俺は、正直言って歳だ。十年後、二十年後のこの会社に責任を持てと言われても責任は持てない。だとしたら、皆が責任の持てる会社にするのが、俺の使命だと覚悟した。
例え、自分がこれまでやってきた事を否定されても、自分を殺す事になっても、自分の全てを失う事になってもかまわない。
いいか、先送りして一番楽なのは、俺だよ。だけど、その為のつけを支払わされるのは皆だ。一番しんどい思いをする俺がやれと言っているのだから、なぜ、お前たちは躊躇する。お前たちと話していてわかったよ。もう限界だと。
自分たちの怠慢を他人のせいにするな。やるべき事をやれ。
自虐的になったり、諦めたからと言って何も生まれはしない。
嗚呼、俺はなんて駄目なんだと諦めたら、一番楽だよ。でも。それですべてが終わる。
小さにミスや失敗をいつまでも後に引くな。失敗やミスは、明日への糧だ。成長する為の試練だ。生きている限り、前向きに成れ。
皆を信じてどんどんと責任を持ってもらう。
今なら、おれが責任をとれる。失敗を恐れるな。
何事も先送りするな。
いつかいつかと言っているうちに歳をとるぞ。
今、自分で考え、自分たちで決め、自分達でやれ。その代わり責任をもって最後までやり抜け。
後始末を人に任せるな。失敗した時は、自分で謝りに行け。そうしないと失敗やミスは自分の為にならないぞ。
俺より先に歳をとるなよ。
若いとか、未熟だとか、経験がないなんて言い訳にするな。それは、年寄りが若者を潰すための口実なだけだ。
若いからこそできる事は、沢山あるし、若い者しかできない事は沢山ある。
だから、歳をとるとずるくなる。自分たちの方が若い者より仕事が出来るように、錯覚させようとする。虚勢を張るようになる。
俺がお前達より、全ての面で優れているなんて事はない。むしろ逆かも知れないな。歳をとると気力体力が衰える。これまでできてたことができなくなる。記憶力も衰える。若い者にはかなわない。これが本音だし、事実だよ。
ただ、俺が、皆と違うのは、俺は決断をする。決断する気力がなくなったら、俺はおしまい、厄介者でしかない。
若い時にしかできない事がある。今を逃したら、どんどんどんどん衰えてできなくなる。歳をとるのは早い。その内にそのうちにと言う間に気が付くと歳をとっている。やるなら今しかない。先延ばししては駄目だ。
歳をとって気力体力が衰えてから任されてももうその時には、自分の地位を守るだけなのが精いっぱいと言う事になる。そうなると若者を足を引っ張るようになる。若いとか、経験が不足しているとか、未熟とかいってね。
そんな言葉に騙されるな。
最初は誰だって間違ったり、ミスをするしかし。それをバネにして成長するか、押し潰されるかなのさ。だから、こなくそって跳ね返せばいい。
人は、失敗やミスを重ねて成長する。
俺は、お前らに失敗させられて責任を取らされる事を怖れはしない。本望だ。おれが、怖れるのは、失敗を恐れて何も決断できなくなる事、実行に移せない事。
やる前に諦めるな。できない理由を上げるな。卑屈になるな。負け犬になるな。できないならできる様にしろ。
もう、歳や性別に囚われるのは、止めようや。自分が何に適していた、自分の力を発揮できるのは何か、自分が一番輝けるのは何かを考えてみよう。そして、良く専務と話し合うんだな。
職場は、苦行の場にするな。職場は道場だよ。どんなに苦しかって向上心のある者には、楽しい場でなくては。
暗くて、やる気のなさが漂う様な職場にしては駄目だ。
僕たちや、創業時代は、今よりずっと大変だった。だって何もかもゼロから自分達で作り出さなければならなかったからね。
でも、みんな寝食を忘れて仕事に没頭したし、没頭できた。だから、帰れっていった皆帰ろうとしなかったし、休もうともしなかった。なぜ、日本で週休二日がおくれたかって。それは、当時は皆休みたがらなかったから。
だから、キリスト教みたいに休日は宗教的な決め事だった国は困った。だから、働き過ぎは悪いと刷り込んだんだ。
でも、本当に仕事に夢中になれるのは幸せな事さ。半沢直樹なんて見ればわかるだろ。
会社に行きたくて行きたくて仕方がなかった。大変で、辛かったけど、ワクワクした。面白かったと皆言う。そのワクワク感を年寄りは独占しようとしたから外見は、スマートになったけど中身のない職場にしてしまったんだ。
毎日毎日行くのが楽しくてワクワクするような会社にしろ。
最後にな。もっと自分が幸せになる事を考えろ。幸せになりたくない幸せになりたくないと生きているように見えるよ。
失敗したい失敗したいと仕事をしているように見える。
腹に力を入れて、最後まで責任をとる覚悟で自分で考え、自分で判断し、自分達で決断し、自分達で実行しろ。そうしたら、結果に対しては俺が責任をとる。
言いたいことを言うだけでは駄目だよ。
一度口に出したら、最後まで責任をもってやり抜かなければ…。
自分で考えて、自分で決めて、自分が始めたから、責任を持たざるを得ない。だから妥協できない。妥協しないのではなくて、妥協できないんだ。それが志だよ。
最初からうまくやろうとするな。先達は、皆、失敗し、ミスし、挫折し、叱られ、どなれ謝されながら、成長してきたんだ。掴み取ってきたんだ。失敗や挫折を怖れるな。失敗や挫折に負ける事を怖れろ。
はじめから、できたわけではない。戦う前から言い訳はするな。やらずに諦めるな。
経験は、経験しなければできない。経験がない事、未熟な事は、やらない事の言い訳にはならない。はじめは皆素人なんだよ。最初からプロはいない。大切なのは、プロたらんとする志とプライドだ。
畳の上では泳ぎは覚えられない。本を幾ら読んでも運転が出来るようになるわけではない。頭の中でいくら考えても野球が上達するわけではない。水を怖れるな。飛び込め。ブレーキを外せ。前進しろ。ボールを投げろ。一度もバットを振らずに三振するな。
