37、数   式




今の学校では、数式を数式としてしか教えない。故に、数式の働きや意味が正しく理解されないのである。特に、受験勉強では、数式を意味もなく操作する事ばかりを教える。これは、受験のための技術を仕込んでいるのに過ぎない。数式の真の意味を理解する事を疎外するだけで、弊害にしかならない。
数式には、数式それ自体に意味や働きがある。答えにだけ意味があるわけではない。
数式は、一種のモデル、模型である。
故に、先ず数式を設計し、組む事にこそ重要な意義があるのである。

ことさらに数字をあげて数学に堪能な所を見せびらかす人がいるが、実際に数学に堪能な人は、数字ではなく、数字のが意味する所や働きを理解している人である。ただ数字をあげたからと言って数字の意味を理解しているとは限らない。

例えば利益10%と言っても売上が100億円で利益が10億円なのか、売上が8億円で利益が8000万円なのかで利益率の持つ意味は全然違ったものになる。
数式は合目的的で、目的によって違った構造や働きを持つ。
数式を構成する変数も目的に応じて意味や働きを持つ。要するに、何の目的も意味もなく数式を扱う事自体意味がないのである。

経済事象を分析する時には、特に数式は有効である。

経済政策が上手く機能していない時、経済が悪化した時にどの様な政策をとられたかを考えるべきなのである。
過去の政策に対して否定的批判的であるばかりでなく。
何が変わって何が変わっていないのか、それを知る事も大切である。変わった局面だけを見ていたら本当の原因を掴む事は出来ない。変わっていない所に重要な鍵が隠されていたり、変わった所と変わっていない所を比べたら、変わったと思う所が実は変わっていなくて変わっていないと思った所が変わっていたりする事もあるのである。要は全体と部分との関わりが重要なのである。

我々は、事象を見る時、つい結果に目が奪われがちである。特に数字で示されると数字そのものに囚われて幻惑されてしまう。
しかし、実際は、その背後にある構造や法則が重要なのである。その意味では、表に表れた集計された数字よりその根底にある数式を理解する事がより重要である。
数学というのは数字ではない。数字は数学を成り立たせている要素の一つに過ぎないのである。

大切なのは、何が、或いは、何処が変わって、何が、そして、何処が変わっていないのかである。それは、表面に結果として現れた数字だけを見ていたら理解できない。
一見、表面に現れた数値は変わっていないように見えても、他の数値を軸にしてみたら大きく変わっていたというような事がある。その典型が名目的な値と実質的な値である。名目的な物価は、変わっていないように見えても実質的な観点から見ると上がっていたり、下がっていたりする。

数式は、一種のモデル、模型である。
モデル、模型は、現実の事象を基礎とし、予測や実情の分析等を目的として構築される。
モデルや模型は、一つの事象や現象を集団で検討する時、問題認識を共有するための手段である。

集団で何らかの事を考えたり、行ったりしようとしたら、共通の概念を共有する必要がある。
集団で概念を共有する上で重要な要素が視覚性と操作性である。
視覚性というのは言うなれば見える化である。
その二つの要素を満たしているのが数式である。

数式化に際して確認しておく必要があるのは前提条件である。
数式の性格は前提条件によって定まる。
前提を確認しないで各論を論じるのは、最初から間違っている。

神を信じる者と神を信じない者では前提からして違う。
神の存在を前提としているか、前提としていないかによって自分の人生設計は根本からして違ってくるのである。

神を信じるか、信じないか、そこが肝心なのである。
つまり、何を前提とするかによってその後の論理の展開は、まったく違ったものになる。
特に数式のように論理を基礎とした事は、何を前提としているかによって制約を受ける。

その点を日本人は理解していない。
厄介な事柄にあたって、最初の前提を曖昧にしたままで、問題を解決しようとする。
だから、いつまでたっても本質的問題が片付かないまま、尾を引いて、結論が出せないのである。
前提は、論理展開の基礎となる。
だからこそ、前提を先ず明らかにしてその後の論理を展開する必要となるのである。

経済的事象は、自然現象とは違う。現象から帰納法的に導き出されるものではなく。前提から演繹的な導き出される事である。

数式の基本型は、一次式である。

数式の基本形は一次式である。なぜ、一次式が基本形かというと一次式、直線を表す数式だからである。そして、直線は二次元の上で成り立つからである。量と方向を単一的に表現できるのは、二次元であり、一次式である。だから数式の最小単位は一次式と言える。一次式は、対象の運動を一意的に表現したものだからである。

導関数は、変化の平均率を表している。変化の一次式は一時点における接線を表し、接線は、働きを表している。
一次式、働きの方向と量を表す。導関数を発展させると微分になる。
微分は、一次式を導き出す為の手段の一つである。

