経済の現状

日本経済の現状について

7 デフレーション



日本は、失われた10年、或いは、20年ゼネレーションと底なしのデフレーション状態にある。(図7-1)
この様な状況下にあって日本人は真の豊かさとは何かを忘れている様に思えてならない。
今の日本人は、目先のことばかり追って大局観を見失っている。

戦後日本は、実質総生産が名目総生産を上回る時期が長かった。
名目総生産が実質総生産を上回るのは、1991年から1999年までの間でしかない。ここで気をつけなければならないのは、90年までは、実質も名目も上昇する中で実質総生産が名目総生産を上回っていたのであるのに対し、2000年以降は、名目総生産が横ばいないし、若干下降している中で実質総生産が名目を上回っているという点である。
高度成長期には、実質を上回る速度で名目総生産が上昇してきたのである。
実質的な総生産の成長に名目総生産が追いついてきたという構図が、実質的な総生産の変化に名目総生産が追いつかないという構図で実質総生産が名目総生産を上回っているのである。

経済状態を左右するのは、所得と物価、取引価格である。
所得は、人の要素であり、物価は、物、取引価格は、金の要素である。
所得は、収入。物は、生産。金は支出を表している。
又、物は、実質的価値を、金は、名目的価値を表している。
実質的価値は債権の本となり、名目的価値は債務を形成する。
これが、経済状態を考える上での前提となる。

所得が経済の規模を制約し、物が経済の実体を、金が、経済の枠組みを形成している。
デフレーションにせよ、インフレーションにせよ、人、物、金いずれかの要素,複数の要素が絡み合って引き起こされる。
そして、人、物、金の何が先導して引き起こしているかによって性格が変わる。

所得を産み出すのは、生産と消費の好循環である。だから、総所得は総生産という側面と総支出という側面を併せ持つのである。生産手段に対する投資と投資した資金を回収する過程で労働と報酬に基づいて分配が実現する。その好循環によって自由経済は成り立っているのである。
生産と消費を仲介しているのが価格である。価格は、所得と費用と均衡させる為の指標である。
物としては、価格は、単価と販売量の積。人としては、単価と労働時間の積。支出から見ると単価と購買数量として表される。つまり、販売と、労働と、購買を均衡点で価格は形成されるのである。この価格が所得を形成する。

重要な事は、名目的価値というのは、取引によって確定するという点である。
インフレーションは、所得が増える事によってお金の流量が増え物価が上昇する場合と、物価が上昇し、お金が不足するために、所得が上昇するという場合がある。
物価の上昇によって実質的価値が名目的価値を上回る状態である。
後者の場合、債権者は、債権価値が上昇し、債務が軽減される。
債務者は、債務価値が確定し、返済がされれば損をするわけではない。
問題は、所得の上昇が物価の追いつかない場合や所得の上昇を期待できない人がいる場合である。

それに対して、デフレーションは、債権者にとっては債務の負担が重くなり、しかも収益が減少するので深刻な問題を引き起こす。所得も必然的に伸び悩む事となる。
デフレーションは極端な場合、ブラックホールのような状態にすらなる。現代の日本の現状は、市場の収縮が強く,ブラックホール化しているようにさえ見える。
先ずこの状態を脱する事が急務である。

デフレーターは2000年を基準年、指標を100としているが、これを1998年を基準にするとそれまで一貫して上昇してきた値が一転して下降し始める。つまり、1998年まで上昇してきた物価が1998年を境にして下降し始めたことを意味している。つまり、物価は、1998年から下がり始めているのである。(図7-2)

つまり、GDPデフレーターから見ると日本は、1998年からデフレーション状態になり2005年から定着化したと言える。
消費者物価指数では、2000年から下降に転じている。消費者物価指数は、消費と言う事に限定している事を考えると経済全体の経済状態を検討する上では、デフレーターが向いていると考える。

2000年を境にして、名目的GDPと実質的GDPは,逆転しており。(図7-2)
その乖離が年々広がり2013年には、57兆円にもなっている。

国民の総資産も1994年前後から横ばい状態である。(図7-3)重要なのは、金融資産と非金融資産の比率であるが資産に占める比率は金融資産の方が高まっている。(図7-4)

