となる。いくら投資しても金利以下の利益しか望めないのなれば、投資せず預金した方が安全でしかも高い利益がのぞめる。だとしたら、投資するよりも預金をする方を選ぶのが合理的である。
いつまでたっても黒田氏が公約した物価二%が実現できないのは、為替の動向や原油価格の下落が物価の上昇を妨げているからである。そして、それが長期金利に影響を投げかけている。
所得の上昇率、地価の相場、家賃相場、金利等を見比べて家を買うか、賃貸にするかを決める。その時引比べるは、月々の返済額、家賃、そして、所得である。
金利、利益率、地代・家賃、物価上昇率、資産価値の上昇率、所得の上昇率その基となるものと関係がどの様に影響しているかによって経済は左右される。

経済は、人為的な存在であり、観念的なものである。
経済体制は、所与の存在ではなく、任意な事である。故に、経済現象は、人工的な現象である。
経済は、暗黙の合意と契約、信用の上に成り立っている。
経済は自然に成るものではなく、人の意志に基づいて形成された事である。
人間の意志に基づくものであるから経済には目的が存在する。
そして、目的に基づいた合意が経済の前提となる。

経済は、人と人との関係の上に成り立っている。
人と人との関係は、集団を形成する。故に、経済は、何らかの集団を前提としている。
人と人とが集団で生活する為には、掟、即ち、何らかの法がなければならない。
法は、合意と契約の上に成り立っている。
つまり、経済は一人では成り立たないのである。

これが大前提である。
故に、経済について語る場合は、どの様な合意、設定に基づいた経済体制を前提としているかを明確にする必要がある。

先ず、これから想定する経済体制は、自由経済を前提としている。

自由経済は、市場経済を前提としている。
貨幣経済を前提としている。
資本主義体制を前提としている。

市場経済、貨幣経済、資本主義体制は、形式である。

貨幣経済は、貨幣制度を前提としている。
貨幣、即ち、「お金」は、名目的価値を形成する。
「お金」は、数値情報であり、情報は働きである。貨幣価値そのものに実体はない。
貨幣価値は、交換価値である。貨幣に交換と言う働き以外の使用価値はない。



経済分析に求められる要件(要件定義)



経済の模型は、そのまま、システムに置き換える事が出来る。なぜならば、動く原理が経済の原理とシステムの原理は同じ、即ち、入力と出力だからである。

経済分析に求められる要件、あるいは、経済の仕組みに求められる要件をなぜ明らかにする必要があるのか。
それは、経済分析に求められる要件経済の仕組みに求められる要件を明らかにするという事は、経済の働きや役割を具現化するからである。
何のために何を、分析するかは、即ち、経済分析の目的は、経済の目的や働きに基づかなければならない。
経済とは何か観念的に、抽象的にいくら議論しても現実の生活は何も変わらないのである。経済に対する具体的な政策や行動に結び付かない限り、何の意味もない。
経済を実際的に変えるためには、経済は具体的、何を求められ、どの様な仕組みで動いているかを明らかにする必要がある。
だからこそ要件定義が求められる。逆に要件定義とはどのような事を要求されているかも明らかにすることができる。根本は、経済の要件定義は、経済の仕組みは、一体どのような目的で、どの様にして、何によって、何を実現しようとしているかを明確に定義する事である。

なぜ、経済の要件定義をする必要があるのか。それは、経済の要件定義によって何を知りたいのかに関わる。
市場が拡大均衡しているのか、縮小均衡なのか。成長期なのか、成熟期なのか。市場は、どの様な状態にあるのか。どの成長段階にあるのかによってとるべき政策が違ってくるからである。
フローとストックの関係を知る事で、どれくらいが借入金の限度かを知りたいからである。資金の流れる方向、内部資金調達か、外部資金調達かによって表に現れる投資活動の意味が違ってくるからである。金利の上昇がどの部分にどの様な影響があるかを見極める事で、金利の働きを知りたいかである。
何を知りたいかを理解しなければ要件定義の意味は理解できないし、要件定義のしようもない。

国民は、経済に何を求め、どうしてほしいのか。特に現在の経済は、「お金」を中心にして動いている。だからこそ、「お金」によって経済は、どの様な影響を受けているのかが問題なのである。

経済に求められるのは、第一に、国民生活に必要な資源を調達する事である。
第二に、国民生活に必要とする財を生産する事である。
第三に、財の生産に必要な生産手段を構築する水戸である。
第四に、必要とする人(処)、に必要とする財を必要とする時に、必要なだけ配分する事である。

現在の経済体制は、上記の経済の目的を実現する手段として「お金」が用いられている。
経済の仕組みは、「お金」によって動いている。
「お金」は、分配の手段であり、分配は、働きに応じて「お金」を配分し、必要なものを市場から購入する。即ち、「お金」の配分、財の購入と言う二段階で行われる。つまり、「お金」の配分と物の配分が二段階で行われるのである。分配が二段階で行われることによって経済は、二重構造を形成する。
経済の仕組みをわかりにくくしているのは、経済の二重構造である。
二重構造と言うのは、人と物といった実物が作る出す実物構造「お金」が作りだす名目的構造が重なり合った構造をいうのである。

この二重構造の働きを解き明かすためには、人と物、そして、「お金」の役割を理解しておく必要がある。
財を分配する為には、事前に所得を配分しておく必要がある。
その為には、所得の配分手段を準備しておく。
働きに応じて収入を得て、必要に応じて支出をする。この収入と支出の関係、経済の働きや運動を作り出している。

また、、経済は、生産、分配、消費、貯蓄と言うサイクルがある。
そして、生産、分配、消費、貯蓄は、各々別の仕組みで動いている。生産には生産の仕組み、分配には分配の仕組み、消費には、消費の仕組み、貯蓄には貯蓄の仕組みがある。つまり、生産、分配、消費、貯蓄は個々独立したアルゴリズムがある事を明確にしておく必要がある。

景気の変動を安定させるために、物価の変動を一定の幅の範囲内に抑える事が求められる。

我が国は、国民の生活に必要とする資源を全て自給自足できるわけではない。特に、国家の存亡にかかわるエネルギーと食料を自給できない。故に、交易によって必要な資源を調達できるようにするのが絶対的使命である。
また、海外から必要な資源を獲得する為に、資源を購入する為の資金を海外交易によって稼ぎ出す必要がある。

全体の要件定義


経済の実体的目的は、物の分配にある。よく言われるのは、「お金」は食べられない。「お金」ができるのは、食べ物を買う事だけである。現実に、料理をするのは人であり、食べるのは野菜や魚、肉である。最終的に必要とされるのは、「お金」ではなく食べ物である。これが大前提である。
先ず実体的な経済に求められるのは以下の事要件ある。
経済の仕組みで第一に求められるのは、国民生活に必要とされる物の総てを調達、生産する事である。
経済の仕組みで第二に求められるのは、必要な財を必要としている時に、必要なだけ供給する事である。
経済の仕組みで第三に求められるのは、需要と供給を調整させることを通じて生産と消費を均衡させる事である。

経済の仕組みを動かしているのは「お金」である。
経済の仕組みを正常に機能させるためには、「お金」を供給し循環される仕組みを構築するのが必須となる。
経済の名目的な仕組み、「お金」の仕組みはに求められるのは以下の要件である。
第一に、「お金」を全ての消費単位に満遍なく生活する為に必要な資金を配分する。
第二に、「お金」を常に、「お金」を補給し続ける。
第三に、「お金」を循環させる。
第四に、「お金」は、経済的働きに応じて配分し、必要に応じて市場から購入する。
第五に、経常的な収入の範囲内で経常的な支出は収まるようにする。
第六に、経常的な収入に収まらない支出は、貯金を取り崩すか、借金によって賄う。
第七に、借金の返済は、経常的な収入によって支払う。
第八に、全ての経済主体の「お金」の残高の初期設定は、〇である。

経済の仕組みは、物価、金利、所得の関係を安定されることが求められる。
経済の仕組みは、収入と支出を均衡させることが求められる。
経済は、生産、分配、消費、貯蓄の局面があり、経済の仕組みには、生産、分配、消費、貯蓄を均衡させる事が求められる。

以上の要件を満たすように経済の仕組みの骨格は作られなければならない。

経済は、市場と主体から作られている。

生産の要件定義。


生産の目的は、消費者が必要としている財を必要なだけ生産することである。
生産の初期設定は、金銭的にも、物的にも、人的にも「ゼロ」である。
故に、原点は、ゼロであり、先ず、人、物、金の調達から始まる。
生産は、生産手段の調達から始まる。
生産手段には、物的手段と、人的手段がある。物的手段の調達は設備投資であり、人的生産手段は、労働力である。
人、物、金の調達とは、投資を意味する。

生産を元とした「お金」の流れには、売買取引から派生する流れと金融取引から生じる流れの二通りがある。金融取引は、貸借取引と資本取引があり、貸借取引は、負債に仕分けられ、資本取引は、純資産に仕分けられる。
また、売買取引は、期間損益に計上され、フローを形成する。金融取引は、貸借に計上されストックを形成する。

「お金」の流れには、消費と移転の流れがある。
消費は、生産段階では、中間消費として現れ費用を形成する。
国民経済計算書で費用に相当するのは、中間消費、雇用者報酬・混合所得の一部、固定資産減耗である。そして、利益に相当するのが営業余剰・混合所得である。
中間消費と、雇用者報酬・混合所得は、現金収支を伴うが、固定資産減耗は、評価勘定であり、営業余剰は、差額勘定である。

そして、国民経済計算書で付加価値を構成するのは、雇用者報酬、営業余剰・混合所得、固定資産減耗、そして、所得、富に課せられる経常税である。

移転は、生産段階では、主として投資として現れる。移転の流れは、債権と債務を生み出す。債権の一部は、固定資産を計算する。
資産とは、経済的効用が単位期間を超えて一定期間、発揮される生産手段を言う。
資産の中には、時間と伴に劣化し、費用化される部分と劣化しないで恒久的に名目的価値を保持する部分がある。
費用化される部分は、評価勘定である減価償却費、国民経済経済計算書では固定資産減耗として現れる。

生産は、費用対効果の指標の利益によって妥当性が測られる。実際には、資金が回れば経済主体は継続する事が可能となる。

産出=中間投入+固定資産減耗+生産・輸入品に課せられる税-補助金+営業余剰・混合所得+雇用者報酬
GDP=固定資産減耗+生産・輸入品に課せられる税-補助金+営業余剰・混合所得+雇用者報酬
NDP=生産・輸入品に課せられる税-補助金+営業余剰・混合所得+雇用者報酬
国内要素所得=営業余剰・混合所得+雇用者報酬

国民経済計算書では、産出、GDP、NDPは、生産者価格を表示し、中間投入は購入者価格を表示している。

中間投入は、取引相手の収入、産出である。この点を見落としてはならない。故に、産出は、中間投入と付加価値の和であり、付加価値と中間投入は同値なければならないのである。

付加価値と中間投入が一致しない原因して考えられるのは、第一に、誤差脱漏。第二に、時間的な歪。第三に、評価勘定が混在している。第四に為替などの変動。第五に原材料の高騰。第六に部門間の歪みなどが考えられる。

大体、三面等価と言っても厳密に現実の数字が一致するわけではないし、一致するはずもない。
ただ考え方として三面等価と言う事は念頭に置いておく必要がある。

一般に付加価値が重視される事で、産出や中間は、隅に追いやられる傾向がある。
経営分析で売上や売上原価が基礎にあるように、経済の基礎にも産出や中間消費はあるべきなのである。

投入産出表(産業連関表)の枠組みを見ると産出と中間投入の関係が見えてくる。行方向に見ていくと財貨・サービスの需給状況が列方向に目を転じると財貨・サービスの生産に要した中間投入と付加価値が明らかになる。(「マクロ会計入門」河野正夫・大森明著中央経済社)
特に雇用量の算出根拠となるのは大きい。

分配の要件定義。


分配の場は、生産の場と消費の場が分離する過程で生じた。故に、生産の場と消費の場を接続する部分として発達したと考えられる。その為に、生産主体と分配主体は、組織を共有している。そして、消費の場は、市場を経由して必要な資源を手に入れる。
分配は、私的所有権と不利不可分の関係にある。なぜならば、私的所有権が確立されていなければ、売る事や買う事はもとより、貸す事も、借りる事もできないからである。

分配は、経済の仕組みの要である。

分配の目的は、最終的には、必要としている人に必要なだけ財を配分する事である。少なくとも生きていくうえで必要最小限の財は、配分しなければならない。
その為に、事前に「お金」を配分しておく必要がある。つまり、配分は二段階で完結する。そして、配分の基本的原資は、第一段階になされる。第二段階では、需要と供給によって配分が決まる。第一段階で受け取った配分も物価が高騰すれば、予定を変更せざるを得なくなる。つまり、配分は、報酬の水準と物価の水準によって調節されている。

注意すべき点は、「お金」を獲得する主たる手段は、労働力を提供する事ではあるが、労働力を提供するだけでなく手持ち資産を売ったり、貸したりしても報酬を得る事が出来る。それが財産所得である。
事前に「お金」を獲得する手段は、資産を売るか、労働と言う生産手段を提供するか。
「お金」(報酬)は、労働の成果に対価として支払われる。故に、報酬として支払われるためには、成果を出す必要がある。成果を出すまでには、時間が必要となる。故に、生産と分配との間には、一定期間の時間差が生じる。

分配は、働いて(労働力と言う生産手段を提供する)、報酬を得て、報酬から生活に必要な財を市場から購入するまでの過程をさす。
即ち、労働の対価として「お金」の分配を得て、その「お金」を使って財を得ると言う二段階で分配は完結する。

生産と分配は、組織を共有している。
全ての局面を結び付けるのは、個人の働であり、個人の働きは、生産局面では、費用として働き、分配の局面では、所得として、消費の局面では支出、金融の局面では貸借として働く。
費用には、絶えず下降圧力がかかり、所得には、水平圧力、支出には、上昇圧力がかかる。その相互作用が適正な賃金を生み出す。

また、生産の成果は、収益と所得につながり、収益は、費用対効果の結果、利益を、所得は、生活費につながり、支出を導き出す。

組織的分配と市場の分配は、働きも性格が違う。組織的分配は、思想に基づき、市場による分配は取引に基づく。何かというと、現代経済の矛盾を市場に押し付ける傾向があるが、実際は、組織的な問題である場合が多い。
何に起因している問題なのかを明確にしなければ有効な手立てはできない。

分配は、市場から「お金」を支払って財を購入する事で完結する。財を購入する為には、「お金」を準備する必要がある。それが支払準備金である。
基本的には、「働く」、「売る」、「蓄え」で支払いを準備する。しかし、それで足りなければ、「貰う」、「借り」なければならない。貰うとか、借りる行為が金融取引である。

収入は、収入源によって性格が違ってくる。例えば、雇用者報酬と混合所得は、雇用形態によって性格が違ってくる。
性格の違いには、雇用条件、支払い条件、支払期間等がある。先ず雇用条件としては、定額定収、正規雇用等がある。
個人事業者とサラリーマンとの決定的な違いは、一定額の収入がサラリーマンは、保証されている事にある。
市場経済は、定額定収、正規雇用を基本としている。一定期間の収入が保障されていると借金もしやすくなる。
つまり、雇用者報酬と言うのは、収入を安定させ、平準化させる効果がある。生産主体は、個人所得を平準化させる働きがある。

所得の減少も景気の後退を招くがそれ以上に安定的な雇用が保障されないと景気は、安定を失う。

つまり、労働者として個人、所得者としての個人、消費者(生活者)としての個人、この三つの働きを一人の主体が担う事で、経済の仕組みを制御しているのが自由主義経済なのである。されにこの前提として私的所有権と金融が働いている。

消費の要件定義。


消費は、全ての経済の始原である。

消費は、経常的な営みの最終段階にあると同時に、再出発の始点ともなる。

消費の目的は、生活にある。最終的には、自己実現が可能な所得を確保しておかなければならない。人は、「お金」のために生きているわけではなく。生きる為に「お金」が必要なのである。

消費の主体、消費単位は、家計にある。消費主体として見れば家族である。故に、家族構成が決定的な働きをする。
経済主体で核となるのは、世帯主、つまり、収入源である働き手である。働き手は、一人と言う訳ではないが、必ず収入源を確保しておく必要がある。また、必ずしも賃金労働だけではない。ただ、収入源を何に求めるかの問題である。
つまり、収入源と収入に基づいて何人の家族を養うかが、消費を考える上で重要になる。
この事を考える上で、人口と人口構成が基礎となる。

現代の日本で最大の課題は、少子高齢化である。しかし、この問題は、短期間で片付く問題ではなく、何世代にもわたって築き上げていく事が求められる。

消費も初期設定は、ゼロである。
故に、人、物、金の調達から消費も始まる。
生きていくためには、生きる為に必要なものを調達する必要がある。

しかし、人は、現実に今を生きていかなければならない。
「お金」がないからと言って何も食べない事はできない。住むところも必要である。
最初の資金は、親や養育者、保護者から与えられるか、過去の遺産を担保に金を借りるかしかない。
まずこれが前提である。

