転勤する時、きちんと支店の皆と次の上司に、挨拶しろよ。それから、店長や責任者、同僚にも迷惑をかけたんだから挨拶しような。けじめだけは自分でつけろ。
厭だな、逃げ出したいな、やりたくないなって誰でも思うさ。その心の隙に魔がさすのさ。
厭な事、逃げ出したいことから逃げたら、もっと厭な事を招くし。いつかは逃げられなくなる。
悪い事をしたら、嫌な思いをしよう。でもな、嫌な思いをしているのは、お前だけではないんだよ。お前を叱っている人、罰した人はもっと厭な思いをしている。
責任者だから、親だから、叱ったり、罰したりしてくれんじゃあないか。赤の他人で、関係なければ、そんな厭なことしないよ。
叱られる側の者は、皆、同情してまれる。叱った側、罰した側の人間は、誰も同情してはくれない。酷い奴と冷たい目で見られるのがオチ。罰しても、罰しなくても、処罰をした者は、孤独なんだよ。それを忘れるなよ。お前を罰したものは、お前以上に辛い思いをしている。
挨拶をする事でしっかりと自分に向き合おう。自分でしっかりと自分のしたことを受け止める。それが出来たら、改心できる。心から悔い改めたら、後は堂々と生きよう。
まっすぐ前を見て来い。皆、受け入れてくれるさ。少なくとも、専務は受け入れてくれたんだからな。きたら、上司にお願いしますとしっかり挨拶をしような。そうしないと始まらないからな。皆に謝るというのは、挨拶するというのは、チャンスなんだよ。
当人はどう思うか知らないが、挨拶をする場を作るというのは、謝罪したり、お礼を言うたるの場を作るという事なんだよ。それは、しっかり上司はそういう場を作ってやらないとな。
そこで、どんな挨拶をするか、それは自分で決めろ。俺が謝れと言ったところでお前が謝る気がなければかえって逆効果になるからな。自分のしたことには、自分でけじめをつけろ。その代わり、けじめを付けたら、生まれ変われ。頭を切り替えろ。いつまでも引きづってはいけないよ。
その為にも、自分でけじめをつけて来い。
自分のしたことにしっかりと向き合え。確かに、した事は悪い。でも、お前は、自分が生まれ変わるチャンスだと思え。その為には、自分にも周囲の人間にも今までの自分とこれからの自分を違いますと宣言するんだ。お前を見る目が変わらないと元に戻ってしまうからな。
自分の目も周囲の見る目も変える。その為にいいチャンスを与えてくれたんだよ。
今なら治る。今なら治せる。だから、深刻でない事は、深刻にならないように片付けような。
厭な事から避けては駄目だよ。厭な事はできるならしたくない。朝起きる時厭だなっておもって起きなかったら、深刻になる。でも、皆に、朝起きるの厭だったからといえないから体調が悪かったと嘘をつく。その嘘が通るとそれに味をしめてしまい。楽をする事を覚える。そのウソがばれても朝、起きた時、厭だなと思ったなんて言えないし、相談できないからつまらない言い訳をする。辿っていけばつまらない事さ。だからこそ、治すのが難しい。でも、気が付けば治る。発端は、馬鹿な事なんだよ。俺だって、厭だななんて毎日思うけど、その後頭を切り替える。頭を切り替える事が出来なかったから同じ過ちを犯す。その一瞬さ。
だから、言い訳はやめよう。言い訳は自分に向かってしているんだ。それは、自分が反省する機会を奪う。たとえ、言い訳や嘘で相手が騙せても、自分は騙せない。だから言い訳は毒だ。自分の怠慢は、他人の性にするな。自分でけじめを付けろ。
お前は、まだ、叱ってくれる人、罰してくれる人がいるからいいけど、TOPを叱る者、罰する者はいないんだよ。またも受け入れてもならない。トップが下の者の叱責や罰を受けたら途端に統制は失われるからね。反対意見は反対意見として聞くけどそれは叱る事とは違う。
叱られるという事や罰せられるという事は、許されるという事も意味する。だから、TOPを許せるものは、TOP自身しかない。ようは、全てが許されているという事だけど、逆から言う場何をしても許されない。
だから、TOPは、自制しなければならない。そして、いいTOPは、部下に育てられるともね。会社はね。一方向なものではない。双方向なものさ。部下だけが悪いわけではない。上司も悪い。だから、部下の失態や不正は、必ず、上司も罰せられる。上司たるもの、部下の失態、不正から逃げず。自分から罰せられることを求める。そうしないと部下に示しがつかなくなる。
これはね。トランプ大統領だって、習近平だって、プーチン大統領だって、金正恩だって同じ。
半沢直樹で頭取は、最後、半沢直樹にありがとうと言っただろ。厳しい部下に鍛えられて厳しさに耐えられるTOPが生まれる。これから、専務を補佐する者は、この点を忘れないようにな。
まだ、TOPは、受忍の義務がある。要するに我慢しろという事さ。TOPは、言いたいことを言いたいように言えば済むというものではない。
半沢直樹が頭取を面前で罵倒しても頭取は我慢しただろ。ただ、決断はした。それがTOPの使命。この様なTOPを部下は、体を張って守る。そうしなければ、会社は守れない。
どんな小国でもTOPを裸、無防備にはしない。TOPが責任をとるという事は、会社が責任をとることを意味するからね。半沢直樹の時、頭取や箕部が責任をとれば類が会社や国に及んだろ。だから、側近は、決死の思いで大将を守ったのだ。
将棋でも王をとられたらお終いだろ。下手をすると皆、王より歩を大事にしているぜ。
要はさ。叱られたり、罰せられたりしているうちが花なんだよ。叱れる人も罰する人もいなくなった時、自分に甘くなったら、全てが崩壊する。
克己復礼さ。
半沢直樹の人気を見て思いました。
なぜ、こんなに半沢直樹が人気があるのだろうと。
それは、日本人は、心のどこかで半沢直樹を求めているのではないのかと。
時というのは、無情に過ぎ去っていきます。その時、その時、何が正しくて何が間違っているかを判断する時間や余地さえ与えてくれません。残されるのは結果だけです。
不決断は、最大の誤判断。過誤である。TOP、常に、決断が求められる。
だとしたら、覚悟するしかない。
切腹というのは、いろいろな批判があります。しかし、TOPたる者、志ある者は、命をかけて節義を守る覚悟が必要だというのが、日本人の美学だという事は忘れないでほしい。
気を付けてほしいのは、自殺と切腹とは違う。半沢直樹にも、責任を負わされて自殺した副頭取がいました。頭取も責任の取り方を間違っていると言ってましたが潔癖なら、それを証明したうえで、とるべき責任をとるべきだと思います
半沢直樹を見ながらしみじみ思いました。良い上司は厳しい部下に育てられると言います。
しかし、TOPを叱正し、罰する事のできる者は、組織内部にはいません。
つまり、TOPを許す事のできる者はいない。許す者がいないという事は、何をしても許されないという事です。故に、TOPは自制しなければならない。克己復礼。
今の日本に求められているのは、真のリーダー、真の日本男児に思えてなりません。
Copyright(C) 2020.10.1 Keiichirou Koyano