初動を大切にしよう。
最初の3分間で決まると私は、躾けられた。
何事も最初が肝心と。ちなみに会議は、最後の3分間は、緊張しろとも…。
我々の父の世代は、最後の軍隊経験者だから戦争経験から切実な事として我々に伝えていた。初動3分が生死を分ける。これは、東日本大震災の時にも証明された。初動3分の判断が生死を別けた。
この事は、体で覚える必要がある。なぜならば、非常時・緊急時は、非常事態、緊急事態が発生した瞬間、頭が真っ白になり冷静な判断が出来なくなる。思考が停止するからである。
それでありながら、トップが責任を問われるのは、事態が発生した際に発する最初の指示に対する事である。
異常事態が起きたら冷静に考えている時間はない。直感に頼るしかないのである。
だから、初動は形で覚える。それを日常的な仕事を通じて体に覚え込ませておく。消防や自衛隊の人間は、寝覚めの時でも、無意識でも体が動くという。それは日頃の心がけ訓練の賜物。
面倒くさがらず、最初は丁寧に覚える。指導する者も根気良く、辛抱強く指導する。
昨今、指導する側が、面倒くさがって適当、いい加減に指導する傾向があるが、適当、いい加減な指導は、一生たたるし、いざと言う時に命取りになる。
私は、一流と言われる企業やお店、プロと言われる人たち程基本に忠実で、素人、三流程基本にいい加減だという事を知っている。
プロ野球の選手ほどキャッチボールやランニングを大切にする。ゴルフも素人程、ドライバーをいきなり振り回して基礎練習を蔑ろにする。プロの運転手、ドライバーは、始業点検や指差し呼称をかかさない。
先ず、初動の基礎を身に着ける。
常に、メモ用紙を用意し、注文や指示を受けた時は、簡単にメモを取る癖をつける。そして、直後に指示内容や注文内容を確認する。
次に、指示や注文で欠けているところがあったらその場で質問して補い。補足的な事で必要な事は、質問しておく。
これは基本的には、その場で確認しないといけない。一度その場を離れると確認がしにくくなる。会議の場合は、会議中に行う。なぜならば、補足修正がある場合、捕捉、修正した内容を会議出席者全員に周知しなければならなくなるからである。それは主催者にとって余計な仕事を増やされることになる。
私たちは、父たちに復唱を求められたが、これが、難しくて面倒くさい。復唱の習慣がないと嫌がられる。でも本来は、必要な事である。
確認を面倒くさがる上司や顧客がいるか、オーダーミスがあった場合、確認を怠った事で、基本的に受令者の責任になる。だから、確認をしないのは、指示者が無責任だから。それでも、オーダーミスは、受令者が負わされると思っていなければならない。
オーダーミスは、頻繁に起こり、そして、命取りにもなるから、習慣、癖になるまで叩き込む。仕事のミスは、最初の確認を怠る事による場合が多い。
メモを付けない、メモを用意していない、筆記道具がないというのは、致命傷になる。兎に角、最初に名刺やメモ、筆記道具といった最低必要に装備の確認を怠らない。
最初にだらしない仕事を覚えたら、一生だらしない仕事しかできなくなり、どこへ行っても通用しない人間になる。
指示や注文を受けたら、速やかに上司に報告の上指示を仰ぐ。
最近の責任者は、いい加減に報告を聞いて指示を出さない人が多い。その場合は、メモに日付と誰に報告したかを記録しておいた方が多い。そういう上司に限ってトラブルが発生した時、部下に責任を転嫁する。
自分の身を守るためにもまめにメモを取る。そして、間違いがあったら、自分の仕事の経緯を追跡できるようにしておき、間違いを犯したところに戻れるようにする。
そうしないと責任は全て立場の弱い者が負わされる。
些細な事で人生を棒に振ったケースを数多く見てきた。甘く考えないように。
上司に報告したら、正式に報告書を作成する。
報告書は、報告する事が目的なのではなく。指示、注文を整理して仕事の段取り構想を練る事が本来の目的。報告書にするのは、上司と仕事の段取りや構想を共有し、承認を得る事で、作文をする必要はない。事実寒霞渓だけを簡潔に書く訓練をする。意味もなく長い報告書は、報告を受ける者も迷惑である。最小限の要点と結論だけを簡潔に書く癖をつける。