歯を食いしばって、地を這いつくばって、血を吐くような思いをして、それでもなお目的を遂げようという執念のようなものがあるからやり抜けるんだ。
いつまでたってもなかなか自分が納得のいく仕事はできない。だから、年寄りは、頑固に自分の仕事にしがみつく、過去の功績を認めさせようとする。
それは、自分たちが不完全燃焼だからさ。
自分の力を若い時に出し切れ。肩を壊す事を怖れて全力投球が出来なければ、絶対に今の自分を乗り越えていく事はできない。全力を出し切らずに、いつかいつかと言ううちに自分の盛りは過ぎていくんだ。
自分の力が一番充実している時にマウンドに立てなければ二度とチャンスは来ない。
人を押しのけてでも前へ出ろ。
俺たちは、幸運の神は前髪しかないと教えられてきた。
責任にを持つという事を覚えろ。体得しろ。逃げてばかりいては、責任の持てる人生は送れないぞ。自分と対峙し、己の限界を素直に認め、自分が何に対して責任を負うべきかを自覚しろ。虚飾を捨てろ。虚勢を張るな。素の自分を信じる以外に実力を発揮する術はないぞ。
人間はね。残念ながら歳をとるんだよ。一日一日衰えていく。そんな自分を受け入れられなければ、卑屈になる。意地悪になる。見苦しくなる。
俺は、綺麗に歳をとりたい。未来は、先のある者、これからの者たちに委ねるよ。
俺は、断固として今ここで決断し、燃え尽きる覚悟だ。前を見ようよ。未来に賭けようよ。若さを信じようよ。
俺は、もう二十年くらい前に同期の連中にもう若くないんだよ。今やらなければ、今けじめをつけなければ、若い連中に禍根を残すと言い続けたけど、奴らは、未だに、自分たちは若いつもりでいる。なんだかんだ言って後進に道を譲ろうとしない。
もう限界だよ。遠慮はいらない。叩き潰せ。若くたって、経験がなくても、未熟でもできるさ。そうしなければ生きていけないと解ったら、できるさ。
俺を乗り越えて行け。
気を付けてほしいのは、わかりましたというのは、使い方を間違うと強烈な拒絶を意味する事があるからね。
解りましたというのは、話に終止符を打ちたい時に用いられるから。
解りましたと言えば、基本的に、話は終わる。
要するに、止めだよね。
だから、わかりましたという時は、きちんと相手に結論が言えるようにしてほしい。
そうしないと、喧嘩を売っているように受け止められることもある。
逆に、わかりましたというと以後確認や質問がしにくくなる。
だから、わかりましたという時は、わかったなりの行動を速やかに相手に示さないとね。お互いの意志の疎通を悪くする事がある。
チームワークに加わる時は、自分の役割を正しく理解しておかないとチームを壊してしまう。特に、チームの要に位置する者が自分の役割を理解していないと最初から仕事が成り立たなくなる。
例えば、ある担当を任せられるといいう役割とチームを仕切るという役割は違うし、仕切るという事と決めるという役割は違う。
よく叱られるのが、仕切っていいと指示したが、決めていいとも、指図していいとも言ってないぞと言う事である。この点をよく理解していない者がいる。わかっていないのに、わかっているつもりになって重大な過ちを犯す。
重大な過ちを犯していながら、自分は正しいと言って自分の過ちを認めようとしない。こういうもは、組織の癌になる。
仕切るというのは、方針や考えによって役割を決めたり、全体を纏めたり、その場の調整をする事である。宴席ならば、宴会ができる様に準備したり、宴会の進行を任せられる。つまり、組織の運用を担う。決定がだたり、指示されたら、速やかに組織が動くように整え、準備する。それが仕切る。号令は指揮官がする。
仕切るというのは、基本的に補佐的な仕事である。
ただ、重要な決定は、差配や支配に委ねる。無論、指図する事もできるが、その場合は、事前に権限を委譲してもらっておく。
担当するというのは決められた範囲内で特定の仕事を執行する。
つまり、仕切るというのは、全体を取りまとめるのが役割で、個々の仕事は、任せられた者が執行する。
差配、指図と言うのは、実際に、指示をするもので、誰が決めて誰か指図するかは、予め決めておく必要がある。これが差配の仕事である。
その他にも、手配、手配り、お膳立て、監督、監視、目付、管理などがある。
このように、我々は、実生活の中で、一つひとつ言葉を教えられてきた。
これは実地に学ぶしかないが、後輩たちは、面倒くさがって真摯に学ばうとしなくなった。その結果、日本人は、組織的な活動がとれなくなりつつある。
もう少し、謙虚になろう。
自分が担当者なのか、仕切りなのか、差配なのか、決定しなのかそれを理解していなければ組織は動かせない。
勘違いしないでほしんだ。
コロナの問題は、会社経営の問題というより、皆の問題だ。
問題を解決する為には、皆や皆の家族を守ることだからね。皆の協力がなければできない。
支店、現場毎に事情が違うから、支店ごとに対策を支店長がたてて、お金が必要なら申し出てほしいし、レイアウトや勤務体制を変えるならそれも、総務迄上申してほしい。くれぐれも、自分一人で何とかしようとせず。支店、現場毎に、担当者やいざと言う時の役割分担を決めておくこと。
いいかい、何が何でも社員、仲間の安全は自分たちで守る。国や行政なんてあてにするな。これで、あの世代の本性が見えただろう。
この会社を守るのは、皆だよ。
まず、自分の安全を待るためにはどうしたらいいかを考えて実行しよう。次に、家族やお客様の安全、そして、支店、現場の安全。他人だよりにしては駄目だよ。一人ひとりがどうしたらいいか考え実行しよう。
支店、現場の事はみんなの方がよくわかるはずだ。支店長を信じ自分たちで対策を立てて報告してくれ。
皆を信じて任せるから。具体的にどうするかは、サポートセンターの方針に従い責任をもって決めてくれ。
