事務方は、場を繋ぐ様に仕事を作っていく。
場面場面を想像しながら、何をするか。それまでに、何をやっておかなければ考える。
仕事は、できる事、簡単なことから始める。
仕事は溜めない。その日にできることから着手する。
仕事は、一括、一遍、一人で決めようとしない。
仕事を溜めるから、一遍にやろうとするから仕事を難しくなる。
仕事はできることからやる。簡単なことから始める。
決められる事から決める。方針が、決められなければ(当たり前)いつ方針を決めるかを決める。いつ、方針を決めるか決めればそれまでにやっておくことが分かる。日を決めないと段取りは組めない。
目標が決またら足下から決めていけと教えられた。
今日やるべきことは今日やれ。点の仕事はするな、点と線を結ぶような仕事はするなとも教えられた。
点の仕事というのは、その日限りで、つながりのない仕事。点と線の仕事とは、道筋のない仕事。
仕事は、ある程度道筋を決めてから着手する。予定は予定。なければ目安がつけられなくなるが、こだわると身動きができなくなる。着眼大局着手小局。
実際の仕事で確定するのは当日、できて一両日まで。だから、前日、前々日に仕事を確認する。
遠い事は、決めやすく。近い事ほど決めにくい。三年先ならいい宿の予約はとりやすいが。一週間先の宿は取りにくいし、選択肢がなくなる。
目標が定またら足下から仕事を組み立てていく。打ち合わせの最後は一歩外へ出た何をするか、何を指示するか詰める。話を詰めづに散会しない。話を詰めづに散会したら次までにやっておくべき仕事が決められなくなる。
これらの事は、常識として全員に浸透させておけと躾けられていた。この辺は望月さんなんかを見ればわかる。ただ、先輩を馬鹿にしていた世代は今絶望的に苦労している。
仕事に必要なのは想像力。場面場面のイメージがなければ段取りが組めない。これは、法月さんが言っていた。さすがだなと思ったね。
仕事は、一つひとつの作業を手順よく、手際よく積み上げていくこと。これは望月さんから学んだ。
仕事の成否は段取りと準備。これは石垣に教わった。
仕事には、始まりと終わりがある。始まりには、始まりの仕事と段取りがあり。終わりには終わりの段取りがある。始まりでは、正しくても、終わりとしては間違いになる事がある。始まりの時は始まりの仕事を、終わりには終わりの仕事するように。順序を間違えると最初から遣り直しさせられた。仕事には、順序、筋道がある。
仕事は理屈ではない。経験的に身に着ける。最初は素直に学ぶ。学ぶ意思のない者は、教えられない。なぜな、身につかないから。この辺は後輩たちを見て学んだ。
マニュアルにまとめるのはいいがやり過ぎれば人は育ったないといわれた。何から何まで決めて型にはめるのは、感心しない。
頭を使うこと覚えさせろ。ある程度経験を多ませることで身につかせろ。最初から答えは言うな。体得させろ。
最終的なこと、詳細は、その場、その日、その時でしか決められない。だから、あまり細かいところまで決めてしまうとかえって身動きが取れなくなる。
だから、いくつかの状態を想定しその場で判断できるゆとりを持たせる。例えば、会場や日は決められても、その日の体調、天候、出欠まで確定できないのが一般的。その場合、最終判断をいつ、だれが、どの様に決定し、それをどのように周知するかをあらかじめ設定しておく。
問題になるのはタイミング。
だから、方針を会議で決める事にしたら、会議で方針が決められるように段取りをしても結論までは出さない。会議までにどの程度、話を煮詰めておくか、どんな資料を作っておくか、どの様に結論に導くか、事前に決めたおく、決められる事はあるか、終わらせておく手続きはあるか、会議の性格、構成をどうするか、事後処理をどうするかを詰めておく。そしてやっておくべき作業は終わらせておく。試合の準備が済んでいなければ試合そのもが成り立たなくなる。試合の準備ができていないのを選手の性にしてはならない。
これは、事務方の仕事。
試合は、やってみないとわからないし。試合の前に結論を出しておくのは、八百長。会議で結論が出せないのは事務方の責任になる。結論はやってみないとわからない。