消費は、日常生活の中で絶え間なく消費される消耗品、生活必需品と一定期間経済的効用を発揮させる耐久消費財とがある。
耐久消費財も時間の経過とともに劣化する物と劣化しない物がある。

商品の特性によって消費される期間に差がある。そして、その消費される期間が経済の波を形成する。
消費の波は、単位時間を基礎とした場合、時間、一日、一週間、一ヵ月、旬(三か月)、半年、一年の単位期間内(短期)の波と単位期間を超える長期の波があり、この波が商品ごとの市場の性格を制約している。

そして、市場の性格が商品に係る産業の特性を確定する。財には、消費財と生産財があり。また、有形財と無形財がある。有形財には、耐久財と非耐久財(消耗品)がある。

家計(消費者)の支出は、生産者の収益になる。生産者の費用は、雇用者報酬、営業余剰・混合所得、固定費減耗になる。雇用者報酬は、家計の可処分所得になる。

消費は、市場や生活環境間変化に伴って変わる。
日本も太平洋戦争終戦直後、食うや食わず食料の確保が一番であり、それから、だんだんに衣や住へと向けれてきた。
生活にゆとりが出てくると教育が重視され必然的に教育費の比重が高くなる。消費も構造変化するのである。そして、その消費の変化が市場や産業を変革してきた。

経済行為は、本質的に作為的なもので、自然現象とは異質である。作為的だからこそ、人の意志が問題となるのである。

経済の構成

経済は、集団で生きる為の活動である。
故に、経済を成り立たせる最低限の要素は人と物である。

経済の根本を明らかにするためには、国家国民を定義する必要がある。
定義は概念的なものではなく実体的な事でなければならない。即ち、何らかの手続きや物と言った実体に基づいた定義でなければならない。これは法による定義と同質な事である。
ここでいう国民とは、憲法の定めに基づく法の手続きに従って日本国籍を有するものである。

貨幣経済を前提とした場合、生きる為に必要な資源は、市場から「お金」によって購入する事が前提となる。
故に、貨幣経済を構成するのは、人、物、「お金」である。

自由経済の仕組みは、人、物、「お金」の三つの要素からなる。
人、物、「お金」は、それぞれ独立した空間、場を構成する。
人と経済の仕組みの関係は、労働と消費にある。家計部門の核となり、家計は、消費主体である。家計部門の投資は、消費を前提とした住宅投資である。
物と経済の仕組みの関係は、物を生産し、仕事を作る。不足する資源を海外から調達する。その為に余剰な財を海外に売って外貨を調達する。民間企業が核となり、民間企業は、生産主体である。企業の投資は、生産手段に対する設備投資である。

経済的空間は、垂直方向の働きと水平方向の働き、そして、部門間の働き、時間の働きの四つの軸によって形成される。
垂直方向の働きと水平方向の働き、そして、部門間の働き、時間の働きを均衡させようとする力によって経済の仕組みは動いている。

これらの働きが生じるのは、「お金」の性格に依る。経済の仕組みを動かしている力は、「お金」の働きである。「お金」の働きは、「お金」の流れによって発揮される。「お金」の流れは、「お金」の過不足から生じる。
「お金」は、使用する即ち、支出によって効力を発揮する。「お金」を支出すると支出しただけ所持金が減少する。支出する一方では、「お金」は、必要量を割り込む。つまり、不足するのである。故に、「お金」の過不足が生じると「お金」は、「お金」の過不足を補う方向に流れる。

経済主体は、入出金によって動いている。そうなると入出金が経済主体にどの様な作用を及ぼしているかを明らかにしておく必要がある。
入金は、どの様な働きをするか。何に対し、あるいはどの部分に、どの様な作用をするか。
入金は、支払準備をする。入金は、収益となる。つまり、入金は、収益の根拠を形成する。貸借(移転)は、債権と債務を派生・増加させる。
出金は、どの様な働きをするか。何に対し、あるいはどの部分に、どの様な作用をするか。
出金は、決済を実現する。出金は、費用となる。出金は費用の根拠となる。
入金の手段(資金調達の手段)は、貸借贈与売買である。
支出の手段は決済と移転である。移転には、貸借と贈与がある。移転は、返済を意味する。返済は、債権と債務を減少させる。
入出金の手段の違いは、入金と出金の非対称性と対称性を意味する。外部経済は対称していて(売り買い、貸し借りは均衡している)、内部経済は、非対称である。
入出金に伴うコストが金利を形成する。
支払の為の準備、決済の資金が不足すると不渡りが生じ、経済は破綻する。
入出金は、残高主義である。 残高の存在が基本である。

経済主体間の資金の過不足を補うのが金融であり、主として貸借取引・資本取引による。貸借取引・資本取引は、損益取引と切り離して計上される。
貸借・資本取引は、支払いを準備し、損益取引は、売買によって「お金」の効用を発揮する。部門間の資金の過不足は、貸借・資本取引の残高となってストックを構成する。
単位期間における「お金」の効用がフローを形成する。故、フローを構成する要素と基礎となるストックの要素との関係が経済の動く方向を定めるのである。フローとストックの関係が垂直方向の働きの元となる。
フローやストックを構成する要素間の関係が水平方向の働きを生み出す。
また、「お金」の過不足は、部門間の歪を派生する。部門間の歪を均衡させようとする力が部門間の働きを形成する。
「お金」を動かす力の源は、差である。特にに転換の時間差は時間価値を生み出す。時間価値の代表的なのが金利と利益、物価などである。この時間価値が時間の働きを生む。
ゼロ金利は、時間価値が働かなくしてしまう。物価も必然的にデフレーションになる。金利が先か、物価が先かではなく。市場に働く力の方向の問題である。
これらの四つの働きを計測するば、経済を制御する事が可能となる。

いくらストックを増やしてもストックとフローが連動していなければ、経済の仕組みは破綻しない。しかし、ストックとフローは表裏の関係にあり、ストックの規模や構成によってフローの規模や働きは、制約を受けるのである。

経済は、経済活動を実現する経済主体と経済活動を成り立たせている場によって構成される。
経済の最小単位は、個人である。個人は、集合して組織と市場を形成する。
組織は、経済主体を形成し、場は市場を形成する。

貨幣経済では、現金の出入り、即ち、収支によって経済の仕組みは動いている。
経済は、生産、分配、消費の段階を経て実現する。
収入は不確実で不安定である。それに対して支出は、確実で、固定的である。
経済主体は、不安定な収支を収益と費用の関係に還元し、安定した個人所得に整流する。

経済の働きは、前提条件や環境によって変化する。同じ働き、例えば、為替の変動や物価の上昇も前提条件によって働きが変化する。故に、前提条件の変化と前提条件の変化によってどの部分にどの様な働きの変化があるのかをあらかじめ想定しておく必要がある。特に注意すべきなのは段階的変化である。

経済は、時間の経過に伴う段階がある。その段階によって生産、分配、消費、貯蓄の過程・局面が形成される。
それ故に、アルゴリズムが重要となるのである。

経済の単位


経済を構成する最小単位は個人である。
個人は、生産、分配、消費、貯蓄において各々違う役割をする。
即ち、生産の局面では、生産者。分配の局面では所得者。消費の局面では、消費者。貯蓄の局面では、投資家、あるいは、貯蓄家の役割をする。

個人は、生産局面においては、生産に対して生産手段の労働を提供する。
個人は、分配の局面としては所得者として所得を受け取る。
個人は、消費の局面において消費者として消費を主導する。
個人は、貯蓄の局面では、貯蓄者としてストックを形成し、投資者として資金不足主体に資金を提供する。
個人は、納税者として財政の基礎を構築する。

個人は、所得と支出によって資金の流れを作る。

個人の働きが局面や場によって固有の働きをしている事で、個人の働きがあらゆる局面に及び、それによって経済の統制がとられているのである。

個人の力によって経済は、統合され、制御される。個人の力の均衡が破れると経済は、統制を失って統御不能な状態に陥る。

経済の最小単位は、個人である。個人は、集合して組織と市場を形成する。
組織は、経済主体を形成し、場は市場を形成する。

個人は、集合して個々の局面の単位を形成する。生産の局面では生産単位。分配の局面では分配単位。消費の局面では消費単位である。

また、個々の単位は、働きに応じて部門を形成する。

経済の基礎単位は、消費単位である。なぜならば、消費は、生きる為の基礎的な活動だからである。故に、消費の場は、生活の場であり、消費単位は、経済の基礎単位なのである。



経済の構成要素、部門


経済の仕組みは全体と部分から成る。

何と何が連動しているのか。それは、構造的に見て連動しているのか。統計的に見て連動しているのか。それが、経済を予測を立て、政策を立てる上で不可欠な事である。

経済の仕組みは、家計、非金融法人企業、財政、対家計非営利団体、金融、海外部門の六つ部門から構成される。対家計営利団体は、その性格や規模から財政の一部としてみなしてもいい。故に、一般の考察においては、家計、非金融企業法人、財政、金融、海外部門の五つとする場合が多い。経済には、生産、分配、消費の三つの場がある。三つの場は、独立していて固有の原則が働いている。そして、この三つの場を結び付けているのが、人、物、「お金」の働きである。

経済の最小単位は個人であり。個人は、集合して経済主体を構成し、経済主体は集まって、部門を形成する。経済の仕組み、「お金」によって動かされ。資金の過不足を補うように「お金」は流れる。経済取引は、経済主体間で行われ、資金の過不足は部門に蓄積される。

個人や経済主体は、集合して部門を形成する。部門は、集合して全体を構成する。市場全体は、家計、非金融法人企業、財政、対家計非営利団体、金融、海外部門の六つ部門によって構成されている。

非金融法人企業と金融機関は、生産部門でも家計は、消費部門である。一般政府と対家計非営利団体は生産部門と消費部門を兼ねている。

家計は、専ら、資金の余剰主体として他の部門に資金を供給している。
家計は、労働力を提供する事で雇用者報酬を受け取り、他の部門は、雇用者報酬の出し手になる。
家計は、最終消費支出を担い、消費による経済の仕組みの原動力であり。最終目標である。
「お金」は、生産から消費に向かって流れる。

非金融法人企業は、金融機関や家計から資金を調達し、生産手段に投資して財を産出し、市場に販売する事で財を分配する。
資金には、生産手段に投資する為の長期的資金と経済的活動に使用する短期的資金がある。
長期的資金の働きをストックを構成し、短期的資金の働きは、フローを構成する。
ストックと、フローは。利益と金利、資本によって結びつけられている。
非金融法人企業は、生産主体と分配主体を兼ねる。非金融法人企業は、生産財を市場に供給し、売上を上げると同時に、所得を支払って「お金」を家計に供給する。

市場経済は、生産と消費を両輪にして成り立っている。生産の柱は収益であり、消費の柱は所得である。
そして、所得は、家計を担い、収益は、民間企業が担っている。

市場経済を支えている一方の柱は、所得である。もう一本の柱が収益である。つまり、所得の対極に位置するのが収益である。
市場経済は、貨幣経済と言う側面を持つ。貨幣経済で重要なのは、負債の働きである。なぜならは、貨幣には、負債性と言う性格があるからである。実物を正とすれば、「お金」は、負である。実体は、実物にあって、「お金」は、名目的存在である。
基本的に負債を担うのは、民間企業の役割である。なぜ、民間企業が負債を担うのかと言うと民間企業は、営利事業ができる主体だからである。
金融機関は、金利、一般政府は、税、家計は、所得が収入源であるが、金利は、生産活動から生まれたものではないし、税は、資金移動である。所得の本質は、費用であり。所得の源泉は、収益にある。税も、金利も、所得も付加価値を生み出せない。
民間企業は、営利活動を通じて借金の返済ができる。故に、民間企業だけが負債を担う事が出来る。民間企業が生産活動を通じて収益を上げる事によって、金融機関も、家計も、一般政府も負債を返済する事が出来る。

非金融法人企業と家計によって市場は形成される。非金融法人企業は、市場生産者である。非金融法人企業は、市場を開拓する。

金融機関は、資金余剰主体から「お金」を預かって資金不足主体に貸し付ける。金融主体は、預金金利と貸付金利の利鞘が収益となる。
金融機関の主たる役割は、資金を循環させる事である。資金を循環させる過程で物価を安定させ、産業を興し、消費を喚起する事である。
また、金融機関は、国債を引き受ける事で一般政府に資金を供給し、一般政府は、公共投資や所得の再配分等を通じて「お金」を市場に供給する。金融機関と一般政府は表裏の関係にある。
金融機関には、金利や為替の変動を緩和する働きがある。
金融機関は、支払いを準備する。

資金の流れは、売買、貸借、移転によって作られる。
実物市場の取引では、通貨の供給量は変化しない。変化するは単位期間における通貨の流量でそれは通貨の供給量と回転数の積である。
通貨の供給量に影響するのは、発券銀行と海外部門の貸借取引である。

部門間の資金過不足は、経済の状態を反映してる。特に、海外部門の資金の過不足と一般政府の資金の過不足は、資金の流通量と通貨価値に影響する。

金融機関の中でも、中央銀行は、発券機関であり、政府の銀行であり、銀行の銀行と言う役割を果たしている。
中央銀行は、金利を活用して時間価値を調節してきた。時間価値を調節する事で物価を制御するのが中央銀行の使命とされる。
現在、中央銀行は、大量の国債を引き受けている事で、思うような金融政策が打てない状態にある。景気や物価が安定しているうちはいいが、一度、物価や景気が不安定になると有効な金融政策が打てなくなる危険性が高い。

歪みは、部門間だけでなく、フローとストックの歪も拡大している。物価、景気の動向には十分注意をする必要がある。

一般政府は、生産主体と消費主体を兼ねる事によって所得の再分配を行っている。
一般政府は、社会資本を構築する。
また、公共投資や行政サービスを通じて資金を供給し、循環させている。一般政府にも金融の働きがある。
一般政府は、税制度、所得の再配分、国債等を活用して資金を供給し循環させている。
税金は、政府以外の制度単位から政府に対する現金や現物による強制的で一方的な支払いを意味する。(「マクロ会計入門」河野正男・大森明著 中央経済社)
一般政府は、非市場生産者である。

景気対策として公共投資をする場合、投資がどれくらい拡大再生産に結び付くかを見る必要がある。拡大再生産に結び付かない公共投資は、単なる資金移転に過ぎず、財政を悪化させるだけに終わる危険性が高い。
公共投資が景気に有効なのは、道路、鉄道、港湾、空港、電気、ガス、水道、通信などの拡大再生産に結び付くインフラストラクチャーに対する投資に限られている。
継続性も拡大再生産にも結び付かない公共投資は、一過性で、継続的な雇用にも民間投資には結びつかない。
利権、既得権の元となって公序良俗に反するだけである。

景気回復を公共投資や公共事業に頼るのは、危険である。基本的に公共投資も公共事業も営利を目的としていない。つまりは、付加価値を生み出さない、経済成長に寄与しない。また、借入金の返済の原資を生み出さない。
公共投資や公共事業の原資は、税金なのである。税金は、資金移転に過ぎない。
福祉事業は、所得の再分配、資金移転に過ぎない。税金は、市場からもたらされる。市場を経由しない非営利事業は、税金の原資にはならないのである。
公人が営利事業を侮蔑するのは愚かである。市場経済を支えているのは、営利事業である事を忘れてはならない。

経済の枠組みは、国内と国外によって作られる。国内は、内部経済を形成し、国外は外部経済を構成する。
内部経済を動かしているのは、部門間の資金の過不足と市場取引である。

外部取引は、常に一対の要素によって成り立っている。売り手には、買い手があり、貸し手には借り手がいる。贈り手がいれば受け手がいる。逆も同じである。買い手がいれば売り手、借り手がいれば貸してがいて、受け手がいれば贈り手がいる。即ち、外部取引は、常に相手がいて成り立っている。

国内の部門には、各々、生産、分配、消費の局面毎に働きがある。

経済の仕組みを動かしているのは、資金の過不足と「お金」の流れである。「お金」の流れは、各部門を満遍なく回って、個々の部門を動かし、更に、全体を動かしている。

市場には、部門間の資金の歪みを均衡させようとする力が常に働いている。市場に働いている力の方向と強さが経済動向を定める。故に、部門間の歪の原因と歪みが経済のどの部分にどの様な負荷をかけているかを明らかにする必要がある。市場に働く力は、「お金」の流れる方向と力の強さによる。「お金」の流れる方向と量を計測する事が求められる。

現在のわが国の構図は、財政部門が突出して家計からの借入が多く、ストックを歪め、その結果、金利がゼロとなり、民間企業への資金の供給力を弱め、所得を圧迫し、物価の上昇を妨げている点にある。
民間企業は、2000年から資金の調達を内部調達に切り替え、外部調達がされていない。
本来は、民間企業が借り入れをして資金不足主体となり、民間企業の余剰資金を吸い上げて、拡大再生産をする。財政と金融は、ゼロ和に調節されるべきなのである。現在は、民間企業が資金余剰主体となり、一般政府がその分、資金不足主体となっている。それが財政赤字の正体である。