一次式を構成する要素は、変数、定数、係数、答えからなる。
変数の性格や働きは、数式の目的によって定まる。

何を独立変数とするのか。何を従属変数とするのか。
従属変数は、結果変数、目的変数とも言われるように、結果とか、目的という働きを持つ変数である。独立変数は、説明変数、予測変数とも言われる。
独立変数とは、操作可能な変数であり、従属変数は、測定可能な変数を言う。何を独立変数とし、何を従属変数とするかは、目的によって決まる。
結果は、初期条件に従属するが、初期条件は、結果に対して独立している。故に、結果を表す変数を、従属変数であり、初期条件を表す変数を独立変数とする。
また、独立変数は、従属変数の変動を説明するから説明変数ともいい。独立変数は、結果を予測するから、結果を表す変数を結果変数と言うのに対して予測変数とする。

経済統計には、実測値と推定値が混在している。
実測値と推定値とでは、性格も用途も違う。
実測値と推定値ではデータの信憑性も基本も違うのである。

値をどこから、どの様に入手するかを明らかにする。値を実測値のような情報から入手するのか、数式から導き出すのかを明確にする。

一次式を設定する場合、何が測定可能で、何と何が比例関係にあるのかを明らかにする事が求められる。
そして、何が、実測値で、何が、推測値なのかを但し認識しておく必要がある。
データの精度はどの程度信憑性があるか。
データの母数は何か。データから何が導き出されるか。
その上で何を独立変数とするのか、何を従属変数とするのかを目的に応じて決める必要がある。
比例関係は一次式に表す事が出来る。
一次式は、位置と運動と関係を要約した形で表した数式でもある。

要素間の関係に影響を及ぼすのは、制約条件である。

一次式を幾つか組み合わせると連立方程式を構成する事が出来る。
連立方程式では、変数間の関係が重要となる。
変数は、目的や働きによって性格か設定される。

経済的事象で重要なのは、経済的均衡である。経済的均衡には、水平的均衡と、垂直的均衡がある。その前提はゼロ和である。ゼロ和が変数間の性格を定め、働きを制約する。

変化には三つの相がある。
一つは、変わるという相である。二つ目は変えると言う相である。第三は、変わったという相である。
変わるというのは、変えられると言う事でもある。
変える、変わるというのが主観的な相であるのに対して、変わったというのは、客観的実相を言う。

動きは変化であり、変化は時間の関数である。
動きは、空間によって制約を受ける。
動きの背後には、何らかの働きが隠されている。
何によって、どの様な働きによって、どの様に変化するかを見極める必要がある。

運動を規定するのは空間である。静止しているか、動いているかは、空間によって決まる。
故に、運動の法則を明らかにする為には、空間を特定する必要がある。
空間を特定するのは、座標軸と次元である。

運動の働きを計測する際、運動を修正するより、空間を修正した方が有効である場合がある。

貨幣経済の事象は、貨幣空間における事象である。

貨幣は、情報媒体である。貨幣には、アダプターやパケットのような働きがある。情報を圧縮したり解凍したりもする。貨幣というのは一種の暗号のようなものだと考えてもらったもいい。
貨幣価値は、物が表す量と貨幣が表す値とを掛け合わせる人で異種の財の市場取引を可能とするのである。つまり、物の量と貨幣の値とを掛け合わせることで市場取引が可能な媒体へと短観するのである。そして、市場取引が完結すると物は物の価値と貨幣は貨幣の価値とに仕分けられるのである。

実質的価値を名目的価値に合わせることは出来ても、名目的価値を実質的価値に合わせることは出来ない。なぜならば、名目的価値は、固定的であるのに対して、実質的価値は変動的だからである。

会計上、金利負担を伴わない収入には、資本的手段と収益的手段がある。
そして、時間価値を伴わない支出は、費用である。
金利は名目的時間価値を利益は実質的時間価値を形成する。
費用性資産価値は、時間の経過に従って資産を費用化する。
貨幣性資産は、流動性を担保している。

市場経済において経済を動かしているのは、現金の循環運動である。
それ故に、経済運動の基本は、回転運動であり、振動である。
振動を前提としないと一定の状態が累積することになる。
赤字国は、赤字を累積し、黒字国は黒字を一方向的に累積することを前提としなければならなくなる。
もし均衡を前提とするならば、経済の状態を赤字と黒字の間を緩やかに一定の周期で振動するように設定し、調節すべきなのである。

経済の均衡を考える場合、利益が赤字であるかどうかではなく、
利益の水準、利益の平均値の推移、平均値からの距離が問題となるのである。
利益が何処を基準にしてどれくらいの振幅で振動しているかが重要となる。