この会社の命運は皆にかかている。
何が何でも社員を、仲間を守り抜こうな。
仲間を信じ、皆を信じ、一緒に解決していくようにするのが僕の役割だからね、自分たちで解決できることは自分たちで解決する。解決させる。子育てと同じさ。僕らの子供のころは何も親は助けてくれなっかた。むしろ、家の手伝いをするのが当たり前で、その合間に勉強した。
とにかく、自分たちでできることは自分たちでする。それで、自分たちだけで解決ができないことがあれば相談する。その時は遠慮せずに助けを求める。
俺は、みんなを信じているよ。誰にだって最初はあるよ。最初からうまくできるはずないよ。でも、勇気を出して始めよう。
学校みたいなところは変えられないけど、会社は皆の力で変えられる。一人の力では変えられないけどね。僕だって一人では変えられないけどね。
皆が、一致協力すれば、会社は変わる。だから、会社は、皆で作っていく。
よくするも、悪くするも、皆次第。
みんながやる気をなくせば。やる気なくすし。いい加減になればいい加減な会社になる。だから、皆は、全員、会社に瀬近位がある。
むろん、一遍に、全てを変えようとしても変わらないよ。それは、無理。
変えられるところもあれば、変えられないところもある。変えていいところもあれば、変えてはならないところもある。
物事には、順序もある。何から変えていくかも大切。
まず、どこから変えていくかを考えよう。
何から変えていくのが簡単か。
それは、自分を変えることだよね。自分が変われば会社は変わる。自分が変わるということは、会社を変える事さ。
自分がやる気をなくせば、会社もやる気がなくなる。自分が前向きになれば会社も前向きになる。
次に、よく話し合って自分たちが変えられるところから変えていこうな。嫌な職場に変える事は簡単だよ。自分が嫌な奴になればいいから。いい職場に変えるの大変、努力する必要があるから。
悪くなるのは簡単。自分が、協力しなければいい。良くするためには、皆が協力しなければならない。
よくしたくなければ、不平ばかり言って何もしなけれまいい。すぐに、悪くなるさ。
皆は皆、それぞれ、責任がある。責任をもって専務に自分の希望を話してごらん。ただ、その前に専務の話も聞く。会社は双方向なんだ。自分の話を聞いてくれないという前に相手の意見をきこう。
最初から諦めたらだめだよ。皆が諦めたら、会社は成り立たなくなるからね。
僕らは、口のきき方、言葉使い一つ取って随分注意して教えられたんだけど、今は、難しいね。でも言葉遣いは大切なんだよ。
言葉遣い一つで、後の仕事の仕方が変わってくるからね。
例えば、即答できなくて、つい時間稼ぎに、否定形や疑問形から入ると結構、面倒くさい事になるし、後の仕事に尾を引く事がある。
例えば、できなませんとか、いいえと言った否定形ね。それから、でもとか、しかしと言った疑問符。首をかしげるのもね。
とっさに出てしまう事あるけれど、後で否定できなくなったり、意味もなく逆らっている様になったりもする。
一度、考えさせてくださいとか、できませんと言うと後を引く事があるし、仕事の段取りにも影響が出てくる。相手の心証も悪くなるしね。
僕らは、考えさせてくれなんて言われるととっさに辞める気なんてかんがえるほど。親父たちからもあいつ大丈夫かとよく聞かれた。
売り言葉に買い言葉なんてこともあるしね。
とりあえず、ハイと言っ後で疑問点を聞くのが正当だと教えられたんだけどね。我々の後輩あたりからひねくれている奴が出てきて。何かと混ぜっかえす。傍で聞いてて素直に返せはいいのにと思うのだけで、何か一言、言わないと気が済まないし、簡単にハイというのは沽券にかかわると思っている節がある。何かというと口答えしたり、相手の言っている事と違う事、言ったり。
何かというと違う。どこが違うのと聞くとどっか違うって。そりゃそうでしょ、百%一致する方がおかしい。
確かに、何度も言うように一回聞いただけで相手の言っている事を理解するのは、難しいし、即答を求められて困る事があるけれど、むやみに否定したり、混ぜっ返す事はない。最初はハイと言っておけばいいと教えられた。どうせやっているうちにわかってくるから、最初から否定したり、頭から拒否する事はない。無理な事は無理なのだからと言われた。
でも、ハイとから返事しても駄目だよと言われ。難しいなと感じた事はあるよ。場数を踏んで覚えるんだな。ただ、言葉遣いは甘く考えないように。トラブルの多くは、言葉遣いが原因だからね。
何か、仕事を任せられた時はね。最初から相手に併せようとしては駄目だよ。第一に、併せようと思っても併せられないからね。
先ず、とりあえず自分でやってみる事だな。自分でやると言っても難しく考える事はない。できる事からやる。相手の言っている事を整理してみるとか。自分の考えを書き出してみるとかね。とりあえず、誰かに相談してみるとかね。昔は、大概、相談に乗ってくれる先輩とかがいたんだけどね。
とにかく何でも自分ですぐにやってみる。
自分の好きにしろと言われても。どうしていいかわからないのが本音だから。それをそのままぶつけてもいい。
好きにしろと言われても、簡単にできるものではない。
解らないからと言って相手に最初から合わせようとすると自分がなくなる。
妙に最初から合わせようとすると自分で組み立てられなくなるんだ。
だから、自分の考えを紙に書いてみるとかね。一行でも、三行でもいいんだ。
何もわかってないんだから。何もわからないとか、一人じゃできないと気が付くだけでも御の字。肩の力抜いてな。それから、確認をしたり、教わったりすればいい。
自分が何がわかっていて、何がわかっていないのか。それがわかればいいんだよ。それがわかればとっかかりができる。これはなるべく早くやる。
短ければ短い方がいい。あんまり頭を使わず、とにかくやってみる。
