経済の現状

日本経済の現状について

1 はじめに



経済学が実験によって実証できないというのは嘘である。
現在の経済は、経済学的実験に満ちているのが実態である。
つまり、経済学を実験によって実証できないのではない。ただ、経済的な実験をした当事者達が自分の過ちや失敗を認めない為に実験の成果を生かせないでいるだけである。
また、実験的施策を行うに当たって根拠となる理論、原理が希薄である場合が多い。それが、実験結果を検証する上で阻害要因となっているのである。

そして、また、日銀は、新たな実験に取り組もうとしている。

2013年4月に日本銀行が、「日銀ルール」を一時停止してから2年もたたない2015年2月1日現在で日本銀行の国債の保有残高は、271兆円、うち長期国債219兆円にのぼる。銀行券の発行残高が、89兆円であるから約3倍にあたる。(図1-1)
2013年4月決算で日本銀行の総資産が164兆円、国債残高が125兆円と国債が総資産に占める割合は、76%に及んでいる。
2014年9月末、国債を含めた国の借金は、1039兆円でうち国債残高は、868兆円。それに対して日銀の国債保有残高は、229兆円で22%である。

日本銀行が保有する国債の残高は、2013年末には、国内総生産に対して38%を超えている。(図1-2)
マネタリーベースは、2015年末355兆円、16年末には、435兆円になり、このまま推移すればマネタリーベースは、2017年には、GDPを超えるという予想もある。(週間「エコノミスト」2015年2月3日号小玉祐一明治安田生命チーフエコノミスト)

また、預貸率は、リーマンショック以降急激に下落し、2013年には、78%まで落ち込んでしまった。信用金庫にいたっては、2014年に50%を割り込み、それが常態化しつつある。(図1-3)
確かに、金利の上昇は見られないが、国債が、民間の資金需要を排除しているという点から見れば、日本は、現在広い意味でクラウディングアウト状態にあると考えざるを得ない。実質クラウディングアウトの状態にありながらなぜ金利が上昇してこないのか。問題はむしろそこに隠されている。
名目的な金利が上昇しないと言っても、ゼロ金利である上に、収益力が低下し、担保の裏付けとなる地価の下落が下げ止まっていない状況では、より安全な投資先である国債に資金が流れ、実質的に民間投資が排除されているのと変わりがない。
資金が実物市場に流れないから金利が上昇しないのである。
金利が上昇していないから心配する必要がないのではなく。逆に、資金が市場に流れ出すと金利が急上昇する危険性があるから長期金利の動きを注視する必要があるのである。

ゼロ金利だというのに、投資が抑制されているのはなぜか、その点に関する考察なくして経営者に投資意欲がないからと決めつけるのは短絡的すぎる。
金利が投資による収益率より低ければ事業家は借金をしてでも投資に資金を振り向ける。要するに、いくら金利が低くてもそれに見合う収益を上げられる投資がないか、資金の調達コストが金利より高いから事業家は投資を控えるのである。その投資に対する疎外要件を解消しないかぎり、投資状況は改善しない。
その上、借金を返済しても投資先が見つからなければ、金融資産に資金を向けられる。

預貸率が低下すると、市中に貸し出しできなかった部分を国債で運用する事になる。その為に、預貸率の高い金融機関は、国債リスクが高くなる事になる。
高橋是清は、国債の日銀引き受けの道を拓いた。
それが財政規律を失わせ、軍事という非生産的な投資が拡大する事によって悪性のインフレーションにならないように努めた。
その為に、高橋是清が国債の市中消化率が77%を切らないよう軍事予算を抑え込もうとしたが、結局、2.26事件で凶弾に倒れた。この様な歴史を鑑みても、今日の財政問題は、将に、瀬戸際にあると言える。

お金は、お金を流す仕組み、例えば市場や付加価値と言った仕組みによって流れている。このお金を流す仕組みが最近おかしくなってきている。金利は付加価値であり、時間価値でもある。ゼロ金利という事自体がお金を流す仕組みが機能しなくなっていることを意味している。
お金には、価値の保管という性格があり、お金の流動性が低くなると貯蓄性が強くなる。

貨幣制度の歪みが何処にどの様に現れるのか。財政赤字の累積も貨幣の流れる仕組みの歪みがもたらしている。それを改善しないかぎり、財政赤字は改善されない。

名目GDPは、バブル崩壊後20年以上も500兆円前後を横ばいしている。

景気が回復したと言っても実体は、名目総所得は伸びていないのである。
非上場企業は、会計を公開する義務がなく、また、対銀行対策上利益を上げているように粧う傾向がある。これら非上場企業の実態は、行政の方がかえって把握している。
国税庁の調べによると現実は、2011年の対象257万社中、欠損企業は、186万社と欠損企業の比率が72%にのぼっている事に現れている。(図1-4、図1-5)

全体的な所得の立て直しが根本となるのである。
先ず解決しなければならないのは悪性のデフレを克服する事である。
所得を健全化するためには、収益によるしかかない。健全で適正な収益力を取り戻す以外に経済を立て直す術はないのである。
その為には、土地の流動性を高め、資産価値を上げる事が前提となる。

