現場指揮官は、不在になる事は許されない。
昨日も、悲惨な事故があったが、その際も消防士は、最後まで自分の任務を全うした。うろたえたり、逃げ出したり、乱れたりする事は許されない。どの様な状況でも自分の使命感、チームの規律、統制を守ってチームワークを貫かなければなければならない。その要になるのは、リーダーである。現場指揮官である。
危急の際、現場指揮官の判断が絶対となる。現場指揮官が倒れた時、次の指揮官が指揮を執る。次の指揮官が倒れたら、次の次の指揮官が指揮を執る。現場に指揮官がいなくなれば、全滅する。軍隊を経験した親父たちは、徹底していた。
非常の時こそ指揮官の技量が試される。躊躇なく指揮がとれるよう、末端まで覚悟する。
我々は、子供のころから事あるごとに「責任者は誰か。」「指示を出せ。」と怒鳴らているのを見て育った。また、着任したら、早々に、「現状を報告せよ」と指示されていたの見てきた。
指示も、報告も、我々には条件反射のごときことである。そうしなければ、初動でケアレスミスをする。迷ったらお終いである。間違ってもいいから覚悟して指示し続ける。指揮官が冷静さを失った時、チームは瓦解する。「一瞬の迷い、ミスが全滅を招く」とよく年寄りから言われた。
今は、強要は悪い、自主性、主体性を重んじと指示、命令は悪い。統制、規律は独裁的だと刷り込まれている。
これでは、いざと言う時に、組織は統制を失い。パニックに陥る。
だから、お題目しか唱えられないリーダーしかいなくなる。緊急存亡の秋、指揮官は、自らの責任によって指示をする。それが指揮官である。自分が倒れたら、次の者が、次の者が倒れたら、その次の者が指示を出し続けなければならない。指揮を執り続けなければならない。それが現場である。指揮官がいない組織は、烏合の衆である。滅亡あるのみ。指揮官は、自分に対しても常に冷静沈着である事が求められる。意識がハッキリしている時は、指示を出し続ける。指揮がとれなくなったら、次の指揮官を指名する。
現在、会社から求められている使命は、来期に予測を立て、組織体制をつくり、決算対策をし、営業戦略・政策を立て、資金計画・投資計画を立て、来期の準備をする事にある。そこに、私情を持ち込む余地は寸毫もない。
コロナ対策、安売り攻勢など危急存亡の秋が予想される。去る者は追わず。敵前逃亡する者と伴にはできない。いざと言う時にうろたえる者に任せる事はできない。
専務に従う者だけが残ればいい。今は、一致団結、結束する事。迷ってなんていられない。結論が出た事は、実行あるのみ。
逡巡したり、日和見主義、事なかれ主義に陥っているゆとり等ない。速やかに、自分の持ち場に戻り、自分の責務に邁進するように。
基本的な事だから、あえて注意する。
一定の年齢になり、一体の立場に立って基本的な事をわきまえていないと思わないところで恥をかく事になる。責任者の怠慢は、組織全体の失敗につながる。
改心できない者は成長しない。
改心できるものは、歳をとっても学ぶことができる。
恥ずかしいと思うのなら、速く改めろ。
組織の基本動作ができないと自分一人でだけではなく。組織の全員が迷惑をする。軍隊なら、一人の不心得、怠慢が全滅を招く事もある。親父たちから実際の事例をよく聞かされた。
一人の人間として基本をわきまえないのは、個人の恥だが。組織にとっては、組織全体を破滅に導く。恥をかかされたと感情的になる前に、自分の立場を考えろ。
真の変革は、危機的状況によってのみ可能となる。(フリードマン)
結論が出たことは、私情を交えず粛々と事務的こなすだけだ。去りゆく者に同情したところで何の意味もない。第一に考えるべきは、残されている者たちのことだ。残って伴に難局を乗り越えようとしている者たちだ。志を引き継ぐ者たちのためなら鬼にも蛇にもなる。
残された者は、自分がなすべきこと為せ。正確に来期の予測を立て、市場を分析して、予算を立て、決算対策を実行しろ。それが、自分たちに課せられた使命だ。
この場に及んでいい子ぶってどうする。俺は、同情されたくもないし、同情もしない。俺が決断したことであり。当人の問題だ。
責任ある者が、迷えば、部下も迷う。自分をみじめにするだけだ。毅然とし事に臨め。
前向きの努力をしろ。為すべきことを為せ。決まったことは決まった事だ。
学校では、指示、命令は強権的で悪いことのように教えている。その結果、起立礼の号令や予鈴が廃止されたりもしている。
そのために若い人の中には、指示、命令を受け付けない人も現れている。
指示・命令は強権を意味するわけではない。
