予算の原則は、温故知新。古きを温めて新しきを知る。
でも、予算は、未来に向かって作るもの。過去に囚われていたら予算は作れない。
世の中は、変化(へんげ)しつづけているのだから。
変易、不易、簡易。
最初は、皆で節約をして余ったお金を有効に使おうという思い。皆で会社をよくしていこうという思いがあってそれじゃあ予算を作ろうという事になった。
燃費だとか、工事費だとか、修繕費なんかで自分たちでできる事は、なるべく自分たちでやって無駄を省いて、お金が余ったら、皆で旅行したり、飲みに行ったり、暑い日には、外回りから帰ってきた時に、冷たい麦茶などを事務方の人が用意していてくれたりしてね。
だから、古参の人達の話を聞いた時、親父と新聞紙ひいてヤカン酒を仕事が終わった後飲んだことや、屋台を借り切って話し合った事、外回りから帰ってきた時にふるまってもらった冷たい麦茶の美味しかったことなどを一番楽しいそうにしてくれた。
その思いがあったから、一生懸命稼いできた。予算に追われて働いてきたわけではなく。どれくらい稼いだら、どれくらい無駄を省いたら会社は良くなるかを考える為に、予算を作った。
それが時がたつにつれて想いが薄れ、いつの間にか、形式ばかりになった。
予算をただ作る様になったら、それぞれの努力がおざなりになり、最終的には価格で調整する事ばかりを考えるようになる。安易に事、楽する事ばかりを覚える。
それでも、予算を責任をもって管理する人がいるうちは、役にたったが、管理もしなくなり、管理もできなくなったら、自分の頭を使わなくなるからむしろ弊害だな。
これからの会社は、専務ひとりでやるわけではないよ。皆が一人ひとり一致協力して会社をよくしていく。あの頃は、皆に自分達が汗水たらして稼いだ金を有効に使おう。無駄に使われたくないという思いを皆持っていた。だから、俺たちの会社なんだという強い思いがみなぎっていたけど、予算づくりを他人頼り、自分の頭を使おうとしなくなってから、会社の事なんかどうでもよくなって他人事のようになってしまった。
支店長は、支店に対して責任があるし、店員は、支店長に協力して支店が成り立っていくようにする責任がある。
自分の人生、家族の生活と会社の業績は直結しているという事を忘れないでほしい。自分の怠慢、無責任な事に対する言い訳は、自分に対する言い訳だからね。その責任は結局自分達がとらされる。
予算は、自分たちの生活に直結しているという事を忘れないように。
自分一人で作り、自分一人しかわからない予算なんて自己満足でしかない。
会社は、皆が協力しないとやっていけなくなるからな。
それぞれが、自分たちが与えられた持ち場を守らなければ守れないからな。野球はチームが一丸にならないと勝てないどころか試合にもならない。野球は、監督ひとりでもできないし、投手だけでもできない。チームの人間が一丸となった時にはじめて試合になる。
会社が赤字になりそうなったらそれぞれがそれぞれの立場、責任で対策を立て実行する。
専務ひとりの責任するなよ。支店長が支店を掌握できなければ現場の秩序は保てないからな。
総舵手がボケーとしたいたら操舵を奪い取っても危機から船を守らなければ…。命がけなんだからな。できるできないの問題ではなく。自分たちの力でこれからは乗り切っていかなければならない。人だよりは許されない。会社つぶしたら誰も言い訳は聞いてくれないからな。
会社をつぶした時の責任は全員がとらされるの。
予算はそのために立てる。ただ、予算を立てればいいというのではなく。最悪の時に備え、自分たちが責任をもって会社をやっていくために、決意も含めたてる。全責任をみんなで負っていくんだからな。我々は、自分の責任からは逃れられない。一時逃げたとしても最後まで追いかけてきて。自分の人生の責任は負わされる。ならば、前を向いて受けて立とう。
昔、師と言える人に指摘されたのは、目標管理は、前年対比ではなく。予算対比だということ。予算は事業計画に基ずく。だから、目標が意味があるので、そうでなければ成り行きでしか仕事をしなくなる。今は予算対比と言っても限りなく前年対比に近い。なぜなら、事業計画に基づかずに安易に前年実績を踏襲しているから。それでは、じり貧になるし、夢も希望も無くなる。
自分たちがどんな会社にしたいか、どんな事業にしいかを語り合うからこそ予算を立てる意義があり。また、目標を達成し甲斐もある。
なぜ、皆で予算を立てるのかって。
予算をわざわざ、みんなに立てさせるのは、みんなにやる気を持たせるため?自発的に目標を達成させるため?会社の方針を浸透させるため?そんな風に考えていない。
だから、予算を作る意味が解らないでちょこちょこただ作ればいいなんて言う仕事をするんだ。
予算は、みんなで作るものさ。それも、なるべく若い連中を中心にしてね。
予算は皆の夢や希望に命をふきこむもの。予算を立てるこちは夢を語り合うこと。どんな職場にしたらいいか。どんなシステムにするのか。どんな福利厚生が必要か。どんな事業をするのか。何に「お金」をかけたらいいか。そんなわくわくするような話を夢のない少数の人間が手前勝手につくていたら。味気ない、夢のない会社になってしまう。
