組織は、形で動く。組織は理屈で動いているわけではない。組織は集団だから。大勢の人間が統制のとれた行動をとるためには同じ目的を共有しなければならない。長々とした話では一体的な行動ができない。
形、即ち、イベント、象徴(旗)、式典、作法、行事等で全体の意志を最初に統一する必要がある。
特に、仕事は、始点を共有しなければならない。だから、仕事の立ち上げを明確にしておく必要がある。仕事を始まるにあったて責任者を明確にし、関係者に伝えておかないと正式に仕事が始められないからである。
仕事を始めるにあたり誰の指示で、誰が責任者で、担当者は誰で、メンバーは誰で。関係者は誰で、どの様な目的で、何をしようとするのかを意思統一しておく必要がある。始まりを一点に集中させる。
出だしを明確にしておかないと仕事の統制がとれなくなるうえ、責任の所在も明らかにできない。間違いが起きても元に戻れなくなる。
また、正式な仕事としてみなされない。また、正式な指示も出せない。要するに組織的な仕事が始められない。
組織や仕事の主旨を顔合わせや打ち上げ、立ち上げとして形で表し関係者に周知、あわせて、正式にチームを発足させる。
通常は一回ではなく目的や役割に応じて数回に分けて行う。
正式には、キックオフ、オリエンテーション、ガイダンスなどがある。
仕事は形で始まり、形で終わり。形で制御する。形で指導し、形が作れない者は組織を動かせないから結局一人仕事しかできないし、人も育てられない。
打ち出し、立ち上げの形に対する打ち合わせが、最初の共同作業。仕事始め。
仕事は、指示と責任者以外何も決まっていない場合が多いし、むしろ、なにも決まっていな状態の方がやりやすい。
全部決まていて、結果が出ていたら仕事をする必要がない。最初から制約があったり、事細かなことが決められていたらやりにくいのは明らかだ。任せるな最初から条件をつけないほうがいい。
仕事は形に始まり、形で終わる。なぜなら理屈で一致させたり、理解させるのは難しい。
仕事は、実際に仕事をしていく過程で明らかにしていく。帳尻は現場で合わせる。
仕事は理屈ではない。立場や役割によって意見が違うのはあたりまえ。だから、形で整える。
企画屋は形を覚え。形の作り方を覚える。
全体の構想は成果物(文書や資料、プレゼン等)で組み立てる。
成果物のリストを作る。
作業仕様は成果物を基礎にして作る。成果物を完成する過程で仕事を成就させる。枠組みは、成果物の構成で組み立てる。例えば、調査だと調査目的、調査項目。調査項目毎の目的、項目、仕様、調査手段。
調査する目的に沿って調査項目を決め。調査項目ごとの目的を決め。どのように、何を、どれくらいのサイズ、いつまでに調べ、どの様な形にするかを担当者と相談しながら進めていく。
準備段階とか、実施段階では、即物的、実物的作業は実際に手に触れたり、運んだり、見たりすることができる。工数計算も実際に即して組み立てられる。工数計算も実体的にできる。それに対し調査とか、企画、予算といった抽象的で、観念的作業は目に見えたり、触れたりすることができない。工数計算も難しい。目に見えない、実体のない作業を共同して実施するのが難しい。一つの構想を共有できないと共同で作業することはできない。だから、メンバー全員が構想をみえるようにする。
故に、調査は、調査報告書とか、企画は企画書、提案書、設計書とか、予算は予算書といった文書や資料に置き換える事で物質化する。項目には、目的、組織、期日、予算、作業など作業仕様がある。そして、項目をあげてその項目を作成する作業に置き換えて計算する。例えば、調査ならば、調査目的を誰が発案し、どの様に提案し、誰が、どの様に作成するかを設計し、先に、承認を受けておく。同様に、組織をどうすか、期日をどうするか手順に決めていく。項目で下書きや作業の構想を立て。項目の数で調整する。
実際の内容は個々の責任者に任せ事務官はなるべく立ち入らないようにする。できれば、調整役に徹する。