基本的に、現場教育は、学年で見るのではなく、仕上がりで見る。剣道でも、華道でも、茶道でも、学年で昇級させるのではなく、仕上がりで昇級させる。
支店長や管理職の仕事は、組織をマネージメントする事だが、マネージャーとトップとの違いは、運転手と客の違いみたいものである。
行先や時間は、お客さんに決めてもらわないと困るが、運転や道筋は、運転手に任せてもらわないと運転できなくなる。
同様に、期日や目標は、トップが決めるが組織の運用や工程は、マネージャーに任せてもらわないと困る。逆にいうとマネージャーが客になると組織は動かなくなるし、運転ができない運転手は、最初から任せられない事になる。
組織は、仕組み、システムだから、当たり前に運転技術がある。
それは、どんな社会でも子供から躾けられてきた。今の日本を除いて。今の日本は、組織を悪だと教える。反体制とか、反権力とか反権威などと言って。
自主性とか、自発性とか、主体性とかは強要する者ではない。自主的に行動するように、自発的に行動するように、主体的に行動するように仕向けるのである。その為の工夫は必要である。自主的に行動しろと強要しても自主的に行動できるわけではない。
何らかの勢力に操られている者は、自分たちが操られているなんて自覚していない。自覚できないように仕向けるのである。人間を操ろうとしている者にかぎって自主性とか、自発性と言ってあたかも自分の意志で動いているように仕向ける。
自分の意志を持っている者は、言われなくても自主的に動く。個性的も同じ。個性と言うのは、違いではなく。その人らしさである。別に他人と違う事が個性なのではないけれど、やたら個性的個性的にと強調する者のの中には、人と違う事や逆らう事ばかりを教える。個性を出したいなら自分に素直になる事である。
我々は、差配とか、仕切れとか、段取れとか、大枠を決めろとか、お膳立てとか、枠組みをしろとか、筋を通せというだけで話が通じたけれど、今は、死語になりかけている。それだけでも、何を失ったかがわかる。
先輩の意見を蔑ろにした世代が日本人の伝統や強さを断絶しようとしている。もう少し、誇りを取り戻した方がいい。そうしないと日本のいいところは失われ悪い所ばかりが残ってしまう。
自分の役割を正しく理解しないと責任者なんてなれない。日本から責任をもって仕事を纏められる者がいなくなる。末期的でもある。
トップの言う細かい事とマネージャーが言う細かい事の意味や部分が違う。丸投げされても困るし、任せてもらえないのも困る。
監督を監督とするのは、選手だと教えられてきた。
指示と強要と違う。ただ、正当な理由なく指示に従わなければ強要せざる得なくなるだけである。
自主性、自発性こそ強要できない。相手を尊重する振りして、結局、責任を押し付けているのに過ぎない。
先輩から、仕事は、ウナギの様なもの、尻尾を掴もうとしてもぬらりくらりして逃げられる。首根っこを押さえろ教えられた。
また、運転と同じだよ、遠く見て常に状況を判断しながら運転しないと事故するよと。
望月さん、石垣、法月さん等、先輩たちは、事あるごといろいろと教えてくれたが、解りました、解りましたいうばかりというばかりで、馬鹿にして全然聞かなかったものな。その結果、歳をとっても仕事のイロハもわからない。それで、何も教えてくれなっかて。教わる気のない者は、学べない。教えられない。
先輩たちが強調したことの一つが筋を通せということ。
筋というのは、仕事や話に道筋みたいなもの。要は、仕事にも、組織のも道筋があるということ。その道筋を外すと話も仕事も通らなくなる。
話も、どの筋から上げるかが重要となる。だから、関係者が一通り話が済んだら、正式には、どの筋から上げるか、誰から話を起すかを決める。起点が明確にならないと筋がとらない。
ところが、学んでこなっかった者は、この筋の意味が解らない。
同じ、広告でも、目的によって通しべきが違ってくる。イベントなどの広告は、主管部署、商品の、宣伝広告は営業、新製品は、開発、採用は人事と筋が違ってくるし、予算も絡む。
だから、誰が、正式に話を起すかを最初に決める必要がある。そんなこともわからずに責任者できない。頭に血が上る前に、学べ。担当した者は、責任をもって筋を通すのが仁義。
