経済の現状

組織とは


一般に、組織に対する偏見や先入観があってそれが、組織嫌いを生み出しているように思える。
無政府主義的に何でもかんでも組織的な事を全否定するか、逆に、権力主義、権威主義、集権主義的な過去の組織の枠に無理やりはめ込もうとする。
いずれにしても多くの人が組織に幻滅し、なるべく組織的な事を遠ざけようとする傾向を生み出す。
それが正常なチームワークが成立することを阻んでいる。
現在の組織論もどちらかといえば、技術、運用に偏り、組織その物の本質は蔑ろにされている様に思える。あるべき姿に対する考察はされずに、ただ、人を組織的に動かすための運用術ばかりに焦点が当てられているものが多い。

強制は悪い事の様に現代の学校では教える。しかし、強制力が働かない組織はない。強制が悪いのではなく。強制をする目的が問題となるのである。一律に強制が悪いとするから、一概に、組織は悪いという事にされるのである。

組織とは、第一に、一つの目的によって体系づけられた集団である。第二に、組織には、常時、同時並行作業がある。第三に、組織は、複数の働き(機能)によって構成されている。働きに応じて権限と責任が生じる。第四に、組織は情報系である。第五に、組織は一つの運命を共有する。運命共同体だという事。義務と権利が派生する。統一的な行動が求められる。第六に、組織には、全体と部分がある。第七に、組織は、集合知、形式知によって動いている。機能している。

これらの組織の特徴から、第一に、組織は、合目的的なシステムだという事。第二に、組織は、位置と運動、関係によって成り立っている。第三に、統制、制御の仕組みを持たなければならない。第四に、一つの規範、ルールを共有する必要がある。第五に、情報の伝達速度や範囲によって時間差や認識差が生じる。第六に、部分に応じた判断や行動が求められる。つまり、担当する部分によって違った判断や行動が同時に求められる。

これらの要件を複合的、統合的に求められるのが組織である。
組織は、一つの目的によって統制される必要がある。目的を達成したら成果物を構成員に評価・配分する機構がなかればならない。状況、環境の変化を組織にフィードバックする機能が組み込まれてなければならない。情報や環境に合わせて組織の形を組み替える機構がなければならない。組織は、一つの規範を共有していなければならない。組織は、契約によって関係づけられている。この様に組織は、複数の局面が一体化された体系である事を忘れてはならない。

組織は、合目的的なシステムだから、目的によって在り方も変化する。国家のような仕組みと企業の仕組み、軍事組織の仕組みは、自ずと違う。特に、意思決定の仕組みは違う。組織の在り方の是非を検討する際は、目的を明確にする必要がある。

組織で重要なのは、等質の判断や行動をいかにして同時に実現させるかである。
等質と言っても個々の局面、部分によって違った事である事は言うまでもない。例えば、野球の選手は、守備位置によって判断や行動の方向が違うようにである。等質というのは、判断の妥当性、適正を言うのである。個々の判断は違っても全体としては一つの目的を共有しなければならない。その為には、均質の情報や規範を共有する必要がある。それを等質というのである。
その為に、一定の思考パターンを事前に埋め込んでおく必要がある。
そこに今日のシステムの意義がある。
ペーパーレス化をする意味は、単純にコストダウンや作業の効率化だけにあるわけではない。システム化の効用は、思考や情報の形の共有化、、平準化、統一化にもある。

情報の伝達の核は、指示・命令であるが、指示・命令は、信号であって必ずしも言葉によるものとは限らない。音や光と言った信号によるものもある。言葉も一つの文章としてではなく、文節として使用される。つまり、命令で重要なのは、単語(号令)である。指示・命令に求められるのは機能(はたらき)であって概念ではない。
指示・命令は、均質で同じ指示・命令を迅速に一定の範囲に伝達する必要がある。伝達される範囲は、閉ざされている場合もあれば、開いている場合もある。状況に応じ、採られる手段も変更する必要がある。手段は一律一様ではない。

