決断は、感情でする。冷静では決断はできない。
冷静になるのは、決断した後。冷静に判断する事は出来ても、冷静に決断する事はできない。決断は、感情的にする。だから、感情をうまく制御できなければ、正しい決断をする事はできない。
何故なら、決断は、結果がわかっていてする事ではないから。結果がわかっていないから決断する。結果が予めわかっている事は決断する必要がない。
大きな間違いは、結果がわかっていると錯覚して決断しているつもりの人だ。
そういう人は、予め決めた事と結果が違ってくるとパニック陥り、決断できなくなる。
組織と言うのは、内熱機関のような仕組みで小さな感情の爆発を制御する事で動いている。
困るのは、決断できなくなって感情を貯められることだ。
だから、時々ガス抜きをする必要がある。ガス屋だからガス貯めるなよと声をかけるようにしている。
爆発するのは、良いけど、後始末が大変だから、なるべく早く頭を切り替える。
今の若い子は、妙に、自分を抑える事を覚えさせられる。一度意識して心の箍を外す。凝られ得られなくなれば、どこかで感情が爆発するんだから。
そうなると感情は止められなくなって暴走する。
悪くなれば、やくざになったり、薬をやったり、女に溺れたり。圀になれば、テロだの、暴動、無軌道になる。
意識して、自覚して爆発をさせる仕組みが民主主義制度。
一度、自分の感情を開放する。こんなこと言っていいか、こんな事をしていいかに囚われない。無論、予め意識していれば無軌道には走らない。
意識せずにやれば、SNSに投稿したりして顰蹙をかう事になる。
自分の思いをしっかり紙に書く。自分が日頃から厭だと思っているところ、好きな処を紙に書いてみる。自分をさらけ出してみる。
それでいいんですよ。そして、自分を好きになって、自愛できるようにね。良い所も悪い所も全てあっれらかんと受け入れる。
僕はも、神は全てを許してくれると信じているんです。許せないのは、自分なんですね。自分の欠点や駄目な処を許せないのは、自分なんですね。
神様はいつだって優しく微笑んで、私の全てを受け入れてくれている。そう僕は信じているのです。
十人いたら、十の意見や考え方がある。最初から一致しているなんてありえない。
だから、決定権者を決める。それがリーダーの役割。よく言われたのは、リーダーは暇なもんさ。リーダーは、暇の方がいい。なぜなら、リーダーは、決定するのが仕事。決断できなくなったらやめればいい。決断そのものに時間はかからない。一瞬で出来る。
だから、リーダーは暇な方がいい。リーダーが忙しいというのは、それだけ決めなければならない事が多いのだし、問題が多いという事だと…。
だから、最初から一致しているなんてありえない。
それぞれの意見の違いを自覚したうえで、しかも確定的な事が何もない段階だから決断する。決断は、一にする事。トップは常に決断によって統一を求める。
知りたいのは、意見の違いと、全体の許容範囲。トップは決断する。
時には、組織的に決断させる。
爆発するのは、良いけど、後始末が大変だから、なるべく早く頭を切り替える。
よく僕は、話を遮るという。まあ、それをトップに向かって言うのもすごいけどね。トップ同士の会議を知らないからだと思う。トップの会議は、いわば試験勝負の場だからね。どこでしゃべっていいかなんて考えていたらできない。発言は、切り込んでいくようにする。さえぎられたり、止められるようではトップは務まらない。それにトップが話を聞くのは、決断するため。決断する為に必要な話が効けたらそれでいい。トップは仲良しクラブの会長ではない。
昔、人の話を遮るなと言われてしゃべれなくなった。それは大人たちが卑怯だからだ。だから、僕は、必ずどんな会合でも一言は発言するように心がけた。
よく見ればわかる。二代目さんは、上品だ。創業者は荒々しく猛々しい。先輩たちの支店長会議や販売店会議は、黙っとれと言って黙らなかった。今は、しゃべれと言ってもしゃべらない。
行儀良くしろと躾けておいてしゃべらないと叱ってもしゃべらない。
俺は、親父たちから正反対な事を教わった。
総会に言った時、目立つ格好をしてきたか、相手のトップが見える位置に座ってきたか、何か発言したか、悪名でもいいから皆の気を引いたか。良いか、総会は、トップの見せ場、戦場なんだと。悪名なんて怖れるな。相手にいかに印象付けるかさ。悪名なんて後で何とでもなる。しかし、行ったか行かなかったかわからなかったら行く価値がない。
ところが二代目さんの多くは、目立たないように端っこに座って、何も発言しようとしない。これでは会議を開く意味がない。
組織を動かしているのは、感情の爆発なんだ。
相手の事を気にばかりしていたら、自分たちの権利は守れない。今の日本人は、何でもかんでも曖昧模糊とするのが好きだ。
しかし、親父さんたちに言われたのは、目を瞑ってでも決断しろ。
僕らはね、先輩たちから仲間を本気にするためには、どうしたらいいかって聞くとね。怒らせればいいんたせよと教えられた。
本気で起こったら怖いじゃあないですかと言うとね。怖いさ。怒れは、本音も吐く。その時、初めて真意がわかる。決断もする。ただ、ギャンブルは、ギャンブルだ。怒った矛先がどこに向くかは、わからないし、どんな怒り方をするかわからない。
辞めてやると怒る事もあれば、絶対にやってやる。見返してやるという怒り方もある。これはギャンブルだけど相手を信じるしかない。でも、本気にさせたければ本気で怒らせなければならないすっきりするけど、感情は納まらないし、、言われたこっちも収まらなくなる。
だから、その後とどう納めるかは考えておけよ。一度、洗いざらい自分の思いを吐き出させろ。本音を吐かせろ。そうしないと本当のところはわからないし、いつまでたってもモヤモヤははれないぞ。一度全力を出させろ。自分の持てる力を解放させ、そいつの持てる潜在的能力を引き出す。それには、本気にさせるしかない。本気で怒らせるしかない。何に対して腹を立て、どこに力を向けさせるか、それが指導力だ。