話が通らなかったら仕事は始まらない。
仕切る人間が仕切らななっかたら組織は動かなくなり会社は、潰れる。仕切るのは、大番頭の仕事。
筋には、筋書きと言う意味もある。つまり、物事には筋書きが必要なんだ。
上に対して責任をもって筋を通す。それが間に立った者の責務。上に対して筋を通さなければ、筋書きはできない。自分勝手に筋書きを描いていいわけではない。ちゃんと筋書きを考えて責任をもって説明しろ。筋の通らない話は始まらない。
意味もなく、上司が怒りだしたら、それは、部下に負けた証拠だ。
相手を非難する常套句は、若いとか、経験不足だとか、甘いとか、未熟とか、わかってないくせにとか、果ては、女なのに、生意気だとか、何も知らないくせにとか、知った風なことを言うなとか、理由にならない事だったり、論旨とは無関係だったりする事で、話を聞いていないとか、最終的には人格まで否定することを言いかねない。
解らない事、できない事は、その者にとっては悪であり、相手が正しい事を認めたら、恥になる、面子が潰されたと当人は当人は思い込んでいる。
自分の弱点や欠点、失敗を認めたくない。自分をガードしようとしているから酷いことを言って傷つける。
意味不明な事で怒っているのは、怒る意味が不明だからである。しかし、怒られた者は、堪らない。
人をうまく使おうとしたら負ける事を覚える必要がある。
部下に負ける事、若者に負ける事が出来なければ、人を育てる事はできない。
全てにおいて優れている、負けないと思うのは、エゴである。万能の者はいないし、いたら、それこそが弱点になる。
組織は、大きな帆船を動かすようなことだよおしえられた。旋回するにしても、時間も手間もかかる。乗組員全員が息を合わせ協力しないと転覆する。忍耐と根気がいる。各々がしっかりと自分の持ち場を守らないと思うようには動かない。
組織は、人で作られた仕組み。
我が社程度の会社でも百人を一斉に動かさなければならない。
それが、何千、何万もの組織を動かすのに技術や業がないわけないでしょう。
先輩たちは高い使命感を持って指導し続けてくれた。今でも。でも馬鹿にして学ばないよな。今も。年寄りの戯言みたいにしか聞かない。それでいて自分たちの話を聞かないとすぐに腹を立てる。もう少し素直になったら。先輩たちの話は、実体験をもとにして、解りやすく例えてくれている。だから馬鹿にするのかもしれないけど。でも、本当に頭が下がるよ。
隷属しろなんて言っているわけではない。盲従しろともね。
ただ、意味もなく逆らうなと言っているだけだ。皆は、気が付いていないかもしれないけど、我々はね。徹底的に逆らうように刷り込まれていたんだ。叛逆の美学とかいってね。それが飛び火して韓国や中国で反日だよ。あんなもの、自分たちが天に唾した結果だよ。
従う事は、悪い事ではないよ。心から、素直に従えるような人に出会う事は、人生の喜びだね。だから、別に強要されて従っていたわけではない。喜んで、心から従う事が出来たんだ。服従は悪だなんて刷り込まれる前はね。本当に心から、この人のためにと従ったんだよ。惚れてたんだね。昔はね。男が惚れ惚れするような男が沢山いったんだ。だから、そういう男を求めていろんな組織を渡り歩いたものさ。男心に男が惚れててわけさ。それで節を通したのさ。
それが日本人の美学だった。
今はね。兎に角、服従する事は恥ずかしい事みたいに刷り込んでね。裏切ったり、背信したり。恩だ、仁義なんて馬鹿馬鹿しいって。
そう言う連中に限って隷属、隷従を強いてきたけどね。
心から従えたらそれより幸せな事はないんだよ。そういう人にあえたらね。
本業、現業部分の継承に不安があるみたいだけど俺は、安易に妥協すべきではないと考えているんだ。第一、遅かれ早かれの問題なんだよ。いつかは、引き継いでいかなければならない。いつまでも、年寄りを頼ているわけにはいかない。第二に、それこそシステム化していく部分なんだよ。ノウハウを聞きだしてシステム化していくのが時代の流れだよ。ベテランを残すにしてもけじめなく残すのは僕は、反対だ。
俺は、これからの連中が困らないように手配すべきだけど。もっと若いの信じて早い段階で妥協すべきではないと考えている。
