組織、チームワークは、複数の作業が同時に、並行的に進んでいるという点を忘れないように。ワンマンワンワークの原則から、同時並行的に作業が進むというからには、それだけの人が共同で一つの仕事を進めているという事だ。これを直線的につなげようしたら仕事はいつまでたっても終わらない。特に、チームリーダー、責任者は、複数の人と作業を束ねるのが仕事だからな。
そして、作業には、始まりと終わりがあると同時に、前後がある。複数の人や作業を統制する為には、作業を洗い出し、作業を順序よく並べ組み立てる必要がある。
作業の洗い出しは、全ての作業に先行して行われる。作業の洗い出しの原則は、漏れなく、重複なく、全て。しかし、作業を全て洗い出すのは、かなり慣れている者でも難しい。システム関係者は、成果物から作業を洗い出す技法を編み出した。その典型が、WBS。ただ、最近は、技術が先行して、本旨が忘れられ、成果物に囚われる傾向がある。作業の洗い出しの技法は、我々が編み出してきたものだが、その根本は、仕事の全体像を構想する事にある。
作業を前後左右を間違えずに組み立て、状況に応じて組み替えるのがマネージャーの仕事。管理職は、自分の仕事をよく理解するよう。マネージャーは、単なるワーカーではない。
また、仕事には、表に出ない裏仕事、下仕事がある。裏仕事、下仕事は、表面に現れないが結果を左右する重要な役割がある。裏仕事、下仕事は、表の仕事に先行して働く。要は、お膳立て、準備が主たる任務だから。
複数の仕事を一斉にスタートさせる行為が組織の起動。だから、正式にスタートを切らないと足並みが揃わなくなる。それで一般的に始点と終点は正式な会議を設定する。
節目節目のイベントは、終点でもあると同時に次の段階の始点として位置付ける。終点には、全ての結論が出そろうように企画する。それがマネージメント。結論が出てからスタートするなんて馬鹿げた考えをしている人がいるが、それは、始点と終点を取り違えているだけ。
試合が始まってから、練習を始める事はできない。試験が始まってから勉強しても遅い。
試合の始まる前に結果を怖れて逃げ出すのは単に卑怯、臆病なだけ。試験をする前に結果を後悔して嘆くのは愚か。試合もも試験もやってみなければわからない。
事務方の責任者の中には、自分の仕事を錯覚している者が見受けられる。会議と言うのは、始点であり、終点である。
会議は会議単独で成り立っているのではなく。作業の一部であり、結果点に過ぎない。
会議が開かれる段階では、前回で出された結論まで間作業をほぼ完了させておく必要がある。故に、会議は、イベント、形式的なものになり易いが、それは、会議の性格上の問題であって前後の作業の経過が報告されなければ会議の役割は果たせない。
終点である会議は、最終段階で開かれる。だから、会議が開けるように準備するのが、事務方の仕事。
会議は、発表会、報告会ではない。
仕事は、任されたからと言って勝手に独断したり一人でやっていいというのではない。
一つの目的に向かって全体の意志を統一し、ベクトルを合わせる場であって、議論、討論会ではない。この点も錯覚している人が多い。自説にこだわったり、意味もなく反対するのは、百害あって一利なし。
システムの操作にも順番がある。順番を間違う、ブレーキがかかり、緊急停止し、ロックされる。強引に動かそうとすれば壊れてしまう。組織も同じ。組織の仕事にも順番がある。順番を間違うと組織は動かなくなる。ロックを解除するのに相当の労力を必要とする。強引に動かそうとすれば、組織は壊れてしまう。わが社も組織の運用を知らない者が強引に動かしためにあちこち壊れている。その修復からかからなければならない。
また、システムに筋があるように、組織にも筋がある。やってはならない者が、プレーすればゲームが違うものになる。組織も筋のとらないことを許すと統制がとれなくなり。乱れる。
現状維持と言うのは、錯覚である。
今年と同じ事を来年しようとしても。同じ様にはできない。歳と伴に人は衰えるし、世の中は変わっていく。同じしようとするにしても並大抵の努力ではできない。
向上心を失ったら人は衰えるばかりである。
現状維持は後退である。
任されたからと言って勝手に決める人間が増えて困る。
逆に、そういう人間に限って肝心な時に決断できない。それでいて他人を批判ばかりしている。責任もないくせにしゃしゃり出てくる。
任されたからと言って何でもかんでも自分勝手に決めていいという訳ではない。リーダーもチームの一員なのである。
だから、任されたと言っても勝手に決めるないよう。
いくら任されたと言っても独断していいなんて、どこにも、そんな道理はどこにもない。
権限が委譲されてはじめて決断していい。それでも原則は、上の承認を得る。
だから、仕事を任せられたらどこまで任せてもらっているのか、どこまで決めていいのかを話し合って決める。
それが常識。それが契約。だから全権と言う言葉がある。最初から決められていたら全権なんて言葉生まれるはずがない。
組織は一人で動いているわけではない。独断、専横はどんな時代でも許されない。中心は誰か、主は誰かを忘れるない。
決められた範囲内で権限を行使する。それが組織の原則。常識。
任されたからと言って報告もしないで、自分勝手やりたい放題やっている者がいるが、組織ではそれを叛逆と言う。
専務は、必ず承認をとってから動いているよ。この考え方を常識として徹底しておく。
この常識を守らない者は、誰であろうと注意する。そうしないと組織の規律が保てなくなる。
我々は、お前が補佐役、事務方を任されたら、決めるな。決められる様にせよ。それが補佐役・事務方の仕事だと躾けられてきた。
食べるな。食べられる様にせよ。それが料理人の仕事。
それを錯覚して、自分て決めてきて上司に反論する阿保がいる。かとおもうと何にも決められないようにしていて決定できない責任を決定権者だけに押し付けようとする。更には、批判、評論だけでしていて自分には責任がないようにふるまう卑怯者もいる。
皆は、指導者を補佐するのであって指導者を従者の如く扱うのは、天に向かって唾するような行為だ。
補佐する相手が迷わずに決められるよう、決定された事に組織が従うよう補佐役の役割であり、仕事。指導者を惑わしたり、批判し、部下を背かせる様するのは、補佐役として最低である。
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