自分が決心しても、口に出さなければ、相手は、わからない。うんと念じてもテレパシーか何かで伝わるわけではない。声に出さなければ誰にも伝わらない。以心伝心なんて当てにできないし、不確か。確認の仕様もない。
中間管理者は、指示を中継するのか役割。自分勝手な思い込みや思惑で、指示を中継しなかったり、伝えなければ、伝達されなかった先の組織は、壊死してしまう。
故意に指示を伝達しなかったり、遅らせたら反抗、叛逆と見なされ。厳しく叱責された。親父たちは、戦争経験者だからね。それがどれだけ重大な事かを身をもって知っていたからね。伝令が届かなくって戦場に取り残されたり、全滅した部隊を身をもって体験してきたからね。
だから、僕らは常に声に出せと言われ続けたけどね。指示をされたら速やかに伝えろと叩き込まれた。自分だけでなく、戦友の命がかかっていたからな。
今は、簡単に、遅らせたり、勝手な判断で、伝えなかったり。
ある奴が言っていたよ。なにも結論が出ていない、結果が出ていないので…。
何様だっていうの、一人で結果も、結論も出せないの。それが組織。や今日は一人ではできない。
指示と言うのは、作業の始まりに出されるもの。結果が出てから指示しても遅い。守備位置に対する指示は、試合が始める前に指示するので、試合が終わらなければ守備位置が決められません。先発を誰にするか決められませんと言っているようなもの。だからいつまでたっても試合が始まらない。試合が始まらない、理由を選手や審判の性にしても意味がない。なぜなら、お前が決めて指示しないからだ。そんな事、子供でも分かる。
指示をしなければ始まらない。試合をしてみなければ結果はわからない。試合の結果がわからなければ何も決められないというのなら、試合が放棄されたという結果は、その時でる。つまり、結果がわからなければ何も決断できないというのなら、既に失敗している。それが結論。
できれば、現場責任者結論が出た時点で指示をしていく。先輩の支店長たちは、一人補佐役を自分で決めて会議の途中でも指示していた。彼等は、そうしないと忘れるからと言っていた。
今の現場支店長は、最初から指示する気がないから自分が指示された事を忘れないようにと言う緊張感すら持っていない。だから、決定事項が守られるはずがない。気が向いたら指示する事になる。十指示された事は、十やるとは思っていない。十の内一つでもやってあれば善して言い訳をする。それが組織や仲間に対する重大な背信とは思わない。なぜならは、皆で渡れば怖くないという世界だから。たけしを日本のオピニヨンリーダーにしたわけがわかる。
正しいことを教える者が悪くて間違ったことを言う者は善と、革命勢力、反体制者に刷り込まれたのがわかっていない。
指示を出す者、補佐する者、担当者と言う立場によって指示の受け取り方は違う。
指示を出す者がいなくなれば、支配者はしめたもの。補佐役も担当者も指示がなければ何もできない。表で指示する者を潰し、裏で指示する者に盲目的に従う。それが植民地主義だ。日本人は、裏で操る者の言いなりに動くようにされてしまった。
我々は、なるべく若い頃に責任を持たせろ。そうしないと指導的立場に立てないぞ。最後まで奴仕事しかさせられないよと指導されていた。だから、今の学校教育が意図している事を考えると背筋が寒くなる。
日本人の自由は、家畜の自由に過ぎない。野生の自由ではない。肥った豚の自由だ。
我々は、自分の人生にも、会社にも責任がある。肥った豚になるくらいなら痩せた狼に成れ。
物事には、順序がある。指示は、手順よくしないと指示を受けた者は、要領を得ない。
よくある指示に遡った指示がある。遡るというのは、どこどこにこいと言う指示を出して。いつと聞かれ。明日。明日の何時。何をするんですか。掃除。掃除道具はと聞かれて。もってこいと言い。なぜと言う具合に指示が遡る。この様な指示は、出された方も要領を得なくなる。
指示は、順を追って出す。慌てずに出せるようにしておく。
指示の典型は、スポーツの審判のジャッジ。
ジャッジは、速やかに、敵味方がハッキリわかるように動作も含めてコールする。
ジャッジが遅れたり、自信なげだっったり、曖昧だと試合は続行できない。
時には、フォイッスルを吹き手を上げて瞬時にコールする。迷っていてはダメ。審判のジャッジが試合を作っていくのであるから。
ストライク、ボールのコールは責任をもって第一感で瞬間的にする。
指示も同じ。決定して速やかに形に出す。それが指示。
考えて考えて考え抜いてやるものではない。一瞬の判断で決断し、形にする。それが指示。
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