ただ本気で怒ると相手は糞力で向かってくるからそれを受け止めるのは、しんどいからな。覚悟しておけ。だから、怒らせようと思わずに意味もなく言った言葉で相手を怒らせるほうが怖い。恨まれるからな。怒る者も、怒られる者もギリギリなんだよ。
感情的になった時にいかに冷静さを取り戻させるか。それはスポーツのコーチや監督の技術、スピーチを見るとよく伝わってくる。怒りを共有せよってね。
怒って、全てを吐き出せば当人は、すっきりするけど、こっちは大変だよ。怒られた人間に同情する奴はいるけど、怒っている人間に同情する奴はいないからな。だけど甘えを断ち切らせ、限界に挑戦させる以外成長はない。
上司に優しさを期待させるな。厳しさこそ求めるように指導しろ。
それが部下に対する本当の愛情だ。親が子を叱るのは、親だからだ。親としての愛情、親としての責任。他人の子や他の会社の部下を叱るのは勇気がいる。勇気や愛情が持てないからだ。
支店長が怖いか、客が怖いかで向かっていく先を部下は選ぶ。支店長より、客の方が怖いと思ったら客先にはいかなくなる。そうしたら、いつまでたっても成績は上がらない。うじうじぐずぐずしていたら怒れ。
自分が本気にならなければ、相手も本気にならないぞ。
だから怒らせて本気にさせる。
まあ、本気にするための常套手段ね。国家だって、韓国は日本を、アメリカは、中国を中国は、アメリカを相手に結果を売って国民を怒らせる。そうすると本気になる。本気になると怖い。
半沢直樹を見ればわかるだろ。本気で怒っているから、本気で仕事をする様になるのだ。本気になれよ。本気に。
変なところで、自分を抑える事を覚えさせるな。
恩返しは、土俵の上でしろって我々は、きつく言われて育ったら。
同情されるようになるなって。可哀想とか言われたら自分が惨めになるだけさ。
いじめが悪いんではない。虐め方が悪いんだ。
指導と言うのは、いじめと言えば虐めなんだよ。ギリギリのところで相手の能力を引き出そうとしているから、相手の限界ギリギリまで追い込む。
海外の大学なんて凄まじい競争だよ。死ぬほど鍛え上げられる。
死ぬほどいじめるのも確かに悪いけど、それでも死んではいけない。
いじめに耐える精神力を付けるためには、いじめなければならない。
問題は、虐め方だし、愛情の問題。自分の感情を抑えきれずぶつけるのはよくない。それは、いじめではなく虐待。
優しさだけでは、部下は指導できないよ。
本気になれ。本気でぶつかれ。そうしないと限界は越えられないし、成長もできない。惨めさを共有する事だけはやめよう。救いがない。
戦え。もっと獰猛に成れ。猛々しくなれ。
誰も助けてはくれないぞ。
最近、解らないというのが死ぬほどいやだという人が増えて困る。
チームワークは、メンバーの認識を一致させてからスタート切るので、どの程度の人間がどの程度解っているかどうかを確認するところから始まる。一人ひとりが解っているかいないかの確認を最初はしているのに、テストされているかの如く、解っていないのに解っていますと頑固に言い張るものが増えている。
大体、全員、最初はわっかていない。わっかていないこと前提し、わっかているものがいればその者の指導の下にスタートを切るのが習わし。
そこで、解っていないのに解っている言い張るものがいると何も始まらなくなる。
それに、大概は、答えがない。あっても、一つではない場合が多い。それに、最初から答えを求めているわけではないから。仕切り役は何とかわからないと言わせようとする。そうするとますます意地になってくる。一方は何とか事態を打開しようとするし、一方は馬鹿にされた、侮辱されたと思うから、最後は収拾がつかなくなる。
解ってないと認めてくれたら、そうだよな、皆もわかってないんだ。それでどうする。調べたらいいと思います。何から調べる。誰が調べると、チームで整理することが可能となる。
くれぐれも、頼むから、最初は試されているのではなく、確認されているんだと解ってほしい。
解らないというのは、恥ずかしい事ではなく。普通、当たり前なことで、むしろ、解らないことがあったら聞いておけよ。最初にはっきり言えよと注意されるものだ。
皆が解らなければ、そこからスタートを切ることになる。
解らないことを、解らないというのは、恥ではなく。解っていないことを知ったかぶりする事の方が、恥なのである。
昔の部門長、松坂がいい例だけど、新規事業を〇△に任せて計画立てさせていたんですが、昨日、最終案を持ってきて、自分はまだ完全に納得してはいないんですが、当人たちの熱意に負けまして、責任は私が持ちますから、この案を是非、承認してくれませんかと言ってきたものだ。この例でわかるのは、先ず責任者・担当者を決めて仕事を任せているという点。次に、簡単に納得するのではなく、よく吟味している。さして、自分の考えとは違う。それでも、自分が責任を持つという点。
これがかつての上司の姿勢なんだよ。自分一人では絶対にやらないし、自分の方針、考えだけを伝えて、後は部下に任せる。
部下にとって最初の壁は、上司だし、上司にぶつかっていく事で、自分の考えも整理され、上司の方針に従って自分の案も練られていく。
自分の仕事は、上司と戦って勝ち取っていく。それが会社なんだ。
先輩たちは、簡単に納得するなよ。簡単に納得すると腹が定まらないし、庵がよく練る事が出来なくなるからな。
親父なんかも言っていたよ。一回、二回反対されたからと言って引き下がるようでは、その程度の話なんだよ。成功したいなら、何が何でもと言う不退転の決意で来るし、全身全霊で説得にかかる。
一例だけど、松坂は、部下の案を通すために、社員旅行の際、船まで用意して親父をもてなした。それほど真剣勝負だったんだよ。