組織が共有するのは、形式知である。つまり、言葉による直線的な論理では、複合的な集団知は共有できないからである。故に、情報は形式によって伝達される。

個別の情報以外に組織は、全体して時空間を共有する必要がある。
組織は、組織を構成する一人ひとりが関係づけられることで成立する。関係づけがされていない人の集まりは、集団であって組織ではない。集団は群集心理、感情で動く。故に、直接的に統制をとることは難しい。間接的な手段によって制御するしかない。

組織は、合目的的な体系であり、全体と部分はそれぞれの判断で行動する事が求められる。故に、組織は、統制、制御の仕組みが組み込まれていなければならない。
また、組織の構成員は、明確に関係づけられる必要がある。組織との関係は契約によって成立する。
関係が失われた時、即ち、契約が効力を失った時、その人は、組織から除かれる。
情報は、常にフィードバックされ、全体に還元しておく必要がある。

組織の自由度は、個々の部分が与えられた判断、権限の範囲によって定まる。権限は、責任を伴う。権限と責任は一体、一対の概念である。
大きく権限が与えられると組織は、環境への適合力や機動力は高まる半面、統制的、集中的活動は制約される。逆に、与えられる権限が狭められると組織の集中力、統制力は高められる。
故に、権限の委譲は、目的や状況に応じて柔軟に切り替えられるようなチャンネルを持つ必要がある。この様な仕組みを持たない組織は硬直的、保守的になり、時代や環境の変化に対する適合力を失う。

組織では、作業や判断は、極力定型化しておく必要がある。個々の作業や判断を定型化する事によって単位化しておく事は、組織の統制と効率を測る上で不可欠な要素である。逆に不定形な部分に人の能力を集中させることが組織効率を向上させる決め手となる。

組織では過程が重視される。組織は、主旨、目的、情報の共有や統一が求められる。
この様な概念は、言葉や論理によって伝達するのには限界がある。ゆえに、主旨や目的を共有するとは、作業や行為、訓練、研究、調査、生活と言った体験を共有する事によって醸成する事を意味する。
また、個々の判断は、それぞれの部門、担当によって違う。つまり、違った働きの部分が全体として統一された行動をする事が求められる。故に、統一的な行動規範、ルールを前提とする必要がある。統一的、行動規範やルールは、事前に訓練や教育によって浸透させておく必要がある。
この全体の行動規範と個としての倫理観は、常に緊張状態に置かれている事を自覚しておく必要がある。法と倫理、これは、人類にとって永遠のテーマである。
この様な組織の特性によって組織で情報や概念を共有する手段は、過程に求められる。一つの長文の論理を集団で共有する事は難しい。一目瞭然に伝わるのなら画像や動画は効率がいい。人は、論理的に理解するわけではなく、直感的に認識する。
故に、情報伝達の手段は、言語だけでなく。物や「お金」の交換と言った行為そのものが含まれる。物の贈答や勲章の授与などによる動議づけは組織的に情報伝達には不可欠である。また、「お金」は、報酬、評価という形で動機に決定的な情報として働く。
目的や成果を共有するとは、行為や作業を共有する事で、過程を共有する事に他ならない。だから、組織においては、過程が重要な意味を持つ。
故に、個々の情報の伝たちは主として指示・命令・報告によってなされるが、全体の意思統一や目的の共有は、儀式などのイベントや教育、訓練などによって行われる。

共通認識は、共通認識そのものに働きがあるわけではなく。共通認識が形成される過程に働きがある。共通認識その者は、万人が理解できるような、短くて、常識的、一般的、単純明快で簡素なものがいい。解釈が分かれる名文はかえって障害になる。抽象的な言葉、専門用語は極力避ける必要がある。