皆の頑張り次第だけどね。やればできるというより。やるしかないんだよ。皆自分たちの力で道を開いていくしかないんだから。ああやっぱりとだけは言わせたくない。
平穏無事。小金を貯めて、それなりの老後を送ろうと思えば遅れるかもしれない。
しかし、俺はそんな人生、毛程も望んでいない。次の時代を担う者たちの為になるなら、この瞬間に全てを失うかもしれない決断ができる覚悟があるかないかの問題に過ぎない。
やると言ったらやる。ここでしり込みするくらいなら最初から若い奴なんていれやしない。
専務と志を同じくする者だけでやっていけばいいのだ。
時代が変わった。今まで通りにはいかなくなる。これからの若い者たちの為に、道を切り拓くと覚悟した以上、進むしかない。後戻りは全く考えていない。平穏無事など最初から望んでない。俺が自分で決めた道だ。
気心の知れた奴とやり馴れた事をやる方が楽に決まっている。失敗も少ないし、たとえ失敗したとしても取り返しのつかない失敗なんてしないだろう。少なくとも自分の代くらいは持つだろう。
それはいいとか、悪いとかの問題ではなくて、どうやって安穏な生活素ができるかと言う問題。確かに、自分の代くらいは、持つだろうが、その先に対して責任は持てない。任せるのなら、今しかない。
正直言って歳をとったら、気力も、体力も、能力も若い者にかなわなくなる。だから、最盛期にいい仕事をさせてやるのが年寄りの役割。
それに、楽をして儲けようなんて思い始めたら、堕落の始まり。己の立場基と危険を守るために汚くなる。だから綺麗に都市をとるのは難しい楽をしようと思い始めたら老残を晒すだけ。次の世代の為にもうひと踏ん張りと思えば、なんとか自分が保てる。
若い者にかなわないのに、それを認めようとしないから、若い者にとって年寄りは邪魔な存在になる。かなわないのを認めて、若い者にできない事を引き受けるから年寄りの居場所はある。
年寄りにできるのは、決断して、指示する事。決断もせず、指示もせず、任せもしない。それでは、若い者が従わなくなるのは、道理。
それでいて自主性、自発性なんて言い出すのは卑怯。
自主性、自発性なんて責任を持たせれば否応なく出さざるを得なくなる。決める事を決めずに、指示のせず、任せたと言いながら後でなんだかんだと言ってくる。それは未練がましく。無様だ。
最後に経験不足を言い出すが。それを言ったらお終いだね。誰だって最初はある。経験なんてやらせなければ積めない。最初から経験不足を理由に任せなければ、いつまでも経験なんて不足する。汚い言わけだよ。
皆、歳をとる。若いうちに経験を積ませなければ駄目になってしまう。最初からプロなんていない。最初は誰だって素人である。
いつまでも、俺がいなければなんて言っていたら次の連中の芽を摘むだけ、チャンスを奪うだけだ。
やらせれば上達するけど、やらせなければいつまでたったてできない。そうしているうちに一番の盛りを過ぎてしまう。
今は、俺のいない会社なんて想像できない。しかし、それが現実。敢えて。自分がいない会社を目に浮かべられねか。その覚悟あるか。その覚悟なければ、即刻、引退すべきだ。俺の最大の仕事は、後継者を育成する事なのだから。
やればできるさ。自分が実質的にこの会社を任せられたのは、二十七の時だったんだから。それから、大勢の人に助けられ、無我夢中でやってきてた。今くやったなんて思った事は一度もない。相談する相手も最初はいなかった。
俺にできたんだから、その気になればできるさ。問題はその気にさせる事。
無責任な立場で無責任な事を言うのは簡単だけど、それではいつまでたっても大人にはなれない。
男は、未練は持つな、潔くあれと叱咤しながら生きてきたんだからね。
最初から妥協をしたら駄目だよ。最初に妥協したら最後まで悔いが残る。
新しいワインは、新しい革袋に。新しい物を作ろうとしたら古いものは徹底的な叩き壊す事だね。未練を残したらそこに悔いが残る。
いつか、いつかと言っているうちに人は歳をとる。今になれば年を取るのは早い。わけない事さ。
決断するのは今と思えば、年齢を超える事も可能だ。
今やるべき事をやらなければ、やる時がない。