出発点が決まったらなるべく早い時期にゴールを設定してもらる。ゴールが目途がついたら、エベントで枠組みを作る。イベントには、オリエンテーション、ガイダンス、レビュー、定例会、顔合わせ、キックオフと各種あるから目的に応じて組み立てる。
最終的には、実施段階で調整し確定するから、あまり、企画段階で細かく詰めすぎると柔軟性がなくなる。最終的には現場合わせが原則。
いずれにしても初期段階は何も決まっていないし、解らないから、とりあえず、組織を起動する。
家を建てたり、イベントの準備と言った即物的、実物的作業は、目に見える。しかし、企画や計画、構想と言った作業は目に見えない。目に見えない、抽象的で観念的な作業を共同で、組織的に行うためには、頭の中にある構想を目に見える物にする必要がある。だから目に見える物事に置き換える。
現実の作業は項目を上げて、項目を根拠に洗い出す。調査だと調査目的、調査項目と上げ。調査目的をいつ、だれが、どの様に起案、提案し、そして、誰が決めるのか。その上で、調査項目ごとの目的、項目、仕様、調査手段等を具体的に検討し、設定していく。
まず、成果物のリストを作り、成果物を組み立てる事で全体の大枠を作る。それが、WBSなどの手法。
結論というのは終点で、始点ではないんだよ。だから、結論がでるのすべての問題が片付いたた後だから結論が出てからなんて言っていたら何も始まらない。
始点というは、何も決まていない状態。だから、とりあえず、責任者とテーマが決まていいる程度でスタートするしかない。そうしないと正式な仕事に直主できない。最初は、何も決まていない、結論が出ていない状態で共同で作業を始めなければならないから。
最初は、方針を決めて仕事に正式に取り掛かるという宣言に過ぎない。だから、方針というのは方向性を示したものに過ぎない。
その段階で私見を述べて反対する真意がわからない。それは、単純に責任放棄、仕事がしたくないと言っているのに過ぎない。
なぜなら、何の結論も出ていないし。準備、調査に取り掛かろうとしているので、その結果からそれぞれの考えを聞くので、何もしていないうちにやりたくないとか反論する必然性がない。
なるべく早い段階で正式にスタートだけは切っておいたほうがいいというのが原則。白紙の段階の方が構想段階から多くの関係者と相談できる。正式の仕事として扱るから。止めるのも早い段階ならやりやす。とにかく正式に検討だけはさせておきたい場合など特に早い段階で正式にチームを始動したほうが無難。
あら程度仕事が進んでしまうと意思統一が難しくなり、合意がとりにくくなり、足並みをそろえるのも難しくなる。最初は核となる人間で下準備をしてスタンバイ状態にしておく。でないといざというときに組織が起動しない。
反論や自分の意見は仕事がスタートすれば結論至らないかぎりいつでもできる。
ただ、スタートきるまえに反論されたり、自説に固執されるとスタートが切れなくなる。だから、合意に達してからスタートをきろうと最初から仕事がとん挫する。可能な限り早くスタートだけは切っておいてそれから話し合いを始めなるのが原則。組織だけは、起動させておく。システムでいえばスイッチを入れておかないとゲームは始まらまいというのと同じ。
最初に思惑にとらわれると話が進まなくなるし。話し合いそのものが正規の仕事としてみなされない。準備もできないから事務局も動けない。すべての仕事が非公式で私的、一人仕事になる。必然的に就業時間外の仕事とみなされる。
部下も関係者も使えない。
なぜ、仕事始めの形にこだわるのか。
まず第一に、正式に、仕事に着手したことを宣言し、関係者に周知する事。これが一番の目的。
次に仕事の根拠を示す。誰の指示で、どの様な経緯で仕事を始めるのか。その根拠を示す。
そして、責任の所在を明らかにする。誰の指示によって誰が責任を持たされているのかを明らかにする。
その上で、仕事の性格を示す。どの様な体制で、諮問なのか、それとも準備なのかと言った事。
その後、当座の予定。大体三手先迄と言うが、次回の予定とそれまでに準備しておく事を明確にする。