誰をどう使っていくか。来期、誰に何の責任を持たせるのか。
そういう構想を予算を立てる中で組立てていくんだからな。
そこが、予算を作る肝だよ。
わかるか、支店長や現場職長は、先ず、支店の方針や構想を誰と相談するのか。上と下、其々にだよ。上と言うのは、他の部署、支店との調整を誰と相談のうえ、どういう手順で進めるか、その要を誰にするのか。それ自体が戦略であり、社内営業だからな。
次に、支店、部内を誰と相談してまとめていくのか、当然、その者と真っ先に支店や部門の方針や体制を打ち合わせる必要がある。それを誰にするのか。
それが見て見たい。根上は、上、下、誰と相談するのか。現場職長は、中間に立つのだから、その点を間違えるなよ。上を調整してもらうのは、誰か、下を纏めさせるのは誰か。
それは、そのまま、来期仕事の組み立ての下地になるからな。
自分の補佐をだけにし、事務方を誰にするのか。営業チームをどう展開するのか。そういう仕事の最初の仕事が予算づくりだからな。まず最初にチームを起動し、来期の体制づくりを予算を通じて構築していく。何をどう構築し、誰に任せ、誰に実行させるか。それぞれに、考えさせる。そして、コミュニケーションを具体的にとる。それが予算だ。
とうぜん、TOPともその辺、入念に打ち合わせる必要がある。
予算づくりを通じてTOPと自分との考えをすり合わせし、部下との認識ギャップを埋める作業。
だから、誰に方針を立てさせようとしているのか、どの様にして方針を立てようとするのか。
また、部下に言う事を聞かせるために、どの様な手段、権限が欲しいのか。
木下藤吉郎は、城普請の時、組み分けをし、働きに応じて報奨金を出したと聞く、そういう工夫をTOPとする。だから、当たり前に、評価、報償についてTOPと打ち合わせをし、必要な権限を事前にもらう。それも予算。
会議、交際費、報償などをどういう考えで、どう活用するのか。人事権も予算も何の権限もなければ、部下は言う事を聞かなくなるからな。そのへん、メリハリをはっきりつける。飴と鞭、両方必要だし、それをどういう風に使うか。それが人を動かす事だよ。それを考えるのが予算。
ここは学校ではない。学校だって、成績や試験で評価する。だから先生は、生徒を指導できる。何の権限もなければ生徒に舐められる。それが現実だ。
何の権限も与えられなければ暴力的になるか。部下に使われるようになるかしかなくなるよ。
握りこぶしでは、人は動かない。それが、親父の口癖だった。
今日の会議で決まったことを簡単に整理しておけよ。そして、休み明けにどうするか考えておけ。
いいか、自分一人で予算を作ろうとするなよ。おまえたちは、予算を作らせる側の人間だからな。おまえが一人で作った予算なんて糞の役にも立たないからな。むしろ邪魔だ。
サポートセンターと協力して予算を立ってさせるのがお前たちの仕事。誰を責任者にして誰に予算をどうやって作らせるかを。考えてこい。そして、専務に質問されたら答えられるようにしておけ。
責任者と言っても一人ではないからな。営業、経費、投資、それぞれに責任者をきめ、担当者を決め。それぞれに考えさせろ。それは来期の体制の下地になるから、予算を立てさせながら来期の体制つくりをしながら、お前の方針、構想、考えを末端まで浸透させろ。そして、どうしたら達成できるかを考えさせろ。そして、自分の作った数字に責任を持たせろ。
商品企画も、イベント企画も、担当を決め考えさせろ。どうやったら、何を売ったら儲かるか、どうやったら目標を達成できるか。自分たちで考えさせろ。それが、お前たちの仕事だからな。自分一人で予算を作っろうとするなよ。共同作業だからな。支店全員が参加するようにしろよ。
お前らまともすぎるよ。下手すると人を使ってはならないと本気で思い込んでいるんじゃない。おまえらの立場で部下がつかえなければ。部下に使われるからな。
だから、俺たちは部下に舐められるなときつく言われてきた。
だから、部下を使ってあげるの。人がいいというより。馬鹿だよ。共同して部下を使うことを考えろ。せっかくお前らがやりやすくしてやろうと揺さぶっているのになぜこっちにむっかてくるの。部下にこびても舐められるだけだよ。石垣もなぜ、おーのーにむっかてあんな無礼な口をきくのです。自分の大将が侮辱されて体が震えるほど腹が立ったて。トップの名誉が傷つけられたら。俺たちは、自分の命をかけて戦たけどね。今は身内から刺される。
いつまでも、使われる側にいるな。この世の中には、自由人と隷属者しかいない。
今度は、お前らが、使う側の人間になるんだ。
上手い下手が問題ななのではない。自分たちの手で自分たちの力で作った予算かどうかだ。自分たちが、これなら責任が持てると予算かどうかだ。
最初から他人の力をあてにするな。
最初から完成度なんて求めるな。体裁なんてどうでもいい。一人で作るな。問うなら自分に問え。
日常的なこと自分で決める。そのためには、まず自分がどのような考えで何をしようとしているのかを、専務が解るように説明して、専務から了解を取り、権限を委譲してもらえ。それが予算だ。そのうえで専務に忠誠を誓え。専務へ忠誠を誓うのは、己への誓い。自分の考えを実現すための宣言。だから、専務の名誉は皆で守れ。専務を侮辱する者は、お前を侮辱する者。そう思えたらお前らは一体となる。おまえらは、己の限界を超え自分を超える何者かと一体になれる。
コロナの問題もそうだ。おまえらの問題なんだ。自分たちで、仲間を会社を、支店を、家族をお客様を、自分を守れ。今更、ママとママを探しても助けてはくれない。
もうお前たちは、親なんだ。ツバメで働くもの全員の親なんだ。自分たちに力で自分たちの子を守れ。
まず、副を決めろ。補佐官を、決めろ。自分でひとりでは何もできないことを思い知れ。最初は、人事だ。組織つくりだ。
