産業は、構造体であり、全体と部分から成り、全体と部分の関係は双方向な働きでなければならない。

 産業は、個々の経営主体、企業の集合によって成り立っている。企業は、貨幣的存在である。つまり、貨幣価値を基盤として成り立っている。今日の貨幣経済のリテラシーは、会計制度である。産業を構成する経営主体、企業は、会計上の利潤を追求する事によって成立している。会計上の利潤は、収益によって成り立っている。収益は、利益と費用の階層構造を成している。この階層構造が、基本的に産業構造を表している。
 費用構造は、産業構造の断層を表している。さらに、費用構造は、分配構造でもある。分配には、内的分配と外的分配があり、それぞれ、範囲と構造が重要になる。

 費用は、第一に、固定費と変動費。第二に、直接費と間接費。第三に、材料費(仕入れ)、労務費、一般管理費。第四に、売上原価、販売費・一般管理費、支払利息、税金、資本に分類される。
 第一の固定費と変動費は、経営活動の関連した構造を表し。損益分岐点構造を明らかにする。損益分岐は、企業だけではなく、産業にも当て嵌まる。
 第二の、直接費と間接費は、製品の製造や販売との関係の構造を表す。
 第三の、材料費と労務費と経費は、費用の形態、性格からの分類である。
 第四の、売上原価、販売費・一般管理費、支払利息、税金、資本コストは、分配構造を表している。即ち、売上原価は、仕入先への分配であり、販売費・一般管理費は、取引業者、従業員への分配、支払利息は、債務者への分配、税金は、国家や公的機関への分配、配当等、資本コストは、株主、投資家への分配を意味する。

 産業は、市場経済の核である。つまり、産業は、市場経済の根幹的機能を持たなければならない。その機能とは、労働と分配、生産と消費、需要と供給である。
 現代の産業の欠陥は、産業を需要と供給に特化し、生産の効率だけを問題にしていることである。
 産業が、本来、果たさなければならない機能で一番重要なのは、労働と分配である。つまり、労働者は、従業員であると同時に、客でもあるのである。

 市場原理主義者には、進化論的幻想がある。つまり、劣等な企業が市場で淘汰され、優良な企業が生き残るという錯覚である。しかし、市場は、劣悪な企業家、優秀な企業家を見極める機能はない。悪化は、良貨を駆逐するという格言のように、市場を野放しにすると優良な企業が淘汰され、劣悪な企業が生き延びるようなことが起こる。それは、産業間にも起こる。成熟した必需品の産業が衰退し、享楽的な産業が、繁栄するようなことは、往々にして起こることは歴史を見れば明らかである。

 市場原理主義者は、競争の原理を絶対視する傾向がある。経済的原則は、相対的な基準であり、絶対的な真理とは性格を異にする。競争の原理を絶対視するのは、危険なことである。需要なのは、前提とする条件である。

 産業の基準は、倫理観ではない。その産業が成立するから、それが正しいという判断はできない。麻薬が生産でき、売れるという事と麻薬が倫理的に正しいという事とは別の問題である。かつて、倫理的に問題があるという映画をマスコミは、ヒットしたという理由で社会が受け容れた、倫理的に正しいとすり替えたことがある。しかし、倫理的に正しいという事と、作品がヒットするという事とは意味が違う。商業的に成り立ったから正しいというのは、本末の転倒である。経済には、この様な問題が多くある。
 麻薬や売春は、古典的な産業なのである。ただ、それを公に認めるか、否かは、別の問題である。売れるから正しい。商売として成り立つから正しいというのは、こじつけに過ぎない。それが、倫理的に許されるか否かは、別の次元の問題である。経済の問題と倫理的問題をすり替えるのは、危険なことである。

 競争力、競争力と競争力だけを問題にしたら、企業は、社会から浮き上がってしまう。働きが悪い、生産性が低いと言ってめったやたらに解雇するわけにはいかないのである。生産性や効率性ばかりを追求するだけでは、企業は、社会的責任を果たせないのである。第一、社会が企業に要求しているのは、雇用の創出である。それは、企業の社会的な貢献、責任が財の生産と分配にあるからである。

 産業は、必要性において設計されるべきであり、今日のように短期的収益性ばかりを問題とすべきではない。必要とあれば、長期的に収益が均衡するようにすべきなのである。儲かるかどうかが問題ではなく。その産業が人々の暮らしに、必要かどうかが問題なのである。
 現代の経済現象を見ていると、原因と結果が転倒しているのではないのかという現象によく遭遇する。例えば、需要は、設備投資の結果なのか、設備投資の原因なのかといった問題である。つまり、設備投資の結果、需要が起こっているのか。設備投資が原因で常用が喚起されたのかといったことである。資本主義体制では、往々にして供給力に併せて需要が作られる。

