経済の現状

日本経済の現状について

全産業1980年~2013年



一体バブルとは何だったのか。そういう思いに駆られている日本人は、多くいると思う。
バブル崩壊後、25年以上もたった2015年現在になってもバブルの後遺症に引きずられ、未だに日本経済は立ち直れずにいる。立ち直れないどころか長期低迷の底にあえいでいる。

東京23区の土地でアメリカ全土の土地が買えると言われ。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と煽てられて浮かれ、踊り狂っていたのは何だったのだろう。今、日本は、長引く不況の底に沈んでいる。

バブルが発生する過程、バブル華やかりしき頃、バブル崩壊後、それぞれの年代を区切ってバブルとは何だったのかを検証しないかぎり、真の日本の再建は出来ない。

1980年~1990年、1990年から2000年、2000年~2010年と区切ってそれぞれの時代を見てみるとバブルが発生し、崩壊するまでの軌跡が浮き上がってくる。

戦後経済を振り返ってみると、経済は、10年おきに何らかの大きな節目を迎えているように思える。

そして、それぞれの時代には、それぞれの時代を決定づける幾つかのイベント、要因がある事が解る。

全体の流れを見てみるとバブルの影響が長期に亘って色濃く影を落としている事が見て取れる。もう一点、リーマンショックが想像以上に経済に影響を与えているのが解る。その他には、ニクソンショックやオイルショック等の影響が考えられる。
いずれにしても、石油価格と為替の変動が経済の変動には、重要な役割を果たしている事は明らかである。
これらの要因は、それまでの経済の状況や有り様を根底から変えてしまっている。
ただ、バブルにせよ、リーマンショックにせよその事象だけで起こっているのではない事が見て取れる。
つまり、バブルにせよ、リーマンショックにせよ個別、或いは、一過性の事象ではなく。
いろいろな要素が複雑に絡み合って発生しているのである。バブルやリーマンショックが発生した背景を浮き上がらせる事が真の実体を理解し、対策を立てる上で欠かせない事柄なのである。

明らかにしなければならないのは、何が直接的原因、引き金となって、経済変動を引き起こしたのか。そして、経済変動を引き起こした要因が、何に対して、どの様な影響を及ぼしたのか。次に、その時、どの様な施策、対策が実行されたか。その結果、どの様な状況の変化が生じたのか。変化が起こる以前と、変化の後でどの様な構造的な変化が起こったかである。
個別の対象や事象だけ見ていたら、全体が見えなくなる。また、経済の変化以上にその時とられた施策、対策の影響が及ぼす影響の方が重大である場合が多い。硬直的で教条的な考えに囚われて、変動の要因に対する客観的な判断を欠くと変化を引き起こした要因以上にその時施行した施策が重大な影響を及ぼす事が往々にしてある。病気が原因でなく、医師の誤診が原因で病状を悪化させ、死に至る事もあるのである。
赤字とか、産業の再編というのは、個別企業の問題以上にその企業が所属する産業全体の地殻変動、構造的変化に起因している場合が多い。そして、その多くは、個々の企業の独自の対応だけでは克服できない事柄なのである。
企業倒産でも、市場の状況、例えば成長拡大している市場と成熟期にある市場では、様相が百八十度違う。拡大成長段階にある市場での倒産は、拡大均衡下での倒産である。それに対して、成熟期の市場における倒産は、縮小均衡下での倒産である。前提が先ず違うのである。
一見、個々の企業の存亡、再編のように見えるが実際は、生活水準の変化や雇用、価値観、人口等の社会的変化が潜んでいる場合が多い。そして、それは人々の人生に深く関わっているのである。
歴史を見ないと経済の本質は理解できない。戦争の真の原因は経済的要因である。

