僕は、今の日本の一番の問題は、組織の老朽化にあると思います。現在の組織体制は、若者から搾取する構造になっています。
この体制を維持するためには、若者を隷属化する、つまり、奴隷化する必要がります。若者たちを洗脳し、馬鹿で間抜けで、自分ただけでは何もできない。年寄りに依存、寄生させる。そして、若者に、無力感をもたせ、結束できないようにする。
年功給や年功序列、年金、社会保障制度などその典型です。
若年層は、経験不足、未熟だから管理職は任せられないといった先入観、偏見を刷り込み組織中枢を高齢者が独占している。
冗談ではない。高齢者こそ、若者に依存し、寄生しているのです。それに気が付かれたら大変なことになる。
とにかく、若者たちは将来、自分たちに襲い掛かる災難に備えておく必要があります。そのためにわが社の組織体制を作り替える事です。少子高齢化対策を年寄りに任せていたら、若者を搾取する構造が強化されるだけです。
僕は、組織の中枢を二十代、三十代の若者で固めてもいいと思っています。
今までは、組織に合わせてシステムを構築してきました。これからはシステムに合わせて組織を構築する時代です。それができるのは頭が柔軟な若者達です。スピードも大切です。やればできます。
若者たちは結束すべき時です。この国の未来のためにも。そうしないとわが国も、わが社も立ち枯れてしまいます。騙されてはいけません。
自分が大学に入った時、担当教授がガイダンスの時、我々は、万骨枯れる会を作っているんだ。物理学と言う学問は、三十までが勝負だ。それまでに認められなければ後がない。我々は、枯れて後進の為の腐植土となればいいと思っているとおしゃられた。それだけ志が違ったのです。
歳をとったら、徳を磨けとも教えられてきました。
この国が衰退し続けているのは、若者を抑圧し、虐げている者がいるからだ。
社会がこれだけ変化している、今、年寄りには、問題を解決する力はありません。
知力も、体力も、気力も、若者にはついていけない。それを誤魔化すために、ああだこうだと言って若者を潰そうとする。愚かです。潰そうとすればするほど醜態をさらしている。
今は、君たちにとって一番大切な時だ。今、重視するのは、スビートです。完成度ではありません。自分の力を認めてくれる人がいたらなりふり構わず食らいつくのです。
成果は、焦らずとも現れます。実績も、実力もあるのですから。結果を焦らない事です。実力を出せば結果は後からついてきます。
次の時代を担う若者にすべてを投げうち最後は自分一人無一物になる。それが、私の志すところだ。
でなければ、しらけ世代の一人として、申し訳ができない。
少しでもこの国の役に立てたら本望だ。
若者の役に立たせてほしい。支援をさせてほしい。後は何もいらない。
先の見えている者は、碌なこと考えないし、しません。なぜなら、彼等は本質的になにも変えたくないし、楽したい。基本的に事なかれ主義、日和見主義です。要は何もしたくないし、先送りをしたい。物わかりのいい振りをしますがね。
先のある人は、それでは困るから新しい事をやろうとしたり、変革していこうとする。必然的に邪魔にされる。嫌がられせを受け、いじめられる。やる気をなくさせるのーが、彼等にとって一番です。
だから、実権を定年間際の人間や先の見えている人間に与えてはいけないのです。
彼等は、自分を超える人間が現れる事を極端に嫌がる。序列を死守しようとしますから質が悪い。まだまだ実績がないうちはいいですが、実績を上げだすとなんだかんだ言って潰そうとします。兎に角、早く先のある者に実権を移していきたいと思います。
こんなに激しい変化の時代に危機感のない者がいたらそれが危機だ。危機感を専務と共有できない幹部はいらない。かえって毒だ。少なくとも同志ではない。
専務は、頭のいい人だ。自分の限界も思い知らされたといていた。これは、大切なことだ。相手の言っていることを理解したうえで、自分の限界を知っている。ならば、自分の運命を託すことができる。
これほど、長制度の弊害があからさまな時代はない。長制度は、役割と地位と報酬がゴチャゴチャ、長と名がつけば偉いと思ている。歳をとっただけで長になれると錯覚させる。
マネージメントの専門教育を受けた者は、その日から支店長を任せることもできる。年齢なんて関係ない。経験は管理の現場で積ませる。それを、球拾いの様な事平気でさせる。それでは、人は育たない。職種によって違う。
一人ひとりの力を見極め適正に配置することだ。
何年やってもダメなものは駄目。それを言い訳にし問題を先送りにしている限り解決できない。決断は下った。後戻りはしない。
何年間も先送りしてたらできることもできなくなる。若い時だからこそできることがある。
意味もなく、十年も二十年も遠回りさせるわけにはいかない。そんな事させたら俺の責任になる。