組織は、等質の情報の伝達される範囲によって限界が生じる。伝達速度によってタイムラグが生じ、伝達範囲の不均衡によって偏りが生じる。また、口頭での伝達は、指示。命令の均質性が保たれず、また、記録が曖昧になるため、正式な伝達は、極力文章をもってする。情報でも問題となるのは、追跡性と再現性である。なぜならは、検証性と整合性、統一性が担保できなくなるからである。

タイムや偏りを是正する為に、組織は、一定の過程を単位として区切り、段階的に制御、調整する必要がある。段階は、思考、意思決定のアルゴリズムにそって設定される必要がある。故に、組織は、論理的に運営される必要がある。

故に、意思統一は、儀式、イベント(会議や祭典)、映像、象徴(シンボル、色、音楽、空間等)等によって行われる。
つまり、共通認識とは、同じ空間、時間、体験を共有する事によって形成される。

情報は、情報の伝達速度と範囲、等質性によって制約を受ける。

組織は、生き物であり、怒り、悲しみ、喜びと言った感情がある。憎しみや恨みと言った負の感情もある。
組織を動かしているのは、感情である。特に、負の感情の方が組織の活力になる。負の感情とは、悔しいとか、腹が立つとか、憎たらしいとか、馬鹿にするなと言った感情である。故に、組織の効率を高めるためには、いかに負の感情を生産性に結び付けるかにある。その為には、いかに負の感情を制御するかが大切になる。
喜びは一瞬で終わるが、遺恨、恨み、辛み、憎悪、怒りは深く長く残る。余り、根深いものにすると禍根となり、自滅に導く。この点を忘れて負の感情を使い過ぎると結局は、抜き差しならぬ事になってしまう。

組織統制の始原は、組織内部にある。組織内部に意思決定の根拠、権力がないと、組織は、主体的行動がとれなくなり、制御不能に陥る。また、組織の独立性が侵される。

全ての権限は、一点、即ち、TOPから発し、全ての責任は、一点、即ち、TOPに帰す。全ての権下が一点より発しないと、組織の整合性、一体性、統一性は保てなくなり、組織は、分裂する。
全ての辞表のあて先がTOP名である事を忘れないように。
つまり、全ての辞表は、TOPに向かって出される。
社員が辞めるのは、TOPが信用できなくなったからだ。そうしなければ、現場の責任を任されている者は、任務を果たせなくなる。
現場責任者は、自分の信念に基づく行動が求められる。現場責任者を臆病にしたら、現場の規律は保てなくなる。
故に、生殺与奪の権限は、TOPに帰す。もし、現場責任者に間違えがあれば、現場責任者を変える。
現場責任者に問題、責任があるとすれば速やかに、罰するか、異動する。その結果に対する責任は、全て、TOPが追う。TOPたる者、その覚悟がなければ務まらない。TOPは、人事をもって自らの責任を果たす。

故に、賞罰は、速やかに出せ。信賞必罰を明確にせよ。特に罰する時は速やかにしろ。生殺しにはするな。その為に、他の社員に迷惑がかかる事があったら、迷惑をかけろ。それが、当人の為でもあり、他の社員を守るためでもある。
相手を思っての恩情は、実際は自分に対するものだ。本当に部下を思うなら、速やかに、罰して、けじめを付けろ。

権限は、TOPから発する。しかし、全ての仕事の責任をTOP一人が担う事はできない。故に、TOPは、必要に応じて権限を委譲する。権限の委譲には責任が伴う。権限を委譲しても権限の移譲に伴う責任からTOPは、免れない。最終責任は、TOPに帰す。

組織の行動規範は、TOPの行動規範によって統一される。

会社においては、非情緊急、例外、異常な処置の権限は、TOPに帰す。全責任もTOPは負う。故に、TOPは、超越的存在でなければならない。社長は、会社の代表なのである。

