皆も最近気が付いてきたと思うですけれど、指示・命令が悪いなんてする国は、日本以外には、どこにも存在しない。
なにがなんでも、強制は悪い、指示・命令はしてはならないなんて、この期に及んでも言っているのは、日本だけで、世界中から異常な国だ、信用のおけない国だとみなされている。物笑いの種にされている。
指示・命令が悪いと刷り込んだ、共産圏の国こそ強権的だし、自由主義国のアメリカだってフランスだって強権を発動している。
ところが今だに、日本は、罰則なしの要請である。法治国の人間は、原則的には要請には従わない。要請と言うのは、無責任だし、保証もされない。要請に従った者だけが一方的に不利益を被る危険性があるからである。
必要があるならば責任をもって正式に決定し、指示を出す。それが法治国の第原則である。
日本人もかつては、それくらいの常識は持っていた。我々の先輩は、統制が厳しい時代に育ち、高校しか出ていなくても自発的に学んで、技能を磨いたものです。
親父たちは、軍隊を経験していたから指示・命令の出し方、受け方を徹底的にたたき込まれていた。
我々の団塊の世代とそれに続く後輩達からである。強制は、悪い、だから、指示・命令はしてはならない。それこそ、三歳の子供の主体性、自主性を重んじなければならないなんて言い出したのわ。三歳の子供に自分の意見を言えなんて強要する方がどうかしている。
責任をもって決定し、指示する。そうでなければ責任が持てない。
東京の警報でも何々と思われると逃げ口上で、明確な意思が示されていない。都民が知りたいのは、警報ランクを引き上げる事ではなく。どうしたらいいかであり、警報ランクが引き上げられたから、それが何なの、それでどうしたらいいなのである。それが明確な示せないならなまじ警報など出さない方がいい。そんな警報は、政治家の保身、保険の為に出しているのに過ぎないからです。
指示・命令は悪いなんて言っているのは、団塊の世代以降の人間ですよ。それも暴力的だからと言う理由で…。強制は悪い、暴力は悪いと彼等の頭では半ば常識化して、次の世代の者たちに強要している。暴力的に強制している。
過激派は、物凄く強権的で暴力的だけどね。彼等は、感情的に自分の行動を正当化してきたからね。自分達だけは例外だと言って…。
彼等は、指示する事を生理的に恐れ、指示する事さえできない。指示・命令ができないから人々の自発性を期待するしかないのである。結果、何の罰則もない、強制権もない要請に終わる。幸運を祈るしか、誤魔化すかしかない。相手の性にするしかない。
結局、自分たちは、何も決めていないし、指示していないから何も悪くないと言い訳するのが眼に見えている。
第一、強制権を持ってはならないなんてされたら国は成り立たない。強制権がない法はない。強制権がなければ、法は成り立たない。自発性、自主性に依存している法はない。それはモラル・道徳の問題である。
法が重んじるのは、正式な手続きである。正式な手続きに基づかない法の正当性を認めないだけである。
強制してはならないなんてどこにもない。強制権がなければ法も秩序も保てないのである。
責任をもって決断し、指示する。そうすれば腹は据わるよ。いつまでも、ダラダラと決断する事を躊躇っていたらね。覚悟もできない。
その時が来たら、躊躇なく、総括的に決めると言っていた政治家がいるけど、だったら、躊躇なく、一括して決めろよと言いたいね。何も決めずにお題目ばかり。それでは組織は纏められない。
決断とは、決して断じる事。未練を断ち切れば、覚悟もできる。
パワハラと言うのは、権限、権力そのものが悪いと言っているのではなく。公権力を私的に悪用する事は認められないと言っているだけである。
責任をもってきちんと指示が出せないから強圧的で、暴力的になり、強引、投げやり、無責任になるのである。
気心の知れた奴とやり馴れた事をやる方が楽に決まっている。失敗も少ないし、たとえ失敗したとしても取り返しのつかない失敗なんてしないだろう。少なくとも自分の代くらいは持つだろう。
それはいいとか、悪いとかの問題ではなくて、どうやって安穏な生活素ができるかと言う問題。確かに、自分の代くらいは、持つだろうが、その先に対して責任は持てない。任せるのなら、今しかない。
正直言って歳をとったら、気力も、体力も、能力も若い者にかなわなくなる。だから、最盛期にいい仕事をさせてやるのが年寄りの役割。
それに、楽をして儲けようなんて思い始めたら、堕落の始まり。己の立場基と危険を守るために汚くなる。だから綺麗に都市をとるのは難しい楽をしようと思い始めたら老残を晒すだけ。次の世代の為にもうひと踏ん張りと思えば、なんとか自分が保てる。
若い者にかなわないのに、それを認めようとしないから、若い者にとって年寄りは邪魔な存在になる。かなわないのを認めて、若い者にできない事を引き受けるから年寄りの居場所はある。
年寄りにできるのは、決断して、指示する事。決断もせず、指示もせず、任せもしない。それでは、若い者が従わなくなるのは、道理。
それでいて自主性、自発性なんて言い出すのは卑怯。
自主性、自発性なんて責任を持たせれば否応なく出さざるを得なくなる。決める事を決めずに、指示のせず、任せたと言いながら後でなんだかんだと言ってくる。それは未練がましく。無様だ。
