市場の失敗ですって。市場は、失敗なんてしませんよ。市場が失敗しているように見えるとしたら、それは、市場の責任ではなく。構造的欠陥によるものです。市場に責任をなすりつけるのではなく、構造的な改革をすべきなのです。
一方において市場の失敗だなんて責任をなすりつけて、他方、市場を万能のように言って何でも、規制をなくして、民営化してしまえば解決するというような、乱暴な意見もある。市場原理主義のように市場を神のごとくあがめるのも危険思想の一つだ。市場は万能ではない。市場は、経済構造の全てではない。一部なのである。適正な評価と位置づけをすることによって市場の機能を正常にする事が肝要なのである。
財政の働きとしては、雇用の創出、災害や非常時に対する備え、経済上の損失や危機に対する備えなどがある。これらは、市場経済に適合しない部分をもっている。
治安、国防などは、国家権力に直結している、治安、国防の主権を手渡す事は、国家、国民の生命や財産の安全の保障を自律的にできなくする事を意味する。国防は、観念ではなく、現実である。犯罪や災害は、警察や消防があるから起きるわけではない。無防備になれば外敵から守れるという保障はない。平和を破るのが軍隊なら、平和を守るのも軍隊である。それを決定付けるのは、国家理念である。
この様な分野は、市場経済には向かない。だからといって、経済原則を無視して良いというわけではない。経済的に何らかの抑止力が働かないと、国家を内側から経済的に破綻させてしまう。国家目標を明らかにすると、同時に、構造的に適合的、抑止的な仕組みを組み込んでおく必要がある。
そのためには、民主主義体制が正常に機能する事が、不可欠であり。また、非市場型経済と市場経済との接点である財政が、重要な役割を果たすのである。いずれにせよ、何でもかんでも民営化してしまえと言うのは、暴論である。
市場は、三つの場からなる。第一は、人的場である労働市場で、主に、分配の働きをする。第二は、貨幣的場である金融市場であり、貨幣価値の調整、貨幣の流通と管理、決済、信用システムの働きがある。第三に物的場である商品・対物市場であり、物流や交易・交換の働きがある。また、金融市場は、財政と市場との交流の場でもある。労働市場は、非市場経済と市場経済、双方にまたがって共通の地盤を与えている。
元々、財政と市場経済は、その成立基盤が違っていた。租税の物納を基盤にし、自給自足体制に基づいた財政と市場とは、財政が機能しているかぎり、接点はない。しかし、完全な自給自足体制をとれないが故に、財政は、補完的な形で市場経済に依存してきた。しかし、税が貨幣によって納められ、市場が貨幣制度によって支配されることによって一体にならざるをえなかったのである。それが近代財政の始まりである。
しかし、財政と市場経済は、一体になる以前の、思想を引きずっている。なにも市場経済を否定しているのは、共産主義だけではない。王政や封建体制、全体主義的な体制の中にも市場経済を否定、もしくは、軽視してきた者は、沢山いるのである。
非市場的産業も市場的産業も基本的には、同じ原理で動いている。市場が介在しているかいないかの問題である。派生するのは、機能的問題であり、基本的には、構造に反映されるべき問題である。市場が全てだと思うとこの問題は解決できない。市場経済か、否かの問題ではなく、市場を介在させた方が効率的か、否かの問題である。
財政も産業の一形態にすぎない。逆、一企業でも、規模が大きくなると、一種の行政機構の様な部分、たとえば、学校とか、病院と言った機関を持つ場合もある。
非市場型産業は、何か、特別な産業だと思いこんでいる節があります。しかし、非市場型産業も基本的には、市場型産業とやっている事、働きは、同じです。現に、非市場型産業と類似した産業は、市場型産業にも多くあります。また、学校や病院、放送局のように私立と公立が混在している産業もあります。また、国営企業の中には、民営化したら立派に立ち直った産業もあります。財政だけを特別視するのは、権力者側の特権意識の現れです。だいたい、俗に先生商売というのは、医療、教育、政治、法曹と官営産業が多い。これは、ある種の差別の現れです。
第一実際に、公共事業を行うのは、民間企業である。そこには、当然に市場原理が働いている。財政を特別視するから利権が生じ、不正が起こるのである。
市場を介さないだけなら、産業として組織の自律的働きに委ねればいい。しかし、市場や組織の相互牽制に委ねずに、中央集権的な体制や計画に委ねてしまうと経済の原理が働くなる。それは、独裁主義や全体主義の現れである。それが問題なのである。