1990年までは、実質経済が名目を引っ張ってきたのが、2000年以降は、実質と名目の力関係が逆転し、実質的経済が名目、即ち、お金、借金、負債によって足を引っ張られているのが実体である。
名目的部分が実質経済を追い越した時点で力関係が逆転したように見える。それがバブルの発生と崩壊を引き起こした一因だと考えられる。
所得が変わらなくて物価が下がっていれば実質的な収入はよくなっているように錯覚するが、実際は、内容である。家計への配分、雇用者所得や可処分所得が上昇していれば実質的な生活は豊かになっているはずである。しかし、実際は、家計の配分は少なくなり、雇用者所得も可処分所得も低下している。つまり、貧困化しているのである。

先ず第一に家計の可処分所得が下降しているという事である。(図7-5)

所得の家計への配分は、年々下がっている。(図7-6)

雇用者報酬自体、年々低下している上に、雇用者報酬の中の賃金・俸給は、1997年240兆円でピークに達し、以後一貫して下落して2009年に206兆円迄落ちて2012年まで206兆円代を推移した後、2013年現在、207兆円である。下方硬直的と言われてきた人件費もおおよそ35兆円、10年間で下落しているのである。(図7-7)

所得の安定が重要な要件になる。所得が拡大しない原因の一つが非正規雇用者の増大がある。将来に亘って安定した所得が保障される事で借金も支出もできるのである。将来の収入に不安があれば、人は、今の支出を抑制し、貯蓄をして将来の支出に備えるようになる。

国土交通省の建設投資見通しにおける民間の住宅建設投資も1995年に5兆円下落した後反発して28兆円でピークをつけた後下降し2009年13兆円まで下落した。
新設着工件数も1989年に165万戸を記録した後下降し、2009年には、26万戸減の78万戸で持ち直したと言っても80万戸台でしかなく、25年以降は、60万戸代が常態になるだろうと言われている。

所得が頭打ちな上に、物の需要も減退している。この様な状態の中でただ競争を煽ってもデフレーションを脱却する事は出来ない。量より質の時代に転換すべきなのである。

価値観が多様化し、情報が氾濫し、人々は、個性化しているというのに,生産の局面ばかりが未だに大量生産に囚われている。人々の嗜好や個性に合わせて生産品も多様化すべきなのである。ところが競争を激化し、安売りを奨励するような施策ばかりがとられている。
品質や安全性、デザインと言った価格以外で競争する所は沢山あるのに、ただ安ければいいという風潮に流されている。それがデフレーションを加速している原因である。

局面によっては、不況カルテルのような競争を抑制する施策も有効なのである。
規制を緩和するばかりが能ではない。
大体、規制のない競争は、生きるか死ぬかの闘争、抗争でしかない。野蛮な事である。
なぜ、利益を確保するための話し合いや提携が許されないのか。
それは利益は悪だ、搾取だという偏見に基づいている。

経済政策の一つに景気対策がある。しかし、景気対策を公共投資に依存しすぎると一種の中毒症状になる。
公共投資だけでは、名目と実質のギャップは埋められない。
なぜならば、公共投資は、双方向の働きを持たない上に、生産手段としての働きが稀薄だからである。経済性が乏しい。
最終的には収益によって負債は、精算されなければならない。
その為には、過当競争を抑制する施策をとり、荒廃した市場を改善し、企業の適正な収益が上げられるような市場環境を創り出す必要がある。

インフレーションもデフレーションも資本主義の宿痾の様に言われてきた。
しかし、経済の仕組みは人工的な機構である。
つまり、インフレーションもデフレーションも人工的な出来事なのである。その点を抜きに自然現象と同じように語るのは間違いである。
インフレーションもデフレーションも災害ではなく、自己なのである。謂わば欠陥自動車が起こした事故のような事なのである。しかも、その事故は多分に人々の思惑や欲望が絡んで起こっているのである。

よく今は、デフレーションだから悪いみたいなことを言う人がいる。逆に、インフレーションのインフレーションだから悪いという人が出てくる。デフレーションやインフレーションに限らず円高とか、経常赤字になると円高が悪い、経常赤字が悪いという人が現れる。しかし、経済的事象を良し悪し、善悪で区分するのは危険な事である。
円高とか、円安、経常赤字や黒字というのは、善悪の問題ではなく。ポジションの問題である。経済的事象が妙な価値観に結びつくと経済の本質を見失うことになる。




図7-1

野村インデックスファンド
図7-2

国民経済計算書     内閣府
図7-3

国民経済計算書     内閣府
図7-4

国民経済計算書   内閣府
図7-5

国民経済計算書
図7-6

国民経済計算書     内閣府
図7-7

国民経済計算書     内閣府


       

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