最後に経験不足を言い出すが。それを言ったらお終いだね。誰だって最初はある。経験なんてやらせなければ積めない。最初から経験不足を理由に任せなければ、いつまでも経験なんて不足する。汚い言わけだよ。
皆、歳をとる。若いうちに経験を積ませなければ駄目になってしまう。最初からプロなんていない。最初は誰だって素人である。
いつまでも、俺がいなければなんて言っていたら次の連中の芽を摘むだけ、チャンスを奪うだけだ。
やらせれば上達するけど、やらせなければいつまでたったてできない。そうしているうちに一番の盛りを過ぎてしまう。
今は、俺のいない会社なんて想像できない。しかし、それが現実。敢えて。自分がいない会社を目に浮かべられねか。その覚悟あるか。その覚悟なければ、即刻、引退すべきだ。俺の最大の仕事は、後継者を育成する事なのだから。
やればできるさ。自分が実質的にこの会社を任せられたのは、二十七の時だったんだから。それから、大勢の人に助けられ、無我夢中でやってきてた。今くやったなんて思った事は一度もない。相談する相手も最初はいなかった。
俺にできたんだから、その気になればできるさ。問題はその気にさせる事。
無責任な立場で無責任な事を言うのは簡単だけど、それではいつまでたっても大人にはなれない。
男は、未練は持つな、潔くあれと叱咤しながら生きてきたんだからね。
最初から妥協をしたら駄目だよ。最初に妥協したら最後まで悔いが残る。
新しいワインは、新しい革袋に。新しい物を作ろうとしたら古いものは徹底的な叩き壊す事だね。未練を残したらそこに悔いが残る。
いつか、いつかと言っているうちに人は歳をとる。決断するのは今と思えば、年齢を超える事も可能だ。今やるべき事をやらなければ、やる時がない。
筋には、筋書きと言う意味もある。つまり、物事には筋書きが必要なんだ。
上に対して責任をもって筋を通す。それが間に立った者の責務。上に対して筋を通さなければ、筋書きはできない。自分勝手に筋書きを描いていいわけではない。ちゃんち筋書きを考えて責任をもって説明しろ。筋の通らない話は始まらない。
指示・命令は悪いなんて言っているのは、団塊の世代以降の人間だよ。それも暴力的だからと言う理由で…。強制は悪い、暴力は悪いと彼等の頭では半ば常識化して、次の世代の者たちに強要している。暴力的に強制している。
過激派は、物凄く強権的で暴力的だけどね。彼等は、感情的に自分の行動を正当化してきたからね。自分達だけは例外だと言って…。
その残党が今の政治家。
彼等は、指示する事を生理的に恐れ、指示する事さえできない。指示・命令ができないから人々の自発性を期待するしかないのである。結果、何の罰則もない、強制権もない要請に終わる。幸運を祈るしか、誤魔化すかしかない。相手の性にするしかない。
結局、自分たちは、何も決めていないし、指示していないから何も悪くないと言い訳するのが眼に見えている。
第一、強制権を持ってはならないなんてされたら国は成り立たない。強制権がない法はない。強制権がなければ、法は成り立たない。自発性、自主性に依存している法はない。それはモラル・道徳の問題である。
法が重んじるのは、正式な手続きである。正式な手続きに基づかない法の正当性を認めないだけである。
強制してはならないなんてどこにもない。強制権がなければ法も秩序も保てないのである。
責任をもって決断し、指示する。そうすれば腹は据わるよ。いつまでも、ダラダラと決断する事を躊躇ていたらね。
その時が来たら、躊躇なく、総括的に決めると言っていた政治家がいるけど、だったら、躊躇なく、一括して決めろよと言いたいね。何も決めずにお題目ばかり。それでは組織は纏められない。
決断とは、決して断じる事。未練を断ち切れば、覚悟もできる。
トップがすべてを変えるといってるのに、何も変えませんとといった予算を立てたら、あからさま、それも、えげつない反抗だからな。高橋是清だって軍事予算を削減しようとして殺されたんだし、今も、国会で一番審議されるのは予算。
トップより、大方針が示されたのは、四月冒頭、だから早く着手しろと指示し続けたのに、今更、時間がりませんという言い訳は聞かないからな。とにかく、トップの話をよく聞け。
専務の考え方針にしたがって予算を立てろ。間に合わなければ時間を延長しても構わないから最初から妥協するな。
やるといたらやる。上からやれと指示されたらそれを、できるようにするのが下の仕事、責務。
大体、トップの方針は皆の意見、話をよく聞いて今までのやり方では駄目だと判断したからで。独断したわけではない。何年もかけてみなと話し合って出した結論だ。今更、今迄通りでいいですはないだろう。卑怯だよ。
予算は、これからツバメを担っていく人間が中心になって作る。俺の様な立場の者は、道筋を作るのが役割。トップがすべてを改めるというなら、その方針に沿って予算を作れ。完璧である必要はない。大切なの新しい一歩が踏み出せればいいのだ。なんにでも初めはある。臆病にならず、第一歩を踏み出せ。
くだらん反抗はやめろ。
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