大体、ここまでが、初動の基本の形。初期設定を間違うとその時点で失敗が確定する。
最初は、結論を考えずに作業を考えろ。
方針というと方針を自分て書き出す。そうではなくて、方針を誰とどの様に決めていこうかと考える。
組織と言うのは、全て共同作業だから一人で仕事をしても何の意味もない。
まず項目を上げてその項目を眺めて構想を練る。
先ずどこから着手しようかことから考える。
項目は、思いつかなければ、フォーマットやテンプレート、前例みたいなのから引っ張ってきてもいい。これも形。
我々は、仕事や組織は、鰻みたいなもので、尻尾を捕まえようとしたら逃げていくよ。首根っこを押さえろと言われ続けた。
終わりから入ろうとするから仕事に入れないんだ。始めから入れとも。はじめは何も決まっていないんだよ。だから形を抑える。
誰に何をさせようかと考えるとその段階でチームを考える事になり、組織的な仕事に置き換える事が出来る。
自分でやってしまうとどこまで行っても個人的、私的見解を越えられない。上と意見が対立したら従うか、屈服させるかしかなくなる。そうではなくてはない逢ってチームの考え方を纏めてチーム全員に浸透させるのが目的であって議論して相手を屈服させることが目的ではない。それをやるとチームワークからすると逆行する。
それから、具体策になった場合、どこから着手するか、例えば、場所から、日にちから入るのか、メンバーから入るのかを皆で組織的に考え決めていくためにはどういう風に作業を組み立てるかを最初に設定する。
尻から入ろうとするな、頭から入れ。試合は、やってみないと解らない。試合の前に考える事は、試合前にする練習や準備。試合する前に試合の結果を考えても意味がない。試合の前に考えるのは、試合に臨むにあたっての方針であり、どんなチームをつくるかだ。
着手するのは、チーム作りであっていきなり試合をするわけではない。
最初は何でも駒組だからな。
戦略は、限られた資源をどこに集中すべきかの問題。
総花的で、単に員数合わせの配置をしたら、最初から結果は見えている。
よく言われたよ、八方美人は、味方をも失うと。
野球だって、サッカーだって守備位置、打順、フォーメーションで決まる。
作戦は、その後の問題だよ。
ディフェンスの支店、オフェンスの支店があってもいいの。
守りに徹するべきか、攻撃に出るか、それは最初のセッティングで決まる。
機動部隊を持つか、遊撃手を使うか。
そこが戦略の在り様だからな。
戦略は、情報、兵站、作戦の順で決まる。
日本が負けたのは作戦ばかり重視して情報と兵站を後回しにしたから。
筋道を通さないと仕事は始まらない。
先ず起点は、何か、正式な出発点はどこか。主筋は何か。筋が違った場合は、どうやって筋を通すか。
好きか嫌いかハッキリさせろ。
こうと決めたらどこまでもやるさ。
やるっきゃない。
目的から結果を測るのであり、結果から目的を導き出したら、本末転倒となる。
成功も金儲けも結果に過ぎない。本質は動機にある。
動機が怪しければ成功は虚しい。
解るというのには、大体、三段階ある。
起きている事がわかる。
言っている事がわかる。
やることがわかる。
例えば、お客様からクレームを付けられた時。
クレームがつけられている事がわかる。
クレームの意味が分かる。
どうしたらいいかわかる。
お客様からクレームを付けられて担当を呼んで聞くだろ。
おい、お客様が文句をつけているのがわかるだろ。
はい。
じゃあ誰が悪い。客じゃあないですか。
お前解ってないな。お詫びに行かなければならないのわかるよな。
はい。じゃあどうする。
ハァ~。支店長がいってくれんじゃあないですか。
馬鹿野郎。それでどうするんだ。
どうしましょう。兎に角、お詫びの電話しろ。
はい。
しばらくして、おい電話したか。
迄です。
これじゃあ何もわかっていないんだよ。
最後の行動に至ってはじめてわかっただからな。
部下はの殆どは解っていない。だけどどの程度わかっていないかで指導の仕方も変わってくるからな。
わかった。
Copyright(C) 2020.5.29 Keiichirou Koyano