経済の現状

歩く速度で


仕事、作業は、最低三か月から半年かかり、一般に一年、更に、二年計画、三年計画、長いものだ十年、二十年かかる。長丁場になるので、慌てづに歩く速度で進める。最初に駆け出すと後が続かなくなるし、足並みも揃わなくなる。早ければいいというわけではない。仕事は、集団活動だということを忘れてはならない。かといってダラダラしていたらいつまでたっても始まらないし、まとまりもなくなる。正式にスタートをきって、一歩一歩確実に前進していかないと、いつまでたってもゴールにたどり着かない。

まず、最初に道筋を確認する。ある程度、頭の中に地図を描いておかないと取り留めなくなる。

最初の話は雑駁なアイデアや思い、願望や、希望、要望が取り留めも、脈絡もなく一度に出てくる。中には今言われても困るというような結論じみた問題もあるが、要は、タイミングの問題、手順の問題。多くは、最終的段階の事や、個人的な要望、個別な細かいことが多いから決める時に改めて掘り起こせばいい。大体、すべての結論が出るの終了時点で、すべての結論を出そうとすること時代無理、無謀なのであり。その時点で結論が出ないことは、希望、要望、意見、話として記憶しておくことに留める。むろん、希望、要望、考え、意見は大切でそれがなければ始まらないから真摯に聞く。しかし、やっているうちに気持ちも考えも変わるし、状況や条件も変わる。慌てて結論を出す必要はない。些細なことで対立して全体の構想が破綻したり、計画が進まままなくなったら本末転倒。

やってみないとわからない事は、やる前に結論をださない。また調べてみないとはからない事議論しても、根拠は憶測、推測でしかない。議論する前に調べるのが、確認するのが先。仕事をする。

最初から最後までの事が整理されないで出ている。それはそれで大切なことで取り合えず記録して整理しておく必要があるが、無理に結論を出そうとする必要はない。ただ、できることから着手していく。全体構想を描いて計画の中に割り振り、組み込んでいく。

基本的に、そいしょに決められる事は限られている。

誰が、責任者にするのか、事務方をどこに置くかくらい。これは、発案者、決定権者が指名するのが原則。そして、忘れてはならないのは、次回の打ち合わせをいつやるか。次回の打ち合わせ誰に段取るのか、そして、結果を誰から誰に報告するか。これを決めないと道筋ができないで仕事が始まらない。ここは、事務方の仕事。

とにかく、八月に決める事を決めないで、十二月でないと決められないことを八月に決める事はない。その見極めもしないで議論するのは無意味。ただ、その見極めが難しい。

結論の出ないことで悩むことはない。むしろ、結論が出ない原因の多くが情報不足だから調べるのが先。分からなくなった原点に戻て経緯を確認する。

家を建てる時、施主、元請、設計士、施工の別があり。役割が違う。工事が始まったら施主のやること、できることはほとんどない。この点を錯覚してはならない。施主に柱を立てたり、土運びの様な仕事をさせてはならない。

元請や設計士は、最初に、施主の話をよくよく聞いて、施主の話、要望を具体化し、仕事にしていくのが役割。

企画の段階には、構想段階、基本計画段階、実施計画段階。管理計画段階がある。

計画の一段後を実施、実績がある。計画と実行を混同してはならない。

五人採用すると決める事と五人採用する事とは違う。予算で五人採用すると決められても五人とれると限らないし、五人採用しなければならないわけではない。

予算で、売上を四十億円としたからといって売上四十億円が確定したわけでわない。売上が確定していないからと言って予算が決められないというのは詭弁である。

同様に何も確定してないから決められないというのも詭弁。何もはっきりしていないからこそ決断するのだ。





トップや施主は、夢や理想を語る。トップや施主の夢や理想を実現するのが実務屋の仕事。だから、以来主から夢や理想を語ってもらわないと方向性がつかめないし、遣り甲斐もない。一見、無理難題に思えることに挑戦し、実現する事こそ本望。誰にでもできる事を依頼されても自分の評価に結びつかない。それこそ志。