お前が、誰を、本心から信じ、誰を頼りにしているかを一人指名しろ。いいか、そいつは、自分のなにもかも、さらけ出せるものだからな。
昔、自分の愛人の事を松坂に教えていた上司がいたそうだ。駅前のガス事故が起こった時、はっとして愛人のところに連絡したら、そこにいたそうだ。それが腹心。そいつに裏切られたらお終い。そういうサブを一人決める。そしてそいつに全体を仕切らせる。
次に、担当責任者を決める。そして、専務に誓った自分がどのような考えで来期どうしようとしているのかを伝える。それが方針。だから、きちんと専務が理解し、納得できるようにできなければ、部下に説明できない。だから、まず、自分が来期、どの様な考えでどうしたいのかを、専務が納得がいくように説明し、正式に承認を受ける。承認を受けたら専務に指示を出してもらう。専務の力を借りて部下を従える。間違えるな。自分の力で従えようとするな。それは、私党を作ることになるからな。反逆だ。
だから、専務に忠誠を誓い専務の力を借りて、自分の思いを実現する。専務に、忠誠を誓うのは自分と全体が一体になるため。
だから、主は一人でいい。一人でなければ組織は分裂する。
お前たちは、専務だけに忠誠を誓え。今は、専務が会社をと制する。だから、自分を投げ出しても専務を守れ。それが、自分も家族も、会社も守ることだからな。
お前が一人で作った予算なんて、誰もありがたがったりなんてしない。部下を使うのはかわいそうなんていていると、自分がかわいそうになるからな。一生懸命作っても誰も感謝なんてしない。むしろ、反発して言うこと聞かなけなるだけ。第一、他人が作った予算なんて理解できない。自分の胸に手を当てて考えてみろ。できるできないの問題ではなく。自分たちで協力してどこまでやれるかかが問題なんだ。皆の力を借りる。そうすれば、部下が必要となる。
解りましたというとよく叱られたよ。おまえ一人わっかてどうする。おまえの部下全員がお前の考え、会社の方針を理解し、更に、自分たちが何をしていいかが分かった時、本当に、わっか多というのだ。自分ひとり分かったというのは独りよがりだ。自分が解った瞬間から仕事は始まる。仕事とはそういうものだ。
使ってあげるから、やらせてあげるから部下は、お前の考えを理解して、成長する。部下ができないのは、お前が、信じて任せてやらせないからだ。未熟だと思うなら。思うほど、そいつに任せて最後まで責任をもってやらせろ。
そうしないと、いつまでたっても一人たちはできない。
かわいい子には旅をさせろ。
お客様のクレームは、極力、担当者に始末させろ。上司が安易に片付けると、部下を、それが、当たり前のように錯覚して。簡単なクレーム処理も店長がやるものとして、感謝するどころか逆恨みする。自分で最後までやりとうすから。責任感が生まれる。野生では、巣立ちするとき、子供がはじめて獲物を自分でとれるようになったら、敵とみなして攻撃してくる。それが野生の自由だ。
トップの名誉を傷つけられて平然としていつな。トップの名誉を傷つけられても痛痒も感じないのは、自分の仕事にプライドがないんだよ。プライドのない者は平然と悪いことをする。プライドを持てない者はモラルがない。平然と仲間を裏切る。
恩知らず、人でなしだよ。心から信頼できる仲間を得られない。
専務に忠誠を誓え。専務の名誉を守り抜け。それが自分の限界を超えて一人では実現できない事業を夢を実現すること。
己の限界を認め受け入れ仲間に身をゆだねろ。
それが生きること。一人では何もできない、生きていけないことを思い知れ。それを、悟った時、栄光は目の前にある。幸福は手に届くところにある。
なぜなら、栄光は達成する事ではなく。達成するまでの過程にあるから。生きるとは結果ではなく。過程なんだ。
だから、恩知らずは、人でなしだ。信用できない。
専務に忠誠を誓え。栄光は目の前にある。ともに戦え。名誉をかけて。卑屈になるな。負け犬になるな。自由は自分たちの手で勝ち取れ。
TOPのために、予算を作る必要はない。予算は、自分たちのために作る。
ただ、会社の方針を正しく理解し、TOPがわかるように説明するのは責務でる事は、忘れてはならな。
総括は、会社を経営するために。部門長は、部門を会社を統制するために、支店長は、支店を経営するために、部門責任者は部門を管理するために予算を作るのだから。
俺を納得させるために作るためではなく。自分が納得できるかどうか。俺や専務が納得しても、自分が納得いくまで詰めろ。ただし、専務の決定には従え。
自分たちの責任を果たすために予算を作る。ちゃんと自分の考えを説明し。専務を納得させる。
ひとりで作るのではなく。自分が予算を使って自分がまかせられた責任を果たすために作るのだから。
予算は、予実績管理に、結び付かなかったら意味ないからな。予算を作って何を管理するからだからね。
車の運転は、運転しなければ覚えない。助手席では、覚えられない。
場数だよ。自分たちが必要だと思わなっかったら予算なんて作る必要ないよ。
一つ、自分があって相手に合わせる。二つ、自分があって、自分に相手を合わせさせる。三つ、自分がなくて相手に合わせる。四つ、自分がないのに、相手を自分に合わせようとするの四つのタイプがあるけど、四番目は最低だけど、結構いる。
自分がないのいずれにせよ駄目だよね。
基本的に自分をもって相手に合わせる。トップは、一人で決断は一つ。だから、最後はトップに合わせる。
トップは全員に合わせることはできないが。皆は、トップに合わせることはできる。だから、トップに合わせる。
まず、自分の考え、やりたいことをはっきり言えるようにする。そのうえで相手に合わせるようにする。
予算を途中で中途半端に投げ出したら。嗚呼、やっぱり無理なんですよ。やる気もないし、誰かが指示しないとできないんですよ。
ほら、やっぱり彼らに任せても無駄。僕らがいなければできっこないと付け込まれるぜ。
