経済の現状

幾度聞いてもわからない。



指示された者は指示された直後に、指示された事を確認したうえで最終的にどうするか、どういう形にするかを決める。

例えば、料理や服なら何を作るか。システムならユーザーインターフェース、会議なら提出物の形、イベントなら構想。この段階ではイメージ程度でいい。そのうえで指示者の確認を取る。確認されるまでは、指示は確定してない。最終確認された段階ではじめて、指示は確定する。

これが決まらないと仕事の段取りができない。

確認は、相手のある作業だから、一人ではでいない。早い段階でサポート役を決めて、相手役、担当とする。

確認をとして作業の概要と仕様を仕立てていく。形(仕様書)にしていく。

確認は、指示された内容を担当に整理、清書させ、それを指示者に確認をとることで完結する。例えば、営業は、注文や苦情を受けたら一旦上司に報告の上、確認してもらい、そのうえで対策も含めお客様に確認することではじめてお客様に納得していただける。

確認は顧客、責任者、担当の三者がいてはじめて成り立つ。

確認ができた文章にして指示の概要を整理する。これも、極力一人でしないでチームでおこなう。なぜなら、担当者は、いきなり指示されても事情が分からなければ詳細まで理解することはできない。それに対して指示する者は詳細に亘って自分のイメージが固まっている場合がおおい。早い段階で共同作業に置き換えておかないと、リーダーと担当との認識のずれが埋まらない場合が多い。根本的な信頼関係にもヒビを入れかねない。

最終形がある程度固またら、いつまでに仕上げればいいのか確認する。期日が決まったら、それに応じて大枠決める。大枠、基本時間単位で組み立てる。一般に一か月を基本に考え、工程に沿って段落入れる。この辺、三年程度かけて経験的に身につけさせられただけど、我々の後輩あたりから面倒くさがったり、馬鹿にしたりして身に着けてこなかったから、言われた事しかできなくなった。

とにかく、仕事を覚える時は、辛抱つよく、最初は素直に年寄りの言うこと聞くものだよ。やりたいことは基本を身に着ければできるから。

最終形のイメージができたら手順に従って作業を進めていく。服なら、何を作るかを決めたら、次に予算、予算の範囲内でデザインと生地を決め、採寸をとり、仮縫いをして、納期決めるという手順。

料理なら注文を確認して、レシピを作成し、材料を揃える。

役員会なら、役員会なら役員会終了直後に、事務方は次の役員会をどうするかを主催者と相談の上、各担当に主催者の意向を伝え、各担当の考えを聞いて、主催者の承認をえられえば、各担当に作業に着手するよう指示する。素直に覚えないと、組織の癌になるからな。

詳細が固まってから指示しても、まず、間違いなく部下には伝わらない。それで、誰も理解しない、従わないというのは勘違い。理解したくても理解できない、従いたくても従えないというのが本当のところ。

早い段階で部下を信頼し、なんでも相談する。相談を受けた部下も率直に自分の意見を言うようにする。

間違っても詳細なことから手を付けてはならない。リーダーは、詳細なこと部下に任せ常に大局にたつ。この点を誤解してる者がいる。詳細を任されたからといて自分で勝手に方針を決め、報告をしないでいいというわけではなく。逆である。目的を理解し、目的にしたがいい。詳細を随時、報告するから任されるのである。報告は任された者の義務であり、民主主義の鉄則である。

全体を見ないで任されたところだけをやればいい。というのは課長、担当レベル。課長でも目的ぐらいは理解しておかないと組織的な仕事は任されない。

個別の問題にリーダーがとらわれると全体の統制がとれなくなる。リーダーは、常に、目標を見つめて全体の作業を統括する。そのためには信頼できる部下には早い段階、あいまいな時にこそ、相談する。自分の考えが固まってから話しても誰も理解できないし、協力できない。