これは、経済的組織だから許されるのであり、政治的組織とは別である。政治的組織は、政治権力と一体だからである。

経済的組織において組織内部には、TOPを罰する者も許す者もいなくなる。ゆえに、TOPを罰するのは、外的な社会的規範、法や制度に依らなければならない。TOPは、社会に対して厳しい責任が課せられること覚悟しなければならない。また、TOPは、重く倫理、自制を求められる。
会社が破綻したり、不正を犯した時、TOPも同罪としてみなされ、社会的にも、経済的にも罰せられるものと覚悟していなければならない。

会社を統率する者は、即ち、TOPは、会社の最大のリスクはTOPである事を須らく自覚する必要がある。

よく会社が倒産したら、竈の灰まで持っていかれる事を覚悟しておけと躾けられてきた。

我々は、社員は、社員である限りは、全力で守れ。社員の四倍の人間の生命、財産、生活に責任を持っている事を自覚しろと躾けられてきた。そして、どんな危難の時にも最後まで逃げ出すなと…。


災害時、非常時には、命令系統、情報網が、人的、物理的に寸断されている事が危惧される。まず、指示・命令系統、情報網の起動、復旧を心掛ける。

非常時、緊急時で一番、気を付けなければならないのは、指示・命令が錯綜する事。現場に対して違う方向から複数の指示が出るとただでさえ混乱している現場を、さらに、混乱させることになる。
速やかに、命令系統の一元化を計ると同時に、情報を一点に集中させる。

命令系統を一元する為には、先ず中心を守るために行動を起こす。その次に、中心軸を確保し、機能を発揮させる。

動物だって、昆虫だって命がけでTOPを守ろうとする。日本人以外の国は、皆、TOPを守ろうとする。日本人が中心を守ろうとしないのは、家畜化された証拠だ。自分たちの力で自分たちの主権、独立を守ろうとしない事の現れである。

センターを担う者は、先ず、TOPの安全を確認し、指示を仰ぐことで中心軸を確保する。
ただ、非常時。災害時には、TOPやセンターが不在、あるいは、損傷を受けて機能しなくなる事がある。
先ず、指示・命令系統が正常に機能しているか。情報網に損傷がないかを検証する必要がある。それは、実際に組織を動かす事で検証するしかない。

TOPは、最初に、連絡してきた者を暫定的のセンターとして中心を常に、確保する。
センターは、常に、自分の所在を明確にする。
最初に本来のセンターの役割をする者がTOPに連絡できればいいが、それができない場合は、最初に連絡した者を暫定的なセンターとする事で、TOPは、中軸を確保する。
次に、センターは、自分のところに情報が集中するように、部門長に指示する。実際に指示する事によって全体の指示・命令系統の一元化を復旧していく。
各部門は、センターに現状報告する事で情報を集中させ、センターが機能できるようにする。センターに連絡がつかない場合は、TOPに直接連絡して、センターの所在を確認する。
センターは、安否確認をする事で連絡網を起動し、情報網を機能させる。
また、各部門長は、速やかにセンターへ現状報告をする事で、指揮・命令系統を起動させ、指揮、命令系統に異常がないかを確認する。
センターは、報告のない部門に安全確認をして指揮、命令系統が損傷していないかを確認する。
部門長は、現状を確認したうえで速やかにセンターに連絡し、指示を仰ぐ。
指示・命令系統が確保されたら、次の段階で現場責任者に裁量権を与え。個々の現場で判断決断が出来るようにする。
センターに連絡の取れない場合は、その時点で現場の一番高位なものが指揮をとる。

非常時・緊急時に言い訳や弁解は不用。事実関係のみに情報を限定し、TOPの判断を迷わせる情報穂排除する。

TOPを不安に陥らせてはならない。TOPは、最後の切り札であり、中心であるから、先ず一番に安全の確保をしなければならない。
同時多発テロの際、大統領と、副大統領は、別行動をとる事で安全を確保したと聞く。指指揮・命令系統が機能しなくなる事を最も危惧しなければならない。

指揮官は、会社や社員の生命、財産に対して責任を持っているから強制する。
逃げろと言っているのに、逃げようとしない者がいたら責任を持てない。だから、指示・命令に強制権があって当然なのである。ただ、それを乱用する事が問題なのである。