かといって外注したり外部の機関に任せたら。会社を売るようなものだからな。それとも、銀行とか。メッカーに立ててもらおうか。いらないというなら、作る必要ないよ。予算は、それを活用する必要のある人が作ればいいんだからね。
予算は、いわば予行演習も兼ねる。自分たちが会社や支店を経営していくとき、それぞれの部門の人間がどのような考え方していて、どれくらい知っておくことは、部門長や支店長にとって必要だと俺は思うがね。仕事は必要だと思う者がやるんだよ。言われてやっているようじゃ。自分たちで管理できなくなるからね。
営業でも、管理でも実際に担当する者に作らせることいろいろ試したり、、いろんな角度で見たり。自分の考えよ浸透させたり。訓練させたり予測したり、予算を絡めてやる。予行演習や教育も兼ねているんだよ。
俺も年をとった。気力、体力も衰えた。限界も近づいている。
自分の時代は過ぎ去ろうとしている。自分の人生の幕引きは自分がする。それが、経営者の宿命。
やがて、おれは、皆から必要とされなく。
だからどうした。だから、戦う。心の底から。戦えと叫びだした。
もう何も迷うことはない。戦え。戦って戦って戦い抜けと。全身全霊、叫んでいる。
後ろを絶ったら前進あるのみ。
ゾクゾクするぜ。そしてこの時、百年に一度という危機が迫っている。上等じゃねか。
必死、俺は勉強してる。こんなチャンスまたとない。
己の力を出し切るチャンスだ。自分の限界に挑戦する好機がくる。嵐を前に俺の総毛だち、武者震いするぜ。戦闘体制にはいいている。切り抜けて見せる。これまで培った知恵と経験と今身に着けている新し技術を出し切って。
切り抜けて、俺は俺への明日を勝ち取ってみせる。
俺は、お前らに同情されるような生き方はしない。
俺は、血の一滴まで日本男児だ。
もっともっと猛々しくもっと猛々しく、己の過去断ち切れ。皆投げ捨ててしまえ。不死鳥のごとく蘇りたいなら。未練を捨てろ。
戦うのだ。これか、出陣するんだ。雄叫びあげろ。戦うぞ。勝つぞ。勝つぞ。
勘違いするなよ。部下に指示して会社の方針に従い、支店の方針をたて、部下に指示して、予算を作らせる。それができなければ支店も部門も動かせないからな。
予算つくりは、最初のチャレンジだ。方針を誰と考え決めるか。そして、素案を誰に作らせせるか、来期、何をするか、誰を、たんとい責任者とするか、誰を、担当者とするか、どういう手順で仕事とをさせるか、それは、そのまま、来期の体制つくりであり、仕事の準備、教育。できないからと言って自分が手を出したら、来期も自分一人で仕事するすることになる。
お前らは部下に使われたらまとめられなくなるぞ。勘違いするなできる奴は自分でやった方が楽なの。だけど楽する事を選んだら、部下に使われるぞ。部下は、面倒くさいし代わりくれたら楽だけど、それを、やったら、自分や、会社の考えを事前に浸透さる機会はなくなるし、なんでも、ごねれば、上司がやってくれると味をしめ。いうことを聞かなくなり。そのうち嫌な仕事は上司がやるのが当然だと思い込むようになる。部下が大変だ、かわいそうだなんて同情していたら、自分がかわいそうになるからな。
誰に任せるか、まとめさせるか、責任を持たせるか、自分がどこを直接担当するか。重点項目ごとに一つひとつ、来期の構想を持て現実化する過程なの、予算つくりは。だから、そこから、上と相談していかなければ。全部一人でやったら、来期、一人全部一人でやる事のなるの。予算つくりは独りよがりではない。最初のチームワーク。予算つくり部下が信じられなければ来期もずっと部下を信じられなくなるぞ。予算つくりで部下をまとめられなければ、部下をまとめられなくなるぞ。
昔は支店長は、支店長だったけど、おまえら、支店長とは名ばかりで雑用係になるぞ。
自分が部下より優れているとか、できるとか、頭がいいとか、解っているとか、そんなこと競ってどうするの。
年寄りの監督が、俺はお前よりいい球を投げる。四番バッターに、お前より打てるといっているようなものだぞ。
誰が、自分の考えを理解しているか、誰に聞けば、専務の考えが解るか、自分に代わって指揮がとれるか。誰と相談すれば自分の考えが整理できるか。誰に任せれば部門をまとめられるか。事務は、誰に任せればいいか、保安は誰に聞けばいいのか、部下指導は誰に任せたらいいか。工事は誰に責任を持たせるか。エリアサポーターは誰に管理させるかを、考え事前に配置するのがお前たちの仕事だからな。さもないと、雑用係になるぞ。
任せてもらいなら事前に納得させろ。きちんと上司の了解も取らずに任せてくれないというのは質が悪い。
リーダーは、別格だと部下に伝えるのは、残念ながらリーダーではないんだよ。そんなことしたら即座にリーダーの権威は失墜する。昔は子供でも知っていた。だから、小学校しか出ていない親父だって高校しか出ていない望月さんだって、石垣だってわきまえている。トップが面前で侮辱されたり、罵倒されれば、戦闘態勢に入る。だいたい、反逆が成功するのは側近や身内が裏切った時だ彼ね。それがいおかしくなったのは、俺たちの時代、つまり、学園紛争以後からだよ。皆、平等だと言い出したのわ。
だから、副を決めて、そいつに言わせる。副に、指名された者は、指導者と一般と切り離して、トップをガードする。
黒澤明の影武者の中で若武者が主人公の矢立になって死んでいくの見せて。たとえ影武者であろうと旗頭を守るために命を捨ててる。どんなことが動くな。それが指導者だと側近が叫んだ。
だから、補佐役も侍になれ。やっていいこととやって悪いことが見分けつけられなければ子供。
トップがほかの者と違うということを知らしめるのは補佐役の仕事。要するに王将とほかの駒は違う。王将をとられたら負けるの。だけど、俺は社長だと社長に言わせるのは、部下の恥。
