経済の現状

日本経済の現状について

12 資産の流動性を高め、資産価値を上げる


バブル潰しも強引だったが、不良債権処理も強引だった。その割にその傷跡に対する処置はほったらかしである。
大体、バブルが発生した時は、バブルを放置したのである。
バブルの後遺症で苦しんでいる日本経済に過度な競争をしているのは、あたかも瀕死の重傷を負った者に全力疾走をさせるような事をしている。
こんな事をしていたら日本経済の息の根を止めてしまう。
先ず市場に養生をさせる必要があるのである。

腕力で経済を動かそうとする事が間違いなのである。経済を動かす原理も理解せずに、無理矢理、力尽くで自分の思い通りに使用とすれば、仕組みそのものが壊れてしまう。経済を制御しようと思ったら、先ず、冷静に状況を見極め、市場の自律性に則って市場を操縦すべきなのである。
長期資金の流れを如何に捕捉するかが、鍵を握っているが、長期資金の流れは、会計上表面に現れてこない。
なぜならば、長期資金の流れは、会計上表に出てこないからである。
長期借入金の返済は、会計では計上されていない。設備投資は長期借入金と資本によって賄われる。長期借入金の返済金の原資は、基本的に減価償却費と内部留保、即ち、税引き後利益が充てられる。但し、非償却資金にかかる設備投資、特に、土地に関わる借入金の返済は、減価償却費以外、即ち、利益処分から当てられるが、利益処分に長期借入金の返済という勘定はない。利益処分は、税金、役員賞与、配当に向けられる為、長期借入金に充当される部分がない。故に、内部留保が当てられ事になる。土地に対する借入金は、土地の含み益による借り換えか、土地の売却時に清算される事になる。
故に、地価が下げ止まらない事は深刻なのである。

減価償却費や内部留保は、費用、或いは資本勘定に計上されるが実際は、長期借入金の返済として金融機関に環流する。また、不足分は、借り換えとして負債に計上させられる。その時、借入資金の裏付けをするのが土地の担保力である。

国民経済計算書では、固定資産減耗、固定資本形成のような形で表されるが、長期資金の実態を捕捉しているわけではない。表面的に表れたこれらの指標は、実は、借入金の返済に充当されているのである。

地価の下落が総資産に決定的な負の働きをするのは、この様な会計上の問題と日本の産業構造の問題が絡まっている事に一因がある。
会計上、長期借入金の返済は何処にも計上されない。強いて言えば負債勘定の増減として現れるだけである。それを補う形で減価償却費が計上されるが、長期借入金の返済額を減価償却費で網羅しているわけではなく、また、減価償却と資金繰りとは必ずしも一致しているわけではない。この点は、現在のキャッシュフローでも捕捉し切れてはいない。その一つに非減価償却費として土地勘定がある。土地は、取得原価主義か取られている為に、地価の持つ含み益は計上されない。しかし、それによって利益が確保され、現金主義と期間損益主義の整合性が保たれてきたてきたというのは紛れもない事実なのである。
その上で設備投資で不足する部分,又、更新投資に必要な資金を土地の含み益を担保として資金を調達するのが慣行となっていたのである。
つまり、土地の含み益を前提として投資計画、その裏付けとなる資金計画は成り立っていた。ある意味で日本の産業は、土地本位制度とも言える体制なのである。
地価が右肩上がりに上昇することを前提としてあらゆる経済の仕組みが作動していた。その地価が下落し、右肩下がりの経済情勢になった為に、資金の流れが逆転してしまったのである。地価が下がると担保不足が生じ、その担保不足を補う為に現金預金を金融機関に積み増すと言う事になる。この様に積まれた現預金は拘束されており、流動性が低く、固定資産と見なされてもおかしくないものである。これが経済の規模、即ち、総所得を収縮させる決定的要因となっている。
この様に状態ではいくら資金を市場に供給しても実際は使えない金が増えているだけで,使えない資金が増えた分、かえって市場を規模を見かけ以上に狭小にしてしまうのである。

国民経済計算では、負債と金融資産は、同次元に扱われる。負債を返済しても返済された資金が市場に供給されないと金融資産と積み上がり、有利子負債と同じ働きをする事になる。要は、供給した通貨の量をどの様に制御するのか、問題なのである。土地を担保にした有利子負債を地価の下落に合わせて返済しても、返済された資金の新たな借り手が現れなければ、金融機関に金融資産として積み上がる。その分、結局有利子負債が増加するのである。