限界に挑戦しない限り未来は開けない。



仕事、事業は、仲間と一緒に旅する様な事。

心に行く先々、季節折々の出来事を共に楽しむくらいのゆとりがなければもたない。仕事を共に楽しもう。



例えば、旅の計画を任された時、最初に皆から要望を聞けば、脈絡もなく、思いつくままに、取り留めもなくいろいろなことが出てくる。

食べてみたいこと、行ってみたいところ、やってみたいこと、泊まってみたい宿。あの旅行会社は嫌だ、あの人と一緒の部屋にしないでとか。

でも、最初は、最初。希望や要望は聞いておかないと始まらないけど囚われれば先に進めなくなる。現実に話を進める中で折り合いをつけるしかない。

食事の話は旅館や行き先が決まらなければ詰められないし。泊まるところは予算が決まらなければ決められない。計画を進ていくうちに気持ちも考えも変わる。

それよりもいつどこで何を誰が決めたのかを常に明らかにできるように記録するのが事務方の責任。記録を残していなければ事務方は百パーセント相手の言い分を聞くしかない。記録を残さなかった事務方が悪い。それがルール。





何事も最初が肝心。

最初に確認を怠る人間は、必ず嘘つくし、ごまかす。そう親父達に口やかましく言われた。胡麻化されたり、指示を怠ったりされたりすれば確認しなっかったお前が悪いと叱られた。

ただ、責任は確認しない相手にある。それが鉄則。それが守られなければ部隊を危険な状態に置かれる。だから、復唱しないと鉄拳制裁をうけた。



指示を受けたら、その指示を正しく理解し、関係者や部下に間違いなく伝えなければならない。自分勝手に解釈したり、一人勝手、手前味噌な行為は許されない。

自分一人解ってどうする、お前の仕事は、関係するものすべてに共通な認識、あるいは、役割に応じた認識を持たせることだぞと…。

まず、指示を受けた者は、指示を受けたら、正しく指示の内容、指示者の真意を理解し深堀する必要がある。簡単な指示でも最初から完璧な指示を出せるものはまずいない。指示されただけで終わらず仕事にしなければならないから。

オーダーミスは、致命傷になる。いまは、どんなちっぽけな居酒屋でも注文書に沿って注文をとり、注文書に沿って直後に確認するようにしている。それは、長い経験で客とのトラブルが生じたとき注文書や確認がされてなければ言い訳が一切できないことをしているから。

一回、聞いただけで指示を理解することはできないと思え。指示を正しく聞き取る事のできないない者ほど確認を怠る。それは、確認したくても確認できない、確認する自信がないから。

そういう者は、最初からごまかす。相手だけでなく自分も欺く。

そういう者は、ごまかすことと言い訳する事ばかりを覚える。

何度言っても直後に、指示を確認しようとせず、時間がたってから自分勝手な解釈を押し付けたり、相手が忘れるか、妥協するのまつ。時間がたてば確認のしようがないから、直前になってどうしようもなくなってから確認し、やっつけ仕事をするから。間違えなく失敗する。だから、ごまかす事と言い訳ばかりを覚えて肝心の仕事を覚えないし。仕事が停滞し、関係者の仕事が無駄になることなどお構いなし。

ごまかすことと言い訳だけは許すなと指導されてきた。これは、家庭でも怒られた。言い訳はしない。口答えしないと男らしくないと叱られた。

指示を受けたら直後に確認する。直後に確認は三度まで許された。基本的三度以上は許されない。先輩たちからよく、指示を出したけどあいつ確認来ないけど大丈夫かと聞かれた。その場合、自便から確認をして上司に伝えた。それは、基本的に指示されたら指示されたほうから確認するという不文律がある。だいたい指示した者が確認するということ自体おかしい。

確認してないことは、解っていない。報告していないことはやってない。言い訳はしない。

そうしないと仕事をする事覚えず、ごまかすことと言い訳する事ばかり覚える。

そういう者必ず失敗するが反省することができないから成長しない。

大体、お里が解るというのは、ごまかしたり、言い訳ばかりするからで親のしつけの問題とされ。親の恥とされた。



いい加減な人間はいい加減に聞いて、確認もせずに、いい加減な仕事する。適当な人間は、適当に聞いて、確認もせず適当な仕事をする。

確認しないと指示した者も不安になる。指示した側も確認が取れないからである。信用できなくなる。確認しないと信用されなくなる。

確認は指示したほうもされたほうも面倒くさい。だから、つい手を抜く。それで失敗をする。後で確認が取れなくてやることがいい加減になる。うっかり指示されたこと忘れても、最初に確認しておけば確認できる。しかし、直後に確認しないと指示に戻れない。そのために、ゴールから勝手に指示を創作する。そのために、仕事に脈略もなくなる。