正しいかどうかは別にして、副頭取とか、かつての上司を人々の面前で恥をかかせたり、土下座させたりなんてありえない。
武士の情けがあったからね。
あんなことを中国人やアメリカ人にしたら訴えらえるよ。名誉棄損で。犯罪を犯してもその人の尊厳を傷つけるのは許されない。どんな社会でもね。
今の日本人はやたらとトップを謝らせようとする。プライドがなくなったんだね。トップは自分たちを代表してるんだよ。
アメリカドラマで息子がぞんざいな口をきたら。姉が弟をひっぱたいてお父さんになんて口きくのとたしなめていたけど。これは、万国共通。
リーダーは、特別な存在というのは、不文律だよね。そんなことを明文化したら、中国や北朝鮮になってしまう。
監督は特別な存在だということは選手は理解しているよ。そのを越えるのはむしろ幹部だよね。トップより偉くなってしまう。動物だって超えってはならない一線があるくらい本能的にわきまえているよ。克己復礼。
お前たちの事を一番理解できるのは、年齢的にも、能力的にも次世代のリーダーだよ。間違っては駄目だよ。
年寄りではないよ。時代も変わった。年をとるとな力も衰えるし、気力も無くなる、記憶力も衰え、頭も固くなる。
大体、彼らの力の源は、過去にある。でも、これからは、それ通用しなくなる。皆の求めているのは未来だ。
話についていけない者は、焦燥感に襲われ、パニックになる。自分の居場所がなくなるのを恐れているんだ。自分が不必要な人間だと思われたくないんだ。次世代のリーダーとの間に壁を作り、自分がいなければ会社がまとまらないと思わせようとしている。次世代のリーダーを本業から遠ざけようとしている。
だから、駄目だというのだ。みんなが年寄りに求めているのは、まとめ役だ。皆に自信を持たせることだ。
その点、次世代のリーダーは、自分のできないことはできない。分からないことはわからないといえる。
次世代のリーダーは、皆の力を必要としているのだ。今こそ、次世代のリーダーの下に結束して会社を守る時だよ。
予算は自分たちで作る。会社の事を知り。会社をよくるするために作る。ゼロベースでいい。自分たちのやり方で作ればいい。自分たちのやりたいこと、知りたいことを数字にする。自分たちにわかりやすくする。過去に囚われては駄目だ。だから次世代のリーダーなのだ。過去のやりかたを踏襲してたら駄目だ。
警報機でいいんだ。異常値が解れば。メーターみたいに自分たちの指針になれば。
とにかく、壁を繕いとする者は、今どきの若い者は言わなければやらないと専務に思わせ、お前たちには専務は何も知らないくせに無理難題を押し付けようとしていると専務とお前たちに信じ込ませようとしている。彼らも必死だよ。騙されるな。
お前たちの理解者は年の離れた連中ではなく。専務だよ。壁を作るな。
誰だって最初からうまくいくわけがない。それに、この年になっても納得のいくものなどない。うまくやるのではなく。みんなでやることに意義がある。
おまえら喧嘩の仕方も忘れたか。
喧嘩を売られて真っ先に考えるのは、動員体制さ。
要するに、いざという時にどれくらい兵隊にが集められるか。
それが、その人間の真の実力わ表す。
一番最低なのは、自分だけ。一人で何もかもしようと考える奴は、それだけ、力がないということを意味する。だから、人は、普段から徒党を組みたがる。
敵に攻められた時、今回みたいな時、敵が、十人で向かってきたとき一人では多勢に無勢では戦う前に勝負はついている。
敵をいかに分散させこちらがどこに戦力を集中させるかが、兵法の極意だ。これは、古今の戦略書に共通している。
まず、自分が何ができるかでなく。どれくらい動員できるかを考えろ。その時誰に声をかけるかそれが要石だ。
自分の事ばかりしか考えられない奴はそれだけ小さいの。
まず、動員をかけ、次に状況を偵察させ。そのうえで作戦を立てる。人が見えない者は指揮官にはなれない。
いざと言う時に、どれくらいお前のためにと戦う者がいるか。人を動員できるか、それが実力だよ。
野球でもね、ベテランの方が起用した方が楽。いい意味でも、悪い意味でも安心できる。ベテランは、ある程度、結果が読めるからね。でも、それで新人が使えなければ、新人は育たないし。チームも成長しない。過去の遺物になる。結果が読めなくとも新人に試合を任せなければならないんだよ。
自分の目で見て。耳で聞き。自分の口で語り。自分の頭で考え。自分の足で立ち。自分の腕で掴み取る。
誰も助けてはくれないぞ。期待するだけ馬鹿を見る。
駄目な人間と自分が認めたら、皆納得してくれる。それで納得したら一生駄目な人間で終わる。何を甘ったれているんだ。皆が駄目な奴と言うなら、自分一人くらい認めてやれ。自信なんてあると言えばある。ないと思えばなくなる。それが自信だ。
教えてくれるなんて当てにするな。一番肝心な事は、掴み取るしかない。体得しなければならない。誰も教えるわけないし、教えられない。
泳ぎたければ、水の中に入って足掻くしかない。
諦めたら、それまで。七転び八起き。何度でも立ち上がって立ち向かえ。
夢中になってぶつかっている時は、恐怖など感じない。我に返った時、怖くなる。
ならば、ひたすら向かっていくしかないじゃないか。自分を卑下したところで、一文にもならない。傲慢になれ。謙虚になれる程、実績も上げてないし、歳もとってはいない。
もっと若々しく、猛々しく。
中途半端に傲慢だから虚勢でしかなくなる。突っ張るなら最後まで突っ張れ。それが人生さ。
もっと熱くなれよ。
隠居するにははやすぎるぜ。熱く語れよ。
もっと自分の人生に酔いしれろよ。
若くなれよ。
もっと猛々しく。獰猛になれよ。
新しいものを始めるという事は、古いものを叩き壊す事さ。
立ち向かってこい。叩き潰してやるから。食らいついてこい撥ね退けてやるから。