そして、正式な記録を残し、仕事の始点に戻れるようにする。
これが基本的な形。
仕事には、始まりと終わりがある。始まりと終わりがハッキリしないようなけじめない、だらしない仕事はするなと厳しく我々は、躾けられたが、我々以降の人間は、形を作る意味も解らずに、略式略式、適当に適当にでいつの間にか形が消え去り、消滅した。
結婚式の変遷を見ればわかる。最初は、親戚縁者に結婚を知らしめることを目的とした。それが両家の結びつき。それがだんだん仲間内、その間に仲人が消え。親や仕事の関係が薄れ、友達が主となる。この段階で人前結婚式になり。誓いの意味が薄れ。その後、新郎新婦だけが残り、最後には、結婚式そのものが消滅する。理由は、面倒くさい。
よく話すが、結婚までの段取りも親の了承得て、仲人を立て、結納をして、結婚をしてそして、子供を産む。これが我々の段取り。今は、子供を作ってから結婚式をして、最後に親の了承をとる。だから、親の承認は一番後回しになり、事後承諾となる。これでは、筋もへったくりもない。だから必然的に離婚率が高まる。自分たち以外関係ない、社会性がない。
物事には、始まりがある。その始まりを明らかにするのが式典。
結婚式、入学式、入社式、結団式、正月等が典型的。
最初の価値が示されないと組織は、正式の仕事として認識しない。
略式も一つの形。最初の形ができないと組織的な仕事はスタートしないから一人仕事になり、ただ、その仕事を手伝うに過ぎない。
また、正式な形が示されないと正式な仕事として承認されないから非公式な仕事とされ、就業時間内の仕事としては許されない。だから、形を作って早急に正式な仕事としてスタートしないと仕事が始まらない。始めないと、仕事は、始まらない。
正式仕事がスタートしたら、その後に枠組みに入る。基本的に最初は、責任者と責任者が指示された事くらいしかわかっていない。だから、顔合わせ程度にとどめて、指示者と責任者と相談しながら組織づくりや枠組みに着手する。
枠組みは、大枠を作って、次に、日程、枠組み、段取り、原則、ルールなどを手順に決めていく。
大体、仕事には、定石があり、また、手順段取りは、チームや関係者が共有しなければならないから一人で作業を進めるのではなく。最初からチームとして仕事を始める。極力仕事をさせる。一人で仕事をしない。特にリーダーが一人で仕事をするのは、チームにとっては迷惑になる。自分で仕事をして限り担当者の域を出ない。
共同作業をする事で、仕事の主旨や目的を段階的にも組織的に明確にしていく。
だから、第一回、正式に開始の形が重要になる。
急ぐ場合は、正式なスタートの前に、非公式でも部内でスタートさせておく形もあるが、その場合でも早い時期に正式な形を作っておけと言われた。
原則では、正式な手続きを踏む事だが、正式な手続きだけでは、組織的な仕事はスタートしない。その場合でも関係者に周知されて初めて正式なスタートきれる。
最初はなるべき簡単にする。難しくしない。
最初は責任者をきめ、オーナー相談しながら進める。
結論というのは終点で、始点ではないんだよ。だから、結論がでるのすべての問題が片付いたた後だから何も始まらない。
始点というは、何も決まていない状態。だから、とりあえず、責任者とテーマが決まていいる程度。
最初は、方針を決めて仕事に正式に取り掛かるという宣言に過ぎない。だから、方針というのは方向性を示したものに過ぎない。
その段階で私見を述べて反対する真意がわからない。それは、単純に責任放棄、仕事がしたくないと言っているのに過ぎない。
なぜなら、何の結論も出ていないし。準備、調査に取り掛かろうとしているのでその結果からそれぞれの考えを聞くので、何もしていないうちにやりたくないとか反論する必然性がない。
指示者と受令者は、二枚貝、ピーナツの裏表のような関係があり。組織は、最初から一人では動かない仕組みにある。ただ相対で仕事をしていたも組織は、仕事として認識できない。故に、正式な仕事とする場合は、必ず、担当者、決定権者、承認者をもって最小単位とするのが原則。一人仕事は、あくまでも単位作業でしかなく。それも、承認者、責任者(指示者、決定権者、管理者)、担当者(起案)をもって一単位とする。
