経済の現状

つもり、はずだ、だろうは駄目


仕事を組み立てるために、先ず、基礎・土台となる部分をしっかりと作る。
基礎・土台となるのは、主旨、目的、方針と言った基本となる考え方。
ここをしっかりと作り込み、正式な手続くやイベントによって堅牢で簡単に壊れないもの、即ち、簡単に変わらない状態にしておく。
気を付けるのは、絶対ではないという点。ただ、簡単には変わらない。壊れないものにしておく。
基礎と土台が出来上がったら基礎や土台の上に枠組みである、基準、例えば、予定、予算を構築する。
基準が出来上がったら次に、条件の確認を確認して具体策を講じる。条件と言うのは、現状とか、前提とか、環境や状態、制度等をいう。
条件は、状況の変化の変化によって変わる。条件が変われば結論も変わる。だから、目先の事が変化したら常に、条件を確認する。
その上で結論を出す。結論は、条件の変化によって違ってくる。だから、結果や結論がおかしくなったら、基準となる予定や予算と照らし合わせ、誤差があれば、誤差の原因を探究して軌道修正していく。それが予実績管理。
誤差を検討し、修正する過程では、先ず条件を確認し、前提となる条件に問題があったり、変化していたら、もう一度、基礎、土台、原点に立ち返り、目的や方針を確認して再度結果を検証する。その繰り返しが管理業務。

試験問題でいえば、基礎、土台となる部分が問題。答えがわからなくなったら問題を読み直す。それと同じように結論が見えなくなったり、仕事がブレてきたら、目的や方針といった基礎的部分を確認する。

集団で一つの目的、目標に向かう時は、全体がブレないように絶えず、統制していく必要がある。その時、基軸となるのが、基礎や土台である。
目的や方針がしっかりとしたものであれば、環境の変化や内部分裂にも即応でき。基礎や土台が曖昧だと組織や仕事は常に揺れ動き続ける。

例えば、経営の環境も、コロナが流行する以前と流行した後では明らかに違う。しかし、当初建てた方針を変更する事態にはまだ至っていない。方針は、微動だにしなくても二月、三月、四月、五月と状況は変化し、条件も大きく変わってきた。方針は変わっていないが条件の変化によって結論は大きく揺れ動いている。
条件の変化に応じて結論を変えていかなければ現状に対応できなくなる。状況の変化ばかりに気を執られていたら目的や方針を逸脱してしまう。結果ばかり追いかけていたら自分を見失う。条件が変わってきたら、再度、方針に立ち帰って、臨機応変結論を変えていくのである。
だから、常に、方針を確認し、条件が変化したら、速やかに、結論を環境に適応させていくのである。

会社は組織である。組織は、社員が共通の目的のために団結して仕事をする場である。

だから、基本的な考えは共有しなければならない。末端の社員は別にしても中核を担う幹部は、一つの目的を共有しなければ、組織は、力を発揮できない。幹部の一人でも、トップの目指す方向や目的と違った方向に走れば、組織はその時破綻する。統一は人によってなしとげられる。

今、それを担っているのは、トップである。故に、トップがどのような構想、ビジョンの元に事業を展開しようとしているのか。将来をどの様に展望しているのか。現状をどうとらえているのか。何に投資をしようとしているのか。どの様な人材を求めているのか。どの様な方針に立っているのかを中枢幹部は、熟知し、その目的の達成に尽力し、社員を一つの方向に向けるのが主要な任務である。

トップの考えがわかっているつもり、わかっているだろう、わかっているはずはダメなのである。憶測、推測は許されない。だから、常に、自分の考えを明らかにしてトップの話をする必要がある。自分の事解っているだろう。専務の考えがわかっているつもり、皆はわかっているはずだ最も戒めるべきである。