だからといって、全てを民営化し、市場経済に委ねよと言う乱暴な議論ではなく。重要なのは、原理的統一なのである。近代スポーツは、世界的にルールを統一することができた。だから、オリンピックが開けるのである。では、経済はどうであろうか。
税とは何か。税に頼らずに中央銀行からの借金によって財政を運用する事もできるはずである。
財政の均衡とは、経済構造全体の中での均衡であり、財政単独の均衡ではない。
財政の働きの一つは、通貨の環流である。財政の環流という観点から税制度は、不可欠である。
また、所得の再分配と言う働きから見ても税制度は、不可欠である。
また、財政規模の確定と抑制の為にも財源を税に求めるのは、必然的な帰結である。
しかし、この様な観点から見て、税制度が、その目的と合致しているか、それが問題なのである。
また、税制度は、景気を構造的に安定させる必要がある。そのためには、税制度は、景気を反映したものでなければならない。
なぜ、財政は、税収に基づかなければならないのかという疑問は、民間企業は、収入に基づき、収益を、あげなければならないと言う論理と同じである。そして、社員の報酬は、収入の中からまかなわれなければならない。この民間では当然の原理が、財政には、働かない。民間企業では、その時の経済情勢や収益は、当然、社員に反映する。しかし、特殊法人や公営企業、行政機関では、世論や政治情勢の方が影響が大きい。つまり、外部環境が直接内部に反映されることもなければ、担当者の働きの結果が、その担当者に直接的な形でフィードバックされることもない。なぜ、民間企業の経営は、収入に基づかなければならないのか、それは、収入が、当該企業が生産した生産財の価値の総量だからである。それ以上の支出を許せば、消費量が生産量を上まわってしまうからである。税収によって、行政サービスのコストをまかなう。これは、民間企業が収入に基づいて経営をしている道理と同じである。
また、税制度に依らず、勝手に中央政府が、通貨を発行することは、実体のない余剰価値が発生させることになる。このことは、経済的価値の基盤をより不安定なものにし、経済的価値を不確実なものにしてしまう。このことは、経済全体の信任を失わせる原因となる。故に、通貨の流量は、実物経済上に立脚していることが不可欠な条件であり、その為には、実物経済にリンクしている必要がある。そこに、税制度の必要性がある。
市場型産業は、商品という実体を持ち、市場によってその価値を絶えずフィードバック、還元し続けている。それに対し、非市場型産業は、商品という実体をもたず、その経済的価値を測定、還元する仕組みを持たない。そのために、非市場型産業は、労働の成果に対する正当な評価が、即時的にできない。そのまま、放置すると、非市場型産業は、実物経済から乖離してしまう。故に、税制度が必要なのである。
税収は、財政の根本を左右する。税のフィードバック機能が働くためには、税収が直接的、即時的に財政、経済政策に反映される必要がある。例えば、公務員への報酬に税収を直接的に反映できるかという問題がある。
税収は、国家の経済情勢の反映でもある。
税制度には、市場経済、実体経済のモニタリング機能もある。
通貨として市場に供給された、生産された社会的価値の一定割合を中央政府に貯めて、さらに、それを再分配する。それによって、資金の環流を促す。それが財政の役割である。その過程で、経済の実態を明らかにする。その機能が税制度にはある。そして、この働きは、経済の実態を明らかにする極め有効な手段である。故に、税制度と税収の相関関係を明らかにしつつ、税収を政策に反映するための機構が重要になるのである。
経済的価値は、通貨の流量に比例する。経済的価値の総量を規制することによって経済を制御する。そのために、税制度によって経済全体に網をかけておく必要があるのである。
持続的な経済成長を促す為には、拡大再生産をもたらすような社会資本に集中的に投資する必要がある。市場経済に対する働きの中で財政の構造的運用は、きわめて有効である。しかし、そのためには、経済構造に対する長期的な展望と構想を元に、計画的な運用が求められる。
制度は、はたらきと目的に基づいて設計されるべきである。はたらきや目的は、経済構造、社会構造から割り出されなければならない。根本は、国民の幸せ、国民が何を望んでいるのか、国家理念に基づかなければならない。財政赤字の解消という対症療法的対応では、抜本的な解決は図れない。はたらきや目的は、国家理念から導かれる物である。税制にしても、国家理念、即ち、国民が何を期待してるのかによって設計されるべき制度であり、徴税システムのための制度であってはならない。
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K 市場経済と財政