国家には、紙幣の発行券があるから、いくら政府が借金をしても差し障りはないとする意見もあるが、それは、貸借と損益、ストックとフローの関係を無視した暴論である。
国家財政は、国家財政単独で存在しているわけではない。相互牽制の上に成り立っている。国家財政が異様に歪むと修復不可能な状態になる。

現在議論されているのは、単純に、財政の問題は、財政、中央銀行の問題は、中央銀行、企業の問題は企業、市場の問題は市場と単一的なものである。しかし、景気の問題の多くは、部門間の歪みが原因である。財政が悪化したから増税をすればいい、景気が悪いから公共投資を積めばいい、資金が不足したら国債を発行すればいいと対処療法的では、かえって事態を悪化させるだけである。それは、熱が上がったら熱冷まし、頭が痛ければ頭痛薬といった場当たり的対策でしかない。病気の本源を見つけ出して抜本的対策をしない限り、経済は、重篤な状態に陥ってしまう

経済を成り立たせている空間


経済空間には内部空間と外部空間がある。経済主体内部に作られる空間が内部空間であり、経済主体の外部に存在する空間が外部空間である。
市場は、外部空間を形成し、組織は、内部空間を形成する。
外部取引は、外部空間で成り立ち、内部取引は、内部空間で成り立つ。外部取引は、対称的でゼロ和に均衡し、内部取引は、非対称的で損益を生む。

経済的空間は、垂直方向の働きと水平方向の働き、そして、部門間の働き、時間の働きの四つの軸によって形成される。
垂直方向の働きと水平方向の働き、そして、部門間の働き、時間の働きを均衡させようとする力によって経済の仕組みは動いている。

市場には、市場取引を均衡させようとする力が常に働いている。それは、収益や費用、利益には、下降圧力、圧縮圧力として働く。市場のエントロピーは、増大し続けているのである。エントロピーの増大を防ぎ市場に常に活力を持たせるのが経済の仕組み、装置なのである。

市場のエントロピーは増大し続けている。放置すれば市場は限りなく均衡に向かい利益が失われていく。

現在、市場は戦場であり、競い合い、戦う事ばかりを奨励している傾向がある。
取引は、争いではない。妥協の結果である。人は、妥協が出来なくなるから争いが生じ、最後には戦争になるのである。争いと競い合う事は違う。争いに妥協はないのである。あるのは勝敗だけである。
市場では、話し合う事も、連携する事も、提携する事も悪だとされる。ひたすら戦う事ばかりが求められる。場合によっては、競争する事さえ否定される。その結果、市場は、ルールに従った競争の場から、生き残りのための殺し合い、潰し合いの場へと変貌する。ただひたすら安ければいい、安い事が善だとされる世界である。道義も商業道徳もへったくれもなくなる。
その結果、独占寡占状態に陥るのである。

現在の経済の仕組みを構成しているのは、市場と組織である。
生産や消費と言った経済活動を実現するのは経済主体である。
経済主体は、集合して組織と市場を構成する。
経済主体が経済活動を実体化するのは組織である。
経済主体は、生産、分配、消費、貯蓄(投資)を実現する主体である。
経済主体の経済的活動の成果を交換する事で、社会分業は成立する。
現在の経済は、分業によって成り立っている。

また、経済主体も分業をする事によって成り立っている。
分業を成り立たせる要件は、交換である。取引とは交換を意味する。
市場は、交換をする場である。
市場経済は、生産、分配、消費、貯蓄の局面で独立した空間、場を形成する。
その場が市場である。市場は取引の場である。

市場経済は、取引に依って成り立っている。
取引をする主体を経済主体と言う。

市場は、取引の場である。
経済主体には外部と内部がある。経済主体の行う取引には、内部取引と外部取引があり、内部取引は組織的取引であり、外部との引きは市場取引である。

取引には、外部取引と内部取引がある。
外部取引は、等交換を前提としている。それ故に、外部取引の総和は個々の取引も市場全体の取引も常にゼロに設定されている。
利益は、内部取引から生じる。利益は、差額勘定である。

生産や消費の波、あるいは、生産と消費の歪みが直接的に分配に影響を及ぼす点である。
特に一過性の出来事によって経済の仕組みが深刻な打撃を受け後々その後遺症に悩まされたり、最悪な場合、受けた損傷によって制御ができなくなって経済の仕組みそのものが破綻してしまう事である。

生産の波と消費の波の不協和を緩衝する働きがあるのが分配の仕組みである。ただ、分配の仕組みが偏る事で、逆に生産の仕組みや消費に偏りを生じさせてしまう事がある。

故に、いかに堅牢な分配の仕組みを作るかによって経済の仕組みの強度が試されるのである。


経済の仕組みの構造


「お金」と経済の仕組みの関係は、「お金」は、人と物、生産と消費の間を仲介する事で、財を分配する。金融は、金融部門の核となり、金融部門は、市場取引の鏡となる。
金融機関の投資は、資金の過不足を補うための金融投資である。

「お金」の働きには、移転と消費がある
消費は、売買取引に依って実現し、移転は、金融取引に依って実現する。

移転とは、対価の様な反対給付を伴わない一方的な「お金」の流れを言う。ここでいう対価とは、「お金」と特定されない。むしろ「お金」以外の財産的利得である。一方的な「お金」の流れであるとしても権利と義務が派生する。なぜならば、金銭の移動は記録されなければならないからである。移転によって生じる権利と義務が債権と債務である。債権と債務は、契約によって保証される。紙幣は、債権と債務が深化した形式の一種である。紙幣の流れは、債権と債務を派生させる。

貨幣価値は、債権と債務によって作られる。

「お金」は、支払いを準備する。

貨幣制度の基礎は債権と債務の関係によって成り立っている。つまり、「お金」は債権であり債務、その根底にあるのは、貸し借りなのである。

紙幣自体が債権証書、債券が発展したものである。

「お金」は、媒体であって「お金」の量の変化によって経済の実質的な部分は動いているわけではない。例えば、一日に食べる「お米」の量が「お米」の経済的価値の実体であって、「お米」の値段が上がっても「お米」の働きの実体が変わるわけではない。経済の実体は、使用量取引量にある。重要なのは、実需であり、人々がどれくらい「お米」を必要としているかである。価格に振り回されるとその実態が見えなくなる。
「お金」の流通量を増やせば見かけ上は、変わるかもしれないが、景気の実体がよくなるわけではない。

「お金」は、取引に依って市場に供給され、循環し、効力を発揮する。
外部取引は等価交換を前提として成り立ち、利益は、内部取引より生じる。
一般に取引と言うと「お金」の動きばかりを注目し、財の流れが見落とされる。その為に、双方向の働きが認識されない場合が多い。

経済の仕組みを動かしているのは、「お金」の流れである。「お金」の流れには、物と財との交換によって分配を実現する流れ貸し借りなどによって資金の不足を補い支払いを準備する二つの流れが存在する。
故に、経済の仕組みを成り立たせるための核となる要素は、所得である。
所得は、費用であり、生活費であり、評価どいう側面がある。
「お金」は、使えば減り、補充しなければ生活が維持できなくなる。それが「お金」を循環させると同時に国民から生産手段を提供させる動機となるのである。「お金」の流れによって家計からは、労働力や資本が提供され、企業は、提供された資源によって財を生産し、それを家計に販売する事で、生産と消費との整合性を保っているのである。
売買取引は、「お金」と財との交換を促して、分配を実現させる。
不足した資金は、貰うか、借りるか、働いて得るかによって補われる。
収益と費用は、「お金」の働きを表しているが、「お金」の流れを表しているわけではない。「お金」の流れは、経常収支と資金移動からなる。経常収支は、フローとなり、資金移動は、ストックとなる。
「お金」の働きを監視する為には、経常収支と資金移動の関係を明らかにし、相互作用を知る必要がある。

不良債権の原因は、名目的価値と実質的価値の乖離である。名目的価値と実質的価値の乖離、フローとストックの関係を悪くしている。名目的価値と実質的価値の乖離を是正しない限り、不良債権問題は、解決されない。

経済は数学である。故に、経済の問題は、数学的にしか解決できないし、数学的に解決できるようにしなければならない。数学は関数の問題である。経済をどの様な関数で表すか。どの様に設定するかが肝心なのである。

経済は、数学である。経済は、数学と伴に発達してきたし、数学は、経済と伴に発達してきた。それなのにいつの間にか数学は、自然科学の占有され、経済と数学は切り離されてきた。

自然科学の数学が量的なもので測る事を基軸として発達したのに対して、経済数学は、数的なもので数える事を基軸にして成立している。

経済の本質は数える事である。経済的価値を確定して、数える事が経済の本旨である。そして数の働きそのものが経済を動かしている。それ故に、経済の仕組みは、数学的体系そのものだと言える。さらに言えば、経済は合目的的な仕組みであり、経済を動かしているのが数値だとすれば、経済数学そのものが合目的的体系だというるのである。

経済の本質は数学であり、それ故に、客観的で論理的である。故に、簡潔で明瞭である。経済をわかりにくくしているのは人間の思惑であり、都合である。経済が複雑なのでも、難しいわけでもない。

だから、経済の仕組みは、要件定義に基づく必要があるのである。
貨幣価値は数の体系である。


経済の仕組みを動かす力


貨幣経済では、経済の仕組みを動かす原動力は、「お金」である。

経済の仕組みは、「お金」によって動いている。「お金」が経済主体に対する入りと出が作り出す流れによって経済の仕組みは動いている。つまり、「お金」の流れを制御する事でしか経済の矛盾や問題を解決する手段はないのである。

何が「お金」の流れを作り、何が「お金」を循環させる原動力となるのか。
「お金」の流れを作り、「お金」を循環させる力は、差によって生じる。では何が差を作り出すか。それは、空間と時間である。そして、時間差は、時間価値を生み出す。そして、「お金」を動かす主たる原動力は時間差である。そして、時間差は時間価値を形成する元となる。

時間差から生じる時間価値には、利益、金利、含み損益(未実現損益)、所得等がある。
利息があるから貸付の動機がある。利息がなければ貸借は生じない。なぜならば、貸し手側が一方的にリスクを負う事になるからである。つまり、貸し手には何も得する事がない。それでは「お金」は、動かない。借り手は、利息以上の利益を上げなければならない。この利息と利益の関係が投資の勢いを決めるのである。金利は、悪ではなく。経済の原動力である。

「お金」の働には、長期的働きと短期的な働きがある。長期的働きは、投資を通じて支払いを準備する事でストックを形成し、短期的働きは、交換を通じて「お金」の効用を発揮する働きがある。

故に、「お金」の効用を測るためには、「お金」の短期的働きに照準を合わせる必要がある。それが期間損益である。
経済の仕組みの目的は、「お金」を循環させる過程で効率の良い生産、偏りのない分配、無駄のない消費生活を実現する事にある。効率のよい生産、偏りのない分配、無駄のない消費を実現する為には、生産、分配、消費が均衡する必要がある。必要な資源を、必要なだけ生産し、偏りなく、必要とする人に提供する。それが経済の仕組みを効率よく機能させることを意味している。

少子高齢化が予想され、空き家空室の増加が確実視されている時に高層マンション投資したり、一方で食糧不足で餓死者でている地域や国があると言うのに、他方で大量の食糧が廃棄されているというのは、明らかに経済の仕組みが正常に機能していない証拠である。

経済の効用を見る場合、短期的な「お金」の働きに注目する必要がある。但し、短期的な働きの背後には、短期的働きを準備している長期的な働きが隠されている事を忘れてはならない。
短期的働きは、売り買いによって発揮され、長期的働きは、貸し借りによって準備される。重要なのは、長期的働きは、短期的な働きを準備するのが役割であって貸借の働きは、直接的に「お金」の効用を発揮する事が出来ないという事である。国債を増やしただけで短期的働きが発揮されるわけではない。

「お金」は、流れる事で、そして、循環する事で効用を発揮する事が出来る。
つまり、経済の仕組みを制御する為には、いかに「お金」の流れを作り、循環を円滑にするかにある。その為には、「お金」の流れを正確に補足する事が鍵なのである。

「お金」の活用は、水利に似ている。水の流れる過程で田畑を潤し、生き物を育み、人々に生活水を配る。「お金」の働きも同様である。「お金」が流れる過程が重要なので、「お金」儲けは二義的なのである。逆に、「お金」が直線的に流れ周辺を潤す事がなかったら何の役にも立たない。水の流れが問題なのではなく。水の流れがどんな働きをして、何に役立ったかが重要なのである。同じ様に「お金」の流れがどんな働きをして、何に役立ったかが重要なのである。

経済の仕組みの動きと状態を明らかにするためには、「お金」の流れる方向と量、速度を正確に補足する必要がある。

経済活動は、生産分配消費貯蓄再投資と言う順に流れる事で効用を発揮する。
国民経済は、生産は産出として現れ、中間投入、そして付加価値を発生させる。中間投入は、費用として中間消費される。つまり、付加価値は、「お金」が効用を発揮した結果として生み出された価値とされる。つまり、真の経済効果を表している。
付加価値は、経済的に新たな生み出された価値として分配され、消費される。
分配は、雇用者報酬営業余剰・混合所得固定資本減耗生産・輸入品に課せられる税、そして、中間消費からなる。中間投入と中間消費は等しいとされる。つまり、中間投入と中間消費は相殺され、生産から生み出された付加価値は、分配される付加価値と同値とされる。
民間企業統計では、民間企業の付加価値は、利益、人件費、減価償却費、金融費用、地代家賃、税に細分化される。国民経済計算書で損益を見ると費用は、中間消費、固定資産減耗、雇用者報酬、生産・輸入品に課せられる税によって構成され、そして、営業利益は、営業余剰に相当する。
消費は、民間最終消費、政府最終消費、貯蓄、総固定資本形成、所得富等に課せられる税、社会負担・給付、その他の経常移転となる。

付加価値は、営業キャッシュフローに相当するともいえる。

そして、最後に、貯蓄である。貯蓄は、総資本形成在庫変動資本移転純貸出/純借入再評価などで構成される。注意しなければならないのは、貯蓄勘定における資金の動きは、移転であり、どんなに巨額でも付加価値を増やす事はない。地価が暴騰しても、為替が変動しても、株が下落しても、それが現実の実需取引に反映しない限り、付加価値は生み出さないのである。相続税は移転である。
但し、貸借は支払いを準備する。

即ち、収益、費用、利益、所得、価格、支出、貯蓄、資産形成と言う流れで、支出が新たな収益を生み出すという順で「お金」は流れる事になる。
故に、「お金」の流れは、生産指数、収益と利益の比率である利益率、労働分配率、物価指数、金利、消費性向、エンゲル係数、貯蓄率、為替の変動率などが指標になる。

物価上昇率、所得の上昇率、利益率、金利、税率、為替の変動をいかに均衡させるかが重要な点になる。これらの指標は何らかの形で連動している事が予測されるから相関関係を明らかにする必要がある。その場合は、前提条件が鍵となる。
金利と利益率は、当然投資資金の動きを左右しているし、物価と金利も連動して動く。問題は、その前提となる要件である。
ゼロ金利は、ゼロ金利だけの問題ではなく、物価や利益率、所得にも影響するのである。

何が「お金」の流れを作り、循環させる原動力となるのか。それは時間価値である。時間価値は、利益、金利、物価、所得、資産価値によって作られる。
利益を求めて投資をするし、物を売るのである。所得を求めて働く。利息があるから、「お金」を貸す。地代が入るから土地を貸すのである。利益、所得、利息、地代・家賃等の利益誘導によって「お金」は、動くのである。
逆に、利益が望めず、損になる事に「お金」は使われない
故に、利益、金利、物価、所得、資産価値の相対的力関係が鍵を握るのである。相対的力関係の根源は、利益、金利、物価、所得、資産価値の元(分母)の構成にある。
経済は、先ず資金調達から始まる。調達した資金は、分かれて、資産と負債・資本生じる。調達された資金は、支出されて費用と資産に転じる。費用から財が生産され、所得が生まれる。生産された財は、売られて収益となり、利益の基となる。所得から消費支出が生じる。
この様な「お金」の流れを追跡する事で「お金」の効用は明らかにされる。

また、地価の変動や原油価格の高騰などの外部要因である。地価の変動や原油価格の高騰などが付加価値に影響を及ぼさないのは、地価の変動は、移転であり、原油価格の高騰は、中間投入であり、中間消費であるから表面には相殺されて表される。為替の変動も同様である。しかし、実際は、「お金」の価値や働きに決定的な影響を与える。

付加価値には、過去の投資(物的生産手段)が生み出す価値人的働き(人的生産手段、労働力)が生み出す価値労働力以外の中間投入が生み出す価値一般政府が生み出す価値金融が生み出す価値がある。

ここで重要となるのは、何が付加価値を生み出しているかである。生産性を上げた事で付加価値が生み出されるかと言う事である。単に生産性を上げるだけでは付加価値が生み出されない事もある。付加価値が生み出されなければ生産性を上げる意味がない。
生産性が上げられれば物的効率、即ち、投資効率が高まり、付加価値に占める資産の償却率は、相対的に低下するはずである。そして、それが所得の相対的増加に結び付かないと実質的な総所得、即ち、経済成長には寄与しない。総所得は、雇用者報酬と営業余剰・混合所得であるが、営業余剰・混合所得は、中間消費され、最終消費には結びつかない。故に、社会的効用や資産形成にはならない。