おまえたちのかつての上司はさ。ものすごく醒めていた。だから、定年間際だというのに、ブスブスと不完全燃焼。こっちは、一酸化炭素中毒になりそうで危ないよ。
人のやる気や意欲を覚まさせる事ばかりしてきやがった。先輩たちがいつもこぼしてた。燃えにくい奴らだと。その影響を一番受けているのはお前たち。
やる前から、どうせやったって無駄さ。俺なんか、お前なんかこんなものさ。何様だと思っているんだ。やる前によく考えろ。失敗すると解っているんのに挑戦するのは馬鹿だ。無理をするな。無理をしたって結果は、始めからわかっている。
ちょっと挫折したり、一回失敗したらもうだめだ。嗚呼ヤッパリ駄目だったって妙に納得し、自分に納得する。させられる。
ふざけんなっていうの。負けてたまるか。
認めないというのなら、認めさせてやるまでさ。
定年してから燃え上がったって仕方がないの。
やると決めたら、どこまでもやるさ。それが男の意気地じゃないか。
逆風よ吹け。逆境こそチャンスだ。苦しい時こそ見せどころじゃないか。
逆境こそ、自分が頼られ、腕の見せ所。
詠嘆調になるな。声にエコーかけてどうする。泣き節になんて糞くらえ。
前へ前へ前進あるのみだ。
昔の男はな。バンと押し込んだら反発してきたが、今の若い奴は、押し込んだらへこんでしまい、元に戻らなくなる。元に戻すのが大変で世話が焼ける。
押込められたドカンと爆発して押し返せ。
意地を見せろよ。同情される身になるな。闘え。
仕方がないといったら仕方がない人生、この程度といったら、この程度の人生、そこそこと言ったら、そこそこの人生しか送れない。もういいとおもったら、人生はそこまで。
やらなければならないことはやれ。子供ではないんだから。
できませんでは、すまないんだから。
自分一人では、周囲の人間に助かてもらえ。自分ができないなら、素直に認めてできる人間の力を借りろ。
解らないのなら解る人間に聞け。なにを突っ張っているんだ。頭を下げるのがそんなの嫌か。
意地はっても、我をはっても、会社つぶしたらお終いだぞ。
やるべきことをやらなっかたら、自分の怠慢で本当に会社つぶすぞ。
自分たちで会社を支えていかなければならないんだからな。冗談ではないんだぞ。真剣にまじめにやれ。ふざけてんじゃないぞ。
みんなの生活がかかているんだぞ。
本当に、人から学ぶことが下手である。下手と言うより忌避している。
その為に、仕事の基本が継承できなくなってしまっている。仕事の基本を次の世代を担う者に浸透していないために、社会が土台から崩れ始めている。組織も溶けてしまっている。
一気呵成にとか。迅速にとか、躊躇なくと言っているだけで一向に実行に移される気配がない。
真剣に学ぼうとしないと身につかない。いい加減に聞いていざとなると何をやっていいかわからない。いくら教えても右から左で聞き流す。
実地に一つひとつを学ぶ気ならないと教えられない。根気も忍耐もいる。だから、昔から学ぶという事は、修行の一種と捉えられ、仕事場で厳しく躾けられたのである。
今は、教えてくれるのが当たり前で、教えてくれない方が悪いみたいな甘い気持ちでいるから、身につかない。
ここで身につかなければ、一生後悔する事になる。仕事の基本は、全てに通じているからである。
仕事は一回聞いただけでわからない。毎日毎日飽かず弛まず同じことを繰り返す。反復する事で極める。鍛錬。鍛錬なのだ。
根本的な仕事のやり方を理解しないと自分で責任をもって仕事や組織を完遂できなくなる。
いつまでたっても自分の力で仕事を最後までやり通らない。仕事の組み立てができない。
例えば、一度決めた事は変えられなくなる。終いには何をやっているのかわからなくなる。
二十四時間テレビと言うのがある。あれも、本来の目的がどこにあるのかわからなくなりつつある。会社の新年会なども、最初に企画した人間は、その主旨目的がわかるが、代替わりし、何十年も同じことを繰り返しているとその本来の目的が見失われてしまう。最後はわけがわからなくなる。主旨目的を変える事もできず、式次第も変えられずに、毎年同じことをやっているだけで何も変わらなくなる。それでいて止める事もできなくなる。
新年会が悪いというのではなく。その主旨目的を自分たちで考え、自分達で組み立てられる様にならないと。誰も助けてくれないぞ。
生活がかかっているんだぞ。家族を路頭に迷わすな。
いつまでもパパ、ママではなく。
甘えを断ち切り、自分の足で立て。
いつかいつかと言ううちに歳をとるぞ。やれるうちにやれ。今やれることをやれ。
どんなことも簡単に習得できやしない。
売上予算と言っても要は、どうやって儲けるかという事なの。
的を絞って集中的に検討しないと何時までも決まらないぞ。
難しくするな。
本気になれ。本気でかかれば必ずやっていけるさ。
仕事の基本、段取りは、絶対と言う事はないんだけど、大体、三つの段階に分ける。基本計画、実施計画、実施。それを基準に考えると今回だと大体基本計画に一ヵ月、詳細計画に一ヵ月、準備・実施とする。
基本計画は、原則、二段階。まず、第一、作業の仕様(作業方針、大枠、工数、組織等)を設定する。ステップベースライン。全体の概要(ベースライン、全体方針、重点施策等)を作成する。
事務方の責任者は、指示を受けたら、速やかにTOPに対して作業概要を仕様(期間、予算、要因、組織の位置づけ・権限等)に基づいて作成し、説明する。
作業は、先ず、始点と終点を定め、その間にマイルストーンを置く。
早い話、打ち合わせの回数と会議の回数を先に決めて大体(段階)の道筋を作っておく。
今回でいうと、定例会として役員会と支店長会議が月一回のペースで設定されている。この会議に基点として大枠を作る。役員会を主として支店長会議を従とするのが一般的かな。
支店長会が始点で、役員会が抑えと設定するのが妥当かな。
まあ、構想として、支店長会が始点、支店長会で指示をして、役員会で確定する。