時間をかけるとかえってわからなくなるからな。
絶対に一人で予算を作ろうとするな。
一人で作った予算なんて誰にも理解できないから。
悪い事に、精緻であればあるほど他人にはわからなくなる。
方針だって、考え方だって一回聞いただけでわかる人間は、相当のレベルの人間だ。
我々は、一回聞いたくらいでわかるわけないんだからとりあえず話だけ聞いておけ。おいおい、仕事やっているうちにわかってくるからな。ただ、話くらい聞いておかないと始まらないよと言われて仕事をしてきた。
だから、指示が出たら速やかに形を作れと。何もきっまってまいし、わからないんだからな。形を作らなかったら始まらないよ。厭なのは、中途半端に進んでから形を作ろうとすると、何もわかっていないし、何も決まっていないから妙なところに唾つけられた感じになる。だから、何も決まっていないうちに形だけを兎に角作れと。
いくら言っても、何も決まっていません。結論が出てからなんて知った風なことを言って人を小ばかにして仕事を先送りにする事務方がいるが、これは無能を絵に書いたようなもの。何も決まっていないから形を作るのだし、何も決まっていないうちに形を作らないと、形が作れなくなる。それを我々は、肌で感じ教えられてきた。
間を置くと形が作れなくなっていつまでたっても仕事が始まらないぞ。少しは、人の話に耳を傾けたら。傲慢にならず。これは、長い間かけて伝承されてきた仕事の定石なんだ。
兎に角、一回、話を聞いただけでわかるはずがない。その為に、最初に話だけはしておく。また、聞いておく。目鼻はその後で仕事をしながらつけていく。一つひとつ皆で一緒に作っていく事になる。具体的に仕事になってはじめて理解できる。やってみなければわからない。最初から結論は出すな。諦めるな。
最初は何もわからないところから始める。
最初から完成度や結論を求めているわけではない。最初は白紙なのが当たり前なの。わからない、何も決まっていないところがスタートする。そのつもりで。
もう、歳が上だとか、下だとか。男か、女かということで人を判断するのやめないか。それより、その人がどんな仕事にむいているかと、どういう仕事に生きがいを感じているか、それが肝心なんだと思う。
どんな人間が偉いかて。それは、自分に与えられた仕事を最後まで責任をもって誠実にやりぬいた人、きっちりと実績を上げた人間、結果を出した人間だよね。
ピッチャーは、ピッチャーでいいし。監督は監督の仕事をすればいい。それぞれが、それぞれの持ち味を出せればね。
営業は駄目だけど人まとめるのがうまい人は、人をまとめる仕事をすればいいし。物を作ったり、企画するのがうまいけど、人付き合いはにがってという人間に無理してまとめ役を押し付ける必要はない気がするね。それより、一人ひとりの持ち味や能力ね、その人でなければできないという仕事をね。各々身でせて倍位と思うんだな。転職ね。
評価はさ。結果だよね。やっぱり、結果を出さないとね。それに、結果しかないものね。
大河的なメンツはね、別に考えればいいじゃない。
そういうことをね。これからこの会社をさ。しょって立つ人たちがね。歳とか性別にとらわれず、専務と真剣に話し合って。それでさ、できることからね、皆で、やっていこうよ。これからはね。もう僕の時代ではない。皆の時代なんだ。
自分のね人生は自分で決めろよ。他人、委ねたらお終いだよ。自分の人生に責任持てなくなるよ。
その船をこいでゆけ。おまえの手で漕いでゆけ。おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるなって歌っているだろ。
今できない者は十年後、二十年後だってできない。経験不足、若さ、未熟を理由にするのは、卑怯だ。
やらせない限り、始まらない。やるなら、若ければ若いほどいいに決まっている。
経験なんてやらせない限り積めない。経験を積ませなければいつまでたっても未熟。
それを理由にするのは、卑怯だ。任せる度胸がないからだ。未練。未練。
今、やらなければ、五年後、十年後にできるか。今始めて五年五十年後に芽が出る。
今やらない理由には、経験不足も、未熟も若さもならない。
今やらずにいつやる。
親父によく言われたよ。
おまえが、任せないからできないんだって。おまえが信じてやらなければ、相手も胸襟を開かないって。おまえが、やらせなければ、いつまでたってもやらない。一度、任せたら手を出すな、口を出すなと。その代わり、手順、段取りだけは教えてやれよと。
そうしないといつまでたっても仕事を覚えないからなと。
こんなことも言っていたよ。誰も助けてはくれないよ。自分たちで何とかするんだ。誰かが助けてくれんなんて期待するな。自分たちでなんとかするしかないんだ。仲間や、部下を信じろ。
俺でなければとか、俺がいなければなんて自分に対する甘えに過ぎない。これでいいと思った瞬間から堕落する。
俺がいなくてもやっていける会社でなければ、会社の存続なんて難しい。
俺にできたんだから、皆だってできるよ。
俺は二十歳そこそこで一人でこの会社に来た。何とかここまでやってこれた。みんなの言うとおりだよ。悪戦苦闘。振り返ると反省する事ばかり。うまくやったなんて思える事は一度もない。
でも後悔はしていない。なぜなら、その時々で最善を尽くしてきたから。おまえらならできるよ。やればできるよ。
頭は帽子を乗せる台ではないってね。自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の手でやる事を覚えれば必ず道は開けるけど、いつまでも、人だより、人の手を借りていた一人前にはならない。
馬齢を重ねるな。ただ年を取るな。歳をとるのは早いぞ。一日一日研鑽を続けろ。石垣を見ろ、望月さんを見習え。
もういい加減自分の足で立てよ。
