経済の現状

日本経済の現状について

2 前提(日本の総所得は20年以上も横ばいである)



日本の名目GDPは、90年代から、20年以上も500兆円前後で停滞している。
これは、20年以上、所得が変化していないと言う事を意味している。
所得に変化がないという事は、経済は、必然的に取り分の問題に転化されいく事になる。

正味資産(国富)のピークは、1990年の3,532兆円で底は、2004年の2,957兆円でその差は、575兆円である。

分配から見た2011年度の名目国内総生産は、477兆円、雇用者報償が245兆円である。営業余剰、混合所得が88兆円、固定資本減耗が102兆円。生産、輸入品に課せられる税金が40兆円である。
雇用者報酬が家計へ、営業余剰、混合所得と固定資本減耗の和が企業へ、税金が政府へ分配されるとすると、家計、企業、政府に対する配分は、おおよそ、5対4対1になる。
1955年当時は、家計と企業の比率は逆で4対5対1だったのが、72年に家計と企業所得が等しくなり、74年には、ほぼ、現在と同じ比率になった。

今の日本経済の最大の問題は、付加価値,即ち、時間価値がなくなりつつあるという事である。
付加価値とは何か。即ち、金利、人件費、地代、家賃、そして減価償却費である。付加価値は、長期資金の動きの基である。つまり、付加価値がなくなる事は、長期資金の働きを抑制する要因になる。
それが所得を停滞させる原因でもあるのである。(図2-2)

付加価値とは何か。付加価値は、借金や費用から生み出される。経営者や政治家は、付加価値を付けろ、付加価値を付けろと言いながら付加価値がきらいなようだ。だから何かと金利や人件費を削る事ばかりを奨励し、又、実行する。
借金や費用を目の敵にしていたら景気はよくならない事を肝に銘じるべきなのである。無理な借金や無駄な費用は減らすべきである。しかし、社会にとって必要不可欠な借金や費用まで削ったら、世の中は成り立たなくなるのである。
付加価値は、金利や人件費,生産設備、資本によって生み出される。資本主義が悪いのではなく。資本主義と言いながら、資本を否定する事が悪いのである。

GDPは、総所得を意味する。総所得は総生産であり、総支出である。
総所得が伸び悩んでいるという事は、配分の変化が問題となる。
所得が伸びずに配分が変化することは、所得構造、格差の変化を意味するからである。
又、雇用構造や雇用のあり方にも変化が現れる。
1994年に、名目523兆円でピークとなって2012には、46兆円減少している。278兆円あった雇用者報酬が245兆円と33兆円減少し、営業余剰、混合所得が100兆円、固定資本減耗が103兆円、生産、輸入品に課せられる税か41兆円ある。注目すべきなのは、営業、混合所得が9兆円の減少しているのに対して固定資本減耗が2兆円の減少だという事である。家計部門は、35兆円と大幅な減少なのに対して民間企業は13兆円の減少であり、政府部門は、1兆円の減少とほぼ横ばいである。
固定資本減耗は、暦年で営業余剰、混合所得に対して50年代、60年代は、ほぼ三分の一程度で推移してきた。70年代後半から2分の1程度に上昇し、80年代に急速に上昇して90年代後半に逆転し、2000年代始めから後半まで営業余剰、混合所得が上回ったもののその後は、固定費減耗が営業余剰,混合所得を上回っている。これは、収益の中に占める償却費が占める割合が大きくなっている事を意味する。固定費減耗は、減価償却費に相当する。減価償却費は過去の投資の清算に使われる費用である。

固定資本減耗、言い換えると減価償却に頼っているという事は、内部金融を使っているという事である。
内部金融というのは、長期資金の返済を意味している。言うなれば、負の負債である。
それでありながら内部金融を使っているのに、有利子負債が減らない。しかもゼロ金利だというのにである。今の日本の中小企業は、高速で回るルームランナーの上を全速力で競争させられているようなものである。いくら走っても、走っても前進できない、それでも、走るのを止める事が許されない。走る事を止めれば滑り落ちてしまうからである。考えてみたら残酷な競争である。体力が弱い者から淘汰されていっている。

支出から見ると1994年は、民間最終消費支出が274兆円。政府最終消費支出が73兆円、総資本形成が139兆円、財貨・サービスの純輸出が10兆円となっている。
2011年には、民間最終消費支出が、12兆円増えて284兆円。政府最終消費支出は、13兆円増えて96兆円と最終消費は官民両方増えているのに対し、総資本形成が42兆円と大幅に減少し96兆円、財貨・サービスの純輸出が,これも14兆円減って-4兆円となっている。純資産は、15兆円のプラスから6兆円のマイナスとなっている。

特筆すべきは、総資本形成の中で固定資本形成が139兆円から95兆円と44兆円減少している点である。
内訳は、住宅が民間で26兆円から13兆円に、13兆円減少し、企業設備で民間部分で71兆円から63兆円と8兆円減少している。企業設備は、公的な部分でも11兆円から5兆円と6兆円減少している。(2013年度国民経済計算名目)

GDPには三面等価の原則がある。
即ち、家計、民間企業、一般政府、海外部門の所得の総和はゼロになるという原則である。
つまり、資金の不足している主体は、余剰資金を持っている主体から借りてこなければ、経済の仕組みは成り立たないのである。