指示から仕事が組み立てられなくなる。

だから、親父や母親、叔父達からしょっちゅう確認、確認と言われた。

要は、失敗の原因は、自分の簡単な怠慢。だから、確認を怠ったてことを認めがたい。だが、深刻な失敗の多くは、確認ミス。オーダーミス。軍隊経験者の親父達は、それが、戦友の命にかかわることだから決して怠らない。

何度も同じ過ちをする人間にかぎて簡単な確認を面倒くさがって確認を怠る。そして、失敗した原因を人のせいにする。一生、言い訳して生きていくしかない。



何を確認するのか。それは、やるべきこと。有体に言えば、次までにやっておくこと。そのためには、次を想定しておかないと確認できないことになる。

確認することで仕事の筋道を作っていく。



任されたからと言って確認しなくてもいいというわけではない。むしろ、任せられれば任さられただけ確認することが求められる。

最初に確認しなければ責任がおえなくなる。その意味で確認を怠る事は、無責任。

用を言いつけられて確認を取ってこなかったら叱られた。

誰だって無意識に戸締りの確認、火の始末の確認をしている。確認を怠ると気持ち悪い。

始業点検も確認。

確認・点検を怠っても無事なのは、単に運がいいだけ。

確認・点検を怠ると大惨事を引き起こす。



問題が起こった時、確認がとれなければ、最初に確認しなっかた者が一番悪い。言い訳はできない。

指示に従わず勝手な行動した者が悪い。孔明は指示を無視した馬謖を泣いて斬った。

専務の指示を確認できないのなら。それは、根本から間違ている。



確認されるのも鬱陶しいことだけど、部下の確認は根気よく答えるのは上司の仕事。



ずるいのは、指示された事をやらないとは言わない。従わないとは言わない。ただ、確認を怠ればいいのだ。最初に確認をしなければ、事実上、仕事にならないからだ。後はやっている振りをしていれば時間だけがたっていく。だから、我々は確認しなければやる気ないと判断された。

一か月かかる仕事も一年かかる仕事も三日前に確認すれば三日仕事になる。結果的に一夜漬け、やっつけ仕事になる。



何事も最初が肝心。最初からずれたり、間違っていたら、出だしから、失敗となり、後の仕事は、全てやり直しになる。

だから、最初にしっかりと確認をして記録しておく。それも直後にやらなければ意味がない。

朝護に確認しなければならないのは、一つは、結論が出た瞬間から状況や考えが変わっていくからである。だから、いつ、だれが、どの様に決定するかを予め決めておく必要がある。それが組織である。

第二に、忘れるからである。指示をした者も指示された者も記憶は失われていく。時間がたてばたつほど記憶は失われて行き、記録しておかなければ、確認の仕様がなくなる。

第三に、記憶している事に、各自、偏りがある。また、自分の都合で記憶を変えてしまう。全員の記憶や考えを時間がたってからでは一致させることができない。

第四に、指示された内容を関係者で共有する必要がある。しかし、解釈の仕方は、人それぞれ違う。

第五に、最初から完璧な指示を出せる者はいない。最初に確認をすると同時に指示の要件を満たさない部分を補い。不整合な部分を修正しておく必要がある。

この様な事から直後でないと正確な確認ができない。



性格の悪いものは、故意に時間をおいて確認をする。その場合、指示の本旨を自分の都合のいいように曲解するか、全く無視して、自分のやりたいように仕事をしようとする。

例えば、時代に変化に併せて、事業計画を刷新する。その為に、財務体質を強化し、組織を再編するという指示を、財務体質を強化し、組織を再編するというところだけ残して、時代の変化に併せるとか、事業計画を刷新するというのを削って、矢鱈、保守的な計画にしてしまう。

会社の方針、専務の考えを無視して、テンデンバラバラに部門方針を立ててそれが会社方針だというような事である。これは、明確な叛逆である。

会社の方針があって部門方針がある。そうでなければ組織の統制は最初から取れない。

確認を最初からしようとしない者に限て自分の意見を聞いてくれないと言い出す。それは欺瞞である。

これから、難局に向かって一致団結しなければならない。だからこそ、全てを一点に集中する必要がある。私心をして大義に準ぜよ。


       

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