昔、松坂が年賀状でね。前にいった会社が伸びている時は、毎日毎日、会社に行くのが楽しくてワクワクした気持ちで仕事していました。また、そういう日々が来ると思うと心が躍ります。ありがとうございますと。心残りは、松坂にそういう思いをさせる前に松坂が逝ってしまったことだな。
前を向こう。いやだいやだと思って仕事すれば仕事が嫌になる。駄目だ駄目だと思って仕事をすれば駄目になる。つらいつらいともって仕事すれば仕事がつらくなる。
仕事に生きがいを感じたら。自分の人生も有意義なものになる。
目標は人に与えられるものではない。自分で作り出すもの。
自分が納得のいく人生を送れるかどうかは自分次第。
誰も助けては来るない。
自分を信じろ。自分をみじめにするのは自分だよ。そうゆう人間は救いようがない。
自分を救うのは自分。自分を、もっと好きになれよ。
仲間を、信じよう。仲間を信じられたらもうお前は、一人ではない。
学生時代。なぜ、親父にぶつかっていって説得しない。勝てば、お前の事を憎いと思うかもしれないが、男として認めてくれる。負ければかわいいと思うかもしれない。その代わり、一生子ども扱いされる。そうそそのかしたものだ。後日、親御さんからあの時負ければよかったかもとこぼされて困った。
いざとなるとね。難しい事で悩むんじゃあないんだよ。簡単な事、できて当たり前な事が出来なくて苦しむんだよ。あんまり、簡単な事だと人に聞くのも恥かしいからね。でも、聞かなければ、教わらなければ、いつまでたっても身につかないし、仕事を覚えられないからね。
段取りとか、手順とかね。
挨拶ができないって辞めて言った人間が何人かいたよ。俺の大学の友達が内に遊びに来て親父に挨拶しないから、あいつは、人の家にきて挨拶もしないのかと怒るから。挨拶しないんじゃない、できないんだよと言ったら、あいつは最高学府に言っているじゃあないかと言うから、最高学府に言っているからできないんだよと教えたんだけどね。
頭がいいかに躾がいいのか。躾がいいから頭がいいのか、微妙なところだけど、小学校や、高卒でも躾のいい人は、大卒よりいい仕事をが出来た。むしろね、仕事の段取りや手順は、現場で躾けられるから、早く社会に出たり、家で躾けられた人間の方が出来た。
悪い事したら、親の顔が見て見たいと家の躾が問われたんだけどね。
でもまず基本を身らつけないと始まらないんだ。
ただ、基本を教えようと、そんな当たり前な事、言われなくてもわかってますよって頭から拒絶する。
基本てね、できて当たり前な事だからね。でも、実際のところやってみると結構難しいんだよ。簡単な事が簡単にできない。情けなくて悲しくなる。
基本こそ、真面目に自分から教わろうとしない限り、身につかない。
でも、基本は、仕事の入り口、人間関係の入り口だからね。基本ができていないと仕事も始められないし、人間関係も築けない。中に入っていけないんだよ。
だから基本が身についていない者は、いつまでたっても仕事ができない。始まらない。
もう一つ厄介なのは、基本は、歳をとればとる程、学びにくくなる。年下の奴に教わるなんて、しかも、基本的な事をね。沽券にかかわる。恥ずかしいい、遜(へりくだ)らなければならなくなる。厭だろ。だから基本は、速いうちに身に着ける。我々は、親の仕事を手伝いながら小学校にあかせる前から躾けられた。俺は現場の育ちだからね。現場の人間に躾けられた。
基本を、若いうちに躾けるのは、親方の責任、社会に出る前に躾けるのは、親の責任てね。ところが肝心の親方や親の躾が出来ていないから。絶望的な状態になる。
引き籠りや登校拒否みたいなものがどんどん増える。その原因は、挨拶ができないからなんてね。誰にも言えないだろ。
基本は、自分から、骨身にしみて学びたいと覚悟しない限り身につかないからね。でも、基本なんて本当に、誰にできても当たり前、簡単な事なんだよ。
その出来て当たり前な事が、六十近くなってもできない。部門責任者になってもできないと自分だけの問題ではなく、社会的問題、会社の責任問題になるからね。でも、できなければ早く認めて謙虚に学ばないと人生、何もしないで終わってしまうよ。
昔ね。アメリカ海軍の映画があって。
主人公は、民間の船の船長が徴用されて軍艦の一等航海士になるんだ。それが、艦長と事あるごとにぶつかるんだ。
航海が長くなんて単調な日々が続いている時、艦長が小舟を出して舟遊びをするんだ。それを見た船員が不満を持ってそれで甲板長が艦長に抗議をすると艦長がお前はそんな常識もないのかと言ってその場を去っていくんだ。
そうしする、日ごろは艦長と衝突していた航海士が、甲板長に、航海が単調になると気が緩む。その気が緩まないように、艦長は、皆の前で遊んで見せてワザと皆を怒らせているんだ。それを収めるのが甲板長の責務だろと。それくらいの事はわきまえろと窘めるシーンがある。それくらい、皆、基本ができていたんだよ。
基本ができている人間は、何も言わなくてもひたひたと準備をして、指示が出ればすぐに着手できるようにする。それが誇りだったけど。
今は、会議をすると決めても、何もしようとしない。会議当日に準備を始めればいいというのが常識化している。だから、尻が頭になる。
何度言っても、基本を学ぼうしていないから、頑固に同じ間違いをやり続ける。それで会社がおかしくなったとしても当人は自分が悪いという事を自覚していないから始末が悪い。
人はね。簡単な事で悩んでいるんだ。難しい事で悩んでいるわけではない。商売をする時、微分積分が出来なくて悩むんじゃあないんだよ。足し算引き算、割り算や掛け算が出来なくて悩むんだよ。
運転をする時、物理の法則がわからなくて悩むんじゃあないんだよ。ブレーキを踏むタイミングで悩むんだよ。
出掛ける時、心配になるのは、セキュリティー問題ではなくて、戸締りをしてきたかどうかで悩むんだよ。