うちの会社には、支店長という支店長はいないからな。
根上と言う支店長、森上と言う支店長、松永と言う支店長はいるけど、支店長と言う支店長はいないからな。
同様に、マネージャと言うマネージャーはいない。
浜松は、森上に任せるので、支店長に任せるのではないからな。間違えるなよ。森上と言う全人格を信じて、専務は、浜松支店を任せるのだからな。
勘違いするなよ。浜松支店長に浜松支店を任せるのではないからな。
支店長は、部下に仕事を任せる時それを忘れるなよ。ピッチャーとういうピッチャーはいない。田中とかダルビッシュと言う投手はいても投手と言う投手はいない。
マネージメントを任せるという事は、その人の考え方、思想も含めて、任せていく。もっと女性の地位を向上すべきだと考えている人に人事を任せるのは女性の地位を向上せよというのと同じだからな。任せられるという事は、当然、権限も委ねられる。だから、任せられた者は、当然、どの様な権限が欲しいかも要求できる。この要求は、行使しなければ無効となる。
根上と森上は、考え方も性格も違う。当然。それを前提にして配置する。
どうやって人を束ね纏めるか、それを金で表すのが予算。予算によって支店長の能力を見る。
ただ、黙って言いなりになる支店長は、それだけの支店長。
俺は、親父たちから、人はただでは動かないからな。人を使うためには、金が必要だ。それを納得するように説明し、きちんと要求できない支店長は、それだけで無能と判断されても仕方ない。お仕着せの予算に黙って従う紫檀長には、何も期待するな。
それから、責任者に自腹を切らせるなとも。今日のサラリーマンは、自分が仕える金に限界がある。だから、自腹を切らせたら必ずどこかで帳尻を合わせようとする。それは不正を招く事だ。第一続かない。
どうどうと要求できない金は、払う必要がない。必要なら、納得がいくよう事前に説明させろ。納得したら何も言わず払ってやれ。
部下の事を思うなら仕事に関わる金は、払えたとしても自腹を切るな。
私用でつかうか、仕事でつかうか実際に予算の段階で見極めろ。
支店の士気を高揚する為に必要だと言い、納得がいったらそれは、仕事上の経費。一緒に遊びに使うのならそれは、私用。
仕事と言うなら堂々と要求しろ。それがけじめだ。そう厳しく躾けられた。この点は忘れるなよ。
何が私用で、何が仕事かそれを見極めるのも支店長、マネージャーの重要な役割にな。監査役のしりあいの生命保険の営業は、毎日、ゴルフ練習場にきていたそうだ。かつて、渡商会は、麻雀のつけは、全て会社持ちだったと聞く。
何が仕事上の金か、私用上の金かは、その会社のポリシー、営業思想の問題だ。
社長だから偉い、年上だから偉い、役職が上だから、男だから偉いというのではない。自分の役割、与えられた、責務を果たし、結果を出しているから偉いのだ。
例え、新人でも、自分に与えられた責任を果たし、結果を出せば偉い。新人を育成する立場にありながら新人の芽を摘む様では、偉いとは言わない。
これからは、年齢、性別に囚われず、その人その人の働きに応じて適正な評価ができるような体制にしていきたい。
責任ある立場の人間は、常に、予算と結びつけて考える癖をつけてほしい。
自分達がやろうとしている事、求めている事、例えば、人を増やしたら、投資をしたら、どういう影響が収支に出るかを専務と一緒に考える癖をつけてほしい。投資と結果を結び付け、自分達たちのどちらの方向に向かっていくべきか、予想が外れたらどう軌道修正していくか。それは、皆が緊張感をもって共同で、助け合ってやること…。
ただ、予算は、予算。お金がかかるからと言って臆病になれと言っているのではなく。一緒に考える癖を持ってほしいと言いたい。他人任せではなく。各々が、それぞれの立場で会社に対して自分の役割を果たしてほしい。その上で、一体となって結果を出す。自分たちの会社にする。
どんな事業も最初は、出費だ。赤字を怖れたら始められない。しかし、怖いもの知らずでは責任は持てない。
TOPは、成功した時の事を思って決断するわけではない。失敗した時を覚悟して決断する。金がかかるからと言って臆病になるな。ただ、問題は、金の使い道だ。安物買いの銭失いになるな。
