息子が子供の頃、出会う子出会う子皆に友達になろうって声をかけていたのをよく思い出します。
公園を駆け回っていた事、小学校の入学式の時の桜吹雪、京都を裸足で歩き回った事。
小さな手で、僕の手を握りしめてきた時の感触。
まるで夢のようです。
生まれてくるまでは、いないのが当たり前だったのに、生まれるといるのが当たり前。
不思議なものですね。
遠く離れてみるとみるとその寂寥とした空白は誰にも埋められない。
町を歩いていると時々、「パパ」って声をかけられたような気がしてハッとします。
家内は、「息子を海外で活躍できるようにと育ててきたけれど、いざ留学させたら自分の心の準備ができていなかった」と涙ぐみます。
親というのは、愚かなもので、日本にいながら寒い日は、カナダいる息子は凍えてはいないか。雨の日は、濡れてはいないか、自分たちがごちそうを食べても、息子は、ひもじい思いをしていないかと心配する。
私ら夫婦は、自分たちの断ち切れぬ思いを断ち切り息子の夢を実現したいと判断し留学を許したのです。
我が身を切られるくらい辛い思いです。
なぜ、そんな思いまでして留学を許したのか。
息子の夢は自分の夢でもあります。
狭い世間の柵に囚われず。
若い時は、自分が信じた道でやりたい事をやり。
世界に羽ばたいていて欲しい。
悔いない人生を送って欲しい。
それが私の夢だからです。
Copyright(C) 2015.11.11 Keiichirou Koyano