その意味では、七月の役員会で基本計画を示し、八月の役員会で原案を確定する。九月は、実施期間(前半は、手続き、後半は、方針確認会議の準備)となるため、最終確認しかできないので、実質的にはカウントしない。予算作成の基本的作業は、八月の役員会議までに終わらせておく。
この計算でいうと、八月の時点でベースラインが設定されたとしたら一ヵ月から二ヵ月の遅れが生じている事になる。
ただ、基本的に八月の役員会は、予算編成のボーダーライン(予算作成の成否の限界線)。この一線を超えると予定した作業では、仕事が完成できなくなる。仕事の最終工程、枠組みの変更が必至となる。八月の役員会を限界線を越えたため、仕事の大枠の変更に着手する。
作業の二か月遅れは、作業の根幹の関わる。
この場合は、作業を組み替えて期日に間に合わせるか、期日を変更するかになる。
今回のケースは、作業の状態から見て期日の変更と作業の組み換えの両面から改善する必要があると思われる。
一つの案は、九月二十九日に予定されている方針確認会議を全社方針と重点施策にとどめ、十月の役員会議て詳細を示す形とする。
問題は、下期の営業政策であるが、これは、営業部主導で専務直截で行う。
ベースラインが確定していなければ、ガイドラインは作成できない。本来なら、ベースラインまで戻って作業をの組み換えをしなければならない。問題は、時間である。もう一つは実質的な問題。
ベースラインのところまで戻って作業を組み替えるか、使える部分をそのままにして修正を行うか。この辺の判断をするプロジェクトが立案して専務の判断を仰ぐ。
余談ではあるが、ベースラインの働きを示しておく。
最終目標金額(ベースライン)を何にするかを設定する。基本は、売上高、粗利益、営業利益、経常利益、純利益の中の一つを定めて、ザックリと決める。ただし、これは仮決め。ベースラインが決まったら、粗利益を想定する。これは、売上と仕入れの概算に基づく。
その上で、営業予算、経費予算、投資予算の担当を決める。全体の箍(たが)は、財務とTOPが相談のうえ決める。
前半で、予算作成の為の体制を作る。その時点で、次期の人事、組織が確定していない場合は、大幅な組織の組み替えが想定されなければ、とりあえず、その時点の体制によって予算をできる範囲内で作成させる。その上で、新しい人事が確定した時に信認の責任者と協議の上、予算の組み換えをする。
大幅な組織編成が想定される場合は、確定的な部分を先行的に進める。更に作業工程を予め設定して、最終成果物や、中間成果物の設計を先行させる。まず予算作成の作業フローを作りこんでおく。
仕事は、TOPの指示に基づいて行うものである。常に、TOPの承認なしに作業を進める事はできない。
半沢直樹も組織の承認なしに勝手に動いているわけではない。任せられたからと言って報告や事前説明をしなくていいというのは、傲慢なだけであるし、常識から逸脱している。よく、重要施策を社長に報告せずに正式の会議で通告しようとする者がいるが、これは、簒奪、叛逆としてどの組織でも扱われる。気を付けるように。事後承認は、どの組織においてもやむおえない場合を除いて許されない。
会計の語源が説明責任だという事を忘れないように。
どの国も軍を任せられたからと言って大統領や君主の承認なしには、軍は動かせない。
現在、コロナ禍にあり、事業の在り方の根幹を見直す必要がある。
また、管理、人事、営業も大きな変換点にあることが予想される。故に、担当者の意見を率直に吸い上げ、迅速な対応が要求されている。
基本的に組織は、情報系だから、組織を効率を上げるためには、情報の伝達経路を短くする事が求められる。マネージャーとTOPとを直結する事でこの問題を解決したい。
真剣に仕事をやらないと身につかないぞ。
会議や打ち合わせ、指示を受ける時にへらへらしていたら昔ならぶん殴られるか物を投げつけられた。
友達の吉川は、甲子園クラスの投手だったが練習中、へらへらしている奴がいたらボールをぶつけたと言っていたよ。なぜなら、練習をダラダラしているのは危険だからと。
親父たちからも緊張感がきれたらどやされた。やる気があるのかって。短期間で仕事の基本を身につけようとしたら真剣にやれと。
一度に丁寧に教えてやるが、二度からは容赦しないぞ。三度以上は、許さんと。それで失敗したら自分で責任をとれと。
お前ら真剣にやってこなかったから一人前に予算も立てられないんだ。
何年、やってきたと思う。ガキじゃあるまいし、いつまでも、人を当てにするな。自分達で予算も立てられないようじゃあ会社はすぐに頓挫するぞ。
誰かがやってくれる。助けてくれるなんてあまっちょろい気持ちでいるからいい年をして肝心な事が何も自分達でできないんだ。他人のせいにするな。会社がつぶれたら、全社員と家族が路頭に迷う事になるだからな。その事を自覚したら、つまらない面子とか意地なんか捨てて頭を下げて真剣に教われ。
後がないんだからな。後が。自分たちが責任をもって始末つけなければならなくなるんだからな。
それとも、誰かの奴隷になるか。
恥も外聞かなぐり捨て、なりふり構わず取り組まないと責任はとれなくなるぞ。
運転だって自分が運転しなければ、覚えないんだからな。いつまでも助手席に座って居眠りこいてんじゃあないの。自分でハンドル握って車を動かさない事には、免許はとれない。免許をとったら、助手席には教官はいない。全て自己責任。教習中も自分で実際に動かす。その時、教官ができるのはブレーキを踏むだけ。わかるか。真剣にやれ。
本気にするためには、本気で怒らせるのが手っ取り早いんだけど。本気で怒らせると怖い。本気でこっちに向かってくる事があるから。でも、それでも、本気で生きる事を教えなければ。本気で生きなけれけば。
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