54、老後



現在の経済学は経済を貨幣的現象としてしか認識していない。しかし、経済学は、本来、よりよい生活を如何に実現するかを研究する学問なのである。
なぜならば、経済とは生きるための活動だからである。

昔がよかったなんて言わないし、今が良いとも言わない。
ただ、老後の生活を送るための前提が変わったのである。

第一に、平均寿命が延びた。
第二に、生活の全て金に依存している。
第三に、賃金労働者が一般に成り、個人事業者や農民、漁師も経済行為は貨幣換算されるようになった。その上、賃金労働者は、収入を得られる年齢が限定的であり、それ以外の期間は、無収入になる。
第四に、家族の単位が核家族化しており、その結果、老後に一緒に生活するのは、夫婦単位か、或いは、単身で生活する例が増えている。
第五に、第四に関連して家計が、一世代、一所帯で完結している。

老後の生活の前提が変質したのである。必然的にその上に構築された制度といった経済の基盤も変わってくる。それを正しく理解していないと自分の老後の経済は成り立たなくなる。これまでの人たちとこれからの人たちの生活は明らかに違ってくる。

以上の事を前提として、第一に、財政状態の悪化である。財政が破綻した場合、年金が減額される危険性がある。第二に、医療費、介護など社会福祉関係の費用が増加する。第三、税の負担が増加する。第四に、過去の借金の負担が大きくなる。第五に、働き口が限定される。第六に、物価の変動に対して脆弱になる。第七に、少子高齢化が進み社会コミュニティが脆弱となる等の問題が顕在化してくる。第八に日本の国際的地位も低下し、諸外国の圧力が増してくる。

団塊の世代は良い。高額な退職金が保証され、年金は、満額もらえ。家のローンは退職までに返済が終わる上、基本的にインフレーションの時代だったから資産価値が上昇している。税負担もこれから上昇してくる。医療費や介護と言った社会福祉を手厚く受けられる。又、預貯金と言った蓄えも潤沢に持っている。
団塊の世代以降の世代は、これがことごとく覆ると思って良い。
退職金がもらえるどころか、会社が存続しているかどうかも怪しい。年金はいつもらえるか解らないし、もらえても減額されている可能性が高い。医療費や介護の負担が増大する上、社会保障制度そのものを維持できるかどうかも解らない。財政の悪化は、税負担を大きくする。物価の変動幅も大きくなる事が予測される。少子高齢化によって生産世代の占める割合が小さくなる。当然、生産世代の負担も大きくなる。その上働きたくても働けない状況になるこれが現実なのである。また、住宅のローンの支払いも定年退職後も残り、生活費を圧迫する。

何よりも自分の働きで収入が得られないと言う事ほど辛い事はない。自分で働いてお金を儲けられるのならば、何とか将来の見通しが立てられるが、自分で働いてお金を稼げないというのは、何とも言えない不安と恐怖をもたらす。
自分が大病をしたり、配偶者が病気をしたらたちまち生活は破綻してしまう。
生活が破綻しても生活の面倒を見てくれる人はいないのである。家族がいれば何とか助け合う事もできるが、それ以前に家庭が崩壊してしまっている。

第一に、言えるのは、先ず長生きをすると言う事である。平均寿命は、戦後延び続けている。平均寿命が延びる事は良いのだが、高齢者時代に社会が追いついていないのである。
長生きする事自体は悪い事ではない。むしろ慶賀すべき事である。しかし、長生きする事が必ずしも喜ばれない時代に突入したと言う事である。
妙ないい方だが、死ぬ権利なんて言い出されかねない自体だと言う事を念頭に置いておいて欲しい。
この背景には、労働は、悪だという思想が底辺にある。働く権利がどこかで捨てられてしまったのである。
自分が働いた労働で収入が得られないと言う事である。

ただ経済的に見ると年寄りがに長生きされると年金の支給額も介護も長生きしただけ社会的コストも増える。
年寄りに長生きされたら困るという社会は酷な社会であり、悲しむべき社会なのである。

核家族化は、家族を崩壊させ、老後や病中の生活を不安定にさせる。孤独な老人を増やす結果を招く。
大体、現在の医療制度は、家族が面倒を見る事を前提として成り立っているのである。世話や面倒を見る家族がいなくなったら話はまったく違ってくる。
親の介護をするための資金は、自分達の老後の資金を食いつぶしているようなものである。そうなるとむ共倒れが必須となる。困窮した老人が増える事は明らかである。しかも働きたくても働き口がないし、また、許されなくなる。

今まで生活と、これからの生活は全然違ってくるのである。
社会の仕組みを少しずつ変えていかないと、とんでもない事になるのは自明である。

団塊の世代以降の世代は、金銭的面でも、肉体的面でも著しく負担が増加するのである。
先の世代が飲み食いしたツケを払わされる事になる。

国からも社会からも子供達からも見捨てられる事となる。

老後の生活を考える上では、収入と蓄え、支出と借金の関係を知る必要がある。
なぜなら、経済を動かしているのは、収入と蓄え、支出と借金の関係だからである。

貨幣経済では、収入が基本になる。収入があって次に支出が決まる。
収入より支出が上回れば、不足した部分は、お金を借りてくるか、蓄えを取り崩して補う事になる。
その期間となる収入が定年退職後は、自分の働きによって調達する事が困難になる。
この点が味噌なのである。お金が足りなくなれば蓄えを取り崩すか、借金をする以外にない。
自分の働きによって自分の生活を維持する事がではなくなるのである。

定年退職後は、自分が働いて収入を得るという事が難しくなる。収入は年金頼りの生活になる。
年金が不足すれば、蓄えを取り崩す事になる。支出は基本的に収入の範囲内に抑えるのが原則である。
支出には、過去の借金の返済が含まれる。これは固定的費用を形成する。

老後の生活を考えた場合、働いて「お金」が稼げる内に幾分の蓄えをしておく必要がある。
これが前提である。老後は原則的に、年金収入と蓄えでやりくりしなければならなくなる。
やりくりができなくなった場合は、親戚が家族、主として子供の援助を当てにしなければならなくなる。
ところがこの親戚や親兄弟姉妹、子供が当てにできない。
年老いて「お金」がないと満足に医者にかかる事さえままならない。食べるものだって粗末な物を必要最小限しか調達できなくなる。それで住む家がなくなったら最悪である。





       

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