過去の焼きなしの様な予算なんて後ろ向きなもの、予算は本来前抜きなもでなければ、作る意味がない。
予算の根本は事業計画そのもだからね。予算の中には事務所のレイアウトだってある。営業目標だけが予算ではない。
むしろ、お金の使い道を考えるのが予算の本道。
だから、予算は、これからの人たち。若者たち中心で作ればいい。先のある人たちでなければ前向きで、夢のある、挑戦的な予算なんて組めるはずがない。なるべく、無難で、危なげがなく、保守的で、安全なもの、おもしろくもない、後ろ向きなものになってしまう。
予算は未来に向かって建てるもの。そうでなければ会社の未来は開けない。明日は来ない。
予算は為にするためのものではない。
予算の核心は、投資にあるんだよ。次の時代に向けて何に投資をするか。そして、それをどの様に回収するか。無論、投資には、人材投資も含む。投資に消極的だったり、何も考えていない予算なんて、核心を欠いている。
当期と同じ事をしていたら衰退しかないからね。発展なんて望めないし、社員に何も変えないと実際的に宣言する事。それでは、士気もモラルも保てるわけがない。若い者ややる気のある者から失望していく。予算責任者が怠慢なだけでだね。予算は、ただ作ればいいというのではない。そんな、予算、毒でしかない。
いくら目標を達成しても、専務が目指すところに全然結びついていなければ、何の意味もない。それは、予算責任者の自己満足、独善に過ぎない。何のために予算を作るかがわかっていない証拠だね。
家を建てる時、真っ先に施主の話を聞いて予算の範囲でいかに施主の希望を実現するかを考えるだろう。施工が勝手に立てておいて予算をオーバーしたから費用を追加してくれなんて言うのは、傲慢の極みだね。
予算も同じ。トップの話を聞かずにどうする。トップの考えに基づいて予算は立てる。
家を建てるのは、施主が望む家を建てるのが目的であって、予算内で家を建てる事が目標なのではない。目標を達成する事、利益を上げる事は手段であって目的ではない。ただ儲ければいいというのではない。
何に投資し、何を開発し、何を実現したいのかがあって予算は、意味がある。
去年も、今年も、こうでしたからと言うのは、全く、意味がない。だから何だというだけ。
これから、自分たちが何に挑戦するのか。どういう会社にしようとしているのか、それを具体化するのが予算だから。予算の根底には、事業計画や構想がなければ空疎だ。
中途半端な計画、予算を立てるのは、かえって弊害だ。どうしたら、自分達の夢が実現できるか、志を遂げられるか。徹底する事だね。後ろ向きの議論は捨てろ。
予算は、未来に向かって建てるもの。過去にこだわる限り、何も新しい物は生れない。後ろ向きの予算なんて立てたら、過去の亡霊に取りつかれてしまう。予算は、挑戦的なものでなければ意味がない。過去を断ち切っていくものでなければ予算は毒だ。
苟(まこと)に、日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり。
予算は、未来に向かって立てるものだよ。
過去を肯定するものでも、正当化するものでもない。
もし俺が、過去のやり方にこだわって、今までやり方でいい、無理するな、安全策でいいなんて、自分の保身や延命を謀ったら、俺を排除しろ。
それくらいの覚悟がなければ予算なんて立てるな。
予算は、自己満足する事ではない。野心的で、冒険的で、挑戦的なものにしろ。だから、削るところを削る。それでなければ説得力なんてない。
自分の延命策、保身のために、経費を削るのは、卑劣だ。未練に過ぎない。過去を断ち切れ。その為に、予算がある。予算は、未来を描く事だ。
今年駄目だった、こんなことしていたら衰退してしまうと言っていながら、今年を踏襲して予算を立てるのは、自虐的で、衰退しますという予算だ。そんなもの了承できるか。
予算は、意欲的でこれからの人間。夢の持てる者。
トップの志を一緒に実現しようという志のある者が共同して建てる。その時、トップの志すは会社の意志になる。
志のない者、先のない者、夢の持てない者は去れ。
我々は、未来に生きる。未来を信じる。
自分の保身のために大義を捨てる程、俺は堕落していない。
老兵は死なず。ただ消え去るのみ。
最初から年寄りやベテランを頼っていたら、いつまでたっても自分たちの予算はできないよ。
とにかく、自分たちでできるところまでやってみて。どうしても自分たちにできないところ、わからないところを聞くようにするんだ。そうすれば、素直に教わる気にもなる。
確かに期日はあるけど、それにとらわれたら予算本来の目的を見失う。なんだって始まりはあるし。我々だって何十年もかけて今の形を作たんだから。
何の目的、自分たちがどのように予算を活用しようとしているのかから考えろよ。予算は、自分たちのために作るんだから。