最初に決めるべき事を決めておかないと何も決まらなくなるぞ。
詰めは厳しく。


人は、内面の行動規範に基づいて仕事を段取り組み立てをする。
しかし、表面は、相手に併せようとする。表面を相手に併せようとすると、表面に現れた行為によって内面の組み立てが隠されてしまう事がある。その場合でも、仕事は、内面の行動規範が決めた段取りによって行おうとする。
それが表面に現れた事と乖離すると仕事や人間関係に支障をきたす。即ち、言っている事とやっている事が違うという状態に落ち込むのである。
しかも、当人は無自覚である場合が多い。当人は相手の言っている通りに行動しているつもりでも、相手から見ると、言っている事とやっている事が違うために、嘘をついているように見なされるからである。これが相手とも自分の内面とも厳しい緊張状態を生む。
それは、自分の内面の段取りと表に現わしている段取りが違う事に起因する。
強引に相手を枠組みの中に閉じ込めようとすると人格乖離や疎外感の原因となる。
その人の個性を抑え込み、自分を殺す事を教え込む事はかなり危険な行為である。
一旦、内面の段取りを表に現わして、そこから、修正、調整しないと深刻な問題を引き起こし、最悪の場合、精神の異常、自己喪失、人格の崩壊等を招きかねない。

その人が言っている事より、やっている事を見た方が真実に近い。
内面と表層の葛藤は顔に現れる。だから、表情の変化をよく見る。表情に現れないのは、かえって危険な状態にある場合が多い。表情に現れない事が問題であり、人格の乖離がかなり進んでいる危険性がある。

何が怖いかというと、判断力がなくなり、何も決められなくなる事である。
極端な行動や自滅的、投げやり、リスク(不確実性)の高い結論に走りやすい。

自分の置かれている状況を正しく理解し。自分が生き残るために、何をしたらいいかを見極める事にある。

時というのは、無情に過ぎ去っていく。その時、その時、何が正しくて何が間違っているかを判断する時間や余地さえ与えてくれない。残されるのは結果だけである。
不決断は、最大の誤判断。過誤である。TOP、常に、決断が求められる。
だとしたら、覚悟するしかない。
切腹というのは、いろいろな批判がある。しかし、TOPたる者、志ある者は、命をかけて節義を守る覚悟が必要だというのが、日本人の美学だという事は忘れないでほしい。


以上の理論は、私のオリジナルな理論なのでどこを探してもないです。


今までは、組織に併せてシステムを構築したが、これからは、システムに併せて組織を構築する必要がある。
これまでのシステムは、ツリー構造(階層的、ピラミッド型)なヒエラルヒー、そして、閉じた閉鎖的、自己完結的だったのに対して、これからのシステムは、フラット、ネットワーク型で、開いた開放的、分業型、相互依存的なものに変化しつつある。
システムの変化によって組織の在り方にも変化が顕著になってきている。これからの組織は、位置よりも働きが重視されたものになっていく事が予測される。

組織は、合目的的であるから、組織を今後、設計する際は、その部門がどのような目的があり、どの様な効用、メリットがあるかを明確にし、機能、働きを重視したものにする必要がある。
組織効率を測る基準は、情報(指示・命令)の伝達経路、経路の長さ、情報伝達の速度によって測られる。故に、階層は、低く、経路をいかに短くするか鍵となる。