所得を上昇させるべきだと言っても直接賃上げを企業に強要するのは禁じ手である。それは、統制経済への道を開くからである。
賃金は、費用の一種である事は忘れてはならない。収益を上げる事で間接的に賃金を上げるのが正道である。

現代経済は、生産の局面では生産に偏り過ぎ、消費の局面では消費に偏り過ぎる。その歪みが分配に過重な負荷かかかり分配の仕組みが破綻しかけている。
経済の均衡を保つ為には、生産者に偏り過ぎても消費者に偏り過ぎてもいけない。
生産性の向上を利益に反映すべきか、所得に反映すべきか、価格に反映すべきかの問題である。生産性の向上を所得に反映しようとしたら報酬と価格を維持しなければならない。ところが生産性の向上が価格に反映されと、市場を縮小させ、雇用の減少、所得の低下をもたらす。安易に過当競争を促すべきではないのである。

生産性のみを追求したり、競争力のみを絶対視するのは、一見、経済的合理性を追求しているようで、実際は、経済的合理性に反している。経済の目的は、生産や競争にあるのではなく。人々の生活を豊かにする事なのである。

企業は、生産だけが目的なのでも役割なのでもない。仕事を作り、雇用を生み出すのも企業の重要な役割なのである。また、社会に貢献するのも重要な使命である。企業は公器なのである。
無秩序を奨励する者は、自己の内面の秩序まで否定する者であり、自滅する。

「お金」は、情報である。即ち、経済の仕組みは、情報で動いている。情報系である。
「お金」は、数値情報である。
経済主体は、「お金」の入金、出金で動いている。

故に、経済主体は、二進数で動いている。

貨幣経済下では、経済の仕組みは、「お金」の循環によって機能している。
「お金」は、循環する事で効力を発揮する。

経済の仕組みの動きや状態を常に把握して即時対応していくためには、「お金」の流れを常時、継続的に監視する必要がある。

市場経済の仕組みは、市場から生きる為に必要な財を手に入れる事で成り立っている。「お金」が循環しなくなればすぐに破綻してしまう構造になっている。
故に、市場経済を正常に機能させるためには、いかに、円滑に資金を市場に循環させ、全ての消費者に満遍なく「お金」を分配し、必要な時に必要なだけ財を市場から購入できるようにしておく必要がある。

この手順が自由経済の基本的アルゴリズムの基礎となる。

経済の仕組みを動かしているのは、現金の入出金、即ち、現金収支である。
故に現金収支によって起こる「お金」の流れを補足する必要がある。その為の手段が会計である。
つまり、現行の経済の仕組みの動きを制御する為には、会計の基礎知識が要求される。

「お金」の効用は、生産にのみ働いているわけではない。分配にも、消費にも、貯蓄にも働いている。投資も、生産だけでなく、分配や、消費、貯蓄にもある。生産の効率ばかり考えていると経済全体の効率が悪くなってしまう。


経済規模と限界



経済規模には、限界がある。その限界を超えると経済は、制御不能な状態に陥る。
制御不能な状態には、ハイパーインフレーション、流動性の枯渇、大恐慌、革命、戦争等がある。
事実上貨幣制度が一時的に機能しなくなる場合もある。

成長には限界がある。成長を前提としているために、成長していない経営主体は無価値であるような思想が蔓延している。それがかえって経済を停滞させる原因となっている。
経済規模は有限で成長には限界がある事を前提とすべきなのである。

要するに要件定義をする際我々が知りたいのは、限界であり、また、限界をどこに設定するかである。
危険な領域を特定できれば、その限界に近づいた時、何をすべきかを検討する事ができ、早期に対策を立てる事が可能である。限界を超えてしまえば手遅れなのである。

経済規模は、経済量として表す事が出来る。
経済量は、価格、数量、人口の積として表される。
経済の状態は、価格の変化、数量の変化、人口の変化が掛け合わされたものである。
今日の様に人口、特に、生産労働人口の減少は、一人当たりの所得が変わらないとすると総所得の減少を招く。
価格も、人口も変わらないとすれば販売数量が減少すれば総生産の縮小になる。
経済の状況を明らかにするためには、価格、数量、人口のどの部分にどの様な変化があったかを知る必要がある。

経済量は、有限である。なぜならば、実質的な部分である数量と人口に限界があるからである。経済量に限界がないように見えるのは、貨幣価値が上に開いているからである。

数量と人口が減少するのには、物理的な原因がある。価格の変動に振り回されていると個の根本的な原因が見えなくなる。

物的な市場規模は、消費量を根拠とする。市場を形成するのは消費だからである。

経済の実体は、人と物の積によって決まる。故に、人口の推移や単位当たりの消費量に基づく。人口が減少したり、市場が成熟し消費量が減少すると実質的な市場規模は縮小する。人口の変化は長期的な周期によるから人口に基づく市場規模の変化は緩やかな変化になる。それに対して耐久商品のようなライフサイクルの長い財は、市場が飽和状態になると急速に消費量が減少する。消費量が急速に減少すると市場は縮小し始める。
市場が拡大均衡から縮小均衡に転じると市場に働きも変質する。
この点を理解しないと市場の変化に経済政策を適合させることができなくなり、市場を制御したり財政を健全に保つことが難しくなる。

市場は、常に拡大均衡しているわけではない。前提条件が変われば縮小均衡に転じる事がある。拡大均衡が是か非かを論じるのは愚かである。拡大均衡状態となるか、縮小均衡状態となるかは、前提条件の変化によるからである。

問題は、市場の規模は一定していないという事である。市場は、膨張と収縮を繰り返している。市場全体は、無数の市場の集合体である。全体を構成する個々の市場は、固有の性格や構造を持ち一律一様ではない。
故に、「お金」の総量の上限も一律に決められない。いくつかの要素の相互牽制の働きを前提として相対的、構造的に設定される。

キャッシュフローは、衰退期も最終的段階になる営業キャッシュフローは、負となり、投資キャッシュフローも更新投資が嵩んで負となる。そして、過去の金融資産を換金して食い潰していくようになるから財務キャシュフローは正となる。つまり、衰退期も最終的な段階では、創業期や成長期とよく似た様相を呈するのである。
成長期か、衰退期かを見分ける鍵は、状態ではなく、変化の方向、ベクトルである。
市場が拡大均衡に向かっているか、縮小均衡に向かっているかを見極める事である。市場の常態ばかりに気を執られて、変化の方向を正しく見極めないと正しい施策は採れない。
先例、前例にとらわれるのは、危険である。なぜならば、変化の方向が違えば、同じ施策でも効果や結果は、正反対になる場合があるからである。
現代経済は、成長期を基準にして考えるが、成果が上がるのは、むしろ、成熟期なのである。そして、衰退期を乗り切るために体力を体力を蓄えるのも成熟期である。成熟期をいかに持続し、果実を収穫し続けるかが、経済政策の要諦なのである。
成熟期を充実し、持続させるための必須要件は、市場の規律である。成長を前提とするから、市場の規律を犠牲にしてまで競争をさせようとする。しかし、無原則な過当競争は、市場を荒廃させるだけである。

経済で最も充実しているのは、成熟期だという事を忘れないでほしい。成長ばかりを追い求め、市場の成熟を否定しているから、最盛期を逸してしまい。市場を荒廃させ、一気に衰退させてしまっているのである。


最終的に何がしたいのか


データを分析する目的には、主として三つある。
第一に、状況や現象の背景や要因の構成、構造を解明する。
第二に、因果関係を明らかにして問題を解決する。
第三に、将来、起こる事を予測する。
データを分析する目的は、何らかの決断に役立てたいからである。そうでなければ、分析そのものが目的化してしまい。分析の為の分析になってしまう。

最終的に何がしたいのか。それは意思決定である。決断に結び付かないような分析を幾らしても時間の無駄である。

迷いがあるから分析するのであって迷いを断ち切れなくするような分析は意味がない。しかし、結論が一つしかなく、自分の考えや判断がさしはさむ余地がないようなものも意味がない。
決定権者が決定を下すために必要な要件や情報を提供する事が最終的な目的である。
その為には、何をどの様な決定をするのか。それが明らかでなければ分析をする意味がない。

その意味では、予実績管理が分析の最終的局面となる。問題点を明らかにし、対策を立て、実行してその結果と、当初に意図したところとの乖離を修正する。
それが分析のあるべき姿である。つまり、近似と誤差をいかに修正していくかにある。

何を指標とするかは、合目的な事である。つまり、目的、要件でいえば何に活用したいか、何を知りたいか。言い換えればユーザーは、何に活用したいか、何を知りたいと思っていのかを明確にし、直接的に指標に反映する事が肝心なのである。それが要件定義である。

最終的に何を求めているのか。それを明確にして行いと何をすべきかが見えてこない。
経済は、合目的的な行為であり、管理可能、制御可能な要件管理不能、制御不能な要件がある。故に、目的を明確にしておく必要があると同時に管理可能、制御可能な要件と管理不能、制御不能な要件を明確に区分し前提条件として設定しておく必要がある。

何がしたいのか。まず第一に、予測する事である。現在の状態を続けていたらどのような事態になるかを予測する事である。
何を予測するかと言えとまず第一に言えるのは、現在、経済がどのような状態にあるのか、そして、それは持続可能か。持続が難しいとしてどの様な事象が経済に対して決定的な働きをするかを明らかにする事である。
特に過去の政策の検証が重要となる。過去にとられた政策の影響は、現時点の状態に反映し、将来に対して決定的な影響を与えているからである。

以上の要件を全体と部門ごとに検証していく。なぜならば、部門だけを見ていたら全体の動きが見えなくなるからであり、かと言って部門の状態を見ないと全体は成り立たないからである。

次に、何らかの施策とった場合を想定した模擬実験図上演習をする事である。
模擬実験や図上演習をする場合、注意しなければならないのは、表面に現れてこない資金の流れである。
大事なのは、経済の仕組みや構造を解き明かす事である。同時に個々の経済主体、民間企業や政府などがどのような行動をとるべきなのかを検証する。

第三に、どの様な施策をとれば最善な結果を得られるかを検討する。
経済の問題は、部門間の歪による部分が多い。どの様な施策をとれば部門間の歪みが解消されるかを検証する事が主たる目的である。

第四に、最悪の事態を回避できるか、否かを検証する
最悪の事態とは何かを定義し、最悪な事態が起こるとしたら、どの様な状態条件によってどの様にして起こるかを検証する。

第五に、最悪の事態を回避できない場合は、いかにしてリスクを制御するか。不幸にして最悪の事態に遭遇したら、どの様にして最悪の事態を切り抜け。経営を持続していくかを考える。つまり、最悪の事態に備えるのである。

これらの五点が最終的に求める成果である。

故に、第一段階として経済が現在どのような状況にあるかを明らかにする。
第二段階は、経済がどのような力や関係によって動いているかを解明し、経済の仕組みをどの様に制御するのかを知る。
第三段階は、経済の仕組みの働きを最大限引き出し、目的地に到達する事である。
第四段階は、異常な動きをするところを見出し、正常な動きに戻す
第五段階は、経済が危険な状態に陥った時、経済を安全な状態に導く手段をあらかじめ用意すると言う形で進める事とする。

最後に留意しておくべき事は、現状分析と言っても過去の情報に基づいた結果であり、将来起こる大きな変化を前提とし、織り込んだたものではない。
確証を求めれば求めるほど将来の不確実性に対する配慮は欠けてくる。
しかし、現在起こっている情報革命は、経済の根本的な枠組みを変えてしまう可能性も秘めている。この点をどう分析に取り込んでいくかによって分析の評価が全く違ってくる事を忘れてはならない。

次のような考え方もできる。
ニクソンショックとか、オイルショック、バブル崩壊とか、リーマンショックと言った歴史の分岐点のと言える事件、気が付いたら急激な変動に巻き込まれた後で、その原因を、明らかにしようとしてもどうしようもない限界にぶつかる。
何もしない事も含めて選択肢は多くの場合、一つではなく、いくつか思い浮かぶ。しかし、実際に採用される策は一つである。故に、結果も一つである。
選択されなかった他の対策を実行した場合の結果は、永遠にわからない。推測する以外にない。

変化を見極めるためには、何と何が連動し、また、構造的に連動しているのか、統計的に見て変化しているのか。
相関的な変化に見えても無関係に変化している場合もある。変化の背後にある、個々の要素間の関係が鍵を握っている。

また、何が真の原因なのか、因果関係が明確でない場合が多い
自動車や飛行機の様に、ブレーキを踏んだら止まるとか、操縦桿を引けば上昇すると言う具合に操作と変化が直接的に結びついているとは限らない。
何が変化を起こしたのか。それを明らかにする事は、対策を立てるにしても、止めるにしても、、中断するにしても、変更するにしても、過ちを正すにしても、明確にしておく必要がある。
ところが経済は、何が変化の原因なのかほ明らかにするのが難しい。要は、病巣もわからないで処方箋を書いているような状態なのである。経済学者は、熱があるとか、頭が痛いとか、下痢をしているとか言う事はわかっても何が原因なのかわからない医者のような者である。この点だけは、十分に承知しておく必要がある。
何が引き金を引いたのか。とられた方策が変動を引き起こしたのか。実際は、別の要因が働いたのか。個々の事象が問題なのではなくて、背景の方が重要なのではないか。個人の性格や価値観に問題があるのではないか。文化的な問題ではないのか。検証は難しい。
何もしなくともいずれは破綻したのか。それとも何もしなければ自然に解決したのか。それすら、確かめようがないのである。ただ言える事は、不決断も決断の一つだという事である。何もしないと決断しているとみなすべきなのである。決断しなかったからと言って責任を免れるわけではない
しかし、事実は事実である。ただ一つしかない
事実を積み重ねてその背後にある仕組みを明らかにしていく以外に経済を制御する手段はないのである。だから、フィードバックの仕組みが重要となる。



予測のための指標


経済を予測する際、留意すべき点は、経済変動は何によって起こるかの仮説である。
仮説を立てるためには、どの様な前提に基づいて変化が起こるか。前提となる状態や条件の確認である。
次に、何が引き金になったか。変化を引き起こした要因は何かを想定する事である。
そして、その要因が引き起こしたのか、それとも、その要因は、単なる引き金に過ぎなかったのかを検証する事である。
更に、変化の頂点と底を特定する事である。

経済は、一定の周期で変化が起こっているように思える。
1971年のニクソンショック。
1973年と1978年のオイルショック。
1985年のプラザ合意。
1989年の暮れに株価が頂点に対し、1991年に地価が下落へと向かう。
1997年、山一證券自主廃業に象徴される。金融危機。
2001年、同時多発テロ。
2008年、リーマンショック。
おおよそ十年に一度大きな節目を迎えているように見える。この背景と節目の関係を点検する必要がある。

第一段階として経済が現在どのような状況にあるかを明らかにする

現在、経済がどのような状態であるかを見るためには、まず全体、大枠がどうなっているかを知る必要がある。
第一に、全体の枠組み。
第二に、推移である。

目的を明らかにして、基となるデータ、中間成果物、最終成果物を設定する。
基礎データ、中間成果物、最終成果物から作業を洗い出し、WBSを構築する。
目的を明らかにするためには、エンドユーザが何のために、何を知りたいかの確認。

生産、分配、消費、貯蓄の各段階ごとに目標とする指標を、人、物、「お金」の要因毎に設定する。

生産の局面では人では、生産年齢人口、一人当たり所得、失業率などである。物では、生産量、生産力、収穫量などである。「お金」では、通貨の発行量、金利、為替相場、信用乗数等である。

全体の枠組みは、フローとストックの状態(フローとストックの比率の変化、個々の要素にかかる力の方向)。フローの構成。ストックの構成。部門間の状態等である。
フローを構成する要素とストックを構成する要素を結び付け、その関係を明らかにする。例えば負債額と金利、収益と利益など。フローは付加価値を基本とする。
次に各々の要因の推移を時系列に相関関係を分析をする。何が何に対してどの様な影響、作用をしているか。
また、変化点をポイントする。どの時点で変化が顕著となったか。何が引き金となったか。頂点と交差点、底。イベントとのタイムラグはあるかなど。政策の目的や意図との整合性。意図した成果が上がっていたか。何を目的とした金融政策、経済政策だったか。副作用、後遺症はなかったか。
特に、経済政策や金融政策との因果関係、相関関係、両面から確認する。

予測は、現状維持、即ち、現在の前提条件が何も変わらない、そして、何もしないという事を前提とする。つまり、放置された状態である事を前提として推測される。
予測と言っても、実体は現状分析である。過去からの流れを確認し、現在の状態を続けるとどの様な状態になるかを予測す。この段階では、現状を肯定的にとらえるわけでも、否定的にとらえるわけでもない。
いわば健康診断みたいなものである。何も問題がなければ、殊更に問題を作る事はない。

なぜ、要件定義が必要かと言うと、自分たちが何をしようとしているのか、自分たちはどうしたいのか。自分たちは何を知りたいのかを自覚し、それを明確にして定義しろと言う事である。それは、自分たちがやろうとしている事の作業仕様を設計するために必須の事柄である。
自分たちが何をしたいのかを確認するという事は、先ず初心原点に帰り、その上で現状を確認する事から始まる。
現状を正しく認識していなければ、肯定も否定もできないのである。
その上で、要件定義は行われる。