石油価格の動向や為替の変動、金利の動向、その時々の金融政策などが、個々の産業や企業にどの様な影響を与えたのかを検証する必要がある。

特に、注目しなければならないのは、お金が流れる経路である。

個々の産業や個々の企業を分析した時に、多くの場合、指摘されるのが過当競争による収益の悪化である。
あらゆる産業で収益の悪化や利益率の低下が見られるというのに、個別の企業の経営責任にばかり帰した所で問題の解決にはならない。また、特定の企業の収益だけが上がったからと言って他の企業の経営努力不足を責めてばかりいてもはじまらない。問題は、国民が経済に何を期待しているかである。不当な行為によって利益を上げている企業を手本にしろというのは、不当な行為を正当化する事である。
過当競争による収益の悪化が、経済不振の原因だというのに、更に競争を促すために規制を緩和しろという論法を私は理解できない。過当競争が原因だというのならば、競争を抑制する施策をとるべきであり、その為の規制緩和なら意味がわかる。規制の中には、無意味な競争を促す規制もあるからである。

経済の目的は利益を上げる事にあるわけではなく。人を生かす事である。人を生かすために、利益を上げる必要があると言うだけである。
人はパンのために生きているのではない。生きる為にパンを必要としているのである。

プラザ合意がバブル経済の引き金原因だとしても数字だけ見ているとプラザ合意前後の傾向には大きな差があるわけではない。

売上高、売上原価を見ていると大きな変化は窺い知る事がなかなか出来ない。

注意しなければならないのは、利益率が低下しているという点と総資本利益率と売上高利益率が接近しているという事である。
これは、総資本と売上高が接近している事を意味する。

プラザ合意が原因でバブルが起こったように見えるが、むしろ、オイルショック、それよりもっと遡ってニクソンショックに端を発していると考えた方が良いのかもしれない。つまり、高度成長期が終焉し、ひたすらに前に向かって走って行けば儲かると言った時だが終わり。本業の収益が思うようにあげられなくなった時に、プラザ合意による円高不況が襲ったと考えるべきなのである。つまり、バブル発生の種は、ニクソンショックの時点で蒔かれていたのである。

高度成長期に10%以上あった成長率が70年代には、5%代に、80年代には、4%代に、90年代には、1%代、2000年以降は、1%も切って、更にマイナスへと落ち込んでしまった。本業では利益が上げられない。それが前提で本業以外、手っ取り早く言えば株や土地の投機で利益を上げようと財テクに走ったのである。本業ですら利益が上げられない中で財テクをした所で上手くいくはずがない。山一証券が破綻した後、開示された資料では、飛ばしのような違法行為が横行していたとある。兎に角、最大の問題は収益力の低下である。
高度成長期のようなやり方では、思ったような収益が上げられなくなってきたのである。だからといって馬鹿の一つ覚えに、規制緩和、競争、均整緩和、競争でもあるまい。
成長率の低下は、バブル期も衰えていない。一見好景気に見えるバブル期も実際には、本業では利益が上げられない状態だったのである。企業が間接金融から、直接金融に転換しはじめ、貸し先に金融機関は苦慮していた最中に全般的に収益が悪化した事で金融機関は、不動産業に目を付ける事となる。この様な悪条件が重なった事からバブルは発せいした。

華々しいバブルの陰で日本経済の本業の収益力の低下は、確実に進んでいたのである。今日の日本の状況は、バブルの後遺症はあるが、それ以上に日本経済の根本的な問題でもあるのである。
根本は、日本経済は本業で利益を上げられなくなったという点である。そして、多くの企業が財テクに走った。財テクが出来ない経営者は、無能のレッテルさえ貼られた。
それに追い打ちをかけ方のが相続税対策である。都心の一等地に家を構えている者は、高額の相続税がかかる。ある意味で貧乏人の資産家が沢山輩出したのである。その結果がバブルである。そして、バブル後に生じたのが空き地である。

ニクソンショック、オイルショック以後日本の企業は、本業では収益が上げられない状況にあるというのは、変わっていないのである。
この点にメスを入れないかぎり、日本経済は回復できない。

損益として表面に現れる数値は、全般的な傾向は現しても急激な変動を必ずしも捕捉しているとは限らない。
しかし、損益の背後に隠されている現金の動きは、市場の変動の影響を受けて反映して、各々の時代背景や性格をよく表している。