決断はタイミングなのである。決断したときに即行できる体制を常に維持することで、決断してから準備しても遅い。


仕事はじめの構想は、言葉では表しつくせない。故に、最初は形で示す。


組織は、共同で一つの事業を為し遂げるために結成される。
集団が協働して一つの事業を成し遂げるためには、意思統一が必要である。
組織は、一点から始まり、一点で終わる様に組み立てる。組織は、人の集まり、手段だから、その一点は、人が担う事になる。その支点となるのがリーダーである。
仕事は、始点と終点がある。支点から、始点と終点は生れる。
始まりは、何もかも曖昧である。故に、リーダーの決断が始点となる。何も結果も結論も出ていない状態から仕事は、始まる。つまり、最初は曖昧模糊とした状態である。だから決断が必要なのである。リーダーは、全てが不確実な段階で決断をする。
仕事を着手した段階では、決められた事以外、はっきりとした事はない。決められた事も予測や推測に基づいた事である。要するに確実な事は、事実以外にない。だから、最初の決断は、方針である。
また、組織は、集団である。集団が協力して仕事を成し遂げるためには、意思統一が必要である。
言葉は、受け取る者によって解釈の仕方に違いが出る。立場の違いによっても差が出る。
言葉だけでは、全てを表現できない。また、意思統一も難しい。
だから、最初の決断は、目的である。
つまり、最初の決断は、方針と目的。方針と目的が定まった時、仕事は始まる。
確実な事も、結果、結論も明確でない以上、全てを言葉で表す事はできない。
だから、始めは、形で示す。形とは、イベント、儀式である。主として式典、会議の形をとる。出陣式、キックオフ、入団式、開会式、顔合わせ、確認会議などで好例である。
組織のリーダーは、一般に監督と審判を兼ねたような役割をしている。欧米では、監督と審判役を別けるように仕組むが日本では、監督と審判役を明確に分ける習慣がない。だから、一般に監督と審判役は兼務される。
いずれにしてもリーダーの決定は、形にして明確に内外に示す必要がある。
試合中は、審判の決定が絶対的であるように、組織内部では、リーダーの決定は絶対である。
リーダー、即ち、責任者が曖昧な態度をとれば、組織は、動きを止め、分解する。リーダーが意志表示を明確にしなければ統制は採れない。リーダーが迷えば、全体が迷うのである。リーダーは決断しなければならない。
リーダーは、自分の決定を明確に示さなければならない。リーダーの決定は、個人的決定ではなく。組織的な決定である。そして、組織の意志は統一されなければならない。つまり、リーダーは一人。今は専務。それを忘れないように。社長が専務に権限を委譲している以上。会社の意志は、専務の方針によって決まる。
審判が、明確に判定を形で表すのは、組織決定だからである。例えば、野球の審判は、ストライク、ボール、アウト、セーフの判定を見ている者、全てにわかるように形で示す。あいまいな態度。判定は許されない。間違っても判定は、明確に示す。参加者は抗議は許されるが、最終決定には従わなければならない。それがルールである。
審判に権威がなくなれば試合は成り立たなくなる。
試合中、選手は、監督の決定、指示に従わなければならない。
これ、スポーツに限らず組織の大原則である。だから、組織は、選択するのも、辞めるのも原則自由なのである。
入退会が保証されているから組織の原則は、正当なのである。
わが社の社員である以上は、専務の決定に従うように。それは、組織の大原則だ。
そして、イベント、式典、形式、権威を軽んじないように。イベント、式典、形式、権威を軽んじるのは、組織の破壊を画策する者の常とう手段である。
イベント、式典、形式を形骸化するのは、参加者である。イベント、式典、形式は、本来の目的を失えば、形骸化する。形に魂を吹き込むのは、リーダーの強い意志と組織を構成する者の団結力である。
イベント、式典、形式を馬鹿にする者こそ、イベントや式典、形式を形骸化しているのである。