ただ、常に、最悪の事態を覚悟して、地獄の窯の底を覗いて決断する。
だから、皆も地獄の窯の底を一度は除く覚悟で予算を専務と伴にたててほしい。
僕は、どんな人を美人と思うかと聞かれたら、わたし綺麗と思ってる人を美人だと思わない。私は、ブスと思っている人も美人だとは思わない。常に、美しくなろうと研鑚努力している人を私は美しいと思う。
人生にも営業にも終わりはない。自分が、もういいと思った時に終わりになる。あきないとはそういうものだ。諦めたらお終いだ。
やすきにつくな。一番困難な物から克服しろ。逃げるな。
話易い部下、行き易い客、安易な方策、簡単にできる事ばかりやっていたら道は開けない。困難な事、限界を克服するから成長する。自分と戦う。これまでわが社にできなかったことに挑戦する。そうする以外に道は開けない。
歳をとるな。できない理由、やらない理由を考えるな。
自分の怠慢を他人の性にするな。
何を為さなければならないかを真剣に考えろ。そして、決断しろ。
今に、現状に甘んじるな。
何ができるかではなく。何が必要かだ。
正直言って多くの経営者は、歳をとると無自覚になる。放縦になる。会社を私物化するようになる。臆病になり、保守的になる。
それだけはあってはならないと常に、自戒している。
会社は、内向きになってはいけない、過去に囚われてはいけない。外に向かって開かれ、未来に向かって前進いかなければならない。
その為の覚悟が出来なくなったら経営者としては失格だと覚悟している。
皆の目が経営者としての俺を支えていると自覚してほしい。
決断し、実行あるのみ。行動の時だ。
前途は多難である。嵐に向かって船出するようなものだと覚悟してほしい。
全社員、専務の下、一丸となって心機一転頭を切り替えて困難に立ち向かってほしい。
社長だから偉い、年上だから偉い、役職が上だから、男だから偉いというのではない。自分の役割、与えられた、責務を果たし、結果を出しているから偉いのだ。
例え、新人でも、自分に与えられた責任を果たし、結果を出せば偉い。新人を育成する立場にありながら新人の芽を摘む様では、偉いとは言わない。
これからは、年齢、性別に囚われず、その人その人の働きに応じて適正な評価ができるような体制にしていきたい。
責任ある立場の人間は、常に、予算と結びつけて考える癖をつけてほしい。
自分達がやろうとしている事、求めている事、例えば、人を増やしたら、投資をしたら、どういう影響が収支に出るかを専務と一緒に考える癖をつけてほしい。投資と結果を結び付け、自分達たちのどちらの方向に向かっていくべきか、予想が外れたらどう軌道修正していくか。それは、皆が緊張感をもって共同で、助け合ってやること…。
ただ、予算は、予算。お金がかかるからと言って臆病になれと言っているのではなく。一緒に考える癖を持ってほしいと言いたい。他人任せではなく。各々が、それぞれの立場で会社に対して自分の役割を果たしてほしい。その上で、一体となって結果を出す。自分たちの会社にする。
どんな事業も最初は、出費だ。赤字を怖れたら始められない。しかし、怖いもの知らずでは責任は持てない。
TOPは、成功した時の事を思って決断するわけではない。失敗した時を覚悟して決断する。金がかかるからと言って臆病になるな。ただ、問題は、金の使い道だ。安物買いの銭失いになるな。
ただ、常に、最悪の事態を覚悟して、地獄の窯の底を覗いて決断する。
だから、皆も地獄の窯の底を一度は除く覚悟で予算を専務と伴にたててほしい。
僕は、どんな人を美人と思うかと聞かれたら、わたし綺麗と思ってる人を美人だと思わない。私は、ブスと思っている人も美人だとは思わない。常に、美しくなろうと研鑚努力している人を私は美しいと思う。
人生にも営業にも終わりはない。自分が、もういいと思った時に終わりになる。あきないとはそういうものだ。諦めたらお終いだ。
やすきにつくな。一番困難な物から克服しろ。逃げるな。
話易い部下、行き易い客、安易な方策、簡単にできる事ばかりやっていたら道は開けない。困難な事、限界を克服するから成長する。自分と戦う。これまでわが社にできなかったことに挑戦する。そうする以外に道は開けない。