形を覚え、形作りを考える。
形が作れない者は、組織を束ねたり、管理する事はできない。
最初の形を作らなければ、仕事の根拠、責任の所在、本来の主旨目的、経緯が追跡できなくなり、また、原点をあいまいにでき。中間に立つ者は、自分の都合、思惑で、仕事を捻じ曲げる事が出来る。
それを防ぐ為に、我々は、最初の形だけは作っておけと口喧しく言われたが、我々の後輩の事なかれ主義、日和見主義者たちは、始点をあいまいにする事で、適当に仕事をする事や言い訳、責任転嫁のし方を覚えた。
だから、なんでも適当に適当に、形式にとらわれるな常識にとらわれるなと誤魔化した。
その結果が、今の無責任体制、忖度であり、それで困るのは、担当者である。
この点だけは、忘れないでほしい。
最初をあいまいにするのは、トップが責任をとらないということを意味する。
それだけは断じてできない。
仕事の追跡を可能にする事で、上司も責任をあいまいにする事が出来なくなる。
形を作るのは、部下の為であり、担当者にとって自分を守る事になる。
最初が明確になれば、仕事は、極めて論理的で客観的なものになる。要するに、ビジネスライクに処理が可能となる。任せるというのは、筋道が通らなければ無責任である。
確認が取れるのは、即日に限る。一日経つと考え方が変わる。日がたてば、記憶に頼るしかない。記憶を根拠にすれば各々が自分が正しいと言い張り、思い込む。そうなると事実に基づいて修正する事が出来なくなる。
結局、収拾する事が出来なくなる。どちらの言い分も正しくて間違っている部分が出てくるからである。
即日確認の上、記録を残しておかないと言った言わないになる。
その場合は、記録をとって確認をとらなかった者に責任を帰す。
作業には幅がある。故に、作業単位は、期間で読む。
作業単位は、期間だから始点と終点がある。故に、作業単位は、始点と終点にイベントを置いてくぎておく。イベントとは、交点、報告、上申、打ち合わせ、会議、聞き取り、などをいう。まあ、基本的に打ち合わせを設定しておくのが妥当。
仕事は、基本単位を設定する事で決める。
イベントを月単位、週単位にするかを取り決める。
基本的に、一ステージ三か月、一か月、四週。一週、五日で計算する。
ただ、仕事の全体の期間、半年単位か、一年か、三年かによってステージの長さは変わってくるので、企画立案者が責任者と相談の上、何段階にするかを相談の上取り決める。
販売店会や社員旅行、新年会などは、店会理事会、共済会、幹部会を起点として、店会理事会、共済会。定例会議の日程の基づいて最初の段階で調節しておく。
一週間をベースとすれば、一か月は、イベント四回、期間で三期間とれる。
一番初歩的な基本の形は三ステップで、第一ステップ、前処理、第二ステップ、実施、第三ステップ、後処理。
全体の概要が定まったら大体仕事のペースをきめる。仕事のペース、リズムは、定例会議をどの程度の頻度(週一。週二、月一、四半期に一回等)で想定するかによって決める。原則は、時間を短く、頻度を多く。
これが、水平方向の形。縦方向が、組織で、横方向が作業仕様。五W一H。
第一段階、指示と指示の確認。次段階で、大枠の設定、要件定義と組織つくり。
大枠は、ステージ単位。
三ステージをベースにした場合、概念、基本、実施。準備、実施、後始末。序破急。序盤、中盤、終盤と言った形が想定される。四ステージ、プラン・ドー・シー、チェック、春夏秋冬。前々期、前後期、後前期、後後期。起承転結などの区分がある。ただ、これはレッテルであり名前にあまりこだわる必要はない。
組織は三階層(ユーザー、責任者、担当者)、ユーザーの話をよく聞いて注文票に沿って先ずユーザーから注文を取り、仕事の構想、絵を描くところから始まり、担当者を指名して担当者に作業を洗い出させる。
点と線の仕事してはならないと指導された。仕事は、立体的に組み立てる。