哲学的に恋をするわけではない。次の約束が出来なくて悩むんだよ。なんて言っていいかで悩むんだよ。どんな服を着て行ったらいいかで悩むんだよ。
難しい事が出来なくて悩んでいるわけではない。簡単な事が出来ないから悩むんだ。人に相談できないほど簡単な事でね。
基本を身に着けるというのは、ただひたすら同じことを繰り返すしかないんだよ。
朝六時に起きる。それをら毎日続けるのがどれ程大変か。
それがわかっているから、母親は子供を、毎日、起こし続ける。根気よく、粘り強くやり続ける。その為には、自分が子供より早く起きなければならない。それでも、それをやり続ける。何かあって一日ずるするとまた、一からやり直しになる。
夏休みの様に長い休みが入ると全てが元の木阿弥になり最初からやり直す事になるけど、母親は、それを五年も十年もやり続ける。子供には、その親の努力は伝わらない。親は、自分より早く起きていて食事の支度ができているのが当たり前。朝、起こさなかったら、それだけで何で起こさなかったんだと怒られる。それは、皆、母親の勤めだと思い込んでいるから。嗚呼厭だ、もうやめたと言われた時、ハタと困る。そして、それが当たり前な事ではない事に気が付く。大概、それでも手遅れだけどね。
そうやって躾けられた事は、子供は生涯忘れない。あまり、親に感謝はしないけどね。
親の大変さは、自分が親になった時に気が付く。
結婚するって、親になるって苦労を背負い込む事。決して楽になる事ではない。その辺をちゃんと教えておかないから、皆、結婚しなくなる。
苦労するけど、結局、人間の幸せは、苦労の果てにある。なぜ、こんな思いをと思うけど、子供がいない時の事を思うとぞっとする。子供がいなければ、どれ程、楽かわからないけど、かといって、子供を捨てる気にはならない。苦労するから幸せがある。それがわからなくなったら、親でなくなる。
仕事も同じ。楽しようとしたら、いつまでたっても仕事から得られる達成感なんて解らない。だから、いい加減な人生になる。生き甲斐だって見つけられない。無責任な、自堕落な生き方しかできない。自分の存在意義なんて見出せししない。
ただ、ひたすら、同じことを繰り返す。来る日も来る日も同じことを繰り返す。そうする事で、他人にできない事、わからない事が見えてくる。
だから、基本を身に着けるというのは、一朝一夕ではできない。
できて当たり前な事だから、注意されると腹が立つ。悔しい。つい解っているよとどなりたくなる。怒鳴られたって母親は、注意する。我が子だから。我が子が世の中に出た時に困らないように、繰り返し、繰り返し、「もう、起きる時間だよ」と声をかけ続ける。子供がその時解らないとしても、母親は注意し続ける。我が子だから。他人の子供を叱る気になかなかなれないし、勇気がいる。でも我が子は叱る。毎日毎日、同じ時間になったら起こし続ける。
それが基本を身に着けるという事。朝起きれるようになれば目覚ましがなくても起きられる。一人で下宿するようになっても起きられるようになる。一人で、起きれるようにする為に、母親は、今日も、「時間だよ」と起こし続ける。
勉強ができない事より、約束が守れない方が社会へ出た時困る。下手すれば、社会人としてやっていけない。遅刻ばかりしていたら頸になる。だから、朝、一生懸命、母親は、子供起こす。子供に伝わらなくても母親は起こす。社会のルールに従う。約束は守る。
それが基本。簡単な事だけど簡単には身につかない。仕事の基本も同じ。部下にとっては、不愉快でも、報告をさせる。指示を出して確認させる。自分で書類が作れるようにする。簡単な事でもできなければ注意する。ルールを守らなければ叱る。
それをひたすら繰り返す。同じ事を同じようにできるようにする。それが基本を身につけさせること。
今でも、相手の名前を聞いたかって、時々、親父の声が聞こえてくる。嗚呼、また忘れたって自戒する。この歳になってもまだまだ基本ができていないんだよね。
それでいながら部下に相手の名前を聞いたかって注意する。
自分のようにならないようにする為にね。
人を指導するというのは、恥ずかしい事だね。
親父によく言われたよ。
おまえが、任せないからできないんだって。おまえが信じてやらなければ、相手も胸襟を開かないって。おまえが、やらせなければ、いつまでたってもやらない。一度、任せたら手を出すな、口を出すなと。その代わり、手順、段取りだけは教えてやれよと。
そうしないといつまでたっても仕事を覚えないからなと。
こんなことも言っていたよ。誰も助けてはくれないよ。自分たちで何とかするんだ。誰かが助けてくれんなんて期待するな。自分たちでなんとかするしかないんだ。仲間や、部下を信じろ。
俺でなければとか、俺がいなければなんて自分に対する甘えに過ぎない。これでいいと思った瞬間から堕落する。
俺がいなくてもやっていける会社でなければ、会社の存続なんて難しい。
俺にできたんだから、皆だってできるよ。
俺は二十歳そこそこで一人でこの会社に来た。何とかここまでやってこれた。みんなの言うとおりだよ。悪戦苦闘。振り返ると反省する事ばかり。うまくやったなんて思える時は一度もない。
でも後悔はしていない。なぜなら、その時々で最善を尽くしてきたから。おまえらならできるよ。やればできるよ。
頭は帽子を乗せる台ではないってね。自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の手でやる事を覚えれば必ず道は開けるけど、いつまでも、人だより、人の手を借りていた一人前にはならない。
馬齢を重ねるな。ただ年を取るな。歳をとるのは早いぞ。一日一日研鑽を続けろ。石垣を見ろ、望月さんを見習え。
もういい加減自分の足で立てよ。