前提となるのは、水平方向の構造と垂直方向の構造、そして、部門間の構造である。そして、時間の構造である。
この基本は会計制度にある。期間損益では、ストックの水平方向の構造は、総資産と総資本。フローの構造は、収益と費用が基礎となる。国民経済計算書では、水平方向の働きは、付加価値として現れる。

先ず、我々は、何のために予測を必要とするのかを明確にする事である。
一般論しか語れないとしても予測をする動機を予め明確にしておく必要がある。

基本的に予測は、意思決定のための基礎資料である。
故に、経済予測は、どの様な意思決定のための資料となるかが鍵となる。
どの様な意思決定の為の資料かによって知りたい内容も変わってくる。
経済予測は、経済の仕組みが正常に動いているかどうか、異常に動きはないかを調べる事である。
そして、正常な動きをしていたら将来の変化や位置を推定する事が可能となる。また、異常な動きがあったら、それが何に対してどの様な影響を与えるのか。その異常な動きに対してどの様な行為をすべきかを明らかにする。

経済の現在の状況を理解し、経済変動の要因や背景の動き、経済の構造を明らかにする事から始まる。即ち、現状分析である。現状を正しく認識しておかなければ、将来を見通す事はできない。現状を正しく認識する為には、過去からの流れを理解しておくことが必須となる。

まず全体の状況を俯瞰し、全体と部分の関係を明らかにする。
変化や因果関係、相関関係を明らかにするためには、時系列データが求められる。

手法としては、比較と差である。
何を比較するのかと言うと全体と部分、基準と対象、二時点間の状態の差、要素間の比率である。
其々に、何を全体とするか、何を基準とするか、時点をどの様に設定するか、どの要素を選択するかによって変化する。何を全体とし、何を基準とし、どの時点を選ぶか、どの要素を組み合わせるかは、分析をする目的による。

一般に、経済を予測する目的は、近い将来の経済の状態を推定する事で、自分たちが今採るべき行動を決める事である。
ただ、現状分析は、あくまでも起こった事、過去の情報に基づいたものである事を年道においておく必要がある。これから起こる事、未来の事、不確かな事に対しては、あくまでも参考にしかならない。参考でしかない事を前提として考えるからこそ有効なのである。


全体の包括的指標


全体の動きを予測する為の指標とは何かを知るためには、全体とは何かを特定する、即ち、定義する必要がある。
ここでいう全体と言うのは、一国の経済の仕組み、要するに、日本経済の仕組み全体を指す。
故に、全体の動きとは、日本経済の仕組みが正常に機能しているかもいないか、異常な動きをしている個所はないか。
異常な動きをしている部分が他の部分や全体にどの様な影響を及ぼしているかを明らかにする。
異常な動きをしているかどうかを判定する為には、正常な状態、動きとは何かを明らかにする必要がある。

そして、何を正常とするかの判定は、最終的には思想に還元される。

現在の経済の仕組みを動かしているのが「お金」だとすると「お金」の流れを追跡すれば、経済の仕組みが正常に機能しているか、否かは判定できる。

ただ現在の仕組みは、「お金」の働きと「お金」の流れが一体ではない。故に、「お金」の働きと「お金」の流れが一致しない原因とその影響を明確にしておく必要がある。

経済の仕組みが正常に機能しているかどうかは、第一に、「お金」が円滑に循環しているかどうか。第二に、「お金」は、適切に配分されているか。「お金」の配分に偏りはないか。第三に、「お金」は全ての消費単位に行渡っているか。第四に「お金」は、有効に機能しているか。第五に、「お金」の流通量は、適量かをいかに検証するかにかかっている。

検証する手段が貨幣価値に偏っているために、「お金」が全てであるように見えるが実体は違う。経済の実体は、人と物にある。
経済を最終的に判定する基準は、国民生活が成り立っているかどうかである。いくら表面的に栄えているように見えても格差が激しく、限られた人間に富が集中し、一方で生活が出来ずに餓死する者が出るような状態は、経済の仕組みが正常に機能しているとは言えない。

所得と消費の関係が重要で、所得の満遍なく、一定の幅で分配されているか、家計の収支で生活が成り立っているかが、核なのである。

「お金」が円滑に循環しているか否かは、資金が適切に融通されているか否かによって決まる。資金不足主体に資金余剰主体から「お金」が融通される事で資金は市場を循環する事が出来る。資金が淀んだり、流れに偏りが生じると「お金」は、円滑に循環しなくなる。

また、「お金」が融通されるためには、融通する事による利益がなければ有効に働かない。資金繰りには費用が掛かるのである。
「お金」を適切に融通する為に働いているのが金利である。適正な金利水準が保たれているか否かによって「お金」が正常に働いているかいないかを検証する事が出来る。金利を比較する対象は物価上昇率、利益率である。なぜならば「お金」が効率的に活用されているか、いないかは、物価、利益に深く関わっているからである。支払金利は価格の攻勢に影響するし、利益を金利を上回れば、銀行に預金をした方が事業から利益を上げるより効率的になるからである。

「お金」が有効に機能する為には、予め、必要とされる「お金」が消費単位に配分されていることが前提となる。
問題は、分配の手段だが、一般に自由主義経済は、労働の対価として「お金」が支払われる。故に、失業率は、平均賃金、最低賃金は、自由主義経済では根源的指標の一つとなる。

「お金」の配分に極端な偏りや格差が生じると必然的に「お金」が円滑に流れなくなる。「お金」の流れに極端な偏りが生じると「お金」も効率的に働かなくなる。「お金」が円滑に流れなくなったり、働きに偏りが生じると経済の仕組みは正常は作動しなくなる。
一般政府は、偏りを均すために所得の再配分などを行う。所得の偏りを時間的に均すのが年金である。
故に、経済の仕組みが正常に機能しているか、いないかを検証する為には再配分が機能しているかどうかを検証する必要がある。

「お金」は、有効に機能しているかが重要で、「お金」は分配の手段であるから、「お金」が正常に機能しているか否かは、「お金」が分配の手段として正常に機能しているかどうかが判断の基準になる。異常な物価の上昇は、「お金」が正常に機能しなくなっている事を明らかにしている。
物価が正常に機能する為には、物価の変化は所得の変化の範囲内に収められる必要がある。なぜならば、所得は、支出の原資であり、物価は、支出の範囲内に収められる必要があるからである。そこで所得と物価の変化が対比する事が求められるのである。

以上の事を鑑みると経済は、垂直的均衡、水平的均衡、部門間の均衡、時間価値の均衡の上になりっている事がわかる。
故に、全体を包括的に分析する場合の指標は、垂直方向、水平方向、部門間、そして、時間価値の働きを測定するものである必要がある。
  1. 垂直方向の働きを測る指標とは、フローとストックの関係を表す指標である。
    例えば、金利、利益率
  2. 水平方向に働く指標とは、フローとストックの構成を表す指標である。
    例えば、付加価値の構成比率。金融・負債残高の構成。労働分配率。
  3. 部門間に働く指標。
    例えば、部門間の資金の過不足。
  4. 時間価値を表す指標である。
    例えば、金利の推移、成長率、所得、税、減価償却費、総資本回転率等である。
  5. 「お金」の流れの働きを表す指標。通貨の流量と効果を表す指標
    例えば、信用乗数。キャッシュフロー。

フローは、「お金」の流れをストックは、資金の過不足を現している。
フローとストックの関係を知るためには、先ず、フローとストックを定義する必要がある。その為には、フローとストックを表す恒等式を各部門ごとに明らかにする事が求められる。

ストックが意味するのは、資金の過不足である。各部門ごとの資金の過不足は明らかにする必要がある。


日本銀行 資金循環 ストック

資金循環表に基づく非金融法人企業の資金の過不足は次の式によってあらわされる。

企業収益+資金調達額=実物投資+資金運用額(金融投資)
実物投資(投資)-企業収益(貯蓄)=資金調達額-資金運用額
資金調達額-資金運用額=資金不足

家計の資金の過不足は、次の式で表される。
消費+実物投資+資金運用額=可処分所得+資金調達額
(可処分所得-消費)-実物投資(投資)=資金運用額-資金調達額
可処分所得-消費=貯蓄
資金運用額-資金調達額=資金余剰

海外部門の資金の過不足は、次の式で表される。
海外部門の資金余剰(不足)=「投資収支黒字(赤字)」+「外貨準備減少(増加)」
=「経常収支赤字(黒字)」+「その他資本収支赤字(黒字)」

そして、通貨保有主体の金融資産負債差額の増加(減少)=通貨保有主体の資金余剰(資金不足)
=通貨保有主体以外の資金不足
=財政赤字(黒字)+海外部門の経常黒字(赤字)+金融部門の金融部門の資金不足(資金余剰)
として表される。

前提となるのは、経済の方向である。市場が拡大均衡に向かっているのか、縮小均衡に向かっているのか。
それによって経済の状態に対する評価や対策は全く別のものになるからである。
市場が拡大均衡に向かっているかいないかは、個々の要素、例えばインフレーションや失業などに対する解釈、評価が百八十度変わってくる。公共投資に対する考え方も正反対になる。
だから、分析するにせよ、対策を立てるにせよ拡大均衡傾向が前提か、縮小均衡が前提かを先ず確認する必要がある。

資金の過不足を短期(フロー)で見ると拡大と縮小を繰り返している。
それに対してストックは、多少の違いはあっても傾向的に拡大している。
それに対して名目GDPは、1991年のバブル崩壊後横ばい状態が続いている。


日本銀行 資金循環 フロー

部門間の過不足を検証すると1997年の金融危機を境に民間企業が資金余剰主体に転換し財政が大きく資金不足主体に変わったのがわかる。
以外ではあるが、バブル期一時的ではあるが政府は、資金余剰主体だったのである。

資金の過不足からすると本来、非金融法人企業が資金不足で家計が資金余剰、それを調整する形で財政が働き、資金の過不足を補うのが金融機関と言うのが基本である。なぜならば、非金融法人企業は、中間投入、中間消費、営業余剰、固定資産減耗などを通じて資金の過不足を補う事が可能だからである。そして、生産活動を通じて「お金」を市場に循環させる役割を果たす事が可能だからである。それに対して財政は、資金の過不足を調節する機能が硬直的で限られている上に、即応力に欠ける。

フローは、付加価値を言いう。付加価値は、言い換えればGDPである。
付加価値は、ストックに対する比率として表す事もできる。負債に対する金利が好例である。
利益率、金利、物価上昇率に対する選好は、投資に重大な影響をもたらす。

問題は、GDPの動きと資金の過不足の動きは、別だという点である。別だけれども相互に何らかの影響を及ぼしていることは確かである。

フローは稼ぎであり、ストックは、その稼ぎを生み出すための元手と言える。

フローには、名目的な働きと実質的な働きがあり、その関係が経済の仕組みを動かしている。


国民経済計算書 1993SNS

経済の仕組みは、生産と消費が均衡するように分配する仕組みである。
生産と消費を分離した場合、生産と消費との関係が途切れてしまう。問題は、生産と消費を均衡する様な分配を可能とする仕組みになっているかである。
働きに応じて分配をし、必要によって消費する。つまり、働きと必要性が均衡する様な分配を実現できるかの問題なのである。

経済は、生きる為の活動であり、経済の仕組みの本質は、分配にある。
分配は、「お金」の分配と財の購入と言う二段階で行われる。
「お金」の配分は、組織的に行われ、財の購入は市場を通して行われる。
経済取引は、二つ経済主体の間で成り立っている。基本的に経済取引は、相手が存在する。
二つ以上の主体が関係する取引でも会計上は、一対一の関係に分解される。会計上の単位取引は一対一に還元される。
取引は、財と「お金」、あるいは、権利と「お金」の交換を意味する。権利と「お金」の交換は、同量の債権と債務を生じさせる。取引は等価である事を前提とする。故に、取引量の総計は、ゼロ和に設定されている。
財と「お金」との交換は、損益、フローを形成し、権利と「お金」との交換は、貸借・資本取引、ストックを構成する。損益取引は、売買によって実現し、貸借取引は、貸し借りによって成り立っている。資本取引は、貸借取引の延長線上にあり、根本は、同質である。
「お金」の働から見ると、取引は、経済主体への入金、出金として現れる。つまり、一つの経済主体の入金には、必ず、同額の出金をする経済主体を前提としている。
一方の収入は、他方の支出であり、一方収益は、他方の費用である。この関係から生産と分配の相互作用を考察しないと部分と全体の整合性は取れなくなる。
故に、一つ取引の取引量は、主体の取引量と全体の取引量は、一対二の比率になる。

国民経済を基礎とすると日本の総産出は、総資産の大体十分の一で、総生産は、総産出の半分、そして、雇用者報酬は、総所得の半分と言う関係が成り立っている。
注目すべきなのは、高度成長期からバブルまでに四分の一から十分の一まで圧縮され、バブルが崩壊すると横ばい状態に陥っているという点である。



内閣府 国民経済計算書


家計の指標


家計は、生活の拠点、生活の場である。生活の本質は消費であり、「お金」の働きとしては、消費を前提とした支出として現れる。

経済と言っても殊更経済成長を追求しても意味はない。大切なのは、生活の質だからである。
いくら全体的に成長していても格差が拡大し、高所得者と低所得者の間の生活に超えられない壁が降ったら豊かと言っても名ばかりである。実のある経済成長でなければ意味がない。

消費の観点からもしっかりと経済を見ておく必要がある。
消費の働きを規制するは、消費の傾向と支出の構造である。
生活をしていくうえで何が必要で、どの様な構成なのかが消費支出の方向を定める。
また、支出のウェイトが、産業の傾向を決める。例えば、医療費に比重が高ければ、医者の所得が相対的に高くなり、医者のなり手が増える。この様に、消費が働きに反映する事で、働きと分配は、直結する。問題は、配分である。

家計は、生産手段を提供すると同時に、消費単位として消費経済の中核を担っている。
経済は、産業だけで成り立っているのではなく。景気は、消費が牽引している事を忘れてはならない。市場を形成するのは消費である。
消費の動向は、産業の消長を決定づける。

消費の働きの元となるのが可処分所得である。

家計で問題となるのは、生活水準である。生活水準は、代表値(平均値、中央値、最頻値)、分散が重要となる。
生活水準で重要なのは、消費の質をどう組み込むかである。

  1. 可処分所得
  2. 失業率
  3. 人口構成
  4. 民間最終消費支出
  5. 貯蓄率

国民経済計算書






非金融法人企業の指標


非金融法人企業の役割は、生産と言う行為を通じて「お金」を循環させる事である。

非金融法人企業は、要するに民間企業である。
民間企業は、基本的に資金を調達して投資をし、投資した機械設備によって製品を販売し、投資した資金を返済する事で「お金」を循環し、分配する事である。

民間企業は、資金が回っている間は、事業を継続できる。しかし、いくら利益を上げていても資金が回らなくなればお終いである。民間企業はある意味でいかされているのである。経済的役割が果たせなくなったと市場から判断されたら、市場から退場する事が求められる。民間企業に求められるのは、経済的効用である。

民間企業における資金の調達手段は、収益を計る事だけではない。借金をしたり、増資によって資金は調達できる。ただ収益以外の手段による収支は損益に計上されない。

民間企業が貸借や資本取引に依って資金を獲得するのは、経常的収支が波があり、一時的、あるいは長期的に資金不足が発生するからである。
その資金不足を補う手段が短期では、運転資本、長期には長期借入金か増資である。
収益に頼らない資金調達は担保を必要とする。それがもバブル崩壊以前は、手持ち不動産だった。それがバブル崩壊後不良債権となって民間企業の資金調達力を喪失させた。問題なのは、資金調達力を低下させるのに行政や中央銀行が加担した事である。

企業の資金調達力を削いだのは、地価への資金の供給を断ち、金融を引き締め、強引に不良債権を処分させたことによる資産価値の下落である。結果、市場の底が踏み抜かれて、2019年の今日に至るまで、いまだに景気は上向かないのである。


法人企業統計と国土交通省の公示地価による。


民間企業の主要な役割は、組織的な分配にある。組織的な分配が費用を形成するのである。費用の中でも重要なのが、人件費であり、人件費は裏返せば所得である。所得は生活費の源泉である。

企業が正常に働いているか、いないかを単に利益だけから計測しようとする傾向がある。企業活動の全てが利益に集約されているというのは錯覚である。
大体、利益は、指標の一つであって設定の仕方、計算の仕方によって全く違った値になる。問題は、利益をどの様に設定するかにある。