大体、全てにおいて一致する。理解する等と言う事はできない。お互いを尊重し、許し合う精神がなければ組織は纏められない。

なぜ、方針とか、目的を絶えず確認する必要があるのかと言うのは、問題や責任の所在を明らかにしなければ、任せられたものが困る。無責任になるからである。
例えば、施策を見直すにしても、方針まで遡って見直す必要があるのか、条件面の見直しで済むのか。個々の施策を変更すれば収まるのか、それによって仕事の組み立ても体制も変わってくるからである。
仕事は、一つの目的に向かって多くの人間が共同で作業する事である。その為には、基本的部分を共有しなければならないからである。
上に立つ者は、常に高所大局に立って全体を見渡す必要がある。
最初に基礎となる部分、目的や方針、主旨などを明らかにしないで、任されたら、任されたものが困るのである。
君を信頼して任せると言っても、任された者は、自分にどの程度の権限があって、どこまで任されているかが、わからなければ、仕事も組織も組み立てようがないのである。
例えば、組織を再編成するとか、予算を立てるとか、投資を立てるとか言われても、どれくらいの期間をかけていいのか、どれくらいの予算なのか、自分一人で全てをやるのか、それとも何人かの部下を付けてくれるのか、現場に直接指示を出していいのかわからないのである。
投資と言え、決算対策と言え、採用、組織計画にせよ、将来に対する見通しや、施策の目的、方針、考えがなければ建てられない。独善は許されないのである。
いくら、名コックと言えども、客の注文なしに料理は作れない。
変更と言っても目先の変更で済むか、条件の見直しになるか、方針まで変える必要があるのか、それは、決定的な要素である。
そこを明確にしてもらわないで、任されても、手も足も出せないのである。
だからこそ、最初にその点を根気よく粘り強く作りこんでおく必要がある。当然とか、皆、同じだとか、常識と言うのいざとなったら通用しない。
それが現実である。先の見通しを立てずに営業計画は立てられない。現状を把握しなければ、営業計画は立てられない。投資目的や事業方針が明らかでなければ、営業計画は、立てられない。予算と関係ない営業計画は、無意味である。だから、営業計画にせよ、人員計画にせよ、決算対策せよ、それを任されたものに、将来に対する見通しがないはずがなく。現状に対する認識がないはずがなく、投資目的や事業方針に対する考えがないはずがなく、また、予算にどう反映するかを考えていないはずがない。
問題は、それは個人的な私見ではたとえトップでも許されない。だから、中核を担っているトップの話をよく聞いて出発点にしなければならない。自分と考えが違いますというのは、単なる子供じみた反抗に過ぎない。
全ては、一点から始まるから統制が採れるのである。これは好みの問題ではなく。道理の問題である。
トップの言っている事に間違いがなければ、それに素直に従えばいいのである。間違ったことを言っているとしたらそれは別ではあるが、多少の相違は従うのが筋である。大同小異である。
基礎や土台をしっかりとさせるというのは、集団で同じ目的を共有しなければ大事はなしとげられないからであり。主義主張とは別次元の問題である。見直せと言えば見直せばいいし、確認しろと言えば確認すればいいのである。

目先の変化に振り回されて目的を見失う事を「尻尾に頭や胴体が振られている」と揶揄された。
方針確認会議は、方針と言う基礎、土台を経営の基盤としてがっちりと築き上げるためにする。
一見、形式に見える方針確認会議や株主総会、理事会、新春の会は、基礎・土台を築くために必要なイベントなのである。
総会を形式的と侮って、無駄だから止めてしまえというのは暴論。組織の事を知らないのである。
方針会議や総会は、形が重要で、形として組織全体や関係者に周知し、示す事が目的なのである。
だから、艶やかなものにする。形によって自分たちの思想や考え方を示すのである。
質素な考え方を示したければ質素に、簡潔なにしたければ簡潔に、力を誇示したければ力強い物に、権威を保ちたければ、荘厳なものに演出するのである。
形を面倒くさがって軽視しないように。形で決まりをつけ、全体に示すのが組織の鉄則。我々の代が、簡略、簡略しすぎて組織にけじめがなくなった。その好例が結婚式。ただ派手になっただけで意義か失われ、形骸化してしまった。魂のない形は、ただの骸に過ぎない。仏作って魂を込めなければ虚しい。