金融の現場の意見を無視して強引に不良債権を処分した事で地価の底を割ってしまった。それが最大の原因である。故に、バブル崩壊直後、金融の現場は、不良債権を塩漬けにして地価の更なる下落を食い止めようとしたのである。

総所得は何によって増えるのか。
総生産だけを増やしても総所得は増えない。雇用者報酬を増やしただけでも総所得は増えない。物価が上がったからと言って総所得が増えるわけではない。重要なのは支出であるが、衣食住と言った経常的な支出だけでは総所得は変化しない。問題は支出の内容、質と量、即ち、付加価値である。つまり、投資がなければ総所得は増えない。

総所得を改善するために必要なのは、民間投資、特に、設備投資を活性化する事である。(図12-1)
問題なのは、企業に投資をする為の余力がない事である。
金融資産だけを見ると企業は資金を潤沢に持っているように見えるが、バブル崩壊後4,000兆円にまで上昇した有利子負債は、横ばい状態で一時減少に向かったように見えたが2013年の残高で4,150兆円と結局4000兆円代に戻し、一向に減少する気配がないのである。

日本の投資は、担保主義をとられてきた。
戦後の日本の産業は、直接金融よりも間接金融が主だった。金融機関が融資をする条件は、第一な赤字でない事、第二に、担保がある事である。事業計画に主旨するというのは一部の大企業を除くとありえなかった。
故に、日本は担保主義にならざるをえなかったのである。そして、赤字ではないという点と担保がなければならないという点が、未だに、日本の産業を制約しているのである。つまり、安定した担保に基づいて一定の収益を維持することが経営を継続していく為の絶対的条件となる。その二つが、バブル崩壊後に失われた。それが、総所得を拘束しているのである。

現在、企業は、現預金を貯め込んでいて潤沢な資金を持っているという経済評論家や学者がいるが、それは、経済の現場を知らないからである。経営者が自由に出来る資金は限られている。投資をしたくても資金調達が出来ず、尚且つ、将来の収益が望めないから、多くの経営者は、投資を控えているのである。決して現場の経営者に意欲がないというのではない。金を借りたくても借りられないから資金調達が出来ないのである。資金調達の根拠は担保力だからである。内部留保があるから資金調達が出来るのではなく。担保の範囲内でしか資金調達が出来ないのである。担保力が縮小し続けている今日、現金収入の範囲内でしか投資が出来ないのである。しかも、将来の収入に期待が持てない。だから、設備投資が活性化できないのである。

バブル崩壊後、民間企業は、有利子負債の返済に汲々としてきた。では、有利子負債を返済したから、資金的に楽になったかというと必ずしもそうではない。
単に負債が減ったからと言って資金繰りが楽になるとは限らないのである。資金繰りを楽にするのは資金的裏付けであるが、その裏付け、即ち、担保となる地価の下落が続けば、企業は資金的には、かえって窮屈になるのである。ゼロ金利だというのに、投資が抑制されているのはなぜか、その点に関する考察なくして経営者に投資意欲がないからと決めつけるのは短絡的すぎる。
金利が投資による収益率より低ければ事業家は借金をしてでも投資に資金を振り向ける。要するに、いくら金利が低くてもそれに見合う収益を上げられる投資がないか、資金の調達コストが金利より高いから事業家は投資を控えるのである。その投資に対する疎外要件を解消しないかぎり、投資状況は改善しない。
その上、借金を返済しても投資先が見つからなければ、金融資産に資金を向けられる。

市場に資金が潤沢にある言うのは錯覚である。活用できる資金がどの程度あるかである。
日本企業の投資は、担保余力に基づくのである。

日本の金融機関は、融資をした資金の回収に重きを置く。必然的に収益力と担保力に重点を置かざるを得ないのである。投資家のように事業そのものに出資するわけではない。結果的に、担保力が低下すれば、金融機関は、資金の回収に走らざるを得なくなる。又、市場に流れる資金が回収の側に回転し始めると市場は収縮して収益力も低下する。担保力が低下した所に、収益の低下が追い打ちをかけたのである。それがバブル崩壊後の傷口を拡げ、又、立ち直りを遅くしたのである。

市場に資金が潤沢にある言うのは錯覚である。活用できる資金がどの程度あるかである。
担保余力に基づくのである。

土地を担保にする根拠は何処にもないのである。特に、土地だけを担保にする根拠も何処にもない。ただ土地を担保にするのは金融機関にとって都合が良いと言うだけである。処が地価が下落し始めると金融機関にとって都合が悪くなった。だから金の流れが止まったのである。

