イランのソレマイニ司令官の殺害、ゴーン氏の日本脱出、それにコロナウィルスと波乱の幕開けとなりました。
何か今年を予感させる幕開けになったと感じます。いよいよ水面下の大きな変動が表に出てきた。
いろいろな会合に出て気が付いてみたら、自分が一番の歳上になっていました。
ただ日本人の緊張感のなさが気になるのです。臭い物には蓋をする。見たくないものは見ないようにする。
でも現実は日本人の思惑なんかに囚われてはいない。
これまでは、変わるという事を前提として考えてきました。でも、今年は、変わるのではなく。すでに変わってしまったという事を前提として行動しなければならないと、さもないと、我々は、現実に対応できなくなると思うのです。
何が変わったか、一つは、私どものプロパンガス業界です。中東依存からアメリカへと大きく産地がシフトした。第二に、システムの事です。ラインとか、フェイスブックと言うようにクローズされたシステム、自己完結的なシステムからオープンで参加型なシステムへ、システムに対する概念が根本から変わってしまった。第三に、労働環境と言うか、やれパワハラとか、セクハラと言われ上司と部下の在り方が変わった。また、時間外に対する考え方、仕事に対する考え方が変わってしまった。仕事に対する価値観が変わったという事です。これは抗いようがない。
口幅たいことを申し上げました。ただ、私の実感なんですね。
いろいろな会合に言ってみて、気が付いたら自分が一番年上になっいた。
若手だなんて言われていたのが、いつの間にか、一番の年長になっていた。自分が一番年上なんだと気が付いた時、ふっと思ったんです。
そうかって、考えてみたら自分は、何をやっても許される年になったと…。頭を抑えつける人間がいなくなったとか、年下の者ばかりだからと言うのではなく、残されている時間が少ない、先は見えていると悟ったからです。
死のうは一定。モヤモヤと悩んでいる暇はないと。だったら、素の自分に戻って。やりたいこと、何べきことを、ひたすらにやればいい。一途にやればいい。
何もせずに、悔やんでばかりいて人生は終わりたくない。人の目を気にせずに、虚飾をかなぐり捨て、捨て身で、なすべき事を為せばいい。
未練は、見苦しい。失う物なんて何もない。そういう年になったのだと…。
歳を取るとついつい臆病となり、守りに入ってしまうけれど、何を怖れる必要があるのか。何を怖れているのかと…。
そう思ったら、変化を受け止める覚悟が出来ました。変化するのではなくて変わったという事です。是か非かではなく。もう変わってしまった。変わってしまった以上、是か非か、良いの、悪いのと議論したところではじまらないのです。変化を受け入れた時、前が開けるのであり、変化を受け入れない限り、未来は拓けないのです。もう変わってしまったのです。
振り返ってみて、自分が上手くやったとか、思い通りにできたかと思うと、お恥かしい事ですが、夢中になってやってきて、何とか、ここまでこれたというのが本音で…。何をやってきたのかと忸怩たる思い、苦い思いに捉われることもしばしば。思い返せば赤面の思いです。でも、だからこそ、やって出発点に立てたのだという感慨もあります。
もう何も迷う事はない。誰に遠慮したり、気兼ねすることなく。自分のやりたいことをやる。
孔子のいう耳順や従心と言う教えに今更ながらハッとさせられました。
六十になって人の話に素直に耳を傾けられ、七十にしてどんな行いをしても人の道に外れる事がない。確かに、真理だなと…。
何が、現実で、何が、虚構なのか。例えば、三年後には、確実に私は、七十になる。これは動かしがたい現実なのに、自分は、今しか現実としか受け止めていない。受け止めていないから自分が変わる事を拒んでいる気がするんです。
でも、三年後の自分を現実として受け止められたら、今の自分と言うのは、違って見える気がするんです。そうすれば十年後の自分も信じられる。
世の中に迎合する必要はないけれど、今の自分に諦めるのではなく、日々心を新たにしていれば、道が開けるように思えてきました。
歳を取るのは、残酷な事ですが、でも、これまでの自分の人生の軌跡を否定するのは愚かです。
なにか、高齢化と言うのを現代人は、否定的にとらえますが、老いるという事は素の自分にたち帰る事のような気がしてきました。何を怖れる必要があるのだろうと自問自答するのです。歳を取る事でそれまで見えていなかった風景もまた見えてきます。だとしたら誰はばかることなく自分らしさを追求すればいい。
新しい時代の幕開けは、若者たちの為だけにあるわけではありません。年寄りにも年寄りなりの時代の幕開けがある。
会社も同じだと思うようになりました。時の変化を追うのではなく。自分たちの原点をもう一度見直すべき時なのかなと…。その時はじめて時の変化を素直に受け入れられる気がしてきたんです。時の変化は常ですが変わらないものもある。変易と不易を見極めれば、その根本はいたってシンプル・簡易と言う事だと思います。
世の中がどう変わろうと、変わりようのない素の自分に立ち帰り、今を生きるしかないんです。人生なんて単純なんです。難しく考えたら何もできなくなってしまう。
若い頃は、怖いもの知らず。恐れを知らないで決断をするが、それは無謀である。
経験を積むと恐れを知る。怖れを知ってから決断する事は勇気がいる。
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