強制のない社会はない。強制することが悪いのではなく、理不尽な事、納得できないこと、道徳に反する事を強制されるのが悪いのである。
指示は、正式に作業を開始せよ、あるいは、作業を開始してよろしいという合図でもある。
試験の際、試験官が、はじめと掛け声をかけたり、スポーツで試合開始の宣言が好例。けっして、強権主義が原因なのではない。 組織は指示によって動く。
起立礼を、強権的と否定するのは愚かなことである。
指示することは、指示した者が指示したことに責任を持つと宣言する事でもある。指示できない責任者は、無責任である。卑怯である。
若い人にこの事しっかり理解させておく必要がある。
現場指揮官、現場責任者は、聞きっぱなしでは、責任が持てない。
上からの指示を聞き罰なし、下から報告を聞きっぱなしにしておくのは、重大な違反、怠慢だという事を忘れてはならない。聞きぱなしなのは、明らかな命令違反、職務違反である。
指示されたら、指示内容を確認し、担当者を決めて、担当者に指示する。
報告を受けたら、確認をして指示をする。それではじめて職責を果たしているいえる。
良く、聞きました、わかってましたと弁明をする者がいるが、基本的に弁明にはなっていない。むしろそれは、自分の怠慢を認めた事になる。
聞いて確認をして指示する。この一連の動作があって指示は完結する。そして、やったことを報告する事で作業は完結する。
指示を確認したら、作業を洗い出し、段取りをうする。作業の洗い出しは、担当者にさせ、段取りは一緒にして指示は、責任者が出す。それが原則。
話を聞いても、聞きっぱなしなのは、聞かないよりかえって質が悪い。仕事がそこで止まってしまうからである。話を聞いて合意したら速やかに仕事に置き換え指示をする。
部下は、注文を受けたら速やかに上長に報告し、指示を仰ぐ。
ピッチャーは、一球一球サインを確認し、決断しボールを投げる。
決断してもボールを投げなければ試合は始まらない。
我々は、よく言われた。ボールを投げなければ仕事は始まらない。
審判は、一球一球、ストライク、ボールを判定し、コールする。誰にも聞こえない声で判定をつぶやくだけでは、審判は、職責を果たせない。かといって「あれは、きわどいコースだな」なんて言ってコールしないのも許されない。直感的に判断してコールする。それが審判の仕事。
報告を聞いても、話を聞いても、指示が出せなければ、組織は、正式な仕事とは認識しない。
そして、報告で終わる。報告していない事は、やっていない事。やり放しは、やってないのと同じか、むしろ、質が悪い。報告していない事は、言い訳、弁解ができない。
常に、仕事は一人でやっているのではない事を忘れないように。
最悪の結末「これ以上つらいことはない」 吉田・工場火災、消防隊員ら4人の遺体発見(静岡新聞)
(2020/7/6 09:47)
吉田町の工場で発生した火災の経過(静岡市消防局への取材による)
吉田町川尻の「レック静岡第2工場」で5日未明に発生した火災は、消火活動に当たろうとした消防署員ら4人とみられる遺体発見という最悪の結末を迎えた。発生から約16時間後に火の勢いはおおむね収まったものの、鎮火には至らず、見つかった4人の搬送は同日午後10時半すぎに始まった。関係者の懸命な活動が続いた。
同日夜記者会見した静岡市消防局によると、消防隊の到着時、建物内は白煙が漂う程度だったという。4人が2階に上がった後、1階の防火シャッター付近から大きな爆発音がし、爆風が噴き出したため1階部分にいた隊員らは退避した。海野雅夫消防局長らは「密閉状態で開口部がなく、(消火活動は)より慎重にやるべき」などと指摘した上で、「しっかり原因を調べていきたい」と述べた。
遺体発見後、現場で報道陣に対応した大石隆広警防部救急担当部長は涙で言葉を詰まらせ、「これ以上つらいことはない。こんなことが二度とないよう、消防局を挙げて努力しないといけない」と話した。
5日は終日、工場上部から黒煙が立ち上り、時折内部から物が崩れ落ちる音などが響いた。煙は工場近くの住宅地に流れ込み、近所に住む男性(75)は「工場北側から出た煙があっという間に広がった」と心配そうに見守った。消火活動が長引き、現場周辺の住宅では断水が発生。40代男性は2年前に同工場で起きた火災に触れ「防火設備はどうなっているのか」と不安そう。60代男性は遺体の発見について「職務を果たそうとして亡くなってしまったのは本当に無念。工場の構造など、事前に情報は伝わっていたのだろうか」と悔やんだ。
Copyright(C) 2020.7.5 Keiichirou Koyano