3.国家資本主義



 近年、国家資本主義が、旧社会主義国を中心にして形成されつつある様に思える。
 国家資本主義というのは、国家が資本家の役割を果たす考え方である。
 既存の自由主義国でも国営企業や公共投資のような形で国家資本と言えるような事象が存在した。
 国家資本主義は、それを突き詰めた体制と言っていい。むろん、行き過ぎれば国家独占主義に発展する危険性がある。
 元々、社会主義も資本主義も同質の傾向を持っていると考えられる。
 資本主義も社会主義も生産手段、特に労働力を、実体から抽出して貨幣価値に置き換える点が共通している。それは、生産手段と個々の人格から切り離し、唯物主義的な思想を土台にして経済の仕組みを構築しようという考え方である。
 第一に、資本主義も社会主義も生産手段を社会の共有物としようとしている。即ち、生産手段の私的所有権を制限しようとしている。第二に、同一労働、同一賃金を原則として労働という生産手段を個人から切り離そうとしている。つまり、賃金労働者を基本単位として設定している。第三に、総ての価値を貨幣価値に換算する事を前提としている。

 現代人は、資本主義と社会主義を対立した思想のように考えるが、私には、同じ方向に向かっているように思える。
 故に、マルクスは、成熟した資本主義こそ社会主義の前提となると位置づけたのである。

 自営業者や職人、自営農民といった個として経済的に独立した存在を否定し、全てを賃金労働者に還元する事によって効率的な管理できる体制を構築する。そして、基本的には、所得を基礎にして資産を公有化する。
 それは相続税などに現れる。つまり、生産手段を公の物として一元的に管理する。

 人民服のように総ての着物を制服のような物に統一する事で効率的に管理する。住む家も公営団地に見られるように画一的な物にして管理する。食糧は配給を基礎とする。極端に言えば、そういう社会である。
 競争を放置し、自営業者や職人、自営農民のような経済的に自立した存在を根絶やしにすれば、いずれは市場は寡占、独占状態になり、統制的な経済が確立される。
 市場競争の原理主義者の中には、本当は市場競争に懐疑的で否定的な人間もいるように思えてならないのである。
 実際は、競争を放置する事で市場は寡占独占状態に陥り、事実上、競争がなくなる。実際、自動車業界もエネルギー業界も金融業界も合従連衡額の返されメガと言われる企業によって寡占独占状態に陥りつつある。
 その究極的な形態が国家資本主義である。

 社会主義が直接的な手段によって目的を達成しようとしているのに対し、資本主義は間接的な手段で目的を達成しようとしているのである。
 社会主義が政治権力と生産手段を一体として捉え、私的所有権を否定しているのに対し、資本主義は、政治権力と生産手段とを独立したものとして捉え私的所有権を認めている。しかし、生産手段である労働の対価として所得を認識している点。また、生産と消費を明確に区分し、労働を賃金労働に特化していこうとする事は、生産手段を社会か、公有化しようとする社会主義に相通じる。
 国家資本主義は、基本的に国家社会主義に変質しやすい傾向を持っているのである。
 国家資本主義で問題となるのは、国家資本主義が、国家独占に陥り、市場の原理が麻痺してしまう事である。
 基本的に市場における競争の原理が働かなくなると双方向の働きが機能しなくなり、市場に働く力は、一方向な働きに変質しやすい事を注意すべきである。

 今後、問題になるのは、国家資本主義と自由主義の共存である。
 国家資本主義にで懸念されるのは、直接、政治権力が、経済を支配し、統制しようとする事である。
 政治権力が過剰に経済に干渉すれば信用制度を土台から覆してしまう危険性がある。

 ただ、多国籍企業や国営企業によって市場が支配されれば、健全な競争関係が失われる事だけは覚悟しなければならない。その時、資本主義、自由主義は終焉を迎えるのである。




       

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