財政収支が赤字の場合、財政の資本収支は黒字でなければおかしい。この資本収支の構成と財政収支の構成とを照合すると財政の構造が見えてくる。

三面等価の原則からして、全ての経済主体を黒字にする事は不可能である。どこかの主体を赤字にするか、周期的に黒字と赤字を反復する以外ない。基本的に経済は、民間の現金収支を赤字にして、財政や経常収支を黒字化しようとする。その為に期間損益があるとも言える。ただし、経常収支は、世界的にゼロ和である。つまり、黒字国があれば、赤字国があるのである。
赤字は悪だなんて決めつけたら、経済の均衡を保てるはずがない。
期間損益は、本来、長期的資金と短期的資金の働きを償却勘定によって調整し、単位期間の中で長期的資金を基とするストックと短期的資金を本とするフローの整合性を計ってきたのである。

三面等価の原則からして巨額の財政赤字があり、経常収支も低下してきているという事は、民間現金収支が黒字だと言う事である。
民間には、家計と企業がある。つまり、家計か、企業の現金収支が黒字だという事になる。
家計の源となる雇用者報酬は横ばいか下降している。
となると民間企業が黒字を溜め込んでいるという事になる。企業が投資を控えて現金を貯め込んでいるからだと説明されている。しかし、民間企業がそれ程多くの収益を上げているようには見えない。事実、法人税が払えない企業が7割以上ある。

民間企業が投資を控えているのが問題だと考えるむきもある。民間企業が投資を控える理由は、二つある。一つは、資金調達が出来ないか、将来に期待できないかである。その二つとも期待が持てない。だから民間企業は投資を控えているのである。

だいたい、民間企業の設備投資を控えたからと言って、現金収入がない限り、民間企業の現金収支が大幅な黒字になる事はない。そうなると非金融法人が潤沢な資金を貯め込んでいるとも思えない。
では何処に現金収入が消えてしまったのか。民間企業は、非金融法人以外に金融機関が含まれる。
つまり、余剰資金をかかえているのは、金融機関である。
金融機関は、貸借が現金収支を左右している。だから、現金収支が大幅に黒字になったとしても表に出てこないのである。
現金収支が黒字だからと言って必ずしも金融機関にとって正の働きをしているわけではない。お金の流れが逆流する事によってお金が金融機関に環流してしまっている場合もある。そうなると金融機関も余剰資金を貸し出す先がなく、収益的には赤字になる危険性があるのである。
また、現金が実物市場に流れず金融機関に滞留すると金融機関は、運用先を求めてリスクの高い運用をせざるを得なくなったりもする。それが投機やバブルの温床にもなるのである。

地価が下げ止まらない現在、土地を担保とした資金調達に限界があり、現金収入の範囲内で投資を収めようとする傾向が民間企業に生じた。
その結果、現金収支に期間損益が限りなく近づいたことで、短期の中に長期資金の出納が入り込み損益の均衡を崩してしまっている。

償却が終わっていても、借入金の返済が終わっていない設備は、損益上利益があるように見えても現金収入は、得られないという逆鞘が生じる場合がある。しかも、現金の裏付けのない利益に税金が掛けられる事になる。この様な例でも地価が上がっている場合は、キャピタルゲインによって不足分を補う事が可能だったが、地価が下落するとかえって担保不足が生じてしまっている。
この様な事がお金の流れを逆流させる原因となるのである。

担保主義では、担保価値でしか投資を評価できない為に投資が地価に拘束されてしまっている。
本来、収益を前提とすべき投資計画が収益ではなく担保力によって評価されてしまっている。その為に、所得が担保力、即ち、地価以上に伸びないのである。

また、所得が伸びないという事は、全体の総量が限られている事を意味する。つまり、一人ひとりの取り分を固定するか、限られた量を奪い合いするかの二つに一つである。もはや、ウィンウィンの関係は成り立たない。
競争社会ではなく、闘争社会になる。全ての人間が成功者になれるわけではない。
総所得が改善されないと、勝ち組と負け組がハッキリと分かれる社会になるのである。
限られた、それもごく少数の選ばれた者だけが成功し、後は敗者に落ちていく。ひとりの人間の大成功は、他の人間の取り分を減らす事になる。また、成功者が獲得した取り分を子や孫に残そうとすれば、社会に階層が生じ、世襲的な階級社会になる。
いずれにしても格差が拡大し、新たな差別を生み出す一因となる。(図2-3)

高度成長時代は、無人の野を行くような者で、度胸とスピードがある者が多くを得た。
パイが限られている今日は、行けども行けども前に進めない。急流を泳ぐ水鳥のように足を櫂でも櫂でも先に進まないが、水面下で足を櫂でいないと流されてしまう。まるでルームランナーの上を走らされているようなそんな状況なのである。

過去において、分配の偏りによって生じた貧困や格差をインフレーションや戦争といった暴力的手段によって人類は解消してきた。しかし、戦争やインフレーションは経済の目的を逸脱した手段である事を忘れてはならない。戦争やインフレーションは、経済政策において失敗した事を意味するのである。

戦争は最も愚かな解決策である。


図2-1 名目国内総生産

国民経済計算書 内閣府 単位10億円

図2-2

法人企業統計 財務省 単位100万円

図2-2


法人企業統計 財務省


参考 「世界経済危機 日本の罪と罰」 野口悠紀雄著 ダイヤモンド社
    「金融政策の死」 野口悠紀雄著 ダイヤモンド社
    「期待バブル崩壊」 野口悠紀雄著 ダイヤモンド社
    「数字は武器になる」 野口悠紀雄著 新潮社



       

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Copyright(C) 2015.3.10 Keiichirou Koyano