注文を取った後は、仕事の仕様を決める。それが要件定義。
計画段階では、目に見えないから資料や成果物の作成に落として工数を計算する。成果物と言うのは、かつては、書類を指したがペーパーレス化が進んだ現在は、プレゼンテーションやファイル、スケジュール表のような物を指す場合が多い。
現在は、フォーマットやテンプレートがあり、仕事の形は、あらかじめ用意されているが、ある程度、基本が身に着いたら、項目から組み立てるのも悪くはない。ただ、あまり、奇抜なものにすると実際に作業に落とした時に仕事を制御できなくなる危険性がある事は留意しておく。
実際の作業は、計画書、組織書、予定表、予算書等を基に予実績を管理する事で制御する事になる。根本は予実績管理で、予定、予算通りにはいかないが、予算、予定がないのは地図も指針もないまま山登りをするようなもので、最初から成功は難しい。どんな簡単な仕事でも三か月程度の道筋は考えておく必要がある。
計画等の作業は、項目に沿って実施する。
故に、計画は、計画書を作成する作業に置き換えて工数(人数と日数)を計算する。
着手の段階では、とりあえず項目だけ確認する程度でいい。その時点で決まっている事だけ書き出しておく。まず項目に沿って大枠(ステージ単位の予定)を決め、段取りを取り交わし、手順に作業に落としていく。
その上で、項目に沿っていつ、だれが、何を、どの様にして行い。結果をもいつ、誰に、どの様な形にして報告するかを決める。基本的に詳細の作業は一両日程度の作業しか確定できないと考えていた方がいい。
予め、日限を切って個々の作業の進捗状態に合わせて全体を統制するようにする。その為に、作業の始まり、中継点、好転、終点を明確に設定しておく必要がある。
実際の仕事は、一人ひとりの能力や予定、予測の事態に左右されるので、余りぎすぎすに組まない方がいい。マネージャーの仕事は、日々の作業の組み替えにある。
故に、予実績管理が中心になる。
組織的な仕事は、基本的にチームワークになるから仕事の大筋は、チームリメンバー並びに関係者には随時、周知、共有しておくのが鉄則。少なくとも説明ができる者を作っておく事。
集団においては、人は個人的な論理で判断するわけではない。組織的な論理に従って判断している。その人その人の立場役割によって判断内容は違って当然である。だからこそ形が必要とされるのである。
最初は、結論を考えずに作業を考えろ。
方針というと結論をいきなり考えて自分で書き出す。そうではなくて、方針を誰とどの様に決めていこうかと考える。相手を考える。これもよく言われたけど相手のいない仕事はない。相手を思い浮かべろと。
組織と言うのは、全て共同作業だから一人で仕事をしても何の意味もない。
まず項目を上げて、その項目を眺めて構想を練る。
先ずどこから着手しようかことから考える。
項目は、思いつかなければ、フォーマットやテンプレート、前例みたいなのから引っ張ってきてもいい。これも形。
我々は、仕事や組織は、鰻みたいなもので、尻尾を捕まえようとしたら逃げていくよ。首根っこを押さえろと言われ続けた。
終わりから入ろうとするから仕事に入れないんだ。始めから入れとも。はじめは何も決まっていないんだよ。だから形を抑える。
入り口から入れ、出口から入ろうとするな。
結論の意味を理解させるのが目的なのか。考えさせるのが目的なのか。
誰に何をさせようかと考えるとその段階でチームを考える事になり、組織的な仕事に置き換える事が出来る。
自分でやってしまうとどこまで行っても個人的、私的見解を越えられない。上と意見が対立したら従うか、屈服させるかしかなくなる。そうではなくてはない逢ってチームの考え方を纏めてチーム全員に浸透させるのが目的であって議論して相手を屈服させることが目的ではない。それをやるとチームワークからすると逆行する。
それから、具体策になった場合、どこから着手するか、例えば、場所から、日にちから入るのか、メンバーから入るのかを皆で組織的に考え決めていくためにはどういう風に作業を組み立てるかを最初に設定する。