最初は最初だよ。完成度以前に皆で共同して作ることに意義があるんだからな。一緒に作るということを忘れないように。
予算は、作ることが目的なのではない。
自分たちの会社をどういう会社にしたいのか。何を目標として、何に投資をしたらいいのか。どこにお金を使って、どこを削るべきか。無駄をなくして、自分達のみらいに対する投資に集中させる。そういうことをこれからの会社の中核を握る人間が話し合い、共有化しいく過程、プロセスが予算づくりなんだ。
ただの数字合わせになったら、かえって有害になる。
そして、自分たちが立てた予算と現実との乖離を見つけて軌道修正をする。その為にこそ予算はある。だから予算実績管理がなければ予算を作成する意味がない。予実績管理は、ただ予算に併せればいいというのではなく。会社を正しい方向に導くためのガイド。
過去の亡霊に囚われるくらいなら予算なんか立てない方がいい。
以前、予算を立てた人たちは、彼らなりの目標や構想があったけど、そういう人達が一線を退いたら、残されたのは、形式だけ。つまり、形骸化した。
形は自分たちで作るもので、魂のない形を弄ったところで何にもならない。そんなもの腐っているんだ。人間も腐るよ。
予算に血を通わせ、肉を付け、魂を吹き込むのは、志ある者たちだよ。
最初は骨格だけでもいいんだよ。
これから、会社を担っていこうとする者たちが、トップと志を共有する為の、大事なプロセス、過程、儀式だと思えばいい。
自分達で管理できない、使えない予算なんかかえって毒だよ。
僕だって未だに納得のいく予算とか、組織なんて作れない。予算なんてある意味永遠に未完成だし、未完成だからこそ予算の意義がある。非の打ちどころのない予算なんて作っても意味はない。予算は目印に過ぎないから。予算に縛られたり、予算に囚われたら、予算を作る意味がない。
過去を踏襲するくらいだったら、過去を捨てろ。全てやりなおせ。
自分たちが何をしたいのか、どうしたいのかが伝われない予算なんてつくるな。
そして、予算が出来たら、予算を通じて自分たちの志を全社員、仲間たちに浸透させていく。
勘違いしてはいけない。予算は作ることが目的なのではないし、数字合わせでもない。自分たちの志を予算や数字を使って現実化し、実現するための道具だ。
大事なのは、これからこの会社の中心を担っていくもの、担っていこうという意志のある者がトップと伴に夢を共有化し、現実化する為のプロセスが予算作成。是非、この会社の経営に参加させてほしいという者は、進んで、予算づくりに参加してほしいし、いやいや、予算を作ったり、適当に、前年の数字やフォーマットを焼き直そうとする者は、出ていくべきだ。
予算こそわが社の魂となる。目標となる。やる気のない予算を立てれば、やる気のない会社になるし、志や夢のない予算を作れば志や夢のない会社になる。
最初から妥協したら駄目だよ。妥協したら、妥協したところから会社は崩れていく。やる気のない奴が立てた予算は、見るからにやる気がないし、非現実だ。現実的に見えても、どうせ俺たちはこの程度と言った卑屈な予算。そんな予算、会社を衰退させるだけの非現実的な予算。
自分たちが何を目指しているのか。専務がどんな会社にしたいのかを共有化したうえで、どう現実と折り合いをつけていくか、真剣に格闘する。その手始めが予算作成なんだ。限られた予算を何に集中すべきか。不可能と思える売上をいかに達成させるか。現実と格闘し夢を実現させるのが予算づくりだ。
最初から諦めていたら諦めが予算に現れる。それを見た仲間や部下がどう思うか。誰も会社の未来を信じなくなる。自分が怠惰で安逸な生活をしたいからと言ってこれからの若者たちを巻き込むな。
完成度なんて求めるな、自分たちの志こそ問え。
出来不出来が問題なのではない。自分たちの手で、一緒になって真剣に作れるかどうかの問題なのだ。稚拙だっていいじゃないか。その代わり、自分たちが責任の持てる予算にすればいい。俺の方を見るな。一人で作ろうとするなよ。
前を見て、未来を見て、夢があって、それでも現実的な予算を立てる。そのギリギリの戦いが予算づくり。皆と志を共有し、分かち合うためのプロセス、儀式、それが、予算づくり。
どこへ行っていいのかわからない人間に地図を書かせては駄目。
志のない人間に予算を作らせては駄目。
目標がはっきりしなければ、自分達で目標をはっきりさせろ。
誰も助けてくれないって。当たり前だろ。ライバル企業、安売り業者、悪徳企業、メーカー、銀行、国に目標を決めてもらうの。
当てにできないものを当てにするな。信じられるのは、自分達だけだよ。
予算は予算。予算の作り方は学べても予算そのものは、自分たちが勝ち取るもの。人頼りにしている限り、自分たちの予算はできない。
上手い下手、降雪が問題なのではない。自分達で、仲間と一緒に作ったかどうかが問題なのだ。
自分たちの主体性も独立性も保てない。主体性や自主性、独立は強要できるものではない。