利益と金利は時間価値を形成する。故に、金利と利益とは密接に影響を及ぼしている。
利益は実質的価値から派生し、金利は名目的価値から派生する。

外部取引は対称取引である。内部取引は、非対称取引である。
外部取引の対称性と内部取引の非対称性が利益を生み出す。

内部取引の非対称性は時間価値による。
時間価値は付加価値を生み出す。

市場全体における経済価値の総量はゼロである。これをゼロ和均衡という。
ゼロ和均衡には、水平的均衡と垂直的均衡がある。
水平的均衡とは、経済主体間の均衡を意味し、垂直的均衡とは、収支取引と資本取引の均衡を意味する。

貸借取引は、債権と債務を派生させる。貸借は一定期間に清算されないと蓄積する。
債権債務は、金利の本となる。
債務が増大すると、時間価値が蓄積し付加価値は増大する。付加価値が増加すると利益は圧迫される。

一定の期間で時間価値間量が安定しないと債務が蓄積して市場全体の均衡が保てなくなり、市場は債権と債務を均衡させようとする圧力がかかる。それが、急激な貨幣価値の変動を引き起こすのである。

財政は、連立方程式に置き換えモデル化する事が出来る。

先ず確認しておかなければならないのは、財政は、現金主義だという点である。
期間損益主義で用いられる概念とは、違うと言う事を忘れてはならない。

経済問題では、何をどの様に操作する事で、どの様な結果を導き出す事を望んでいるかを先ず明らかにする事なのである。
例えば、財政政策を施行するのは、どの様な要素をどの様にしたら、どの様な結果になるのかを予測し、それに基づいて政策を決定する事が目的なのである。

それを明らかにする為に、財政を構成する要素にどの様な関係があって、どの様な制約が働いているかを知る必要がある。

経済問題では、何をどの様に操作する事で、どの様な結果を導き出す事を望んでいるかを先ず明らかにする事なのである。
例えば、財政政策を施行するのは、どの様な要素をどの様にしたら、どの様な結果になるのかを予測し、それに基づいて政策を決定する事が目的なのである。

それを明らかにする為に、財政を構成する要素にどの様な関係があって、どの様な制約が働いているかを知る必要がある。
財政の上限を制約しているのは、歳入総額である。歳入を構成する要素毎の実績値と予測値を算出する必要がある。
又、どの数値をどの様に変える事でどの様な結果を導き出し事が出来るかが鍵を握っているのである。

財政を構成するポイントは、借金残高、金利、返済額、収入、そして、経費である。借金というのは、国債である。借金残高で影響するのは、返済額と金利である。

財政の収支には双方向の働きがない。収入は、収入、支出は支出であるから、収入を支出で測る事ができない。
つまり対価性も受益者負担もないのである。

報酬と働き、労働とも連動していない。故に、評価は絶対評価が原則となり、相対評価ができない。差が付けられないのである。成果と労働が結びついていない。

国家予算は支出の根拠でしかない。故に、効果を期待していない、つまり、目的を持たない事業がまかり通るのである。
これが第一の問題である。
収入と支出が関連づけられていないと言う事は、受益者負担や対価、反対給付という思想が欠如している。
公共事業は、見返り、即ち、対価を求めるべきではないという奇妙な論理の上に成り立っている。つまり国家事業は、ボランティア、慈善事業と本質的に変わりないという事である。
これは、市場経済、貨幣経済の本質に則っていない。
国家事業は、宗教的事業家、慈善事業の一種だと言う事になる。これでは経済として成り立たない。

収入は、税収と事業収入、借入金、貯金の取り崩し、配当金、地代、家賃、国有財産の売却額の和である。
支出は、投資、経費、返済金、貯金の和である。金利は経費に含まれる。
財産の購入額は投資に含まれる。
金利は、借入金残高に対する利息率の積として求められる。
支出は、収入の範囲内で収めなければならない。

財政上の可処分所得は、収入総額から借金の元本の返済額を差し引いた値である。
利息率の上昇は、必然的に可処分所得を減少させる。

投資の資金は、本来、事業収入によって回収すべきものである。
つまり、返済計画と事業収支は一貫していなければならない。ところが公共事業ではこれが成り立たない。費用対効果のような形で、収入と支出は、連結していないのである。
故に、投資と回収が資金計画として一体となっていないのである。建設国債は、理論上は、借入金と事業の収支計画、資金計画と連動させるというのが原則だが、それが守られているという保証はない。
資金計画、予算計画と事業計画が表裏一体の関係になっていないのである。
収入は、収入。支出は、支出。各々独立して働いている。
収支に対する責任体制は、確立されていない。
事業計画は事業計画、資金計画は資金計画と個々別々なのである。だから、でたらめな収支計画、観念的な事業計画が横行する。

国家は、もっと事業利益を求めるべきなのである。

対数は数の構造を表している。

自然数では、素数は、数の基本単位となる。
故に因数分解は、数の構造を考察する上で重要な意味を持つ。









       

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