昔、松坂が年賀状でね。前にいった会社が伸びている時は、毎日毎日、会社に行くのが楽しくてワクワクした気持ちで仕事していました。また、そういう日々が来ると思うと心が躍ります。ありがとうございますと。心残りは、松坂にそういう思いをさせる前に松坂が逝ってしまったことだな。
前を向こう。いやだいやだと思って仕事すれば仕事が嫌になる。駄目だ駄目だと思って仕事をすれば駄目になる。つらいつらいともって仕事すれば仕事がつらくなる。
仕事に生きがいを感じたら。自分の人生も有意義なものになる。
目標は人に与えられるものではない。自分で作り出すもの。
自分が納得のいく人生を送れるかどうかは自分次第。
誰も助けては来るない。
自分を信じろ。自分をみじめにするのは自分だよ。そうゆう人間は救いようがない。
自分を救うのは自分。自分を、もっと好きになれよ。
仲間を、信じよう。仲間を信じられたらもうお前は、一人ではない。
いざとなるとね。難しい事で悩むんじゃあないんだよ。簡単な事、できて当たり前な事が出来なくて苦しむんだよ。あんまり、簡単な事だと人に聞くのも恥かしいからね。でも、聞かなければ、教わらなければ、いつまでたっても身につかないし、仕事を覚えられないからね。
段取りとか、手順とかね。
挨拶ができないって辞めて言った人間が何人かいたよ。俺の大学の友達が内に遊びに来て親父に挨拶しないから、あいつは、人の家にきて挨拶もしないのかと怒るから。挨拶しないんじゃない、できないんだよと言ったら、あいつは最高学府に言っているじゃあないかと言うから、最高学府に言っているからできないんだよと教えたんだけどね。
頭がいいかに躾がいいのか。躾がいいから頭がいいのか、微妙なところだけど、小学校や、高卒でも躾のいい人は、大卒よりいい仕事をが出来た。むしろね、仕事の段取りや手順は、現場で躾けられるから、早く社会に出たり、家で躾けられた人間の方が出来た。
悪い事したら、親の顔が見て見たいと家の躾が問われたんだけどね。
でもまず基本を身らつけないと始まらないんだ。
ただ、基本を教えようと、そんな当たり前な事、言われなくてもわかってますよって頭から拒絶する。
基本てね、できて当たり前な事だからね。でも、実際のところやってみると結構難しいんだよ。簡単な事が簡単にできない。情けなくて悲しくなる。
基本こそ、真面目に自分から教わろうとしない限り、身につかない。
でも、基本は、仕事の入り口、人間関係の入り口だからね。基本ができていないと仕事も始められないし、人間関係も築けない。中に入っていけないんだよ。
だから基本が身についていない者は、いつまでたっても仕事ができない。始まらない。
もう一つ厄介なのは、基本は、歳をとればとる程、学びにくくなる。年下の奴に教わるなんて、しかも、基本的な事をね。沽券にかかわる。恥ずかしいい、遜(へりくだ)らなければならなくなる。厭だろ。だから基本は、速いうちに身に着ける。我々は、親の仕事を手伝いながら小学校にあかせる前から躾けられた。俺は現場の育ちだからね。現場の人間に躾けられた。
基本を、若いうちに躾けるのは、親方の責任、社会に出る前に躾けるのは、親の責任てね。ところが肝心の親方や親の躾が出来ていないから。絶望的な状態になる。
引き籠りや登校拒否みたいなものがどんどん増える。その原因は、挨拶ができないからなんてね。誰にも言えないだろ。
基本は、自分から、骨身にしみて学びたいと覚悟しない限り身につかないからね。でも、基本なんて本当に、誰にできても当たり前、簡単な事なんだよ。
その出来て当たり前な事が、六十近くなってもできない。部門責任者になってもできないと自分だけの問題ではなく、社会的問題、会社の責任問題になるからね。でも、できなければ早く認めて謙虚に学ばないと人生、何もしないで終わってしまうよ。
昔ね。アメリカ海軍の映画があって。
主人公は、民間の船の船長が徴用されて軍艦の一等航海士になるんだ。それが、艦長と事あるごとにぶつかるんだ。
航海が長くなんて単調な日々が続いている時、艦長が小舟を出して舟遊びをするんだ。それを見た船員が不満を持ってそれで甲板長が艦長に抗議をすると艦長がお前はそんな常識もないのかと言ってその場を去っていくんだ。
そうしする、日ごろは艦長と衝突していた航海士が、甲板長に、航海が単調になると気が緩む。その気が緩まないように、艦長は、皆の前で遊んで見せてワザと皆を怒らせているんだ。それを収めるのが甲板長の責務だろと。それくらいの事はわきまえろと窘めるシーンがある。それくらい、皆、基本ができていたんだよ。
基本ができている人間は、何も言わなくてもひたひたと準備をして、指示が出ればすぐに着手できるようにする。それが誇りだったけど。
今は、会議をすると決めても、何もしようとしない。会議当日に準備を始めればいいというのが常識化している。だから、尻が頭になる。
何度言っても、基本を学ぼうしていないから、頑固に同じ間違いをやり続ける。それで会社がおかしくなったとしても当人は自分が悪いという事を自覚していないから始末が悪い。
基本とは何か。基本とは、当たり前なこと。
だから、自分は基本をマスターしていると自負している。だから、基本的なこと注意されると湯気を立てて怒る。
基本とは何か、まず、会社の仕事は、チームワークだということ。あたりまえだよね。
チームワークだから、一人で仕事をしているわけではない。勝手な仕事は許されない。
事後承諾は、非常、緊急時を除いて、基本的に許されない。
自分一人わっかていてもダメ。必要な情報は共有する。
自分の仕事は、最後まで責任をもってやり抜く。
自分が、何とどのような考えでやろうとしているのかを、聞かれたら答えられる様にする。
自分がチームの中でどのような役割をしているか答えられるようにする。
トップ、部下の面前で罵倒したり、恥をかかせてはならない。
なぜなら、会社の信用にかかわることであり、トップの権威を失墜させることになるから。