もう一つ重要なのは、利益は、単位期間の働だけを計測しているという点である。企業活動は利益を上げる事が全てではない。

企業活動は、雇用を創出するのも重大な役割の一つなのである。
また、企業活動で忘れてはならないのは、短期資金と長期資金の働きの違いである。
長期資金の働には、投資、研究開発、退職金、社会保険、企業年金等の福利厚生などがある。目先の利益ばかりを追いかけると底辺で働いている企業の長期的働きが機能しなくなる。それは産業を根っこから枯らしてしまう。
短期資金の働きは、価格に要約されるが、長期資金の働きの全てが価格に含まれているわけではない。この点を見誤ると資金繰りに重大な障害が生じ、産業が成り立たなくなる危険性がある。
産業は、時間と伴に長期資金の働きが負担となる。この負担をどの様に解消するかを忘れたら産業を潰す事になる。その結果、資金を循環したり、雇用を創出するという重大な役割が果たせなくなってしまうのである。

「お金」が円滑に循環しているか否かを検証する為には、損益上に現れてこない「お金」の流れをどこまで補足できるかにかかっている。
現在市場取引は基本的に期間損益によって測られている。しかし、期間損益上現れない働きがある。
期間損益は、単位期間におけるお金の働きを計測している。単位期間内に補足できない資金の働きは基本的に計測されない。つまり、単位期間を超える資金の働きは、損益上計上されないのである。
単位期間に補足できない資金の流れとは、投資に係る資金の流れや働きである。これらの働きは、残高として貸借に計上される。その為に、損益上に計上される「お金」の流れと働きは、補足できても損益に計上されない資金の流れと働きは計測できない。損益に現れない資金の流れと働きには、貸借取引や資本取引等があり、利益にはかかわらないが資金繰りにおいて重要な働きをしている部分が欠落している事になる。
その為に、資金の動きで表面に現れない、見えない部分が存在する。その表面に現れない「お金」の流れや働きが経済に決定的な作用を及ぼしているのである。その典型がバブルとバブル崩壊後の経済の動きである。
バブルによる好景気やバブル崩壊後の長期低迷は、表に現れない「お金」の流れや働きを明らかにしないと説明がつかない。その後の政策の適否の判定もできない。

国税庁の所得税課税別所得の内訳を見てもバブル期の異常な所得の動きが見て取れる。分離長期譲渡課税は、主として相続などによる土地の売買による所得である。相続による収入は、国民経済計算書では、資産移転として経常収支には計上されない。その為に、バブル期の所得は、GDPには含まれていない。つまり経済成長には貢献していなかったのである。


国税庁


全産業のキャッシュフローを見ると損益上に現れない資金の流れがいかに大きな影響を及ぼしているかがわかる。営業キャッシュフロー上はバブル崩壊の影響がみられないが、財務キャシュフローが崩落しているのがわかる。そして、この財務キャッシュフローがわからないとバブル崩壊後の長期低迷が説明つかないのである。


法人企業統計


長期資金の働きを費用化したのは、減価償却費だが、減価償却費は、直接、現金収支に結び付いているわけではない。元々減価償却費は、費用対効果を測定する為の尺度である。実際の現金収支とは結びついていない。
実際の貸し借りは、資金の返済に基づいて貸借上に残高として計上される。
国民経済計算書でも資金移転と考えられ経常的収支とはみなされない。
また、償却費は全ての投資資金と働きを網羅しているわけではない。特に、不動産は、償却資産とされていない。その為に、実際の資金の流れと利益との間に乖離が生じ、税負担にも深刻な影響を及ぼす事が起こる。
長期資金の働きは、期間損益に影響しないとされながら、資金繰りには深刻な影響を持つ。間違ってはいけないのは、企業が破産するのは資金繰りが直接的原因であって利益は、間接的な原因であるに過ぎないという事実である。


法人企業統計

非金融法人企業の指標は、産業政策や交易政策に役立って初めて意味がある。我が国の経済の仕組みの中軸を担う産業構造をどの様にするのかの指針があって産業政策は成り立っている。市場の状態や動向、産業の発展段階を踏まえて指標を組み合わせるべきなのである。
非金融法人企業の指標としては、以下の事があげられる。
  1. 売り上げ動向 。
  2. 市場規模 。
  3. 成長力 。市場規模が拡大均衡に向かっているか、縮小均衡に向かっているかの判定。
  4. 付加価値の構成の変化
  5. 地価の動向 。資金の調達力を見る。
  6. キャッシュフロー

今の風潮は、ひたすら、安売り、競争力の身を追いかけている。しかし、企業の役割は、価格的競争力をつける事ばかりではない。むしろ、価格的競争力は二義的なものであり、社会的効用や雇用の創出が一義的なのである。



法人企業統計

民間企業の基本的なアルゴリズムは、資金を調達して投資をし、投資した資金を生産活動を通じた経常収益の中から経費を引いて、借入金の返済をしていく事である。
収益が不足する分を貸借によって資金を調達し、「お金」を廻す事きできるが、そうすると、ストックが幾何級数的に拡大し、収拾がつかなくなり、いずれは破綻する事になる。
経済の変化は、複利的な変化なのである。

故に、総資産回転率の動向が重要な指針となる。


法人企業統計


財政の指標



財政で最も重要なのは、財政政策、財政に対する考えである。財政の根本は、建国の理念と国家戦略にある。
近年、財政を政争の手段や景気対策の手段に用いられる傾向があるが、財政をおかしくしている原因の多くはそこにある。根本理念も構想もないのに、選挙対策や目先の景気のために、ばら撒きをするから財政が無軌道になるのである。緊縮財政か、増税が是か非かを論じる前に、どの様な国を目指しているのかを明確にすべきなのである。
景気対策や政争の具にして財政を破綻させることほど愚かな事はない。

財政の指標を選択する場合、財政の果たしている機能が重要となる。
財政の機能は、社会資本の構築、所得の再配分、景気調整があるが、景気調整機能は、あくまでも二義的であり、比重を置きすぎると財政の根本を毀損させてしまう。むしろ、財政の金融機能を忘れないようにする事が肝要である。これら点を十分に考慮して指標を選ぶ必要がある。
  1. 財政政策
  2. 財政収支
  3. 税の構成


日本銀行

金融の指標




経済の仕組みを動かしているのは、資金の過不足と、資金の過不足が引き起こす資金の流れである。
資金の過不足は、ストックを形成し、資金の流れは、フローを形成する。
ストックは貸借から派生し、フローは売買から派生する。
フローは、損益の上に現れ、ストックは、貸借の増減として表現されるが、損益には計上されない。
貸借は資産に反映され、損益に反映される。
問題は、貸借の動きは影で働いていて、それが、経済の仕組みの半分に作用しているという事である。
金融は、貸借上で働いている。

金融機関は、資金の融通が本業である。故に、本業の働きを示す預貸率は重要な指標となる。

また、金融機関を成り立たせているのは、金利の働きである。古来、金利は、余りよく言われない。多くの宗教が金利は悪徳だとしている。
しかし、金利には、金利の働きがある。金利の一番の働き、時間価値の創出である。
また、金利こそ金融機関の収益、利益の源である。金利がなければ金融機関は成り立たなくなる。
そして、金利は、費用である。金利は、資金の動きを制御する。
借入金の元本がストックを構成すれば、金利は、フローを形成する。


  1. 預貸率
  2. 金利の動向
  3. 国債の動向
  4. 部門間の貸借



国民経済統計



日本銀行

金融を考える場合、フローとストックの関係が鍵を握る。フローは、利息であり、ストックは元本である。
現在、ゼロ金利であり、さらに金融を緩和し続けている。ゼロ金利、金融緩和の原因は財政にある。財政は、均衡を失い大量の国債を発行し続けている。これが金利を圧迫してゼロ金利、金融緩和を誘発しているのであり。ストックの改善がなければ、金利は、正常な働きを発揮できなくなる。なぜならば長期金利の上昇は、財政を圧迫する事になるからである。
問題をさらに深刻にしているのが中央銀行が国債を大量に抱え込んでいる事である。
市中銀行は、優良な貸出先が見つからずに、大量の国債を抱え込んでいる。長期金利の上昇は、中央銀行と市中銀行の収益を圧迫し、財務内容を悪化させる。
しかし、長期金利の低金利を維持する為には、更に、金融緩和を推し進めなければならなくなる。
それは、中央銀行や市中銀行の国債保有を高める結果を招く。そして、その結果金利に下げ圧力がかかり続ける事になる。
低金利は、時間価値を喪失させる。それは付加価値の縮小を招く。
フローが抑制される中、ストックが限りなく拡大する事になる。その圧力に耐えられなくなった時、経済は、破綻する。
ゼロ金利は、ある意味で中央銀行が金融機関を見捨てたことを意味する。
際限ないストックの拡大は、貨幣価値の希薄化を招く。


海外部門の指標


一国の経済がその国だけで成り立つなら海外交易は必要としない。他国と交易を必要とせず、自給自足状態の市場は閉ざされた市場である。一国の経済は、自給自足ができるのならば、市場を閉ざしても成立する。
現に日本は、江戸時代、三百年、鎖国してきたし、現在の鎖国状態の国がないわけではない。ただ、今日では、市場を閉ざしたら経済が成り立たない。少なくとも我が国は、鎖国状態に戻すことは不可能である。
故に、今日では、海外交易を前提とした、解放された経済でなければ成り立たない。

海外交易が必須条件であるならば、海外交易が可能であるかが、経済を測る上で鍵となる要件である。
まず海外交易の可否を判断する上で、第一の要件となるのは、外貨準備、即ち、支払準備である。つまり、決済の為の資金が蓄えられていないと決済ができなくなる。
外貨準備の調達は、経常収支によるか、資本収支による。つまり、収益か、借入かなのである。
第二点は、必要不可欠な資源を確保しできるか否かである。これは国家戦略に関わる大事である。

国家を揺るがし、存亡にかかわるような経済変動は、海外の要因によることが多い。国内の経済的変動は、海外に原因している事が多くある。
ニクソンショック第一次石油危機第二次石油危機プラザ合意円高不況リーマンショックバブルも、バブル崩壊も海外からの圧力が遠因だとされる。
日本は江戸時代、鎖国していた。その鎖国を解いたのもアメリカである。
日本の、国力は、経済の規模によって制約される。鎖国時代は、自給自足が原則で、持久力を超えれば飢餓状態に陥る。国は経済力の範囲内でしか成長できない。経済的限界を超えれば飢餓状態に陥るからである。
今日、日本は、海外との交易なしには生存できない。

海外交易は、金額や数量の多寡よりも、その資源が、どれくらい生活の根幹に、関わっているかによって、影響を受ける。輸入に占める割合が小さくても、その物資が生活の根幹にかかわる資源だったら、決定的な働きを経済に及ぼす。その意味で為替の動向は、経済を左右するのである。

公正な海外交易が成立する為には、通商相手国との釣り合いがとれている必要がある。国家交易は、常に均衡を求めて変動している。交易は、双方向の働きによって成り立っており、一方方向の流れでは持続できない。
まず、所得水準の均衡が大本となる。所得は、賃金であるから賃金水準の均衡に繋がる。所得の内外格差は、いずれは均衡する方向に働く。その過程で貿易の不均衡や産業の空洞化などが生じるのである。
賃金格差と言うが低賃金国でも生活が成り立たなければ経済は成り立たない。故に、所得水準と物価水準が決め手となる。海外交易によって国内経済が成り立たなくなったのでは意味がない。
所得水準と物価水準は、購買力を意味する。購買力は均衡する方向に働く。背景には、一物一価の原則が働いている。それが購買力平価である。
また、労働条件の違いも確認する必要がある。

為替には、国家間の格差を均衡させようという働きがある。
内外格差、内外不均衡を、均衡させようという働きが為替相場にはある。

国家が経済的に成り立たなくなると他国を侵略しようとする意図が生じる。それは、国民生活が破綻したらも力づくでも必要な資源を獲得しなければ生きていけないからである。
他国の侵略するのは、他国の富を奪う事が目的である。富とは、存在する資源と生産手段であり、生産手段とは、労働力と土地、設備を言う。
平和を維持したければ、持続可能な経済を打ち立てる事なのである。

通貨は、為替の安定金融政策の独立性自由な資本移動の三つを同時に実現できないとされる。それを通貨のトリレンマと言う。いずれをとるかは、その国の国家戦略、経済政策に係る大事であり、その政策如何で国家の消長が左右される。三つの要素は、いずれも「お金」の流れと働きに関わる事である。

国内経済は、海外の経済事情の影響を免れない。しかし、海外の出来事を自国の都合で動かす事は法度である。しかも、海外は不確実な事(リスク)だらけである。
金融工学は、海外を原因とした不確実性(リスク)に対応する事で発達してきた事である。即ち、為替の変動、原材料費の変動、金利の変動等に対応した結果、発達してきたのである。
そして、世界は、金融工学が生み出した派生金融商品によって振り回されているのである。
重要なのは、兎角、フローとストックの関係を無視する事である。

注意しなければならないのは、外的要因は、内的要因が呼応しているという事である。経常収支は、国内の問題だとする学者もいるくらいである。

海外部門は、通貨の水準と内外価格差、原材料価格の動向が焦点となる。
原油価格の高騰や為替の変動等の外的要因が、国内経済に決定的な影響を及ぼす事が往々にある。
特に通貨の水準である為替の動向が経済の仕組み全体と部分にどの様に作用するかがポイントとなる。
海外部門の働きは、国際収支に反映される。そして、経常収支と資本収支・外貨準備高とが均衡している点に注意すべきである。国際収支は、国内の貸借、損益の均衡具合を反映しているのである。
  1. 経常収支
    • 貿易収支
    • サービス収支
    • 取得収支
  2. 資本収支・外貨準備高
  3. 為替の動向
  4. 原油価格の動向
  5. 内外価格差


日本銀行


模擬実験のための指標


第二段階は、経済がどのような力や関係によって動いているかを解明し、経済の仕組みをどの様に制御するのかを知る。

模擬実験とか、図上演習をする時は、自分が何をしたいかをハッキリさせる事なのである。やたらと難しく考えたり、かっこつけても仕方がない。
金利が上がったらどうなるかとか、借金は、どこまで許されるのかとか、為替が変動したらどうなるかとか、原油価格が上がったらどうしたらいいかとか明確な目的意識を持つ事である。そして、その目的に対してシンプルな仕組みを構築する事である。

予測が現状維持なにの大して模擬実験や図上演習は、前提条件の変化や自分たちの施策がどのような影響を予測に与えるかを測る事である。
故に、模擬実験や図上演習では、場合分けと想定が鍵を握る。

実際に経済仕組みを明らかにするためには、仮定、仮説を立てる必要がある。
その過程や仮説を立証する過程で経済を動かす仕組みを明らかにし、経済の仕組みを操作して経済を動かす手段を体得するのである。

経済は、どの様な仕組みや原理、構造で動かいているかを実践的、実証的に解明していくための指標である。現状を分析するというのが、静的にものであるとしたら、模擬実験や図上演習は、動的なものである。
静的な分析が構成を重視するのに対し、模擬実験や図上演習では、動きや関係、位置などが重要となる。

どこを(位置や部品)どの様にすれば(操作)どの様になるのか(結果)を検証するのである。

模擬実験や図上演習は、現実を模した模型(モデル)を作って実際的に検証していく事になる。
モデルを構築する場合、注意するのは、経済や会計には、想定された数値、評価勘定が多く存在する。その代表的なものが減価償却費である。ただ、想定された勘定は、客観性の障害となる場合がある。故に、極力、「お金」の動きの裏付けをとるように心がける必要がある。

経済モデルを構築する為には、経済を構成する要素を明らかに、その要素の働きと関係を想定する必要がある。
その上で目的に応じて何を目的変数とし、何を説明変数とするかを設定する。

経済モデルが設定されたら、過去の政策がどのような状況、前提に基づき、どの様な目的で、いつ、何に対して、何が為されたか。その結果、何に対してどの様な反応、影響があったかを一つ一つ検証していく。

経済モデルを構築する手順は、先ずどのような目的によって何を知りたいかを明らかにする。

モデルを設定する為には、モデル構築する為の指標をに何を使うかが鍵となる。そして、指標の中からKPI(重点評価指標)を設定する。
モデルを構築する上では、KPI(重点評価指標)をどうするかが要諦となる。
KPIを何にするか、また、何を期待するか、指標はどのような性格かがモデルと使い手の目的との整合性を決めるからである。KPIの中で使い手が直接調査する指標が最も重要な指標となる。

また、どの様な前提によってモデルを構築するのかが決定的となる。故に、前提をどの様に設定するかが鍵となる。しかし、前提は、絶対的な事ではなく、相対的である。特に、相関関係は、成長段階や状況の変化によって変化する場合がある。故に、前提を変更する必要が生じた場合に、設定を変更できるように予めしておく必要もある。

データを分析する場合、相関関係自体に注目する傾向があるが、何が相関関係を形成させているのか相関関係は、恒久的なのかの方が、より本質的な問題である場合が多い。なぜならば、相関関係を成り立たせている力こそがより根源的だからである。
例えば、売上と総所得は、成長期には、相関関係が強く出て成熟期に入ると相関関係が薄れる。成長期の分析では、売上と総所得は相関関係があると結論づけられるが、逆に低成長期のデータに基づけば、相関関係はないと結論づけられる。
我々が知りたいのは、何が、どの様に経済成長に関わっているかであり、現象だけ追っていても根源的な力の出所を明らかにする事はできない。
根源的な力の出所を明らかにしたい場合は、相関関係の有無よりも相関関係、いつ、何によって変化、変質、失われたかが問題となる。