志は、自分で持つ。他人から与えられるものではない。独立自尊も自分で守る。自立できれば、いくらでも他人を受け入れられる。自立できないものはいつまでたっても他人を拒み続ける。全ては劣等感のなせる業。
皆で一緒になって作る。皆で一緒に作ろうと思った時、自分の限界を認め、相手を尊重できるようになる。そうしなければならないから、そうするのである。一人でやろうとしている限り、他人を受け入れる事はできない。チームワークはできない。
人それぞれに役割がある。自分より優れているところを見つけたら素直に感動しよう。競うのではなく。自分より優れているなんて素敵じゃあない。信頼して任せよう。
他人に劣っている事が問題なのではない。他人を認められないのが問題なのだ。人は歳をとる。歳をとればとる程できなくなることが増える。だから、否応むなく、己の限界を認めなければ生きていけなくなる。己の限界を知った時、他人とともに生きる事が学べる。それが歳をとるという事。自分が歳をとった事を受け入れられなければ、どんどんと自分の居場所がなくなる。
予算づくりはチームワークが鍵。志をみなで共有していくんだから。
解ってくれないと思う前に、相手を理解しよう。理解しようとすれば、他人がなぜ自分に無理解なのかもわかる。そして、許せるようになる。
志を同じくする者が心を合わせて作るから予算は意味がある。
分秒まできっちり決めた旅行計画に何の意味があるだろう。旅行計画は、旅を楽しむもの。どの程度の計画にするかも旅行計画の内。雨が降ったら、雨が降ったなりに、車が渋滞していたら車が渋滞しているなりに柔軟に対応できる計画がいい計画だし。旅行計画を立てること自体を楽しむべきだ。誰の意見も聞かずに自分勝手に決めた旅行計画は、頑固な計画だ。
予算は予算。実体は、志すところであり、夢にある。志のない予算、夢のない予算は立てるな。
絶対に一人で予算を作ろうとするな。
一人で作った予算なんて誰にも理解できないから。
悪い事に、精緻であればあるほど他人にはわからなくなる。
方針だって、考え方だって一回聞いただけでわかる人間は、相当のレベルの人間だ。
我々は、一回聞いたくらいでわかるわけないんだからとりあえず話だけ聞いておけ。おいおい、仕事やっているうちにわかってくるからな。ただ、話くらい聞いておかないと始まらないよと言われて仕事をしてきた。
だから、指示が出たら速やかに形を作れと。何もきっまってまいし、わからないんだからな。形を作らなかったら始まらないよ。厭なのは、中途半端に進んでから形を作ろうとすると、何もわかっていないし、何も決まっていないから妙なところに唾つけられた感じになる。だから、何も決まっていないうちに形だけを兎に角作れと。
いくら言っても、何も決まっていません。結論が出てからなんて知った風なことを言って人を小ばかにして仕事を先送りにする事務方がいるが、これは無能を絵に書いたようなもの。何も決まっていないから形を作るのだし、何も決まっていないうちに形を作らないと、形が作れなくなる。それを我々は、肌で感じ教えられてきた。
間を置くと形が作れなくなっていつまでたっても仕事が始まらないぞ。少しは、人の話に耳を傾けたら。傲慢にならず。これは、長い間かけて伝承されてきた仕事の定石なんだ。
兎に角、一回、話を聞いただけでわかるはずがない。その為に、最初に話だけはしておく。また、聞いておく。目鼻はその後で仕事をしながらつけていく。一つひとつ皆で一緒に作っていく事になる。具体的に仕事になってはじめて理解できる。やってみなければわからない。最初から結論は出すな。諦めるな。
最初は何もわからないところから始める。
最初から完成度や結論を求めているわけではない。最初は白紙なのが当たり前なの。わからない、何も決まっていないところがスタートする。そのつもりで。
現場、支店で何が必要なのか。どうしたら、快適な支店の環境が作れるかが一番分かっているのは、あなた方だからね。どうしたら、皆がやる気を出せるようにできるか。
率直に専務と話をしたらいいよ。それを話し合い検討するのが予算だから。
壁紙を変えたり、レイアウトを考えたり、休憩所や、水回りをどうしたらいいのか。やっぱり、男ども、俺も含めてわからない事さ。苦手だよね。
でも、そういう事に気が廻るのが女性の良いところでよね。机の上に花なんてとても男どもには気が付かないし。これから暑い季節になるから、外から帰ってきた人に冷たい物を出したいとかね。
そういう事も必要なら予算化しないと。
最初から諦めないで。できるできないは別にして。専務に相談してごらん。
無論予算だから、全てを実現してあげる事は無理かもしれないけど、できる事ところからやっていこう。
事務所は、単なる箱ではなく。現場で働く人たちの生活の場なんだからね。
皆の面倒頼みますね。トップとの間に壁を作らないようにね。
ゾンビみたいな予算つっくたら、ゾンビみたいな会社になるぞ。魂のない、心がこもってない予算なんてつくたら。魂のない、心のない会社になるぞ。
