個人主義・自由主義・民主主義
 個人主義者というのは、何か、自分一人で生きていると、思いこんでいる連中なのだという誤解があるみたいだ。個人主義者と世捨て人とは違う。個人主義者は、積極的に社会に関わっていこうとする。なぜなら、自己主張、自己実現を前提としている。自己主張も自己実現も社会がなければ、実現できないからだ。

 人間関係を無視しては、個人は成り立たない。本当に、自分が傷つきたくないなら、自分の殻に閉じこもればいい。しかし、自分の殻に閉じこもってしまえば、自己を発揮することは出来ない。自己を発揮することが出来なければ、個人は、成り立たない。故に、この様なあり方は、個人主義ではない。他者との関わりによって自己は確立する。個人主義とは、積極的に他者と関わっていく事によって形成される思想である。

 個性や独創性は、人と違う事とか変わっている事を言うのではない。他人と同じ事をやっても個性や独創性は出る。否、他人と同じ事をやればやるほど個性が際だつのである。元来、個性とは、そのようなものである。

 自主性や主体性は、人から、強制されるものではない。また、強制できるものでもない。
責任ある立場の人間が、仲間の自主性を重んじて、主体性を尊重してといいながら、責任を持って物事を決められないのは、ただ単なる責任逃れにすぎない。自主性や主体性は、自己が確立されれば、強要されなくとも発揮するものなのである。

 個人主義を考える上で、ごく普通の、当たり前の人間をベースに考えなければならない。個人主義者は、奇矯な行動や特異な姿をして、人を驚かせるような者をさして言うわけではない。むしろ、強い自制とモラルを持った者を指す。

 個人主義社会は、契約社会である。主体的な個人に立脚し、個人の意志を尊重する以上基本的には、相互の合意に基づく契約によってしか、社会を形成することができない。故に、個人主義社会は、契約を基礎とした社会になる。
 この様な個人の主体的な意志に立脚している以上、自分の行動には、責任を持たなければならない。それが、自己責任の原則である。つまり、自己の行動によって引き起こされた結果に対する責任は、その原因となる個人に帰属する。

 個人主義は、社会の中にあってはじめて発揮される。個人主義者は、反体制的でなければならないとする者が居る。反体制であるか、否かは、結果にすぎない。個人主義者は、社会の中にあって自分の意志に忠実なだけだ。


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