産業は、経済を構成する三つの要素の内の一つである。後の二つは、財政と家計である。産業は、市場と企業の二つの要素によって構成されている。また、産業の特質は、過程にある。経済の機能は、労働と分配、生産と消費、需要と供給である。経済の機能の中で、産業は、労働、生産、供給が主とした機能である。ただ、一概に労働、生産、供給だけの働きと決め付けられるのではなく。財を生産する過程で、これらの機能を産業は、随時、発揮していくのである。
さらに、産業を成り立たせている四つの要素は、人、物、金、情報である。これらの四つの要素を組み合わせながら、財を製造する過程で、労働と分配、生産と消費、需要と供給と言った機能を発揮するのが、産業の働きである。
産業の機能は過程で発揮される。財を生産し、供給する過程でいろいろな機能、働きをするのである。
産業の働きは、第一に、有形、無形の価値の創造。第二に、生産財の製造。第三に、生産財の貯蔵である。第四に、生産財の流通である。第五に、労働に応じた所得の分配である。
何か経済活動を行えばいくばくかの費用が派生する。その費用の存在を計算できなければ経済とは言えない。
産業の働きは、基本的には、労働と生産、供給である。つまり、労働によって財を生産し、それを市場に供給するのが産業の働きの根幹をなす。そして、これらの活動を通じて幾ばく化の収入を得るのである。また、この様な活動には、何かしらの出費、費用がかかるのである。この収益と費用の関係が経済活動の基礎となる。
収益は、貨幣的交換価値の中にある時間的価値を最もあらわした概念である。つまり、収益を基礎とした産業は、時間的変化を計算しなければならないのである。
企業の収益、収支は一定ではない。それぞれの企業や産業の成長段階や置かれている環境に応じて波がある。また、収益と収支も一致したものではない。
産業の働きも個々の産業や主要企業の置かれた環境や段階によって変わってくる。成長段階にある産業は、市場や雇用を拡大しつつ、また、多くの資金を吸収していく。成熟期にある産業は、急激な成長や雇用の拡大には貢献しないが、雇用や景気の下支えをする。この様に、産業の働きは一律ではなく。ここの産業がおかれている状況を見極めて各々に対し適切な政策をとる必要がある。一律に規制を間をせよというのは、現実を知らない暴論である。
また、情報系産業、物質的産業、人的産業かによって市場に与える影響も変わってくるのである。情報系産業というのは、金融のように、貨幣価値のような情報を生産財とした産業であり、物質的産業とは、物質的生産財に携わる産業を指す、人的産業というのは、用役や用務と言った人的労力を生産財とした産業である。
情報系の産業と物質的産業とでは投資活動も違う。また、仕事の流れも違うし、発展段階、形態も違う。情報系の産業が人材育成を先行させれば、物質的産業が設備投資を先行させるという具合にである。
労働集約型か、資本集約型かによって産業の在り方も変わる。それは、産業は、産業が生み出す財にのみ働きがあるわけではないからである。労働市場や資本市場への働きによって経済に影響を与える。このように産業の働きは多面的なはたらきである。
金融市場と労働市場は家計からの調達となる。金融業界の貸借対照表は、独特の形態を持っている。その為に、他の産業では、貸方に位置する預金が、銀行では、借方に位置する。つまり、銀行は、預金という形で、家計から資金を調達するのである。この事は、金融機関が家計と産業との媒体となっていることを意味する。
支出の基盤は、家計にある。支出が、需要を形成する以上、支出の在り方は、供給の在り方、更に言えば生産の在り方を規制する。ある意味で消費は生産に直結しているのである。
家計は、最低限生活するのに困らない生活費まで切りつめることができる。先行きに不安が生じると消費者は、ギリギリまで出費を切りつめようとする。それによって家計支出は、最低限までに低下する。同時に、最低限の生活に必要とされる必需品、消耗品の市場は、温存されるが、それ以外の市場は、需要が低迷し、規模が縮小される。つまり、支出の固定的部分はまで支出が抑制され、変動的な部分が圧縮される。そして、支出が硬直化する。この様な時に景気は悪化し、景気が悪化することで、ますます、財布の紐がきつくなると言う悪循環を引き起こす。
消費は所得の範囲内でされる。消費構造は、支出構造に影響を与える。所得構造、支出構造の変化が、可処分所得の変化をもたらす。つまり、支出の中で固定的な部分と変動的な部分を画定するのである。
この支出の構造は、産業の基礎構造に反映する。コモディティと言われる日用品を扱う産業、つまり、成熟した産業は、景気に左右されない反面、収益が抑えられる。急激な拡大や成長はあまり期待できない。それに対し、新規事業や贅沢品は、景気に左右されやすく、経営に安定性を拡販面、急激な拡大や成長を期待できる。これらの特性は、資金需要にも影響を及ぼす。