予算を導入したときは皆予算の意味さえ知らなかった。でも、自分たちのやろうとしていること、構想を何らかの形にする必要を感じたから、手探りで予算を作ったんだ。だから、予算を最初に作った人達は、自分たちがつくった予算が完全だなんて思てないさ。むしろまだまだ、未完でいろいろ言われるとは恥ずかしいんじゃない。もうそういう人たちもいない。いつまでも彼らの残したものに囚われていたら。ほんと、ゾンビみたいな予算になる。過去の亡霊に操られているのはやめたほうがいい。
自分たちで魂を吹き込まなければ。書式だって、ロジックだて、何も変えなければ以前に予算を作った人達に操られているだけ。今いない人の指示に従うの。
今までのやり方では駄目だと言いながら。今までのやり方を変えようとしないのは、単に臆病なだけだ。卑劣だよ。
自分たちのロジックでやりたいように変えなければ。予算はすべての原点だからね。
人事体制が決まらないと予算ができないというのは、完璧な言い訳だね。
大体、人事体制が決まるのを待っていたら予算が間に合わなくなるというのは、いつもの事であり、別に今始まった事ではない。
確かに、予算があるから管理職の人事を前倒しにしようと言う発想はあるけれど、絶対ではないし、前倒しにしなかったらやり方や方針を変えればいいだけの話。
それに人事体制が決まらなくてもできる事は沢山あるから、できる事から着手すればいいし、そうしなければ、間に合わなくなるのは火を見るより明らか。
先ず、予算とは何か。予算の目的や役割とは何か。予算には、どんな種類があるのか。予算に対する予備知識や予算作成の為の準備は、人事体制に関わらず学習する事はできる。やる気があればね。要は、やる気がないそう僕らは糾弾されたものさ。
そもそも自分たちが予算とは何かを理解していなければ予算は作れない。この事を自覚して自分から学ぼうとしなければ身につかない。言わてやることではない。
僕らの時は、教科書も教えてくれる人もいないから、自分達でゼロから学んだけど、今は、良い教科書もあるし、教えてくれる人も沢山いる。セミナーもある。教わる気があればね。教える側の人間だって自分たちが苦労してやってきた事だから、教えようという気はある。
けど、わかってます。何もいわないでくれと言われたら教えようがない。そうやって定年間際まできた人が上にいるから仕方ないと言えば仕方ないけど、教わる気になればいくらでもチャンスがある。
我々は、まず勉強から始めたものさ。予算は、どんな目的でつくるのか。予算にはどんな役割があるのか、予算には、どんな種類があるのかって。そんな素朴な疑問を一つひとつといていくようにね。
そうすると会社の全貌が見えてくる。
それから、次に、どうやって予算を作っていくか。この辺だって人事体制が決まってなくてもできる。
自分たちにできる事、できない事。自分たちが作るところ、他の人に作らせるところを仕分けして。自分たちにできるところ、やるべき事から仕事に着手する。
その辺事が出来てきたら大枠、日程を詰めていく。
スタッフがまずやる事は、予算作成の業務フロー、UI、集計表、個票、イベントなどを設計する事。インプット、アウトプットの設計だね。
そして、何から着手し、どうやって決めていくか。手続き手順に従って計画を仕上げていく。
実際の作業は、基本的な作業方針、前年のやり方のどこを変えないで、どこをどの様に変えるか。その辺をマネージャーが示せば、あらかた仕事の目処は立つ。この辺の事も素直に経験者の話を聞いて学べばいいんだけど、話を聞く気がなければ、上の空だからね。真剣に学べない。
投資予算のうち、法律で定められていたり、保安上外せない部分は、確定する事が出来る。
予算のプラット、フォームや外枠は予め決める事が出来る。本当は、この辺も核になるんだけどね。まあ、時間がなければそれなりにやるしかない。方針を決めればいいんだよ。
そうすると、人事体制が決まるまでに九分九厘はできる。
後は、政策や人が決まったら考え方や数字を入れればいいだけ間で準備をしておけばいいんだけどね。
もうちょっと時間がなさすぎるから相当手抜きをしないと難しいね。
プロと言うのは、結果だから。結果を出せない事を恥だと思うよ。
どんな形にしても結果を出す事だよ。少なくとも一冊クラスは、予算の教科書を読む時間くらいはあっただろうからね。
言い訳をする時間があったら自分に何ができるかを考えよう。
いくら言い訳をしても結果を出せなければ、意味がないからね。
頑固にわかりましたって、人の話を聞こうともしない。学ぼうともしない。
そういう人間に限って私の話を聞いてくれないとか、誰も教えてくれないと言い訳をするんだよ。
でも、我々、経営者は、会社を潰したら、コロナが悪い、部下が馬鹿だった、同業者がえげつない、景気が悪かったなんて言い訳は許されないからね。
そけ
れがサラリーマンとの違いかな。経営者はなりふりなんて構っていられないんたせよ。悪徳か、善良かと言われてもね。善良でも会社潰したら責任を問われるからね。逃げられない。逃げたければ逃げてもいいよ。俺が最後まで責任を負うから。言い訳をいつまでもしてればいいさ。でもその結果には責任が伴うんだからね。
