ゆとり世代の常識のなさを誇張している番組がある。この様な番組は為にしているようであざとく感じる。
確かに、どの世代にも常識のないは者いる。しかし、一部の常識のない者を取り上げて、その世代全てが常識がない決めつけるだのは、やり過ぎ。どの世代にも常識のない者はいるのだから。アホキャラと言うのは、今に始まった事ではない。
若者が未熟だからと言って安心しようとするのは、大人の悪い所である。
しっかりと若者たちと向き合わないと若者たちは、大人に対して心を閉ざしてしまう。
ゆとり世代は、無気力で、根気がなく、責任感が希薄だと言われる。また、コミュニケーションがとれないとか、礼儀知らずとか、しかし、それは大人たちの一方的な決めつけである様に思える。この様な誤解が生じる背景としては、ゆとり世代以上の世代とゆとり世代との間で考え方の在り方が大きく変化したことが考えられる。
その一つがゲーム感覚の存在がある。ゲームに関しては、芳しい評価はなく。どちらかと言うと負の評価が多い。しかし、事の是非は、別にしてもゲームが若者たちの間に浸透しているのは確かだし、それと並行して情報通信技術が飛躍的に進歩したのも確かである。
現代の若者たちは、ゲームや漫画、アニメーション、動画などで哲学や思想、倫理的なものを学び、また、SNS等によって情報を交換する。これは、文章などによって学んだり、情報を交換するよりよほど深く広範囲な思考、情報交換を可能にする。
しかし、年寄りは、これについていけない。だから、侮蔑し、軽視し、否定する。しかし、ゲームや漫画、ビデオ、アニメーション、ユーチューブ、インスタ、動画などを軽視していたら未来の思想、哲学を理解する事きできない。
ゲームや漫画、ビデオ、動画などで重要なのは、設定や空間、シチュエーション、状況、前提条件、ストーリー、象徴などである。それを若者は、瞬時で認識し、理解する。
この能力に年寄りはついていけていない。だから、ゲームとか漫画、ビデオ、動画などを軽く扱おうとするのである。
それを活字離れと言って馬鹿にする。
例えば、仕事の段取りは、ゲーム感覚で作ればわかりやすい。
スタートとゴールを定め。
スタートとゴールの間にいくつかのステージを設ける。
そして、個々のステージを如何に攻略し、ゴールに到達するか。
そのストーリーを作る事で、全体の仕事のイメージを作る。
まず、仕事の基本で一番大切なのは、仕事の始動部分。ここは、ゲームでいえば、初期設定にあたるから、ここをクリアないとゲームは始まらない。初期設定の画面にしてもいいくらい体制な部分。ただ、ここもしらけ世代は、いい加減、適当、だらしなくしてきたから、曖昧にしか教えていないと思う。教えられないの…。
基本は、最初はできなくて当たり前、わからなくて当たり前なのだが、一定の期間がたつとできて当たり前、わかって当たり前な事に変質するから、歳をとると聞きづらくなる。
だから、基本ができないのは、若い時の特権なんだからどしどし聞いてこいというのが、先輩たちの基本的姿勢。今でも、基本がわかっていないと解ると途端に丁寧に教えてくれるベテランはいる。それは過去の名残だと思う。
逆に意味もなく急に怒り出す先輩はわかっていないと思えとも教えられた。それ以上深追いすると傷つくのはお前だからなと。
一口にコンピューターゲームといっても、多くのジャンルがある。
そして、いろいろな局面や用途にコンピューターゲームの構造は、活用する事が出来る。
コンピューターゲームのジャンルには、次の十二種類ある。
第一に、アクションゲーム。
第二に、ロールプレイングゲーム。
第三に、パズルゲームゲーム。
第四に、シミュレーションゲーム。
第五に、アドベンチャーゲーム。
第六に、シューティングゲーム。
第七に、スポーツゲーム。
第八に、レースゲーム。
第九に、音楽ゲーム。
第十に、トレーディングカードゲーム。
第十一に、ボードゲーム(卓上ゲーム)。
第十二に、複合ジャンル。
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