現金の動きで注意しなければならない点は、短期資金と長期資金が2004年に入れ替わっている事である。

営業キャッシュフロー、即ち、経常的なキャッシュフローは、10年周期で水準を上げながら一定の水準を保ってきたように見える。
それに対して、財務キャッシュフロー、投資キャッシュフローは激しい動きをしている。バブルが発生した80年代から90年代初頭に掛けて営業キャッシュフローを上回っていた財務キャッシュフローは、バブルがはじけると営業キャッシュフローを下回るようになり、2000年代は、営業キャシュフローの範囲内に収まる様に動いている。

経済の成長率は、ニクソンショック、第一次オイルショック、第二次オイルショック、円高不況、バブルの発生と、崩壊、リーマンショックと衝撃を受ける度に、低下し、それにつれて市場も産業も荒廃してきた。また、経済的な出来事は、その都度、政争の具に使われ、経済の衰退を加速してきたのである。

円安から円高、円高から円安、円安から円高に大きく振れる度に円安に弱い産業、円高に弱い産業がその時々の状況によって淘汰され、結局、円高に強い産業も円安に強い産業も共に衰退してしまった。

政治は、経済的な出来事によって起こる衝撃を弱め、産業をある程度保護する施策をとる必要がある。
産業構造は一律一様ではないのである。






    



1980年~1990年


1980年代は、1985年プラザ合意によってバブルの原因が形成された時代と言っていい。
プラザ合意が成立する直前の9月21日には、1ドル241円70銭だったドル円が1週間もたたないうちに210円台まで値を下げ、1986年1月には、200円の大台を割り込みその後、1988年に120円台で小康状態に至った。
プラザ合意に基づく急激な円高によって、日本は、円高デフレ、円高不況に陥った。
この円高が何をもたらしたのかを正しく検証する必要がある。

80年代の前提となるのは、70年代であり、70年代は、71年にニクソンショックに始まり、73年第一次オイルショックが起こり高度成長時代は止めを刺された。
戦後、大きく成長率を下げている事が3回ある。オイルショックとバブル崩壊とリーマンショックである。そのうちオイルショックとバブル崩壊は、経済水準の次元を下げている。
オイルショックというと石油高騰ばかりに眼を奪われるが、世界経済に与える影響は、石油価格の高騰だけでなく、オイルマネーの成立という側面を見落としてはならない。オイルマネーは、バブルの発生や新興国の発展、金融危機、イスラム勢力の台頭などの背景として働いているからである。

80年代は、国内総生産、売上、売上原価ともに右肩上がりである。

国内総生産は、基本的な傾向は変化がない。

ただ注目すべき事は、売上高が85年1059兆円、86年1057兆円、売上原価が85年867兆円、86年864兆円と横ばいというより売上で2兆円下げたという点である。ただ、それ以上に売上原価も下がっている。つまり、円高によって粗利益は向上したのである。

不況と言われるが欠損率は、80年代は、90年代、2000年代に比べ高くない。
83年、84年に55%あった欠損率が85年54%、86年52%、87年51%と下げているくらいである。
円高不況と言われても4%台の成長率は保っていたのである。

また、80年代は、またまだ特別損益は、さほど計上されていなかった。特別損益が目立って計上されるようになるのは、90年代後半ぐらいからである。
この点を考えると円高不況というのは実体があったのか疑問である。

表面的に見るととニクソンショックとか、オイルショック、又、円高不況と騒がれたが騒がれたほどの影響はなく。むしろ、その対策として立てられた「日本列島改造」とか円高対策の方が、後々の経済に重大な影響を及ぼしたように思える。特に、プラザ合意後にとられた円高対策が、後のバブルを引き起こす要因となったと考えられる。

キャッシュフローを見てみると60年代には、対称的な動きを見せていた投資キャッシュフローと財務キャシュフローが、70年代に入ると対称性に乱れが生じ、破綻している。特に、71年のニクソンショックでマイナスに転じ、73年に1兆円程度プラスになったが翌年には再びマイナスに転じ、以後、プラスになる事はない。73年は、第一次オイルショックがあった年である。オイルショックの際は、営業キャッシュフローは、大幅に減少している。営業キャッシュフローは、オイルショック以後、ずっとマイナスだと言える。つまり、ニクソンショック以降日本は、儲かっていないのである。