過剰流動性が高まった時、つまり、金余り現象が高じた上、資金の行き場所がなくなるとバブルが引き起こされる確率が高くなる。むろん、金余り現象だけでバブルが引き起こされるわけではない。バブルは、他の要因が複雑に絡み合って引き起こされる現象である。ただ、余剰資金が市場に出回らないかぎり、バブルは起こりようがないのだから、過剰流動性は、一つの要因であることは確かである。
また、景気が悪化し、失業者が増えると所得が減少するために、市場は縮小する。一旦市場が収縮を始めると市場は、構造的に圧縮される。これを抑止するためには、市場の動きを制御するための仕組みが組み込まれている必要がある。
この様な市場の収縮や拡大に伴う運動は、貨幣の働きに起因する要素が多い。なぜならば、資本主義経済は、主として貨幣経済に依拠しており、所得と支出は、貨幣、及び、貨幣に準じる物で決済される取引が大多数であるからである。
財政赤字もインフレもデフレも貨幣的問題であり、実物的問題ではない。貨幣的な運動だと言っても企業が資金、貨幣を必要としている以上、資金調達に問題が発生すれば、企業活動に支障がでる。金融活動によって実態経済が影響を受けることになるのである。
本来は、会計学的収益構造の中に、企業活動の行動を抑止する仕組みが組み込まれている。
企業を例にとると企業の行動規範に収益構造が組み込まれていることによって企業の活動を抑止している。収益構造、会計制度がなければ企業業績も赤字体質になるであろう。それが公営企業である。
財政は、絶対的な価値基準に基づいていて、市場は相対的な価値基準に基づいている。その為に、財政は硬直するのである。硬直化した財政は、財政支出を増大させ金融市場を攪乱し、民間投資を圧迫する危険性がある。俗に言うクラウディングアウトである。財政が相対的な基準を持たず、絶対的な基準でいるかぎり、財政は、市場原理から乖離し、硬直的なものにならざるを得ないのである。
しかし、会計の仕組みも絶対ではない。個々の企業が正しい選択をしても全体として間違った方向に進むことがあるからである。それが合成の誤謬である。
本来は、企業活動を規制し、抑止するように働くはずの会計制度が、景気を悪化させるように作用したり、景気を暴走させるように働く事があるのである。
産業の働きは、会計によって貨幣的に表される。そして、会計的に現れた結果が実績となり、現実の経済を決める。この事自体に問題はないが、貨幣的表現が、経済的実態として認識されてしまうと言う欠点がある。
会計上に現れる実体は、必ずしも実物経済の実体を反映したものとは限らない。産業や企業の必要性を会計上だけで判断するのは危険な行為である。エンロンやライブドアの例を出すまでもなく。会計数値は操作することが可能なのである。利益は、一つの見解なのである。
しかし、会計的に処理され貨幣的に表現されると、表現された記録自体が実体を持つことがある。常に、現実を直視しながら、貨幣的に表現されたものの裏にある真実を見極めなければならない。
組織が自律的に活動するためには、全体の状況が部分に還元される必要がある。その為には、相対的な基準によらなければならない。なぜならば、産業や企業の業績は、市場の動きに影響される。産業は、市場に影響を及ぼすことで経済に影響を及ぼす。こういう状勢下で、絶対的な現象というのはあり得ないからである。
個々の企業の働きが産業全体に、経済全体に作用する。そして、個々の企業の働きが産業全体の働きに集約されていくのである。
不要な産業や企業は、市場で淘汰されると言い切れるであろうか。問題は、不要な産業や企業であるか、否かを、どこで判定するかである。市場原理主義者は、市場の原理に委ねればいいと主張する。しかし、市場の原理は、生産性や能率を判定することはできても必要性は市場の原理からだけでは判断できない。世の中に必要な財でも収益率の悪い財はいくらでもあるのである。
産業や企業の必要性は、家計や財政と言った経済全体の中に位置付け、会計や財政や他の産業、企業との関係上における該当の産業や企業の働きによって判断すべき事なのである。産業や企業を淘汰すべきかは、個々の企業の生産性や収益性だけで判断すべき事ではない。産業や企業の必要性に基づいて、その上で、生産性や収益性を追求すべきなのである。
そして、産業や企業の評価は、状況や環境、そして、前提条件、必要性に応じて市場原理に委ねたり、また、規制や、提携によったり、また、何らかの裁定によると言った具合に、幾つかの選択肢の中から選択すべき事柄なのである。市場原理を唯一無二の手段として信奉するのは、それは一種の信仰に過ぎない。場合によっては、規制を敷いて産業の保護をすることも必要なのである。
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産業の働き