わが社は、百人で動かす仕組み、システムだという事を忘れないでください。
百人で操船する船と言えば戦艦クラスだと思ってもらえばいいです。大型タンカーでも二、三十人で操船できるはずですから。車も、いきなりアクセルを踏んでも動きません。教習所では、ドアの開け閉めから教えるように、百人の仕組みを動かすのは、それなりの準備が必要です。しかも、組織は人でできた仕組みですから全員が役割に応じて基本を身に着けておかないと機能不全に状態に陥り、最悪の場合、組織が崩壊してしまいます。
組織が大きくなると組織の枠組みは、事前に決められた基準によって統一されますが、それでも、実質的な部分は、社員全員が協力して作り上げることに変わりはありません。この点をよくよく全社員に徹底しておく必要があります。
仕事を任せられたり、チームリーダーを指名されたら、次に、組織づくり、チーム作りから始めます。
組織やチームは、仕事の規模や範囲、関係部署との関係等の条件でチームや組織の範囲を特定し、人選と役割分担を決めていきます。
基本的に組織は、一人では何もできないようにされた仕組みだと思って下さい。仕事にはかならず相手がいる。それが誰かを常に明確にしてください。
仕事の内容や規模、関係範囲を特定する為には、基本的に予備調査をする必要があります。いきなり、仕事を始めようとしてもすぐに行き詰ります。
予備調査段階も一人でできる事は、限られています。予備調査の段階でも関係部署などに対するヒアリングなどが必要な場合は、直属の上長、あるいは、総務と相談して計画、段取りをつけ、必要ならば、相手の部門長に、しかるべき人から指示してもらいます。
関係部署の責任者は、チームがスタートするまで先導する責任があります。
ある程度事情がわかり、自分なりの構想が固まったら、本格的に組織づくり、チーム作りを始めます。まず、リーダーは、事務方をどこに置くかを決めます。
その為には、チームの性格、仕事の範囲を明確にする必要があります。チームは、自分の部下、即ち、権限の及ぶ範囲で編成するか、自分の権限の及ぶ範囲を越えて編成するかによって性格が違ってきます。
また、役割がラインか、スタッフかによっても違ってきます。プロジェクトチームもタスクフォースなど実働部隊によって編成する場合とスタッフ型、実働部隊を持たないタイプの二通りあります。この様な性格は、事前に打ち合わせて設定、確認しておく必要があります。その上で、編成時に、関係部署に通知しておく必要があります。それによってメンバーの拘束時間・命令系統・評価者が変わるからです。
まず、リーダー、実行責任者を指名します。これは、指名です。互選のような形は、原則、特殊な場合を除いて通常の仕事ではありません。なぜならは、リーダーには固有の権限が与えられなければならないからです。
まず、リーダーが指名されたら、チームの性格、仕事、事務方をどうするかを主管部署と総務との間で打ち合わせし、確認します。そのうえで、必要なら注文を出します。
チームリーダーは、チームの人選と役割を総括責任者と相談して決めていきます。事前に、人選や役割分担が決められている場合もありますが、基本的にリーダーの意向に沿うようにします。そうしないと、リーダーがチームを統制する事が難しくなるからです。
事情がわからない人に仕切らる場合は、事情のよくわかる者を補佐としてつけます。その場合は、氏名、要請する権利がリーダーにはあります。
チーム編成をする場合、先ず、サブと事務方を設定する必要があります。事務方の仕事は、事前の準備、金銭の管理、日程管理、書類や記録の管理、物品管理、他部門との折衝・調整などである。
サブは、副官型と秘書型があり、秘書型は、事務方を兼ねる場合があります。
事務方は、自分のチームの中に置く場合と外に置く場合があります。又、内、外、双方に置く場合があります。チームの内に置くか、外に置くかは、仕事の性格にもよります。
チームの外に置くのは、例えば、販売店会などが典型で、実質的仕事は事務方がやることになります。
関係部門が自分の権限を越える場合は、外に事務方を置いておく必要があります。特定されていない場合は、総務が代行します。
後の担当は、成果物の項目を決めて、その項目に沿って分担させるのが一般的です。
チームの人選と役割が決まったら速やかにチームのメンバーを集めて、チームを始動させます。チームが指導するまでは、総務や予備組織が代行します。