歳をとるな。できない理由、やらない理由を考えるな。
自分の怠慢を他人の性にするな。
何を為さなければならないかを真剣に考えろ。そして、決断しろ。
今に、現状に甘んじるな。
何ができるかではなく。何が必要かだ。
正直言って多くの経営者は、歳をとると無自覚になる。放縦になる。会社を私物化するようになる。臆病になり、保守的になる。
それだけはあってはならないと常に、自戒している。
会社は、内向きになってはいけない、過去に囚われてはいけない。外に向かって開かれ、未来に向かって前進いかなければならない。
その為の覚悟が出来なくなったら経営者としては失格だと覚悟している。
皆の目が経営者としての俺を支えていると自覚してほしい。
決断し、実行あるのみ。行動の時だ。
基盤つくりで言い忘れたけど、まず最初にやるのは、グループ分けね。要するに部隊へ編制さ。自分のチームをどういうグループに分けるか。
グループ分けは、従来の枠組みにとらわれず、自分の必要としている役割、働きで考える。
たとえば、オフェンスとディフェンスね。野球は、同じメンバーが攻撃と守備で役割を変える。サッカーやバレー、バスケットボールは攻守が一体、フォーメーションを変える事で対処する。アメラグは、攻撃チームと守備のチームは別と言う具合に、絶対と言う取り決めはないけど、まず、社員を働きに応じてグループ分けする。
そして、それを組み立てて実際の枠組みを作る。
もうひとつ、組織は、神経系だという事を忘れないように。
会議を主催する場合は、関係部署すべてから報告が上がり、指示、命令が伝達できるようにしなければならない。
指示、命令が伝わらない部署は、神経が切れているようなもので勝手な動きをするか、麻痺するか、壊死する。
やむおえず欠席する場合は、必ず代理を立てるか、結果が伝わるようにしておく。部門長が都合が悪くて欠席すると言った場合、代理も立てずに、報告も聞かないなんて事あるけど、これは組織の一員として完全に責任を放棄している。以前だったら、即刻外されてもおかしくない。
まず、グルーブ化し、それを繋ぐ事を考える。
どことどこを繋げるかこれが組織つくりの基本だからね。
組織管理の要領はね。いかに少ない情報で素早く決断し、必要な個所にピンポイントで迅速に伝達できるかにあるんだよ。
情報を少なくするためには、必要な情報を絞り込む事なんだけど、必要な情報を提供すると言うのは、決定権者が知りたい情報を漏れなく、わかりやすく提供するという事。だから、徹底的にTOP、これからは専務には、この件に関しては、わがままになってもらうしかない。自分が知りたいこと以外は、余計な事。妥協せずにそれに徹すれば、極めて効率的な仕組みができる。むろん、最初から自分の知りたい情報をすべて掌握できるわけではないから、先ず、場数を踏む。次に、経験者や専門家の意見に耳を傾ける。本当に自分が一人で決めなければならないと思ったら、謙虚に経験者や専門家の意見を聞くようになるさ。それだけ責任が重いからね。でもそれはやってみなければわからない。
人を批判したら、その人は、助言しなくなるからね。
任せられたら、決断する事。最初から無理な決断をしない事さ。簡単な決断、小さの決断を積み重ねていく事を覚える事だね。
仕事は、薄皮をはぐように、階段を一段一段昇る様にしていく事さ。
ちなみに、僕の経験から。儲けようと思ってやった新規事業は、失敗する事が多かったね。それより、自分が切実だと思っている事や本当に必要だと思っている何気ない事。それが成功の秘訣だよね。
データベースを普及させたのは、電話帳。電子手帳なんていろいろな機能があるけれど、一番決定的だったのは、電話帳ね。
それとアダルト。要は、人間の生々しい欲望を捉えたもの。要は、シンプルで難しくないところで人間の欲求を捕まえたものね。
下手に儲けようと思うと儲けたいという我が強くなって駄目ね。
結局、消費者からみれば使い勝手がいい物がいいのよ。むかし、いろいろな機能をたくさんつけた製品が流行ったけど、一時の流行で終わって、今は、シンプルな物の方が受けている。
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