誰も守ろうとしない国は、守り切れるものではない。誰も守ろうとしない会社も守り切れるものではない。
戦後、日本人は、戦う事を忘れた。忘れたどころか、戦う事を罪悪視するようにすらなってしまった。
日本人は、他国から攻撃を受けたり、侵略を受ける事がない。他国を攻撃したり、侵略する事は、悪い事だと全ての国が思っていると信じているようだ。しかし、歴史的に見て戦争がなかった時はなかったのである。
他国から攻撃を受けたり、侵略されてから体制を整えても遅い。
自分たちの力で自分たちの独立を守れない国は、植民地か、どこかな国の属国に過ぎない。それは、植民地主義、属国主義でしかない。
宗主国は、必要だからその国を守るのであって必要がなくなれば植民地や属国は、売られるか、捨てられるのである。
これは会社も同じである。自分の会社を自分たちの手で守れなくなれば、その会社の自主性は失われる。人事権も奪われる。自分たちが自分たちの成果を自分たちの手で守りたければ、自分たちの力で、自分たちの会社を守らなければならない。その覚悟がなければ、国の独立も会社の自主も守れないのである。

我々は、戦う準備をしなければならない。訓練もしなければならない。
我々の業界は、経営の基本を忘れている。市場は戦場である。戦いの場である。市場の将来を予測し、それを基にして営業計画や投資計画を立て、予算を立てる。
来期の市場の状態を予測せず、また、自分の支店の現状を理解せず、無計画に営業を続けていたら必ずいつかつけを払わされる時が来る。その時に対策を立てても遅いのである。つけを払わされる段階では、人員の削減、経費の削減、商権の譲渡、会社の清算など多大な犠牲を払わされることになるからである。
まず現状を正しく知る。そして、現状の現実を直視して対策を立てる。
長い間に仕事がマンネリ化すると前例や恒例に囚われ、仕事がお役所仕事化する。特に、我々の業界は、投資とか、環境の変化に鈍感になりがち。
しかし、世の中は、確実に変化していて、投資する為の原資が確保できなければ、じり貧になり、先がなくなるからな。
戦いのさなかにいるという事を忘れないように。

国際社会も世の中も善人ばかりではないよ。聖人君子ばかりではない。詐欺師、泥棒のごとき人間が闊歩しているのが現実なんだ。
人の良い事言っていたら尻の毛まで抜かれるぞと親父たちからは聞かされてきた。世知辛い世の中なんだよ。

これは経験に基づく事だけど、親や師からわかっているよと言いたくなる事を指摘された時、よほど注意しなければならない。
解っているよと反発したくなるのだけど、胸に手を当てて考えるとできてない。いまだに、時々、思い出しては、はっとする。この歳になってもできてない事に気が付く。当たり前にできる事を注意されると頭に来るけど、できていないんだから仕方ないよね。
今、やろうと思っていたんだというコマーシャルがあったけど、あれ、あれ。
もう一つ、注意と言うのは、後付けが聞かないんだよね。予め注意をしていてそれで、失敗した時、聞くので、失敗してから注意しても聞かない。なぜ、注意してくれなかったんだって反発するだけ。
だから、どうしても小うるさくなる。相手が鬱陶しいのは、わかるけどね。

仕事を計画するのは、長い旅行をするのに似ている。
急がずに、一歩一歩確実に進んでいく必要がある。

間違えがあったら、間違ったところまで遡ってそこからやり直すようにする。
その為に、経歴、軌跡が確認できるように記録を付けてくる。段階を儲けてその時点時点で決済するのは、何か問題が起きても前段階の決定時点以前にまで影響が及ばないようにする。それと目安、目標にもなる。
だから、節目節目で公式に決定し、簡単に修正できないようにしておく。そうしないとドミノ倒しよろしく何かの拍子に一つの駒が倒れるとそれまでの仕事全てがお釈迦になる。
段階毎に要所要所を決定しておけば、たとえ失敗しても前の段階まで戻ればいい。雄に、決定は手順に沿って決めていくのがベスト。

仕事は、一貫性が求められる。だから、方針を定めて一本筋を通す。その為には、全体を通した構想が重要となる。一つひとつの作業がバラバラにならないように前後、順序を間違わないように単位作業を組み立てていく。
作業の洗い出し、読み込みが鍵を握る。

大体、簡単な仕事でも三か月を基本に計算する。
計画に一か月、準備に一か月、実施と後始末に一ヵ月、計三か月を一つのセットと考える。節目、節目に、イベントを置いて、マイルストーン、結合、ストッパー役をさせる。

会議や儀式をどう設定し位置付けるかが、大枠づくりの一段階である。

大体、予算のような一年計画は、前後に四半期の準備期間と後処理機関を想定して一年半を基準とする。
システム開発や組織開発は、三年を基本とする。
桃栗三年、柿八年と言う。
ちょっとしたイベントでも一年から二年かかると思っていていい。