銀行融資の担保となるのは土地である。故に、その意味では土地本位制度と言えなくもない。そして、担保主義は、地価が右肩上がりに上昇する事を前提として成り立っている。
その前提がなりたたなくなっている。この点を指摘する事は今ではタブーになっている。土地の流動性を高め,資産価値を上昇させる事が解決策だからである。その為には、ある意味で規制を強化し、無原則な競争を抑制する事だからである。
つまり、バブルを起こし、規制をある意味で強化する事である。そうしなければ本格的な所得の改善は見られない。
しかし、それは、バブルを否定し、規制緩和を促進せよという現代の風潮に対しては真逆の事を意味する。ただ、やるべき事と真逆の事をしているから、景気はよくならないとも言える。
なにせ、地価は、15年以上下がり続け、少し上昇し始めるとミニバブルだとよってたかって下げてきたのであるから・・・。
大体、多くの人には、地価も株価も4年程度で底を打ち、それから上昇に向かっているという変な錯覚があるようだが、少なくとも地価は、20年以上下がり続けているのである。こうなると金融機関も民間企業も地価が右肩下がりを前提に行動するようになる。当たり前に投資は抑制されるし、投資をしてもすぐに債権は不良化してしまう。

だから、持ち家が減少して、貸家が増えるのである。

地価がピーク時より6分に1に下落し、有利子負債と地価との乖離が3000兆円に達している状態では、新規の設備投資を期待する事は出来ない。(図12-2)
新たな借入が出来ずに現金収支の範囲内でしか資金運用が許されないのが今の日本の企業の現状なのである。

今の日本は、バブルがトラウマのようになっている。
地価が上昇し始めるとバブルの再来だとマスコミは騒ぎ出す。
今の日本のマスコミの悪い所はただ時流に乗って民心を煽り立てる所にある。
バブルの頃は株や土地の投機に浮かれ、財テクをしない経営者は無能であるように罵った。
バブルが崩壊するとなぜ本業を忘れ目先の利益を追ったのかと責める。
バブル潰しの時は、日銀の三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げ、バブル崩壊後は素知らぬ顔をして日銀を批判する。
規制緩和と言えば、何でもかんでも規制緩和。競争が良いと言えば競争は原理だとまで言い出す。
反対意見など言おうものなら容赦はしない。それでいて言論の自由もへったくりもありはしない。
もっと冷静に事態を観察する必要がある。それが健全な批判精神である。

今、早急にとるべきなのは、金融制度の自律性を取り戻す事である。
その為には、金融機関に対する過剰な干渉は止めるべきである。
特に、行政による貸出規制は、止めるべきである。
行政による担保主義に基づく、不良債権に対する貸出抑制策を止めないかぎり貸出は増えない。
又、官僚に対する不当なバッシングも控えるべきである。
綱紀粛正は、引きつづき行うべきであるが、かといって全ての責任を官僚に帰せ、不当に官僚を中傷誹謗するのは間違いである。官僚は、志も愛国心も強い。それ故に誇りも自尊心もある。その誇りと自尊心が志や愛国心を支えているのである。その官僚の志によって国家の規律と独立が守られている。権力志向は、諫めるべきだが、何でもかんでも官僚が悪いと言った官僚の名誉を傷つけるような誹謗中傷は改めるべきである。
財政の改善は、官僚が握っているのであり、彼等に任せなければ改革は実現できない。

資産価値を流動化し、資産価値を上げないかぎり、投資の拡大は望めず。総所得を健全化する事は期待できないのである。

むろん、資産価値の流動性を測る場合は、十分に用心をしなければならない。市場に急速にお金が出回ると時間価値が働き出して物価や金利の上昇を招く恐れがあるからだある。
バブルを起こした際も、バブルを崩壊させた際も、自分達の都合だけで市場を動かそうとしたことに起因していた事を忘れてはならない。
急激に市場に、今、資金が流れ込めば、それこそハイパーインフレのような事態を引き起こしかねない。
問題は平衡感覚である。大概の事は、悪くなるのは早いが、良くする為には時間がかかるのである。
急いては事を仕損じる。大切なのは、市場の仕組みをよく理解する事である。




図12-1
企業法人統計 財務省 単位100万円

図 12-2

企業法人統計 財務省 単位百万円



       

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