辞めていく奴は、気楽でいいね。何とでもいえるさ。
うちの会社には、支店長という支店長はいないからな。
根上と言う支店長、森上と言う支店長、松永と言う支店長はいるけど、支店長と言う支店長はいないからな。
同様に、マネージャと言うマネージャーはいない。
浜松は、森上に任せるので、支店長に任せるのではないからな。間違えるなよ。森上と言う全人格を信じて、専務は、浜松支店を任せるのだからな。
勘違いするなよ。浜松支店長に浜松支店を任せるのではないからな。
支店長は、部下に仕事を任せる時それを忘れるなよ。ピッチャーとういうピッチャーはいない。田中とかダルビッシュと言う投手はいても投手と言う投手はいない。
マネージメントを任せるという事は、その人の考え方、思想も含めて、任せていく。もっと女性の地位を向上すべきだと考えている人に人事を任せるのは女性の地位を向上せよというのと同じだからな。任せられるという事は、当然、権限も委ねられる。だから、任せられた者は、当然、どの様な権限が欲しいかも要求できる。この要求は、行使しなければ無効となる。
根上と森上は、考え方も性格も違う。当然。それを前提にして配置する。
どうやって人を束ね纏めるか、それを金で表すのが予算。予算によって支店長の能力を見る。ただ、黙って言いなりになる支店長は、それだけの支店長。
俺は、親父たちから、人はただでは動かないからな。人を使うためには、金が必要だ。それを納得するように説明し、きちんと要求できない支店長は、それだけで無能と判断されても仕方ない。お仕着せの予算に黙って従う紫檀長には、何も期待するな。
それから、責任者に自腹を切らせるなとも。今日のサラリーマンは、自分が仕える金に限界がある。だから、自腹を切らせたら必ずどこかで帳尻を合わせようとする。それは不正を招く事だ。第一続かない。
どうどうと要求できない金は、払う必要がない。必要なら、納得がいくよう事前に説明させろ。納得したら何も言わず払ってやれ。
部下の事を思うなら仕事に関わる金は、払えたとしても自腹を切るな。
私用でつかうか、仕事でつかうか実際に予算の段階で見極めろ。
支店の士気を高揚する為に必要だと言い、納得がいったらそれは、仕事上の経費。一緒に遊びに使うのならそれは、私用。仕事と言うなら堂々と要求しろ。それがけじめだ。そう厳しく躾けられた。この点は忘れるなよ。
何が私用で、何が仕事かそれを見極めるのも支店長、マネージャーの重要な役割にな。監査役のしりあいの生命保険の営業は、毎日、ゴルフ練習場にきていたそうだ。かつて、渡商会は、麻雀のつけは、全て会社持ちだったと聞く。
何が仕事上の金か、私用上の金かは、その会社のポリシー、営業思想の問題だ。
体制が改まり、専務中心の仕組みに、組織の基盤を、早急に、マネージャー層が専務の指示に従って再構築する必要がある。
組織の基盤と言うのは、会社を必要最小限の労力で専務が制御できるようにする為の仕組みを言う。つまり、会社のナビゲーションシステム。これが出来ていないと会社は制御不能状態に陥る。半身不随だね。全身麻痺と言う状態さ。
第一の原則は、専務が会社を自分の判断に基づいて機動的に迅速に動かせるような仕組みでなければならない。その為には、必要最小限の情報、しかも、専務が速やかに決断できるような情報を専務が判断しやすい形にして提供する。
今までは、紙に書かれた数表だったが、これをどの様な形に改めるか、それは、専務のオーダーに基づいて、エンドユーザー(支店長や担当者)の意見を取り込みつつ担当マネージャーが設計する。
私見としては、ゲーム感覚だよね。まず、ゴールを設定し、ステージ(段階)を設定し、どの様に攻略するか、その為に必要なアイテムはなんで、どのようなメンバーが必要で、どんなイベントを設定するかをデザインする。
そして、それをメンバー全体がわかりやすく、見えるようにする。僕は、視覚性と操作性と言うのだけどね。
先ず、コンセプトをどうするかだよね。コンセプトと言うのは、全体イメージをどうするか。
必須アイテムとしては、月一度の予実績管理、勤怠管理、営業管理。いずれにしてもベースは予算になる。
それを専務や皆が一目瞭然で理解し、各々が速やかに自分の役割を果たせるようにする。まあ、宇宙船のコックピット、戦艦の艦橋みたいなものだよね。
そして、コアになる部分のどこと実行部隊のどこと接続し、制御するか。
そしきは、所謂ガンダムみたいなものだよね。
パイロットが最小の力思い通りに動くようにする。その為の情報系、神経みたいなのが指示命令系統と連絡報告制度、そして、中継制御装置が会議だからね。
この仕組みが作動しないとパイロットは、車を止めようとしたら一々、車輪を直接動かさなければならなくなるし、加速しようとしたら、直接エンジンに働きかけなければならなくなる。
その結果は、火を見るより明らかだよね。