尻から入ろうとするな、頭から入れ。試合は、やってみないと解らない。試合の前に考える事は、試合前にする練習や準備。試合する前に試合の結果を考えても意味がない。試合の前に考えるのは、試合に臨むにあたっての方針であり、どんなチームをつくるかだ。
着手するのは、チーム作りであっていきなり試合をするわけではない。
最初から選手は監督の思い通りには動かない。
帳尻は、現場で合わせるしかない。だから、最初の内は、あまり身構えるな。頑なになり、決めつけてしまうと、柔軟さが失われ、身動きが取れなくなる。
入り口から入れ。出口から入ろうとするな。
選手は、最初から監督の思い通りは動かない。
自分の考えをわかってくれない。自分の指示通りに動かないと嘆く前に当たり前だと思え。
自分の考えや計画、自分で書いて読ませるだけでは部下は、理解できないし、受け入れない。選手に自分の構想を紙に書いて伝えるだけでは選手は理解できない。
ゴールに向かって作業を共にし、一緒に考え、失敗や成功を共有する過程で部下は、自分の考えを理解する。
また、自分もユーザー、発注者、指示者の話をよく聞き、注文を確認する過程で仕事の目的や趣旨を理解できる。最初から完璧に理解しようなどと思うな。部下は、自分の思い通りに働いてくれると思うな。
相手のわからない仕事はするな。相手があって仕事は成り立つのを忘れるな。自分の都合を押し付けるだけでは人は動かない。
最初は完成度など求めやしない。ともに考え、共に泣き、同じ目的に向かってそれぞれの役割を果たしていく事で結果を共有する事が出来る。
仕事は、最初に絵を描け。絵を描くように段取れ。理屈で考えても人は動かないよと言われた。
だから、仕事は、下書きやデッサン、構図から始まる。
文章なら構成とか、組み立てだよね。いきなり、キャンバスに筆を落とすようにしたら失敗した時、取り返しがつかないよと言われた。
最初は、兎に角、白紙なんだよ。最初は白紙に戻せるようにしておけばやり直しがきく。
下書も必要だよ。名人達人ならいざ知らず。
組織、方針が決まったら作業を洗い出す。作業の基本は、重複なく、漏れなく、全て。しかし、経験が浅いうちは難しい。
だから、成果物を上げる。成果物から作業を読むようにする。
企画なら企画書、調査なら調査書といった現物に置き換えて作業を洗い出す。
勝つ事ばかりが目的ではないからな。
初戦は腕試しもある。相手チームの実力を探る事もある。油断を誘うために敢えて負け試合にする事もある。
親睦を目的とする事もある。教育を目的とする事もある。団結を目的とする事もある。
勝敗にこだわるばかりが目的ではないからな。
目的を間違えれば試合に勝っても勝負に負けることだってある。
何が目的かが問題なんだ。だから、目的を確認しろと言われるのだ。
考えさせることが目的なのか。自分の力を認める事が目的なのか。会社をよくする事が目的なのか。相手と仕事や目的を共有する事が目的なのか。
自分の結果がよくてもその為に、全体がつぶれたら何の意味があるのか。
自分の目的がチームの目的になった時、チームは、一体となる。
議論して勝ったところで、チームがバラバラになるのでは、自分を生かす事さえできない。
負けるが勝ちということもある。
よく近いことほど決めるのが難しい。遠いことほど決めやすいから遠い事から決めて行けと言われた。
遠くに向かってボールを投げるような段取れと…。
明日の事は決められなくとも来年の事は決められる。
また、明日できるかもしれないが、1年先にできているかどうかわからない仕事でなく。
明日できなくても来年は確実にできている仕事をしろとも。
今日やるべき仕事は今日中にやり終えておけ。
最初、仕事は、拡散する。そして、徐々に収束していく。だから、あわてるな。
そして最後に足下に落として結論を出せ。
一歩外へ出たら何をするかを考えろ。
ところで私は何をしたらいいのが会議、打ち合わせの結論。
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