組織もシステムだから、初期設定がされてなかったり、間違うと正常に機能しなくなる。初期設定で重要なのは、順序と配置。
初期設定は上級幹部の仕事だから。彼から上層部を形成する者は初期設定の仕方を覚えてほしい。
組織は、情報系だから、情報が伝わる、順序、すなわち、指示・命令の序列が決定的な働きをする。順序は、配置によって実現する。故に、序列・配置を間違えると組織は、統制を失い、動かなくなる。
組織には、防護機能があるから、無理に機能させようとすると猛烈な反発を受けることになる。
今やっているのは中枢を組み込むことで、いうなれば、内臓を移植する様な作業。だから、慎重に進めないと、組織の根幹を破壊してしまう。
特に、序列を覆すような場合は、評価替えや理由付けをしかりしておかないと、当事者に強烈な、圧力がかかる。
土原に関しては初期設定が不十分だったので設定しなおした。これは自分の責任だ。
組織で重要なのは継続性で、稼働している組織を止めることはできないから。組織は保守的で、一定時間経過すると元の設定に復帰してしまう。設定しなおした時は、速やかに起動して組織に認証させておく必要がある。
設定が、されていないと弱いところ、部下に負荷がかかるので、上級幹部はくれぐれも自覚しておいてほしい。

お膳立てや枠組みの変更は、上級幹部が事前に受け持つ仕事だという事を忘れてはならない。きちんと設定されていなければ、組織は動かなくなる。

自分の考えで段取りや枠組みがされていないと、最終段階でまとめられなくなる。
組織が使えないと最後は、腕力で人を動かそうとする事になる。

総括リーダーの役割は、最初と最後にあります。
前捌きと最終確認が総括リーダー、部門長、支店長の役割です。
任せてもいいけれど最初と最後は、責任をもって決める。なぜならば、最初は白紙状態であり、最後は、担当には決められないからです。
特に、最終段階になると細かい事が担当者では決められなくなります。
家を建てる時も、壁紙の色とか、仕上げなど最終的な事は、任せられても工事人は困ります。最終責任は、統括しているものがある。細かい事を任せてもいいけれど、最終的には、統括リーダーが責任を持って決める。大体、クレームがつくのは細かい事です。そして、クレームをつけられるのがわかっているからこそ、細かい事を担当者は決められないのです。
感性の問題になるからです。
任せるのはいいけど、丸投げは駄目というのは、最初と最後には責任を持てという意味です。


最初は、短期間で、ある程度、手順がわかっているイベントとか、セミナーで馴らし・馴らししていくのが順当なんだけどね。そこで実績をあげさせ、自信をつけさせていく。自信を無くされるのが一番厄介なんだよ。
まあ、組織を動かしたり、仕事を最後まで任された経験のない人には、結構ハードだからね。目の届かないところは、見てやれないからな。
こちらでさばいてやらないと決められないところもあるし。
泣いたって、わめいったていいんだよ。ただ、自信さえなくさなければね。こちらに言ってもらえればフォローするからな。我慢するなよ。


イベントや試合の準備はするが、イベントの成否や試合の勝敗はわからない。
事前に試合の準備をする事は出来ても試合の勝敗は、試合をしてみないと解らない。準備は原因をつくり、実施は結果を生む。この関係を正しく理解しておく事である。
人の世の因果は、人が作る。自然にあるものではない。それが人為である。


仕事は、段取り、手順といった形式に意味がある。段取り、手順を定型化した形が手続きである。
ちゃんと最後を閉めておかないと仕事は閉まらなくなる。

組織は、情報系であるから、情報伝達の手段が要。情報伝達の手段は、言葉だけではない。象徴や旗、席次、配役、制服、音楽、儀式、祭礼、礼儀作法、信号、記号などの形や「お金」のような物もある。