最初に指示を受けた時、何度聞いてもわからない。何度言ってもわからないというのが普通だという事。
一度指示されて百%わかるという状態には、ある程度、一緒に仕事をしてみないと至らない。間違っているというのではなく、違うのである。
指示者の意図と受取手側の受け取り方が最初から一致するというのは不可能。だから、最初の作業は、相違点を是正する事だけど、これが難しい。
要するに、最初から指示したものと指示されたものが百%一致するなどありえない。必ずどこか相違点があるという事を前提にして指示は受ける。逆に、指示された時、全てがわかるなんて気食悪い。
お互いがわかっていないのだから…。はじめは、海も物とも山の物ともわからない。だから、イライラするし、感情的にもなる。でも、スタートを切らないと解らないままに時間は過ぎていく。やってみなければわからないことだらけなのである。最初は辛抱我慢が大切。お互い様なのである。
第一、最初から完璧な指示、命令を出せる者はいない。第二に、これはシステム屋の鉄則だけで、指示したものは、自分が真の目的を理解して指示しているとは限らない。第三に、最初から結末がわかっているわけではなく多くは、やってみないと解らない。最初は、不確実で、曖昧なことだらけなのである。リーダーは漠然とした状態で決断する。
結論なんていっていたらいつまでも、正式な仕事は、始まらない。だから、最初は形式的にスタートを切るのである。スタートを切れば、主旨や目的が見えてくる。スタートしない限り、はじまらない。形がなければ、誰も正式に仕事とはとらないのである。形式的にスタートを切って徐々に明らかにしていく。
目的は、曖昧な時点で方向性を定めるためにきめる。方向性が定まってきたら、方針を決める。方針が決まったら、目標を定める。目的は、ある程度、柔軟にしておいて、目標は明確にする。方針によっ方向性を明らかにしておく。これが鍵。
この様な手順で正式な仕事は、ゆっくりとはじまる。なるべく早い時点でスタートを切り、徐々に方向を見極める、ロックする。だから方針なのである。
この段階では、モヤモヤとしてイライラする。しかし、だからといって手を抜けば、統一、統制がとれなくなる。最初に意思統一を計る事が鍵なのである。後々では、統一を計るのは難しい。確かに、お互いにわからない処だらけでイライラするが、同時に夢や理想を語り合う時間でもある。
早めにスタートを切って最初は、丁寧に話し込み意思統一を計っておく。そして、方今が見定まったら決断する。
はじめは、処女の如く、後は、脱兎のごとく。仕事は、ゆっくり、ゆっくりスタートを切り、徐々に加速度がついてくる。加速度がついた段階では、組織は制御するのが難しくなる。ゴールまで爆走してしまう。
だからこそ、構想段階に時間をかける。
気を付けないといけないのは、さあ仕事を始めようとすると普通は即困る。かつて、先輩たちは、直ぐに困る事を見越していた。そして、指示しても質問してこないと。わかったかと確認してきた。わかっています何というと、わかるはずないだろうとどやされた。質問をしてこない段階でわかっていないと判断されたからである。
解っている者は、最初に入念に質問をし、確認した。質問もせず、確認もしない者は、わかっていないと即断された。今は、パワハラだなんて言われかねないが、現実である。実際にわかっていなかったり、指示通りの事がされないと組織全体が動かなくなるからである。結果を出さなければ、組織は維持的ない。
しかも、最初に困るのは、些細な事、誰に指示したらいいのかとか。何を調べたらいいのかとか。自分が決めていいのか。どの様に誰にいつ報告したらいいのかとか。いつまでにやればいいのかとか。一見どうでもいい事。質問したり、確認するのも憚れるような些細な事。
しかし、仕事をやる上では避けて通れない事だから、些細なことほど、わからなくなったら聞く。これが鉄則。
あいまいにしたままで仕事に着手しない。お互いに我慢して可能な限り話を具体的に詰めておく事。
詰めは厳しくが鉄則。
だから、仕事は、辛抱我慢と躾けられた。