トップは友達ではない。トップは、全員の意見を聞く必要はない。なぜなら、トップが部下の意見を聞くのは決断するためであり。仲良しになるためではない。
部門には必ず責任者を置く。なぜなら、誰かが責任をもって決断しなければならないから。さもないと責任の所在が分からなくなり、組織が崩壊するから。
意見を統一する必要はない。ただし、トップの決定に従う。
俺が、何時間も話しているというのは、物理的にあり得ない。今日も、正式な話をしたのは三十分程度、それ以外は分析に時間を使ていたから。分身でもしない限り、何時間も話をするのは不可能。
きちんと正式に報告がなされなければ時々こちらから声をかけて確認する。それも、五分は越えない。自分が邪魔しているというのきちんと報告をしていないから。
基本は担当者から報告する。なぜなら、実際に仕事をするのは担当者だから、担当者がきちんと説明できなければ、仕事が間違えなく執行される、保証がないから。
これらの事は当たり前なことだけど当たり前にできない。
基本ができていない事を自覚し速やかに身につければいい。それだけ。
質問されたら、質問の真意を正しく理解し、聞かれたことにこたえる。仮に、相手が、質問の真意を取り違えている時は、速やかに訂正させる。なぜならば、相手が、質問の真意を取り違えたままにすると質問された意図が伝わらなくなる。
極力、任せた仕事は、最後までやり抜かせる。
自分の頭で考えさせ、自分で決めさせ、自分で責任を持たせるようにする。
上をいつまでも頼りにさせない。泣いても笑っても自分で責任をとらせる。
僕は、信じて任せれば必ず最後までやり抜くと思うよ。親が手を貸して起こしていたら、何時までったっても自分の力で立ち上がろうとしないよ。
当たり前な事。できて当たり前な事が出来なずに苦しむ。
この歳になってもね。だから、毎日毎日反省するね。
自分事は自分でする。できそうできない。年取るとますますできなくなる。
今日やる事は、今日やる。先延ばしするな、すぐやる。遅ければ猫でもできる。ダラダラすんな。しのふの言わずにすぐやれと親父によく怒られたな。
今やらなければ、先延ばししたら、尻すぼみになるぞ。状況がすぐに変わる。
言い訳はするな。口答えするな。事実だけを言え。自分の怠慢を他人のせいにするのはやめろ。後で苦しむのは自分だぞ。後始末は自分でやれ。特に失敗した時の後始末を他人に期待しては駄目だぞ。
自分の頭で考え、自分で決めて、自分の足で立つ。できるできないではなく。自分で責任をもってやり抜こうというそういう心持、意地がなければ、自分の人生に責任が持てなくなるぞ。もっと自分を大切にしろ。自分や家族、会社にに誇りを持て。誇りの持てる生き方、家族、会社、国にしろ。
失敗したら、負けたら悔しく思え。悔しいなら泣け。泣いてもいいけど後を引くな。逃げるな。くらいついてけ。叩き潰されても叩き潰されても、くらいついて行け。
己を惨めにするのは、己だ。己の負け犬根性だ。嗚呼、俺は、なんて駄目な人間だとあきらめるのは簡単だし、楽だ。でもそれで全ては終わる。
自分が覚悟してやれば、失敗しても自信につながる。自分で決めたのでなければ、成功しても自信にはならない。
成せば成る。なさねばならね。何事も。
やればできる。少なくとも、やらなければ未来永劫できない。
できない事はできない。自分の限界を認め、他人を受け入れない限り、仲間はできない。
歳と伴に他人を許容していかなければ、皆の邪魔になる。自分の限界を受け入れなければ。自分の限界を知り、受け入れられれば、まとめ役が出来るようになる。力があるからリーダーになるのではない。皆を纏められるからリーダーとなれるのだ。
人は一人では生きられない。会社では一人では何もできない。
当たり前な事。
当たり前な事。自分からは逃げられない。自分から逃げてばかりいないで、今の自分と対決する。自分の事は自分でする。
自分の人生には、自分で責任を持つ。
当たり前な事。でも、難しい。なかなかできない。
人間、歳をとるとどうも恥知らずになるようである。部下の弟子の功績を横取りしても痛痒とも恥を感じなくなる。
若者たちのやる気をなくさせて自分たちの生き残りを図る。
自分の衰えを認めずに、虚勢を張る。虚勢なんて張ったところで、衰えは隠しようもないのに、なんだかんだと言っては、後進に道を譲らない。
ああもうこれでいいと思ったら潮時だよ。俺は引退すると言っていた経営者がいた。そして、きっぱり引退した。
結局、多くの経営者は、歳と伴に衰えた自分を受け入れられずに失敗する。老残を晒す事になる。晩節を汚す事になる。
親父は、幸不幸は晩年に決まると呟いていたな。
当たり前な事。
人生には必ず終わりがある。人は死ぬ。
始まりがあれば終わりがある。
時は流れる。時は戻れない。
時がたてば歳をとる。
歳をとれば気力体力が衰える。
できない事が増えていく。
記憶も衰える。
当たり前な事。この当たり前な事を直視しよう。
そして、人生を楽しもう。
その時その時、自分の最善を尽くす。後悔しないように。
歳をとる事を怖れずに、歳をとる事を楽しむ。
吉田松陰は29歳、高杉晋作28歳、坂本龍馬、33歳、武市半平太、近藤勇34歳、土方歳三34歳、沖田総司、久坂玄瑞、24歳、橋本佐内、25歳で死んでいるのよ。
いつかいつかと言う間に歳をとるよ。今、決断して前を向いて生きないとね。
吉田松陰は、死に際して。
どんな人生にも四季がある。どんな人生にも春夏秋冬の四季がある。朝生まれて夕べ死ぬ子にも四季がある。百歳生きるものにも四季がある。その人生の四季を受け入れ、楽しむ心のゆとりをもとう。
当たり前な事、時間がたてば人は歳をとる。
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