組織では、言葉より、行為、形式の方が強い力を持つ。

儀式や祭礼によって年間を通じて仕事にリズムをつくり、形を整えていく。

基本動作は、日常的な活動を通じて定型化され、儀礼化、手続き化される。
定式化、儀礼化された基本動作は、朝礼のような形によって日常生活の中で、習慣化される。

何年も同じ職場にいると自然にその職場の習慣が身についてしまい、それが当たり前な事に感じてしまう。慣習の多くには、基本動作が含まれているから、それによって仕事の基本を形で覚えていく。
当該の職場にいる人間にとって普遍的で常識的に思えるこれらの習慣の多くは、その職場固有の仕来りや習慣である場合が多い。

時間がたつにつれて風化、マンネリ化し、丸まってしまい。元々の意味が失われ、形骸化して、本来の役割が果たせなくなる。

宴会や会議では、席次、配置、並び方、位置づけなどが重要な意味を持つ。この点を理解していないと宴会や会議を制御するのが難しくなる。
形は、無言の圧力を発揮する。その無言な圧力が集団を支配するのである。

組織の実際は、配置、布陣、役割によって動く。組織の実質的力関係は、配置、布陣、、役割によって全員に知らしめられる。そして、形は、組織の潜在意識に働きかける。形を間違えると組織は、乱れる。

例えば、イベントや会議などの役割には、進行や議長だけでなく。事務方(マネージャー、プロデューサー、コーディネーター、ライター、タイムキーパー等)、書記、、プレイヤー、レポーター、クライアント、ゲスト、ユーザーなどの役割がある。そして、どの様な役者、役割を想定し、配役、配置をするかによって会議やイベントの在り方は大きく変わる。この様な形は、何も大会議のようなものだけでなく、小さな打合せの時にも作用する。

イベントは、位置、即ち、形が意味を持つ。それぞれの位置が組織の働きの関係を象徴する。動きが実態を表す。
誰が第一声を発し、誰が最後を閉めたかが組織の力関係を暗示する。

下の者は位置と動きによって組織の実体的力関係を強い即する。

リーダーが下座に位置すると組織は、不安定になる。なぜなら、下座は、組織にとって死角となるからである。 故に、下座は、事務方が抑える。

イベントの進行をリードする役割を担うのは、必ずしも、リーダーとは限らない。マネージャーのような事務方が裏からリードしたり、サブリーダーが実質的にイベントの進行をリードする場合がある。重要なのは、誰がリードするかよりも、お互いの役割が明確であるかどうかである。イベントの進行をリードする役割は、その局面きょくめんで変わるからである。

組織の運用には、前捌き、後捌きがある。前捌きというのは、会議などの冒頭で捌いてしまうやり方で、後捌きは、会議の終了直前に捌くやり方である。これは、会議などの主催者、リーダー、マネージャなどの性格に依って違ってくる。



言葉って面白いよね。
言葉を突き詰めていくと思想や哲学、神学、科学に行きつくからね。
言葉は、政治でもあるし。
要は、言葉は情報伝達の手段。言葉を広義で捉えれば情報伝達の手段で、数字や「お金」まで、含まれる。
組織の情報伝達は言葉より、形で行われる事が多い。言い換えると組織の言葉は形象。この辺が面白い。漢字に通じるんだよね。象形。
現代人というより、今の日本人は、形を軽んじるようになったから、組織が上手く機能しなくなった。これは、僕には、陰謀に思えてね。
だって、民主主義程、象徴や形を重んじる思想はないもの。宗教的でもあるけど。スポーツも形。
僕は、数学は、視覚性と操作性があるから発達したと思っているんだけど。数字や方程式は、数学的な言葉なんだよね。
科学は、形だからね。この辺を今の人に理解させるのは、大変に難しい。構造主義も含めてね。
形をどう展開するか、それが鍵だな。



リーダーに決断力があると思えば、部下は言いたいことを言うようになる。決断力がないと思えば何も言わなくなる。むろん、何も聞かなかったり、力で反対意見を封じ込めようとすれば別だが…。しかし、人の意見を聞かないのも、力を封じ込めようとするのも、決断力のなさに由来するが。
判断は、人の意見を聞いて、決断は独りでする。





       

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