新体制が起動するまでに、マネージャーは、速やかに仕組みを再構築しておくよう。新体制が起動してからでは遅いからね。どれを中心とするかは、専務の指示に従う事。
支店長も、自分が支店を制御できるよう、早急に体制作りに入るよう。その基礎は、予算づくりにあるからね。
予算を立てるにあたって予算を作る意義と目的を正しく理解しておく必要がある。
予算は、来期の道しるべ、地図のような物をつくり、一定の期間の管理の為の目安を作る事に意義がある。なぜ、目安が必要なのかと言うと社員全員が持ち場持ち場で自分なりの判断が出来るようにする事。
だから、立場、役割、責任の応じて仕事の完成度は求めればいい。
担当者レベルは担当者レベルのル目安を立てさせればいい。まず、その辺をどうするかの構想をTOPと予算の責任者は、よく打ち合わせる。その上で、コアとなる組織を編成する。コアとなる組織(スタッフ)を任命したら、まず、TOPは、そのコアとなるスタッフに自分の来季の構想、経営指針を伝え、それに基づいて予算編成に対する考えをスタッフにまとめさせる。
予算を立てる上での留意点は、予算編成の組織は、来期の体制の下地になるという事。つまり、予算編成は、来期の経営の予行演習や組織編成を兼ねているという事。
それゆえに、可能な限り全社員を参画させることが原則となる。
故に、予算編成をする為には、来期の構想、組み立てが明確にされている必要がある。この部分をコアとのメンバーがTOPの考えを聞いて整理する事から始まる。
つぎに、ベースライン、着地点を設定する。これは、財務の責任者が中心になっておおよその着地点を定める。指標としては、売上、粗利、営業利益、経常利益、税引き前利益、純利益などがあるが、基本的に、営業利益の目標額を仮決めする。税引き前利益、純利益は、特別損益がはいるために除外する。経常利益は、営業外損益が入るため、営業利益を想定する場合の参考とする。
粗利益は、経費が入らないために粗っぽい指標となるために使わない。売上は、収益が見込める時は、わかりやすい指標であるために、全体の士気を鼓舞する目的では有効である。
ただ粗利益は、全体の枠、箍としての役割を担うため、まず、ベースラインが設定されたら、粗利益の大枠を設定する。これは、売上と仕入が担当するので、財務を中心にして営業責任者と仕入責任者が協議して設定する。
次に、経費の多く枠を設定する。経費を設定する場合、固定費と変動費、管理可能か、不可能化によって経費を区分する。
管理可能費用のうち何を誰に管理させるかの目星を決めて、予算編成の全社体制を組み上げていく。実際の打ち合わせの回数を予め計算しておく。
また、営業の方は、固い部分と柔らかい部分を分けて考える。
ガスに関しては、大きな変動は想定しにくいうえ、管理が難しい。無論、価格は、死命を制するが、予算の段階では、概算による。それに対してガス外は、不確実であり、管理も可能なのであり、現場の予算段階では、個々の策定が主となる。この部分も来期どの様な政策を明らかにしたうえで、現場に立てさせることを原則指する。
ガス化については、サポートセンターが中心になって機動的に立てる。
投資に関しても固い部分から立て、政策的な部分は、別途TOPと相談のうえ決めていく。
予算の八割方は、固い部分であるから、基礎として前年実績を用いる。
仮に、予算段階で赤字が確定している場合は、即、リストラ対策をしなければならない。
予算とは、実施、予実績管理を前提として立てる。
予算編成は、手順段取りが成否を決める。手順を間違うと予算は、空疎になる。
予実績管理と言うのは、要するに狙った的からどれくらい外れたかを計算して軌道を修正する事。要は、誤差を修正する事。
予算とは、予測に基づいた予定だと考えればいい。
的から外れた原因は何かを考えて軌道を修正する。
自分達が予定した位置に対してどの程度、流されたかを見極めて、その原因を見つけて予定した軌道に載せる。
予算を立てただけでは、会社を操縦できない。悪い方に向かって進んでいるのに、方向転換が出来なければ、確実に難破する。見張り役も含めて全員が緊張していないとタイタニックの様に沈没してしまう。船長だけが船を操船しているわけではない。
マネージャーは、常に、自分がやる事を金銭に換算する癖をつける事。人事マネージャーを人を採用した時、どの程度、会社に負担がかかるかを理解していなければならないから。守銭奴になれと言っているのではない。きちんとお金の使い方を把握しろといういみだ。それがマネージャーの仕事だからね。お金を管理するのがマネージャーだからね。
無責任な奴は、無責任なこと言うからね。
うちの会社に責任を持っているのは、皆なの。自分の支店に責任を持っているのは、その支店の人間。
無責任な人間の言動に惑わされないようにね。
そり代り、責任を持って行動しよう。駄目になったら、皆、責任とらされるんだからね。
自分たちの問題は、自分達で片づけよう。
会社は、TOPの下、支店は、支店長の下結束しよう。