軌道に乗れば一ヵ月、二か月と言う周期でも運転できる。しかし、それは、ベースが出来ている事を前提としている。

一年は区切りは、一ヵ月単位、四半期単位、半年単位、年単位がある。単位期間を組み立てて大枠を築く。区切りは、一ヵ月単位なら、十二。二か月単位なら、六。三か月単位なら、四。四か月単位なら、三。半年単位なら、二。一年単位なら一。

会社は組織であり、一年二年と言う単位で協働して仕事をしていかなければならない。だから、自分が自分がどこに位置、どの様な役割を果たしているかを自覚する必要がある。その為に、確認と報告は忘れてはならない事なのである。特に出発点を明確にしておく事は、自分がどこにいるかを確かめるために不可欠なのである。

間違えるなよ。方針があって、施策があって、結論があるんだからな。
結論があって、施策があって、方針があるわけではないからな。
物事には、順序がある。
順序をわきまえない者は、道理がわからない。
常に、原点を確認し、目的に向かって進む。どちらも常に確認しないとすぐに道に迷うぞ。始まりもなく、終わりもない仕事はするな。

何事も最初が肝心。最初からずれたり、間違っていたら、出だしから、失敗となり、後の仕事は、全てやり直しになる。

だから、最初にしっかりと確認をして記録しておく。それも直後にやらなければ意味がない。

直後に確認しなければならないのは、一つは、結論が出た瞬間から状況や考えが変わっていくからである。だから、いつ、だれが、どの様に決定するかを予め決めておく必要がある。それが組織である。

第二に、忘れるからである。指示をした者も指示された者も記憶は失われていく。時間がたてばたつほど記憶は失われて行き、記録しておかなければ、確認の仕様がなくなる。

第三に、記憶している事に、各自、偏りがある。また、自分の都合で記憶を変えてしまう。全員の記憶や考えを時間がたってからでは一致させることができない。

第四に、指示された内容を関係者で共有する必要がある。しかし、解釈の仕方は、人それぞれ違う。

第五に、最初から完璧な指示を出せる者はいない。最初に確認をすると同時に指示の要件を満たさない部分を補い。不整合な部分を修正しておく必要がある。

この様な事から直後でないと正確な確認ができない。


ずるいのは、指示された事をやらないとは言わない。ただ、確認を怠ればいいのだ。最初に確認をしなければ、事実上、仕事にならないからだ。後はやっている振りをしていれば時間だけがたっていく。だから、我々は確認しなければやる気ないと判断された。

彼等の言い訳は、別にやる気がないからではなく。聞きそびれたからだとか、今やろうと思っていたという事である。

事実上、仕事が停滞し、実現が難しくなるのだからやる気がないと言われても言い訳はできない。

確認をしないという事はやる気がない事だと我々は、断定された。そして、言い訳は許されなかった。やるからには、成功するように仕組め。その為には、最初の確認を怠るな。



直前に確認をせず。確認が取れなくなって直前に確認をして始めれば正式な仕事は、正式に確認をとった時から始まる。

一か月かかる仕事も一年かかる仕事も三日前に確認すれば三日仕事になる。結果的に一夜漬け、やっつけ仕事になる。

そういう人間に限って時間がない事を言い訳にする。



性格の悪いものは、故意に時間をおいて確認をする。その場合、指示の本旨を自分の都合のいいように曲解するか、全く無視して、自分のやりたいように仕事をしようとする。

例えば、時代に変化に併せて、事業計画を刷新する。その為に、財務体質を強化し、組織を再編するという指示を、財務体質を強化し、組織を再編するというところだけ残して、時代の変化に併せるとか、事業計画を刷新するというのを削って、矢鱈、保守的な計画にしてしまう。

会社の方針、専務の考えを無視して、テンデンバラバラに部門方針を立ててそれが会社方針だというような事である。これは、明確な叛逆である。

会社の方針があって部門方針がある。そうでなければ組織の統制は最初から取れない。

確認を最初からしようとしない者に限て自分の意見を聞いてくれないと言い出す。それは欺瞞である。

これから、難局に向かって一致団結しなければならない。だからこそ、全てを一点に集中する必要がある。私心をして大義に準ぜよ。



       

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