80年代50%を前後していた欠損法人が90年代には、70%まで上昇し、2000年以降は、70%近くを横ばいしていた。それがリーマンショックを切っ掛けにして70%を超えてしまった。

企業が欠損率や特別損失が急上昇し始めるのは、バブル崩壊後である。



    
国税庁

    

1990年~2000年


1990年代は、バブル崩壊の時代によって作られた時代であり、失われた10年と言われている。
90年代は、長期停滞の時代だと言ってもいい。

総所得が20年以上も横ばい状態なのである。2000年代に入ると横ばいどころか下降しているようにも見える。

又、回転率も徐々に低下しはじめ限りなく1回転に近づいている。
問題は、それが何を意味するかである。
90年には、営業キャッシュフローを上回っていた財務キャッシュフローが急速に減少して92年には、営業キャッシュフローを下回るようになる。

80年代は、地価の上昇に併せるように有利子負債の残高も上昇してきたのに90年にバブルが崩壊すると地価の下落に反比例するように有利子負債が上昇する。そして、2000年代に入り地価の上昇落ち着き横ばいをはじめると有利子負債も落ち着きを取り戻す。
重要なのは、名目的価値と実質的価値の乖離の幅拡大している点である。

実体的裏付けのあった負債が金融資産という名目的資産に置き換わり、その結果、通貨が実物市場に出回らなくなったのである。
その結果、貨幣経済が拡大する中で、実物市場が圧縮される原因になっているのである。
お金は余っているのに、実物投資に回らず、景気が上向きにならない。
見かけ上の所得は変わらないのに、実質的な所得が目減りする.デフレ下の不況という現象を引き起こしているのである。

名目的資金が拡大した後、資金の回転が急速に悪くなったことが見て取れる。資金が回収の側に吸収されて、市場の側に流れず。それが金余り減少となって現れているのである。その結果、金融資産、有利子負債が企業や金融機関に積み上がっていると考えられる。
それが地価という実体価値と有利子負債という名目的価値の乖離として現れているのである。
お金があると言うだけでは豊かになったとは言い切れない。実体が伴ってこそ豊かさは実感できるのである。




   
国民経済計算書   内閣府

2000年~2013年


2000年代は、同時多発テロ、リーマンショックと世界が翻弄された時代である。
リーマンショックの影響は、売上高、利益率、営業キャッシュフロー、投資キャッシュフロー、財務キャッシュフローあらゆる指標から読み取れる。

80年代、90年代、そして、2000年以降のキャッシュフローの変化を見ると顕著に表れているのは、80年代に拡大したキャシュフローが、90年代に収縮し、2000年代は、リーマンショック以前は、若干の改善が見られたが、リーマンショックに一時的に、締まってりその後徐々に持ち直しているという点である。特に、投資キャッシュフロー、財務キャッシュフローで顕著に見られる。

バブル崩壊後は、営業キャッシュフローの範囲内で投資をするようになった事が見てとれる。

キャッシュフローを見ていると60年代、高度成長時代は、営業キャッシュフローに関係なく、投資キャッシュフローが伸びており、それに伴って財務キャッシュフローが上昇してきた。その勢いを80年代は、引き継いできたが、それがバブル崩壊後転落に転じ低迷から抜けきれないでいる。

長期借入金は、バブル期に増加していたのが、バブル崩壊後急速に減退し、90年代中頃から2000年代に掛けてまったく増加せず、かえって減少している上、その間、稼いだ収入を長期借入金の返済に向けてきたという事である。
80年代に順調に上昇してきた売上高も90年代は、横ばいとなり、2000年代上昇しかけた売上もリーマンショックによって冷水を掛けられてしまった。

売上が上昇している80年代に総資本回転率が低下しているのは、売上の伸び以上に総資産が拡大していることを意味する。その総資本回転率が、売上が伸び悩んでいる90年代からリーマンショック直前まで落ち着いた動きをしていたのが、リーマンショック時に一回転を割り込んでしまった。
この点は、総資本利益率と売上高利益率にも見て取れ、全般的に総資本と収益が一体となる傾向が見て取れる。



    

   

    

    

  

    

運転資本の増減と短期借入金の増減
    
法人企業統計      財務省

    

    
国民経済計算書  内閣府


  


       

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