 損益分岐点を考える上で問題なのは、原因なのか、結果なのかである。例えば、自動車の販売台数というのは、設備投資が原因なのか、それとも、設備投資の結果なのかである。結果よりも生産者側の意図や都合が優先されて、消費者の必要性が無視され。それが浪費を生み出すという構図である。生産力が向上なので、需要が作られるのか。需要があったから生産力を向上させたのかである。
 生産者の都合によって無理に需要を作り出している。料理を作りすぎたので満腹だというのに、無理矢理、食欲を起こさせるようなことである。生産が過剰なのか。それとも、欲求を満たすことができなくなっているのか。今、大食らいというか、食べても食べても、満腹できない人がタレントとして成り立っている。それは危険なことである。必要以上に生産力を強化することは、資源の浪費や環境破壊をもたらす。しかし、新規の需要が期待できなければ経済が正常に機能しない仕組みならば、絶え間なく、新たな需要を創造し続けなければならなくなる。それは、消費者の必要性ではなく。生産者側の都合、必要性なのである。

 設備に依存した産業は、損益分岐点を超えるような政策をとろうとする。それが薄利多売政策の元凶となる。操業率を高める事が目的化する危険性を常に孕んでいる。生産者側の都合が優先されて、消費者側の必要性が度外視されるのである。客は、満腹だというのに更に食べさせようとするような行為である。

 その産業が必要であるか否かが度外視され。ただ、生産性や効率ばかりを追求する。そして、生産性ばかりを重視して、その産業の必要性が問題とされなくなる。気がつくと、本当に社会に必要な産業が廃れて、ただ金儲けに適した産業だけが生存しているといった事態を招きかねない。市場の評価だけでは、社会的な価値観の是非を判断することはできないのである。特に、倫理的な問題を経済的評価に委ねるのは危険なことである。
 たとえば、構造不況業種の問題が好例である。構造不況業種にとって構造不況業種である事が問題なのである。つまり、構造不況業種というのは、構造的に儲からない仕組みが出来上がっている業種なのである。しかし、その業種が、その国の経済に必要とされない業界かというと必ずしもそうではない。それはまた別の政治的判断の範疇に属する。儲からないから不必要な産業だと断定するのは早計である。逆に言えば、儲かるから、必要だというのもおかしい。儲かっても、不必要な産業もある。それを判断するのは政治の問題である。

 その典型が日本の農業である。

 自分達の力では改善できない状況に置かれている業種なのである。それを時代の変化に適応できないから淘汰してしまえと言うのは、乱暴な話である。

 産業は、灌漑みたいなもの。広い範囲に万遍なく水を行き渡らせる。偏りや不測が生じると水争いが生じる。水利を独占することは許されない。ダムを築くか流れを管理するか。それが市場経済の本質なのである。

 基本的には、資産、負債、資本、収益、費用と分類されたが、これはおかしいのである。つまり、先ず、損益と貸借があり、損益が収益と費用に分類され、その差額が利益とされる。また、貸借は、総資産と負債に分類され、その差が資本、又は、純資産となる。そして、費用は、固定費と変動費に分類される。あるいは、人件費、経費、原材料費(仕入れ)や貨幣性費用と非貨幣性費用に分類される。また、資産や負債は、流動性を基準にして流動資産、固定資産、又は、流動負債、固定負債に分類される。
 資本と利益の違いは、何か、それは、資本は、単なる差額ではなく。それ自体が資金調達の結果だと言う事である。そして、そこから、権利と義務が発生している。それが資本主義の核心なのである。

 市場経済、貨幣経済体制では、産業構造を形作るのは、会計制度である。つまり、第一に、産業を構成する経済主体の貸借構造によって産業の基礎構造が決まる。第二に、同様に経済主体の損益構造によって、産業の動的構造が構成される。第三に、それが収支、キャッシュフローに結び付けられることによって産業の維持、制御構造が形成される。

 貨幣経済下では、産業の構造を決定付けるのは、資金の流れである。その突端にあるのが資金調達である。資金調達は、資本によるか、負債によるかによって仕組みが変わってくる。そして、それは、損益構造や貸借構造にも影響する。
 その意味で、貨幣性、非貨幣生が重要な要素となる。

 貸借構造は、流動性の度合いによって構造が決まる。流動性とは、資金化のしやすさの度合いによって決まる尺度である。通常、一年を一つの目安としている。ただ、物によっては、一サイクル、一回転を基準とする。
 貸借構造を性格付けるのは、流動比率と組み合わせである。その信頼性は、資金的裏付けである。