可能な限り早く変える必要がある。俺は、やるといった事はやる。
俺がいなければという者がいたらそれこそ欺瞞だ。それは、その者がいなくなったらお終い。そのような事許されない。
嘘、嘘、嘘、嘘が多すぎる。今の世の中、嘘で凝り固まっている。
気力だって、体力だって、知力だって若者にはかなわない。かなうことがあるとしたらずる賢さかな。
若者にかなわない事を受け入れればやりようがある。いつまでも自分の衰えを受け入れなければ、自分の居場所も無くなる。
身を捨てる。そこにしか活路はない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。
若い者だけで話し合ったらいいよ。
やればできるよ。やらせないから悪い。
勇気をもって第一歩を踏み出しなさい。
何を怖れているかですって。
私は、会社が、赤字になったり、危機的な状態になるのを怖れているわけではありません。手をこまねいていればいづれは採算が合わなくなるでしょうし、危機とは隣り合わせです。赤字が怖いのではない、危機が怖いのではない、赤字になった時、危機的状況になった時、専務の下、結束して立ち向かう者、専務が頼りにできるもがいなくなることを怖れるのです。敵前逃亡する輩とは手は組めない。真の仲間が必要なのです。
安閑と既得権に居座るものを仲間とは認めない。日が浅くても共に戦う人間は仲間です。
たとえ、会社を潰しても人さえいれば立ち直ることはできます。誰一人、残らなければ会社の再生はできません。自分の事ばかり考え、会社の基礎を食いつぶすものばかりになったら、会社は持ちません。彼らのために自分を犠牲にする気にもなれません。そんな人生生きるに値しません。
守ろうとする者のいない会社、国は守り切れるものではありません。
現代の危機の本質はそこにあります。
若者がこの国の未来に希望が持てなくなり、絶望し、見捨てた時、この国は、本当に滅びるのです。
かつて、学園紛争を戦った連中は、結局、自分のための改革にすぎなかった。彼らはぶち壊すだけぶち壊しただけで、後輩たち何も創造的なもはのこさなかった。許されない。許すべきではない。わが社を若者たちのシェルターに作り替えなさい。若者たちの希望の星にしなさい。
行動を起こすときです。そうしないと、未来が開けなくなります。
あんまり、暗示にかけられてはいませんよ。
深堀しないとか、ゲームができないと仲間はずれされるとか、本を読まないとか。深く考えないとか、根性がないとか。人づきあいができないとか。
自己暗示にもなりますからね。
確かに、活字離れが進んでいると言われますが、読書量は、確かそれほど減っていないんじゃないですか。それに、媒体の選択肢が増えていますから。どちらかと言うと若い世代は、映像でとらえる傾向があるんじゃあないですか。映像の方が情報量は格段に多いですからね。
深く考えないというより、思考のパターンが変わってきたんじゃあないですか。それより情報分析能力、手段も含めてですけど格段に上昇しているではないですか。パイソンやRなんて簡単に使いこなされたら旧世代は、追いつけなくなりますよ。それが怖いんじゃあないですかね。
三十代前後で断層が出来つつある気がしますね。とにかく、意欲のある若い子たちは、走り出しているんじゃあないですか。
それに、旧世代はついていっていないだけですよ。だから、ゆとり世代を目の仇にしている。もっと自信を持てばいいですよ。
深堀だって、物事を深く考える事だって、根性だってありますよ。ただ、若い時にそれを磨かないと衰えていきますけどね。今が一番大切な時ですから焦らなくていいけど、もっとがむしゃらになっていいんですよ。他人がどうあろうといいじゃないですか。どの時代だって先駆者は孤独なものですよ。
現代の若者たちは、ゲームや漫画、動画などで哲学や思想、倫理的なものを学び、また、SNS等によって情報を交換する。これは、文章などによって学んだり、情報を交換するよりよほど深く広範囲な思考、情報交換を可能にする。
しかし、年寄りは、これについていけない。だから、侮蔑し、軽視し、否定する。しかし、ゲームや漫画、ビデオ、動画などを軽視していたら未来の思想、哲学を理解する事きできない。
ゲームや漫画、ビデオ、動画などで重要なのは、設定や空間、シチュエーション、状況、前提条件、ストーリー、象徴などである。それを若者は、瞬時で認識し、理解する。この能力に年寄りはついていけていない。
だから、ゲームとか漫画、ビデオ、動画などを軽く扱おうとするのである。
それを活字離れと言って馬鹿にする。
確かに、どの世代にも阿保はいる。しかし、一部の阿保を取り上げて、その世代全てが阿保だとするのは、やり過ぎでしょう。どの世代にも阿保いるのですから。
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