模擬実験や図上演習は、最終的には、意思決定に結び付かないと意味がない。
意思決定に結び付けるためには、どの部分をとの様に操作したら、どの様な結果になるかを明らかにする必要がある。

その為には、第一に、任意に変えられる変数か、変えられない変数。第二に、何を操作するのか。。第三に、管理できるところ管理できないところ。第四に、確かな事(わかっている事)不確かな事(わからない事)を見極める事が重要となる。
また、操作できるできない、管理できるできない、原因が、第一に、物理的にできないのか、第二に、技術的(能力)にできないのか、第三に、時間的にできないのか。第四に、制度的にできないのか。第五に、思想的、政治的にできないのか。第六に、倫理的にできないのかを判定する必要がある。それによって対応の仕方が違ってくるからである。
任意に変えられる変数は、内生変数であり、任意に変えられない変数は、外生変数である。

模型を設計する時、何を内生変数とし、何を外生変数とするかが、根本的課題値なる。そして、内生変数のうち、何を操作するかを設定する事が重点となる。なぜならば、経済の仕組みをどの様に操作して制御するかを検証する事が模擬実験の目的の一つだからである。

何を前提として、何を目的変数とし、何を説明変数とするかの問題である。注意すべきなのは、何を前提としているかである。前提とする事によって設定そのものが影響を受けるからである。

経済政策の中には、直接動かす事で経済の仕組みを操作する手法と間接的に動かす手法がある。直接動かす手法は、速効性があり、効果が目に見えるという特徴があるが、非常に限られている上に、過剰に反応する傾向がある。
また、経済の仕組みが予め明らかにされている事が前提となる。問題は、経済の仕組みには、ブラックボックスが多く因果関係がはっきりしない事が多いのである。

それ故に、模擬実験の目的の一つに経済の仕組みを明らかにする事が含まれるのである。

模擬実験や図上演習をするの目的の一つは、経済の仕組みや構造を明らかにし、検証する事である。
模擬実験や図上演習のための基盤は、原則として予測の為の基盤を共有する。
ただ、予測が全産業を対象としているのに対して、個別の産業や模擬実験や図上演習を行う目的によって基盤を変えたり、指標を組み替える必要がある。

また、シミュレーションをするために線形関係を明らかにする。その為の相関関係を解析する。
問題は、要素間の関係と働きである。何が何の影響下にあり、それがどのような関係や働きをしているかが、経済の仕組みでし決定的なのである。
  1. 経済の垂直方向の関係を明らかにする指標。経済を動かしている貸借と損益、ストックとフローの関係を示し指標が要になる。金利と元本の関係。
  2. 水平方向の関係働きを明らかにする指標。付加価値の構成比率や変動。
  3. 部門間の関係や変化を表す指標。
  4. 時間価値の働きを表す指標。変化の速度や要素間、部分と全体の関係や位置を示す指標が重要となる。
    特に、生産の効率化が分配のどの部分にどの様な影響を及ぼすか、それに対してどの様なセサクを講じるべきかなどである。
  5. 要素間の相関関係。因果関係を示す指標が鍵となる。要素間の関係を明らかにするためには、必ずしも因果関係に結び付けて考える必要はない。

ストックとフローの関係を検証する際、注意すべきなのは、第一に、資金の流れる方向。第二に、資金の過不足、各部門の残高。そして、第三に、フローとストックの相関関係、第四に、フローを構成する要素、ストックを構成する要素の構成比率である。これらの関係が全体と部分の縛り、拘束要件となる。

時間価値は、金利や所得の上昇率、物価、利益、税等を均衡させようする力として働いている。
時間価値をリードしているのは金利である。ゼロ金利が30年以上にも及んでいる。これは異常に出来事である。
バブル崩壊後の原因の一つにゼロ金利がある。金利がゼロになれば時間価値が働かなくなる。ゼロ金利によって時間価値が消滅したのである。


相関関係・因果関係


最終的には経済の仕組み、装置をどう制御するかが焦点なのである。

第一にに何を監視し、第二に、何を操作し、第三に何を管理するかを明確にし、定義する事がまず求められる。
肝心なのは、経済の仕組みを制御し、正常な機能を維持する事なのである。何が正常かは、経済の目的や役割、働きに所以する。

その為には、個々の要素間や指標間に働く関係、特に相関関係因果関係を明らかにする必要がある。
何らかの機能を働かした時、どの部分、あるいは、全体がどのような動きをするかが、鍵となるのである。
ブレーキを作動したら、自動車が停止すると言ったような事で、その場合あわせて、静止するまでどの程度の距離走行し、また、どの程度の時間がかかるか等を事前に明らかにしておく事なのである。
つまり、要素間、指標間の相関関係、因果関係を知っておかないと指標そのもの意味がないのである。

変化を制御する為には、変化を引き起こす要因は何かを明らかにする必要がある。通常、変化を引き起こす要因は、単独で働いているわけではない。対象と対象との関係、対象と場に働く力の関係、対象と空間の運動との関係等によって変化は引き起こされる。関係の中でも、相関関係と因果関係を明らかにする事は、変化に迅速に対応し、経済を制御する上で不可欠な要件である。

一つの前提は、付加価値は市場で生み出されるという点である。また、付加価値は、時間の関数でもある。つまり、付加価値は時間価値によって生み出されるし、時間価値を生み出す
また、公共投資や事業は、付加価値を生まない事を前提としている。付加価値を生まないというより、付加価値を生まないようにされているのである。この点は、総生産、総所得、総支出を考察する上、即ち、経済成長を前提としている時は、充分注意する必要がある。

因果関係や相関関係は、対象間の働きによってのみ形成されるとは限らない。因果関係や相関関係は、場の働き空間の運動によって形成される事もある。
例えば、電流を流す事で磁場が生じ、作り出された磁場によって対象間の関係が影響されると言った事である。経済空間は人為的な空間であるから、自然界の空間よりも因果関係や相関関係は、前提条件の変化に影響されやすい。

因果関係は、相関関係を前提に成り立っている。因果関係が成り立つためには、相関関係が成り立っている必要がある。しかし、相関関係だからだと言って因果関係が成り立つとは限らない
現在は、因果関係に囚われる必要はないのではないかと言う考え方もある。確かに、対処療法的な対策によって問題が解決できる場合は、かまわないが、経済問題を抜本的に解決しようとした場合、因果関係を明らかにしておかないと後々重大な支障をきたす危険性がある。経済を制御しようと思うのなら、因果関係を明らかにする必要がある
相関関係と因果関係重要なのは、因果関係には、時間の働きが関わっているという点である。相関関係にも時間が作用している場合はあるが、その場合でも要因間に直接かかわっているわけではない。それに対して、因果関係では時間、特に前後関係が決定的な働きをしている

因果関係の間には時間がかかる。
更に、異常を探知して行動を起こすまでには、認知、分析、対策の立案、決定、実行、効力の発揮、結果が出るまでに順番を経る。この時間の働き、短いか、長いかが決定的な働きをする事が往々にある。
事の成否には、速度が重要な働きをしている。特に、危機的な事であればある程、迅速さが鍵を握る。時機を逸すると手遅れになる。
問題や異常を認知してから決断し、行動するまでの時間が肝心なのである。その為には、いち早く、兆候や予兆を察知し、事態を予知する事が求められる。
その点で言えば、政策的な事象は、認知してから決定、施行に至るまでに時間がかかる。この時間がどのような影響をもたらすかも充分に計算しておく必要がある。

相関関係や因果関係を調査する場合、相関関係や因果関係を成り立たせている前提条件が重要となる。
相関関係や因果関係を明らかにする事も重要だが、それ以上に相関関係や因果関係を成り立たせている要因を明らかにする事が鍵を握っている場合が多い。なぜならば、変化を引き起こす要因こそ政策に直接反映される事柄だからである。

表に現れた現象だけを見ていても経済を理解する事はできない。例えば、投資や融資計画において地価の動向は、不可欠な要素であり、地価や景気の動向に対する予測なしに、単に、設備投資や売り上げ見込みだけの投資計画で投資を決断するのは無謀である。
前提条件には、人的要件物的要件金銭的要件時間的要件空間的要件構造的要件がある。

経済を分析する場合、この前提条件が重要な働きをしている場合が多い。
なぜならば、例えばバブル形成とバブル崩壊時を比べるとバブル崩壊以前に強い相関関係が認められた要素間の相関関係が、バブル崩壊によって突然失われている例が多くあるからである。
何の、どの様な働きによって相関関係が失われたのかは、経済政策を実行する際に決定的な働きをするからである。

現状を調査し、前提となる要件の何が変化し、あるいは、変化していないのか、その関係を確認する事から分析は始まる。
先ず、人や物の配置を確認し、それから、動きを見る。政策は、人と物の配置を決め、それから始動する。

経済政策を立てる上で重要な指標の一つに持続可能性がある。なぜならば、その時点の環境や状況が持続するか、ある日突然崩壊するかは、経済を見通すうえで決定的な要素だからである。それは前提条件に関わる大事である。
持続可能性が経済を測る上で決定的な働きをしているとしたら、一体何が持続可能性を阻んでいるかを明らかにする必要がある。

バブル崩壊による空白の時代を考察する際、先ず、考えなければならないのは、所得と消費の関係、経済成長との関係である。

経済成長を支えていたのは、市場の拡大、即ち、人口の拡大生産の拡大所得の上昇である。その前提が高度成長の終焉と伴に失われた。それが、その後の経済に与えた影響を明らかにすれば、その背後にある経済の仕組みが見えてくる。

基本的に経済を左右するのは、人である。故に、人口の推移を先ず把握しておく必要がある。そして、人口構成も確認しておかなければならない。
そして、経済を最終的確定するのは、所得である。なぜならば、生産と分配を担っており、支出の根源だからである。
故に、雇用者報酬と最終消費の相関関係が要となる。
また、経済成長と収益は、市場の動向を反映している。故に、総資産、売上高と総生産の相関関係も見ておく必要がある。

とるべき施策の有効性は、前提条件によって変わってくる。
前提条件とは、市場の状態(不飽和状態、飽和状態、過飽和状態等)、為替の動向、部門間の歪み(財政状態)、金利の動向、経済が拡大均衡状態か縮小均衡状態か(成長か停滞か)等である。


1970~1998年


雇用者報酬と民間最終消費は、1991年、バブル崩壊までは、線形関係にあった事が窺える。それが、バブル崩壊後急速に相関関係が失われる。

1994年~2013年

法人企業統、国民経済計算書

雇用者報酬と民間最終消費だけでなく、国民総生産と全業種の売上との相関関係もバブル崩壊後に急速に失われた。

全業種売上と国民総所得との相関関係
 
法人企業統計 国民経済計算書

全産業の売上と総資産の相関関係は、バブル崩壊以前は、ほぼ、直線的であったのが、バブルが崩壊すると不規則な動きとなり、相関関係が急速に失われている。
相関関係が失われた要因として考えられるのは、第一に、総生産が停滞した事である。第二に、考えられるのは、「お金」の流れである。民間企業は、バブルが崩壊すると資金調達を外部から内部へと移行した。それが何らかの影響を相関関係に与えている事である。

1960~2017


売上高と総資本との相関関係もバブル崩壊前とバブル崩壊後とでは、相関関係が失われている。
翻って見ると雇用者報酬と最終消費、売上高と総生産、総資産と売上は、強い相関関係があったのが、何らかの働きによって相関関係が失われたと考えるべきなのである。
この背後には、資金の流れがある事が窺われる。




法人企業統計

重要な点は、雇用者報酬と民間最終消費国民総生産と全業種の売上売上高と総資本の三つの相関関係がバブル崩壊までは、強い相関関係、線形関係にあったのが、バブル崩壊後突然、相関関係が失われた事であり。なぜ何が原因で、相関関係を失わせたかを明らかにできれば経済の構造も明らかにできるのである。

そのヒントになるのがキャッシュフロー地価の変動地価の簿価と相場の乖離である。

特徴的なのは、バブル崩壊までは、一定の関係が保たれていたのが、バブル崩壊後は、壁に激突したように法則性が失われている点である。何かが壁になったのか相転移のような事が起こったとしか考えられない。
目に見えない壁を作り出している要素は何か。壁となっているのは、人的な要素なのか、物的要素なのか、金銭的な要素なのか。それを解明するのが経済を長期低迷に陥れた原因である。それが構造的事か、現象的な事なのかそれが問題である。何が変わって、何が変わっていないか。ただ少なくとも、地価の乱高下の際、人も土地も極端な増減をしていないという事である。元々、土地は限られた資源であり、人口の変化は短期的な問題ではない。ここからわかるのは、バブルは、貨幣的現象だという事である。

全産業のキャッシュフローのトレンドを見てみるとバブル崩壊直後、営業キャッシュフローと投資キャッシュフロー際立った動きがないのに、財務キャッシュフローが急速に低下している。



法人企業統計

財務キャッシュフローの低下とともに民間企業の資金調達が外部調達から内部調達に移行している。
財務キャッシュフローの低下が影響している事が十分考えられる。



法人企業統計


バブルの形成とバブルの崩壊は、その根底にある経済の仕組みを暗示している。なぜ、バブルが発生し、そして、かくも長きにわたって日本経済を立ち直れないほどの打撃を与えたのか。それを解き明かす事は、経済の仕組みの謎を解き明かす事でもある。

まず根本的に言えるのは、バブルを起こしたのは、政策の様な何らかの人為的行為なのか。それとも人の力でも如何としがたい構造的な問題なのか何らかの前提が崩れたのか、それを見極める事である。人の力ではいかんともしがたい力が働いたとしたら、それは、経済体制の根本的な欠陥なのかも検証する必要があるからである。
その際気を付けるべきなのは、経済は生産の局面だけで成り立っているわけではなく。生産、分配、消費、そして、貯蓄の仕組みが各々自律的な働きをしながら、相互作用によって全体の運動を制御しているという事である。
生産の効率化が、分配の仕組みを圧迫し、消費を抑圧するというような事象も起こる。故に、生産の局面だけを問題にするのではなく。生産の局面で起こっている変化が分配や消費に対してどの様な影響を与えているかを統合的に検証する事が求められるのである。
これは、分配の変化や消費の変化か他の局面に与える影響にも言える。

特に、現在進行している情報通信革命は、単に、生産革命にとどまらず、分配や消費の在り方まで根底から覆してしまう可能性がある。情報通信革命は、生産革命と言うよりも分配や消費にこそ多大な影響を与えている。故に、実体が見えにくいのである。

現実の政策が経済の仕組みのどの部分にどの様に作用したかを検証する必要がある。

経済の変換点、分岐点の見極め。所謂、イベントをどう設定するかである。何が「引き金」、「キッカケ」になるか、イベントの働きは決定的かである。

経済の変換点として「ニクソンショック」、「第一次石油危機」、「第二次石油危機」、「プラザ合意」、「バブル崩壊」、「金融危機」、「リーマンショック」、「異次元の金融緩和」等があげられる。

この様な事態に、財政、金融、民間企業、家計、海外部門がどのような政策をとり、行動したかを一つ一つ検証する事である。

経済の変換点を見つけ出して、その前後にどの様な変化、兆しがあったかを分析するのである。
そうすれば、経済の仕組みは自ずと現れてくる。経済は、極めて単純で、明快な仕組みや原理で動いている。経済を難しくしているのは、人間の都合や思惑であって経済の仕組みが複雑で難解なのではない。自分に都合の悪い事を自分に都合がいいように解釈しようとするから経済の仕組みは、難しいものになるのである。

例えばバブルである。バブルは、1985年のプラザ合意から1991年にバブルが弾ける迄と言われている。ただ、バブルが発生し、バブルが崩壊した後まで含めて1985年から200年までの間に何があったのかを検証するとした場合、まず前提条件の確認をすべきである。バブル形成とバブル崩壊後では、明らかにパラダイムシフトがあった。
それを検証する事から始める。
先ずその前に、検討の枠組みを作る。
バブル形成は、どの様な前提によって準備され、どの様な状況で発生したか背景を構成する。
その上で、バブル形成期においてどのような政策をとられたかを検証する。
バブルが発生したのは、1985年のプラザ合意を契機としていると言われる。しかし、プラザ合意以前からバブルが形成される要因はあった。
バブル崩壊後、三つの過剰、即ち、過剰設備、過剰債務、過剰雇用が問題なのだとされた。しかし、過剰設備も、過剰債務、過剰雇用も結果であって原因ではない。何が原因で過剰設備、過剰債務、過剰雇用が生じたかが問題なのである。

バブル形成から崩壊までの要因を知るためには、部門毎の資金の動きを見る事である。
そして、バブル崩壊とその時とられた政策の影響を検証する為には、資金の流れ、資金の過不足、そして、その時とられた政策、そして、結果とを関連付けてみる事である。

一般には、バブルと言うのは、地価や株と言った資産価値の異常な上昇とみられている。しかし、地価や株の上昇は、結果である。何が地価や株を急上昇させたかが重要なのである。