 損益構造には、利益構造と費用構造の二つがある。

 利益構造は、最終的には分配構造に収斂する。分配構造で重要なのは、その比率と分配基準、分配手段である。分配手段は、支払手段であり、信用取引の根幹をなしている。

 費用構造は、一つは、内容、性格による区分である。つまり、人的な費用、経常的費用、物的な費用による区分である。
 人的費用というのは、人件費であり、それは、裏返して見ると所得である。また、経常的費用とは、管理運営にかかる費用である。物的費用というのは、生産や販売にかかる費用であり、主として原材料、原価、仕入れを意味する。
 費用は、資源でもある。つまり、費用は、見方を変えると資源、人的資源、経常的資源、物的資源でもある。

 そして、費用は、更に固定費と変動費に区分される。特に、固定費部分の構成が重要で、分析する時の重要な要素が非貨幣性費用であるか否かである。

 M&Aや産業再編成のうまみは、本来は、固定費部分に、共用、共有部分が、どれくらいあるかである。

 産業構造は、資産構造と費用構造を組み合わせて、それを、収支・キャッシュフローに結び付けてみるとその産業の特徴や性格が明らかになる。

 例えば、インフラストラクチャー産業である電力や鉄鋼、石油と言った投資型産業は、固定資産が大きく、その為に、固定費を形成する非貨幣性費用である減価償却費が大きい。この様な産業は、価格弾力性が低く。原材料の価格の変動が直接的に売上や収益に影響する。また、商品の差が少ないために、乱売合戦に陥りやすく。寡占・独占体制になりやすい。

 純資産とは、非貨幣性資産の集計である。純資産や利益は、資金調達の履歴、累積である。純資産と利益は、本来一体なものである。厳密に言うと利益は純資産の一部である。利益や純資産というのは、根本的には、差を指しているのであり、それ自体が貨幣的実体を持つ物ではない。つまり、企業が生みだした価値の累積された終極的形体が純資産なのである。

 産業構造は、消費構造の鏡である。産業構造を考える上で、この鏡像関係は重要である。つまり、経済には、必ず表裏をなす関係が存在するのである。

 生産と消費、需要と供給、労働と分配というように経済構造は、単次元的な構造でなく、多次元的な構造を有する。良く知られているのが、三面等価、即ち、国内総生産、国内総支出、国民総所得の関係である。

 産業構造を考える時、その対極にある消費構造を考える必要がある。産業は、社会の鏡でもあるのである。産業の在り方は、社会の在り方を決める。その好例は、教育産業である。教育産業で、予備校や塾と言った実権産業が隆盛を極めるのは、社会がそれを欲しているからである。我々は、産業の在り方を決める前に、先ず、社会の在り方を決めるべきなのである。

 大量生産による経済成長、市場拡大を画すれば、大量消費地を前提としなければならない。それが市場経済の鉄則なのである。現在の世界経済、特に、新興国の経済成長を牽引しているのは、アメリカの消費なのである。その代償が、アメリカの経常赤字である。

 産業の活力は、成長力と生産力の積によって決まる。産業の根幹は、生産である。生産力の伴わない消費は、やがて限界に達する。その意味でアメリカの経常赤字の拡大は、何を意味するのか、注視する必要がある。均衡を失った市場経済は、やがては破綻する運命にあるのである。

 特定の経済主体の規模の急激な拡大は、市場を狭くする。グローバリズムのかけ声、市場原理のかけ声によって、世界的規模で、市場の寡占独占が進んでいる。しかし、寡占や独占は、自分達の市場を狭くする行為であることを忘れてはならない。結局、自分で自分の首を絞める、自殺行為なのである。

 消費地として成立する重要な要素は、人口である。市場の規模を決めるのは、市場の量的、質的、密度的規模である。世界経済をリードするのは、人口が多い地域である。そのことを忘れてはならない。つまり、市場なのである。

 経済は、鏡像関係にある。つまり、生産主体である産業の対極にあるのは、消費主体である。家計と財政である。

 家計の構成と産業の構成や費用の構造がどう連動するか。例えば、家計に占める教育費の変化が意味するのは何か。分割やリース技術の発達によって家や自動車のローンが簡単に組めるようになった。その事によって金融業界にどの様な変化が起こったのか。また、家計の可処分所得にどの様な影響を与えたのか。金利の変化がどの様に家計に影響を与えるのか。社会保険の企業負担の意味は何か。そして、それが家計や企業費用にどの様な影響をもたらしているのか。

