今の日本人は、なぜ、トランプ大統領のような人が大統領になり、根強い人気があるのか、理解できない。
根本的に国際社会は、戦いの場である事を忘れている。
それは、自国の力で自国を独立を守ってこなかった証左かもしれない。
安全と水はタダだと思っていると揶揄されてから久しいが、性根の底まで奴隷根性が染み込んでしまったのかもしれない。
何というか、良識派とか、平和主義者とか、自由主義とか、無神論とか、科学主義が絶対だと思い込んでいる。
なんでも話し合いで解決できると思っているし、民主主義や自由主義を絶対だと思い。進化論的に民主主義的な世界になると信じている。
ここまでいくと信仰に近い。理想を抱くのは結構だけど、現実を見れなくなったら夢想家に過ぎない。
黙っていれば男女同権、差別主義者はいなくなるなんて、馬鹿みたいに思っているのは、平和ボケした日本人だけ、差別主義者は今まで唯我慢していただけで、何かきっかけがあれば台頭してくる。
日本人だって同一民族だなんて言って差別主義者は結構いる。どちらにしても極端から極端に走っていくから怖いのである。
無神論とか、唯物論とか、科学的合理主義とか、自由とか、民主主義なんて歴史的に見ても、また、国家的に見ても、少数派で、世界で多数派を占めているのは、キリスト教徒であり、イスラム教徒であり、ユダヤ教、ヒンズー教徒ですよ。それに、社会主義者。それに神秘主義や超能力主義が横行している。
トランプ大統領にせよ、プーチン大統領にせよ、ある種、パーソナル障害があるように見える。
それでもリーダーとして求められるのは、強さなんですね。戦国乱世では、間違ってもいいから決断をして方向を示せる人なんです。
しかし、今でも世界では、戦争や紛争が絶えないし、最終的には、武力に訴える国が多いのである。その好例がアメリカであり、中国であり、ロシアなので。
なりふり構わないところに人はついていくと思うのです。
気取っていたら駄目ですよ。それによく言われました。リーダーは矛盾していると…。
障害があるなんて言われておろおろしていたら指導者なんてなれませんよ。
そんなことはどうだっていいんです。部下からしてみれば。良識なんて通じる世界ではないんですから。
障害なんて、障害そのものより、障害を障害として受け入れられない事の方が問題なのであって、障害を障害として認識し、自覚できたら、それだけで大方、改善するのであり。障害を隠そうとしたり、受け入れようとしないから悪化するのである。
障害を障害として求められるしたたかさがあれば、自分の障害を逆手にとって立ち回ることだってできる。
親父が、よく僕らに行ってました。リーダーに求められるのは、馬鹿利口じゃなくて厚顔無恥だと、僕は、含蓄のある言葉だといつも思い浮かべます。
それとなまじまとめようとするな、ぶっ壊すくらいの覚悟で望めばまとまるものさと…。
今は、ほとんどの人に何らかの障害があると考えられている。
障害と言っても精神疾患とは違い。生きていくうえで、何らかの問題があるくらいの事とされてきた。
あくまでも個人の問題であり、社会に与える影響は、小さいと考えられてきた。
障害が先天的な事か、後天的な事か。それによって対応の仕方も違ってくる。何が障害で、何が障害の原因なのかも見極める必要がある。
ビルゲイツとか、アインシュタインとか、エジソン、坂本龍馬といって俗に天才と言われる人の多くは、障害者ですよ。
障害だから問題なのではなく障害に負けるから問題なのである。
ただ、日本の中には、障害者を異端者として退けようという傾向がある。それは改めなければならない。
欧米では、発達障碍者に対する手厚い支援がなされている。それは、彼らが無能者ではなく、潜在的能力を秘めているものが多く含まれている事を知っているからである。
障害者に対する支援は、どちらかと言うと介護とか、特別扱いのような弱者、劣等者扱いだったが、近年その見方が変わりつつある。
決して彼等は劣っているわけではなく。何かの事で他の人より時間がかかったり、手間がかかるという事でそれ以外では何ら問題にならない。
多少困った人と言う程度の問題だと・・・。むしろ意味もない制約、時間的制約によって彼らの才能を縛ってきた傾向がある。
試験勉強を絶対視してきた弊害である。物理学や数学でも一定の時間内で正解を出す事が問題なのではなく。
何年かかっても自分なり真理を見出す事の方がよほど価値がある事は自明な事として受け止められてきたのである。
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