本気になれ。本気でかかれば必ずやっていけるさ。
仕事の基本、段取りは、絶対と言う事はないんだけど、大体、三つの段階に分ける。基本計画、実施計画、実施。それを基準に考えると今回だと大体基本計画に一ヵ月、詳細計画に一ヵ月、準備・実施とする。
基本計画は、原則、二段階。まず、第一、作業の仕様(作業方針、大枠、工数、組織等)を設定する。ステップベースライン。全体の概要(ベースライン、全体方針、重点施策等)を作成する。
事務方の責任者は、指示を受けたら、速やかにTOPに対して作業概要を仕様(期間、予算、要因、組織の位置づけ・権限等)に基づいて作成し、説明する。
作業は、先ず、始点と終点を定め、その間にマイルストーンを置く。
早い話、打ち合わせの回数と会議の回数を先に決めて大体(段階)の道筋を作っておく。
今回でいうと、定例会として役員会と支店長会議が月一回のペースで設定されている。この会議に基点として大枠を作る。役員会を主として支店長会議を従とするのが一般的かな。
支店長会が始点で、役員会が抑えと設定するのが妥当かな。
まあ、構想として、支店長会が始点、支店長会で指示をして、役員会で確定する。
その意味では、七月の役員会で基本計画を示し、八月の役員会で原案を確定する。九月は、実施期間(前半は、手続き、後半は、方針確認会議の準備)となるため、最終確認しかできないので、実質的にはカウントしない。予算作成の基本的作業は、八月の役員会議までに終わらせておく。
この計算でいうと、八月の時点でベースラインが設定されたとしたら一ヵ月から二ヵ月の遅れが生じている事になる。
ただ、基本的に八月の役員会は、予算編成のボーダーライン(予算作成の成否の限界線)。この一線を超えると予定した作業では、仕事が完成できなくなる。仕事の最終工程、枠組みの変更が必至となる。八月の役員会を限界線を越えたため、仕事の大枠の変更に着手する。
作業の二か月遅れは、作業の根幹の関わる。
この場合は、作業を組み替えて期日に間に合わせるか、期日を変更するかになる。
今回のケースは、作業の状態から見て期日の変更と作業の組み換えの両面から改善する必要があると思われる。
一つの案は、九月二十九日に予定されている方針確認会議を全社方針と重点施策にとどめ、十月の役員会議て詳細を示す形とする。
問題は、下期の営業政策であるが、これは、営業部主導で専務直截で行う。
ベースラインが確定していなければ、ガイドラインは作成できない。本来なら、ベースラインまで戻って作業をの組み換えをしなければならない。問題は、時間である。もう一つは実質的な問題。
ベースラインのところまで戻って作業を組み替えるか、使える部分をそのままにして修正を行うか。この辺の判断をするプロジェクトが立案して専務の判断を仰ぐ。
余談ではあるが、ベースラインの働きを示しておく。
最終目標金額(ベースライン)を何にするかを設定する。基本は、売上高、粗利益、営業利益、経常利益、純利益の中の一つを定めて、ザックリと決める。ただし、これは仮決め。ベースラインが決まったら、粗利益を想定する。これは、売上と仕入れの概算に基づく。
その上で、営業予算、経費予算、投資予算の担当を決める。全体の箍(たが)は、財務とTOPが相談のうえ決める。
前半で、予算作成の為の体制を作る。その時点で、次期の人事、組織が確定していない場合は、大幅な組織の組み替えが想定されなければ、とりあえず、その時点の体制によって予算をできる範囲内で作成させる。その上で、新しい人事が確定した時に信認の責任者と協議の上、予算の組み換えをする。
大幅な組織編成が想定される場合は、確定的な部分を先行的に進める。更に作業工程を予め設定して、最終成果物や、中間成果物の設計を先行させる。まず予算作成の作業フローを作りこんでおく。
仕事は、TOPの指示に基づいて行うものである。常に、TOPの承認なしに作業を進める事はできない。
半沢直樹も組織の承認なしに勝手に動いているわけではない。任せられたからと言って報告や事前説明をしなくていいというのは、傲慢なだけであるし、常識から逸脱している。よく、重要施策を社長に報告せずに正式の会議で通告しようとする者がいるが、これは、簒奪、叛逆としてどの組織でも扱われる。気を付けるように。事後承認は、どの組織においてもやむおえない場合を除いて許されない。
会計の語源が説明責任だという事を忘れないように。
どの国も軍を任せられたからと言って大統領や君主の承認なしには、軍は動かせない。
現在、コロナ禍にあり、事業の在り方の根幹を見直す必要がある。
また、管理、人事、営業も大きな変換点にあることが予想される。故に、担当者の意見を率直に吸い上げ、迅速な対応が要求されている。
基本的に組織は、情報系だから、組織を効率を上げるためには、情報の伝達経路を短くする事が求められる。マネージャーとTOPとを直結する事でこの問題を解決したい。
Copyright(C) 2020.7.17. Keiichirou Koyano