 アメリカの住宅ブームにかげりがでると景気が悪くなるのではと懸念されています。アメリカの住宅ブームは一種のバブルでアメリカの住宅着工件数は、2000年に156万戸だったのが、2005年には、206万戸に上っている。新築住宅の販売件数が87万戸から5年間で128万戸へと伸びている。中古住宅も価格が2005年には、上昇率が13%まで高まり、この間の物価上昇率が2%前後だからいかに、住宅ブームが突出しているかが解る。(「知っておきたい日本経済70のかんどころ」住友信託銀行調査部著 生活人新書 NHK出版)この様な住宅価格の上昇を背景にしてアメリカ経済は、好調に推移している。この住宅価格の上昇は、住宅を保有する家計を潤し、アメリカの連邦準備制度理事会スタッフの資産によれば、住宅価格の上昇による融資によって家計に入った現金総額は、年間可処分所得の5%以上におよぶと言われている。この様な住宅ブームの消長は、長期金利の水準に左右されると考えられている。

 鶏が先か、卵が先かの議論は差し置いて、住宅価格の上下動が直接的に家計に影響を及ぼし、それが更に住宅産業を活性化させると言った循環が見られる。しかも、それを下支えしているのが金利動向である。このように、コストは、複合的、構造的に形成される。

 光熱費の変化が、エネルギーコストや為替とどう連動するのか。それは、今後のエネルギー政策や経済を占う上で、重大な要素である。
 コストの中で、為替の変動を受けるものとそうでないもの。それは、仕入れ、調達市場が国際的市場か、国内的市場かによって決まる。
 調達が国際的市場ならば、為替の変動を受け、海外の通貨相場に影響を受ける。それに対して、為替に関わりのない産業では、国内の経済の事情によっている。教育費などはその典型である。
 戦後、上昇を続けている、また、家計に占めるシェアを拡大し続けている課目は、教育費である。教育費用が伸びることにともなって教育関連産業も急成長しているのである。
 産業の構成と財政、特に、公共事業がどう影響するのか。公共事業に依存する産業の推移が重要である。誰もが、公共事業を請け負っている業者と政治家とが癒着していることを知っている。しかし、公共事業以外めぼしい産業がない地域もある。そう言う地方では、公共事業の誘致が政治家の最大の仕事となっている。その典型は、田中角栄である。田中角栄は、良い意味でも、悪い意味でも、日本の政治の断面を象徴している。

 今の日本人の生活で最も出費がかさむのは、子供の教育費、住宅取得費、老後の生活費用の三つだと言われている。また、生活の土台には、衣食住の問題が歴然としてある。産業の変化を考える上で重要なのは、時代、時代における国民のライフスタイルの変化である。つまり、消費サイドの環境の変化が、産業の変化の引き金になる。

 この様に産業の構造と消費構造は、相互に影響を及ぼす。経済成長が、国民の所得を増加させ国民のライフスタイルを変え、その変化が産業構造を変化させたり、隣国の経済発展が日本の産業に影響を及ぼし、それによって隣国へ生産設備の転移が起こり、我が国の産業構造を変化させるという具合にである。(「経済データの読み方 新版」鈴木正俊著 岩波新書)

 シルクロードや大航海時代の歴史を見ても解るように、交易路の変化によって地域や国家の衰退が定まるのは世の常である。

 地理的な条件も経済主体の有り様を変える。首都圏の農家と地方の農家では、消費地までの運送費や運送時間、地価、また、天候や土壌などの地理的条件によって経営内容や栽培物も左右される。国際的に見れば、産油国と非産油国では、経済体制や産業構造が違うのは当然である。水利や交通の便、電気、ガス、通信と言った社会のインフラストラクチャーの状況も重要な要素である。最近、少子高齢化が、日本では、重大な関心事であるが、人口構成も産業には大切な要素の一つである。島国か、半島か、大陸かによっても産業の有り様は変わってくる。

 また、歴史的条件によっても産業構造も違ってくる。産業のインフラや下部構造は、一朝一夕に築かれるわけではない。歴史的な産物である。複合的な条件が揃ってはじめて可能となる。

 複数の要素が相互に関連づけられて形成された全体が構造である。経済は、構造的なものである。そして、それぞれの要素の働きが経済の諸々の現象を引き起こす原因止まっている。故に、一つ一つの要素の働きを明らかにした上で、それが全体に及ぼす影響を解明する必要がある。部分最適、全体不適合の場合もある。

 物価の変動に併せて産業の構造がどう変化するのかを理解することが重要である。物価の上昇率と金利の動向との相関関係も見落としてはならない。ただ、表面に表れてくる現象は、複数の要素が複合的に作用して表れてくるため、因果関係を直線的に表現することは困難である。それ故に、その背後にある構造を解明する必要があるのである。
 戦後、インフレが続いたと言われているが、その中でも、価格が上昇した商品と価格が下落した商品とがある。単純ではない。
 しかし、現象と、産業構造とは因果関係が必ずある。その因果関係を明らかにし、未来の経済を予測し、可能ならば望ましい経済状態を実現しようとするのが構造経済である。


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産業構造