これらを検証する為に、そもそも市場経済の減速を明らかにする必要がある。市場経済は、資金を調達してそれを投資し、投資した成果として収益を得、収益の中から人件費などの分配をし、借金を返済していくというのが原則である。ただ、経常活動の中で生じた資金不足は外部から調達をする。
まず投資の評価、次に収益の状態、そして、費用対効果を検証し、資金の過不足と借入金の均衡を見る。
バブルの時は、この原則が崩れた。

なぜ、この原則が崩れたのかを検証するのが始まりなのである。
その為に、必要とする情報は、収益の状況、為替の動向と影響、金利、原油などの原材料の動き、資金の流れ、資金の過不足の状態、株式相場の動き、雇用の状態、消費水準、生活水準、貿易収支、規制や制度の変化、公共投資、税などを確認する必要がある。
その上でバブル形成時、バブル崩壊後にとられた政策を一つひとつ政策と現実に起こった事を照らし合わせて検証していくのである。

過去の日本の制度、年功序列、終身雇用、高度成長、企業内組合などに変わりはないか。株式の持ち合いや護送船団方式がどのように産業に影響していたか。また、労使関係に変化はなかったか、生活水準の変化等を調べる。

規制やカルテルなどに対する考え方に変わりはなかったか等を調査しておく。


最善の施策を採用する為の指標


第三段階は、経済の仕組みの働きを最大限引き出し、目的地に到達する事である。

最善な施策をとるためには、最終的到達点、目的地点を明確にする事が求められる。
最善な施策とは、何か。最善の施策と言うのは、経済の効用を最大限に引き出す事である。そうなると、経済の効用とは何かが要点になる。
経済的効用は、効率的に生産し、公平に分配して、最大限の効用(消費効率)を引きだす事である。

生産と分配、消費をどう関連付けるか、結びつけるかが、経済の最大の課題なのである。
最善の経済とは、生産と分配、消費が均衡した状態を言う。そして、目的は、自分たちの思想、価値観にあった生活が送れる環境である。つまり、消費生活にある。

生産、分配、消費も金融の四つの仕組みの整合性をいかに保つかが経済の仕組みを制御する事なのである。
それは自分たちの国をどの様な国にするのか、自分たちの生活をどの様なものにするのか最大の課題なのである。

最善な施策を検討する場合、求められるのは、想像力であり、構想力である。次の時代がどのような時代になるのか。自分たちの国をどの様な国にしたいのかそれを思い描くことができるかどうかが分かれ目なのである。
そして、最善の施策を検討するのは、その時点時点でとるべき施策を意思決定のための指標である。つまり、自分たちが置かれている位置と過程が重要となる。
最善の施策を採用する為には、自分たちの目標や夢、志すところ、理想、将来構想、展望や計画を明確にする事である。
要するに自分たちの国や自分たちの事業が目指すべき方向である。目指すべき方向に対してとられるべき施策が最善な施策なのである。
自分たちの国や会社、家族が目指すべき方向を見失うと全体の統制は取れなくなり、組織は、解体していく。単に理想を追求する事だけが目的なのではなく。組織の統制や纏まり、規律、秩序を維持する為にも自分たちが何をしたいのか。どこに向かっているのかを明らかにする必要がある。それが経済主体の推進力であり、原動力でもあるからである。
志や目標を見失った経済主体は求心力を失い解体していってしまう。
今の日本は建国の理念を見失っている。それが国家の解体を促している。この事に早く気が付かないと日本は、主権と独立を失う事になる。

問題なのは、生産と分配と消費、金融の仕組みが未分化で混同されたまま語られている事である。
生産の仕組みは、生産手段を用いて、それからいかにして財を生産し、市場に供給するまでの仕組みである。
それに対して分配の仕組みは、収入を配分する仕組みと財を手に入れる仕組みからなる。
どの様な手段で収入を獲得し、どの様にして財を手に入れるかが中心課題となる。
消費の仕組みは、所得に基づいて消費を実現させる仕組みである。
どこにどれだけ支出し、どの様にして消費するかが課題である。
金融の仕組みは、資金の過不足を補正し、「お金」を循環する仕組みである。

稼ぐこと、配分する事、それから使う事、お金を融通する事は、相互に作用はしているが体系は、各々独立している。稼ぐこと、配分する事、使う事、「お金」を融通する事を結び付けているのが「お金」の働きと人の働きである。
「お金」と人の働きを介して生産、分配、消費、金融の仕組みに相互作用をもたらし、経済に自立的な制御機能を持たせようというのが自由経済なのである。

共産主義や統制経済、完全計画経済は、生産、分配、消費、金融の働きを切り離して経済の仕組みを組み立てようとする試みである。生産、分配、消費、金融の仕組みを切り離してしまうと「お金」は、循環しなくなる。

先ず基準的な流れ、標準的なアルゴリズムを構築する。それに対して実際に起こった結果を照らし合わせる。
基本的に予実績管理の手法と同じである。

まず基本的な機能を列挙する必要がある。次に最低限必要とする機能を明確にする。

  1. 国家全体が目指すべき指標。また、目的地までの軌跡を表す指標である。国家全体が目指す指標の根本は、国家構想であり、建国の理念、憲法の精神に基づくものである。
  2. 家計が目指すべき指標。家計が目指す指標とは、国民生活の目指すべきところを意味する。
  3. 非金融法人企業が目指すべき指標。どの様な産業を育成し、雇用をどの様に創出するか、国際競争力をどの様にしたつけるか、生産効率をどの様に計るかが課題である。。
  4. 財政が目指すべき指標。社会資本をどう構築するか、所得の再配分をどうするのかが基本である。また、公共投資や国債を通じて資金の循環をどう計るかが基本課題である。
  5. 金融が目指すべき指標。金融が正常に働いているかいないか。つまり、金融の仲介機能が上手く機能しているか。また時間価値が働いているかどうかが基本となる。
  6. 海外部門が目指すべき指標。国際分業において自国をどう位置づけるか。交易を通じて国際市場をどう均衡させていくか。自国の国際貢献をどう考えるかによって決まる。

経済は、国家構想があってはじめて成り立っている。なぜならば、経済は、人々の生活の上に成り立っているからである。生活を成り立たせているのは、一人ひとりの人生設計であり、生き様である。そういった人々が生きていくための舞台を作るのが経済の仕組みなのである。
経済の根本は、都市計画のようなものである。都市計画、つまり、人々が生活していく空間を建設していく事が経済の根源的な目的なのである。
景気対策の様な現象に囚われて経済政策の本質を見落としてはならない。
金儲けのために人生や家族を犠牲にするの様なものである。それは愚行である。
経済の根源にあるのは、なぜ、何のために、誰のために生きているかの問題である。

最悪の事態を回避する為の指標


第四段階は、異常な動きをするところを見出し、正常な動きに戻す。

最悪の事態を回避する為の指標は、起こりうる最悪の事態を想定し、それに備える為の指標である。

日本人は、最悪の事態を想定してというと無用に身構えるところがある。
しかし、地震や津波が起きた事を想定しなければ、地震や津波に対する備えも、準備も訓練も何もできなくなる。
地震や津波を想定すると言っても明日地震や津波が起こると言っているわけではない。明日、地震や津波が来ても困らないように地震や津波が来たときのことを想定すると言っているだけである。

百年に一度起こるか、起こらないかの災害に備えても意味がないと考える者もいるが、その災害が起きた時、何の備えもしていなかったら壊滅的な被害を被るのである。
物的な被害だけでなく、命さえも奪われる事になりかねない。それも自分だけでなく家族や仲間をも危険にさらす事になる。

都合が悪いから、見たくないからと言って臭いものに蓋をしても現実からは逃れられないのである。

考えうる最悪の事態とは、どの様な事態を指すのか、先ず、それを定義する事から始める必要がある。
その上で、何が問題で何に対して対処しなければならなのかを明確にする必要がある。
要するに、何を生かして何を切り捨てるかである。それを想定しないと対策は立てられない。

最悪の時点を想定するという事は、破断点、要するに、限界点をどの様に設定するかに要約される。

現在の経済の仕組みで最悪の事態と言うのは、経済の仕組みが機能不全に陥り、それに伴って社会が制御不能な混乱状態を呈する事である。
経済の仕組みが正常に機能しなくなるというのは、第一に、「お金」が円滑に循環しなくなる状態。第二に、「お金」が適切に配分されていない状態。「お金」のの配分に極端な偏りが生じている状態。第三に、「お金」が得られない消費単位が発生し、急速に拡大している状態。第四に「お金」は、有効に機能しなくなった状態。第五に、「お金」の流通量を制御できなくなった時である。

経済にとって最悪な事態とは何かが問題となる。なぜならば、最悪である事を宣言する事自体が危機を招くことがあるから明確な指針を必要とする。

経済の最悪の事態を判定する為指標が主となる。
第一段階に正常な状態とは何か。異常な状態とは何かを示す指標を設定する。
次に、正常以上の適否を判定する。基準を設ける。
  1. 経済にとって最悪な事態とは何かを明確に定義する。そして定義に基づいた指標を設定する。
  2. 家計にとって最悪の事態を示す指標。家計にとって最悪なのは、破産である。
  3. 財政にとって最悪な事態を示す指標。財政にとって最悪な事態とは、財政が破綻し、国防や治安、教育と言った行政が機能しなくなる事、そして、景気対策がとれなくなり物価の制御ができなくなる事である。
  4. 企業にとって最悪な事態を示す指標。企業にとって最悪な事態とは倒産である。
  5. 金融にとって最悪な事態を示す指標。金融機関にとって最悪なのは、金融が機能不全状態に陥る事である。
  6. 海外部門にとって最悪な事態を示す指標。海外部門において最悪なのは、外貨準備が枯渇し、海外との交易が出来なくなる事である。
  7. 国家全体にとって最悪な事態を示す指標。国家にとって最悪なのは、国家の主権、独立を失う事である。


我が国の財政状態を考えた場合、最悪の事態も想定せざるを得ないと考えられる。
日本人は、最悪の事態を想定しようとすると、想定すること自体が災いを呼ぶと避ける傾向がある。
しかし、現実を直視しない限り進歩は望めない事を肝に銘じるべきなのである。

リスクを制御する為の指標


第五段階は、経済が危険な状態に陥った時、経済を安全な状態に導く手段をあらかじめ用意すると言う形で進める事とする。

リスク管理は、異常値を検知する事から始まる。即ち、本来予想している、あるいは、予定している事象からかけ離れた事象を検知する。つまり、異常な事を検知する事で、リスクを管理する事が可能となる。

リスクを検知する為には、異常な事とは何かが明確に定義されている必要がある。異常な事態とは何か、それがリスク管理の始まりである。

リスクを制御する為の指標とは、不幸にして最悪の事態に陥った時にどの様な対処すべきかを想定する為の指標である。
今日、避けられないリスクがあると想定されたら、リスクをいかに制御するかが重要な課題となる。リスクはどの時代でも避けられない事である。問題は、リスクをリスクと認識してそれをいかに制御するかの問題である。

リスク、つまり、不確実性をいかに制御するかの課題は、不確実性をいかに管理するかの問題でもある。不確実性を管理する為には、不確実な要素をいかに減らし、軽減するかによる。

しかし、現在のリスクは、避けようのない危機も含まれている。起こるのは、確実だがいつ起こるのか不確実と言う危機もある。そして、そのようなリスクの多くは自分たちが招いたリスクだという事である。この事は強く肝に銘じておく必要がある。

リスクは何かを明確に定義する事である。リスクとは、最悪の事態の身を指すわけではない。偶発的で区ごとや不確実性にどう対応すべきか。そして、その偶発的出来事や不確実性をいかに管理していくかがリスクを制御する事である。

リスクは視点を変えるとチャンスになる事さえある。災いを転じて福にするくらいの発想の転換が求められる。

そして、リスク管理を検討する場合は、どんなリスクがあるかを洗い出す必要がある。
その上でリスクの内容や程度、影響の及ぶ範囲、異常な個所、性質等で、リスクを分類し、ランク付けをしておく必要がある。

リスクのランクごとに、体制、処置、用意するもの、必要な情報等を決めておくのも大事である。

いざ何らかの異常が見つかった時、それが、全体的な問題なのか。部分的な問題なのかを判定する。

最悪の事態を想定した場合は、経済の仕組みを生かしておくか、一部停止するか、一定期間全面的に停止するかを判定する。その場合は、誰(決定権者、機関)が、いつ、何に基づいて(情報)、何によって決定するか(権限や手続き)。

問題の個所はどこかを明らかにする。問題の個所を明らかにするために、標準や基準を設定する。その尺度に基づいて対策を立案し決定し、実行する。
対策には、緊急的・応急的処置と抜本的、恒久的処置がある。応急的処置と抜本的処置を明確に区分する。

対処の手段としては、機能の一時停止、部門の組み換え、資産・負債の組み替え、債権債務の減免、相殺、一部免除、返済の期間延長、債権債務の付け替え、債務の資本化、規制強化、制度変更、増税、減税、歳出の削減、支払の停止、国家主権の一時停止などが考えられる。
究極的には、税制度やデノミ、国家主権にかかわる問題に発展する。だからこそ、各分野の日頃のリスク管理が要求されるのである。

  1. 指標としては、リスクを定義する為の指標。
  2. リスクのランクを決める指標。これは部門やリスクの性質によって幾通りも発生する。
  3. 異常値を検出する為の指標と体制を事前に設定しておく必要がある。


最終的には、リスクをいかに管理するかが目的となる。
リスクとは不確実性である。

経済危機には、流動性が失われる事から発生する危機、収益性が低下する事から発生する危機。資産価値が下落する事によって生じる危機。物価の上昇が原因となる危機。物価の下落が引き起こす危機。物不足による危機がある。

リスク管理の根本は、何が確かな事であり、何が不確かな事かを見極める。

リスクの中で最大の事は、現在水面下で蠢いている変革である。情報革命によるリスクは、経済の枠組みを変えてしまう可能性が高い。

縦割り、垂直的で、閉ざされ、階層的だった仕組みが、横断的、水平的で、開かれた、ネットワーク型の仕組みへと変質つある。この変化は、既存の価値観を根底から覆してしまう可能性がある。
ただ、経済の仕組みが分配の仕組みである事には変わりない。
生産が効率化されればされるほど分配の仕組みが再構築されないと経済そのものが成り立たなくなってしまう。
生産と雇用の関係、労働と分配の関係の変化は、人々の価値観や人生観、社会制度の在り方をも変えてしまう。だからこそ、経済の仕組みに根底にある思想が問われるのである。

現代社会は、反体制、反権力、反権威思想に毒されている。反体制、反権力、反権威思想は、体制や権力、権威の働きを一意的に否定し、体制や権力、権威を頭から否定してしまう。彼等は、体制的だから、権力的だから、権威的だからと一方的に悪いと決めつけてしまっている。彼等と議論の余地はない。なぜならば彼等の行きつくところは無政府主義であり無秩序だからである。しかし、彼等が権力を倒した時、暴力的な支配しか残されていない。なぜならば無秩序が支配するからである。

時代の変革期、あるいは、圧政下において古い体制を変革し、世の中を根底から覆さなければならないような事態においては、時として暴力的な手段が正当化されることもある。しかし、それは異常な状況を前提とし異常な手段である事を忘れたら歯止めが効かなくなる。そうなるとそれはただの破壊である。
人は、常に、自分を超越した何者かの存在を受け入れなければならない。常に、自分の力を過信せず、限界を知り、自分を超えた存在に対する恐れ、畏敬心を持つべきなのである。自らを神にしようなどと言うのは愚かな事である。
常に神と対峙し、神の赦しを受け入れ、悔い改めなければならない。

反体制、反権力、反権威主義者は、その延長線上で大企業を一方的に悪だと決めつけている。そして、大企業がする事だから悪いとする。そして、大企業の経営者は悪の権化であり、自分の会社の利益だけ、あるいは、私腹を肥やして、弱い立場の中小企業や労働者を食い物にしているとしている。
しかし、大企業には、大企業の果たすべき役割、使命がある。経営者の全てが金の亡者や権力欲に憑りつかれてた反社会主義者、エゴイストなわけではない。むしろ、多くの経営者は志を持った理想主義者であり、人格者である。経営者は、多くの人を束ねる指導者でもあるのである。
だからこそ、大企業の経営者には、高い遵法精神と高潔が求められ、経済法を犯した者は、厳しく罰せられるのである。また、倫理に反した行動をとる経営者は、社会から厳しい糾弾を受ける。
企業は公器であり、国の経済を安定させ、人々の生活に役立つ物を生産し、生産したものによって人々の生活を豊かにし、雇用を生み出して収入源である仕事を作り、投資をして生産手段を整え、技術革新を担い、平和を維持し、将来の礎を築くことにある。

問題なのは、高度成長が終焉し、市場成熟して環境が変化した今日、従来のやり方、保守的な考え方では本業の利益を維持できない事にある。

企業は公器であり。糾されるべき事があるとしたら経営者が企業の果たすべき役割や使命を忘れ、利益追求のみを目的とし、私利私欲によって私腹を肥やし、会社を私物化した時である。

神は、確かに、全てを赦される。しかし、それは神の赦しを受け入れ悔い改めたものだけである。神が全てを赦されると知っている者は、だからこそ、自らを戒め自制するのである。神を信じる者は、神を試したりはしない。


       

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