なぜならば、先ず、前向きに投資を呼び戻す事が先決だからである。
投資が抑制されているのは、投資を可能とする要件が満たされない事が原因なのである。
前向きに投資を促進するためには、第一に,担保となる資産が必要となる。第二に、資産価値、特に、地価の安定が前提となる。第三に、収益の見通しが立てられる市場環境である。投資は、投資した資金を回収できるような将来の収入が期待できる事が前提となる。投資した資金が回収できるような計画が立てられる事が先ず前提とされるからである。第四に、資産価値の上昇が見込める事である。

問題は、バブル崩壊以後、資産価値,特に,地価が下落し続けている事である。
この問題を解決しないかぎり、経済を好転する事は出来ない。
単純にインフレーションにすれば問題解決が出来るというのは短絡的すぎる。
投資を伴わないインフレーションは、所得の改善を伴わない物価上昇に終わる危険性がある。
物の値段だけが上がり所得が伴わない事になりかねない。

投資を促すためには、将来の収入の確保が前提となる。
その為には適正な価格の維持が不可欠なのである。

市場にお金が流れない様にしておいて、資金が流れないと責めるのは、蛇口を閉めておいて水が出ないと怒っているようなものである。
しかし反対に、蛇口を開けたら、あっけぱなしで閉めら方が解らなくなって垂れ流し続けるのも無責任の極みである。これでは、水量を調節することはできなくなるのも無理ない事である。

経済は、成長だけが目的ではない。経済の主たる目的は分配にある。成長は、その為の局面に過ぎない。
今日の経済は、借金と費用で成り立っている。

市場経済は、安定した持続的な所得が保障されている事で成り立っている。
一定の収入が一定期間保証されているから借金が可能となる。
借金というのは負の資産、預金と見なす事が出来る。
裏返すと一定した収入が一定期間保証される事で預金が促される。
その預金が投資の前提となるのである。
預金も借金も投資も将来の収入を担保する事で成り立っているからである。
その前提は常雇いでもある。

市場経済は、商品経済でもある。
商品は、価格が維持される事で計画的な生産が可能となる。
価格が不安定になれば生産は抑制される。
価格は、所得と費用との均衡する所で定まる。
いずれにしても所得と価格の均衡が鍵を握っているのである。単純に安ければいいというのでは均衡は保てない。

新しい物は良くて古い物は駄目だという思い込みに囚われているのではないのか。
我々は、ヒット商品や新製品ばかりに目が向けられていないのではないのか。
雇用を支えているのは、成長産業だけではない。むしろ成熟産業こそ広い裾野を持っている。
コモディティと言われる、すなわち日常品、必需品、消耗品、耐久消費財、生鮮食品、住宅、小売業等の伝統的産業,成熟産業こそ雇用の底辺を支えているのである。
新興産業は、将来の保証がされているわけではない。それに対して伝統的産業は、安定した収益を創り出してきた実績があるのである。

我々は、過去の全てが悪い、競争は善であり、規制は悪だと決めつけてはいないか。
競争も規制も手段であって道徳とは無縁である。
競争は不可欠な手段ではあるが絶対ではない。大切なの何をどの様に競う合うかであり、無原則な価格合戦を是としているわけではない。
大切なのは適正な価格であり、適正な価格が維持されるから適正な所得が維持されるのである。不毛な過当競争は市場を荒廃させるだけである。

国家財政の悪化、そして、大災害、バブル崩壊、金融危機に始まる長引く悪性のデフレ、格差の拡大、民族主義や独裁主義、覇権主義の台頭,テロの横行、地域紛争や国境紛争の顕在化、エネルギーの争奪戦、これらの出来事は、第二次世界大戦の前夜を思い出させる。
ただ第二次世界体制と違うのは、人類は、全人類を何百回も全滅させるだけの化学生物兵器や核兵器を保有していてその拡散に歯止めがきかなくなりつつあるという事である。
そして、環境破壊や温暖化問題は、待ったなしの対応を迫っているという事である。

太平洋戦争における日本の戦死者は、240万人、民間の死亡者、行方不明者は、37万人に昇ると言われている。(「概説日本経済史」三和良一著 東京大学出版会)
戦後、日本人は同じ過ちを繰り返さないと誓ったはずである。
国民、一人ひとりが冷静に、かつ、勇気を持って主張すべき時なのである。

総所得の基礎は、個人所得にある。個人所得の総量は、労働人口と平均所得の積によって導き出される。
総所得を増やす為には、労働人口を増やすか、平均所得を上げるさせるかのいずれか、あるいは双方が必要がある。
支出から見た場合、市場規模が基礎となる。市場規模は、消費者人口と単位消費量の積で表される。
問題は、労働人口と消費者人口、平均所得と単位消費量の均衡である。所得を貨幣的側面だけから見ていたら総所得は改善されない。労働人口と消費者人口、平均所得と単位消費量の不均衡が景気を悪化させるのである。そして、人口も、単位消費量も「お金」の問題ではない。人や物の量の問題である。
労働人口と消費者人口の問題は、少子高齢化や失業率と深く関わっている。平均所得を向上させても労働人口が減少し、消費者人口が拡大していたら総所得の増加にはつながらない。また、生産量が伴わなければ単位消費量の改善にはならない。
総所得は、お金の問題だけに還元する事はできないのである。



図1-1

日本銀行 単位 1億円
図1-2

国民経済計算書 内閣府 日銀勘定 日本銀行
図1-3

2000年度国民経済計算書 内閣府

図1-4 欠損法人件数 単位1000軒

国税局

図1-5 欠損法人比率

国税局



       

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Copyright(C) 2015.3.10 Keiichirou Koyano