自分ですら結末がわからない、結末がわからないから決断する。そして、結果がわからない事で指示するのだし、受け手は、答えがない事に取り組むのだから。その点をお互いに承知の上で最初の指示・命令は効かなくてはならない。
近藤も、答えがない事ですしと言いながら、いざ次の会議では、結論を出そうとする。それは、最初に目的の確認をしていないからだ。自分が何の目的で指示したかを確認しろと言っても、確認は一人ではできない。
ここは、注意してほしい。組織上、確認や報告は一人ではできない。確認や報告を一人でやるのは一人合点である。
指示された者も指示した者もそれだけでは組織とは言えない。指示されたものが、担当者を決め、担当者に伝えたうえで、担当者に確認をさせる事で組織的な活動になる。どんなスポーツでも、相手と審判がいてはじめて成立する。
ただ、指示を受けただけでは確認はできない。お客様から注文を受けたら、支店長に報告し、確認する。サポートセンターから指示されたら支店長に報告し、確認する。この様に一見、当事者間だけで確認しているように見える事でも実際には、第三者が必ず介在している。それが組織であるし、一人だけ、二人だけで確認した場合は、厳密には組織的な確認ではない。
最初に確認をしないと指示された内容を具体的に仕事にできない。その為に、結果的に放置する事になり、放置できなくなった段階で改めて仕事を起こす事になる。それは、放置した段階で失敗している。結果から目的を決める事はできないのである。最初に確認するのは、イライラしても間違いは少ない。最終的段階で確認をしようとしても不可能である。しかも、確認をしないままに最初にボタンの掛け違いをすると結果は、修正が不可能なくらい大きく乖離している。また、間違った時間が長ければ長い程やった者は、間違いを受け入れがたくしてしまう。
間違いがあったら早い時期に修正する。その為にも最初に確認を怠ってはいけない。最初に確認を怠ると最後まで間違いに気が付かないのである。
最初に確認してから仕事を設計し、それから作業に着手する。仕事のできないものは、確認を後回しも先送りする癖がある。確認し、速やかに仕事に着手する。それが成功の鍵である。


仕事には、目的がなければならない。組織では、目的は指示に基ずく。指示は、組織決定に基づく。組織決定は、権限による。権限は手続きによって発効する。
そして、おしまいに、自分に何をして欲しいのか、何をやったらいいのかが明確になってはじめて仕事ができるようになる。
仕事は、指示、決定、目的、手続き、作業が、ワンセットで成り立っている。
例えば、来月の〇日、予算会議が正式に(手続き)開かれるようになった(組織決定)。予算会議で部門毎の方針を打ち合わせることになった(指示)。ついては、部門ミーティングを開いて、皆の考えを聞きたいから(目的)。ミーティングの準備をしてくれ(作業)。
仕事は、作業である。作業には、時間がかかる。つまり、作業には期間がある。作業には、始まりと終わりがある。
結論、結果は、終わりに出る。はじめは、何も、結論も、結果も出ていない。故に、最初に方針を出さないと仕事は始まらない。最初から、結果、結論を出そうとしたら、仕事に着手できない。
仕事は全員が一つの目的に向かって共同で作業をすることで実現する。
目的は指示によって生まれる。自分勝手に目的を決めて仕事しても、公の仕事にはならない。それは、組織の誰も認められないからである。それは、個人の仕事である。目的は、指示決定に基づくことで正式なものになる。
仕事は全員が一つの目的、目標に向かって共同するので成りたつ。
皆で野球をしようとしている時、勝手に一人だけサッカーの練習をすることは許されない。
山を登ろうとしている時に海へ行く支度をするのは許されない。客がラーメンを注文(指示)しているのに、カレーを出す事は許されない。仕事は指示・決定に基づき、目的を共有してはじめて成り立つ。客がラーメンを注文しているのに、カレーにしろと言い張るのは傲慢を通り越して異常である。
決定がされただけでは、仕事が始まるわけではない。決定された事を、指示に置き換えなければ、仕事は始まらない。
指示されたら速やかに目的に置き換える。目的から方針を定める。方針は、作業方針。方針から作業を洗い出し、各々に割り振る。
最後に、何がして欲しいのか、何をしたらいいのかが明確になってから、仕事は始まる。
ところで、私はどうしたらいいんですか、私に何をして欲しいのですかがはっきりしないと仕事は、始まらない。



       

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