7.奇妙な均衡


経済の事象には、状態が悪いのは解っているが、悪いなりに均衡している状態がある。

財政は破綻状態であり、景気は悪いと言われなから、何となく、生活ができている。
企業経営は悪いと言われながら、かといって倒産件数が増えるわけではない。
なんとなく、生活は苦しいと感じてはいるがかといって破綻しているわけではない。

爆発的に良いとは言えないが、かといって、物不足に悩んでいるようには見えない。

昨今の経済状態を見ていると奇妙な均衡があるように思えることがある。
それは、経済の仕組みの中に自動制御装置が組み込まれているような錯覚すら覚える。

かつては、ハイパーインフレや大恐慌のような破滅的な事象もあったし、今日でも、リーマンショック様なことは起こる。
しかし、それでも経済は奇妙な均衡を保っているように思える。
第一、人類が滅亡するほどの事態には至っていない。

ハイパーインフレの時も大恐慌の時も大多数の人々は生き抜いたのである。
それは経済に奇妙な均衡があったからとしか思えない。

この様な働きは、貨幣があるから働くのである。
そして、インフレーションもデフレーションも貨幣的な事象なのである。
言い換えると、景気に悪さをするのも貨幣だと言える。

経済の仕組みの中に組み込まれた自動制御装置は、経済が均衡するように設定されている。
一つの働きがあると必ず逆方向の働きが作用する。

市場経済は、内的均衡と外的均衡が保たれるような仕組みになっており。全体的均衡と部分的均衡も保たれるように仕組まれている。この均衡が破られると均衡点を求めて変動し、均衡が保たれなくなると経済は体制は、破綻する。

経済的均衡を保っているのは、現金収支である。内的均衡と外的均衡、全体的均衡と部分的均衡は、収支、貸し借り、売り買いが均衡する事に依る。そして、現実の経済は、現金の残高がゼロにならないように現金の流れを調節する事によって保たれる。つまり、貨幣価値は、自然数であり、負の数は、貨幣価値では成り立たないのである。それが残高主義である。

均衡を保つためには、全体と部分を調節することと密度を濃くすることで調節される。
固定的な部分と変動的部分の調節によって均衡は保たれる。
固定的な部分は、全体を拡大する事によって縮小される。変動的部分は、相場や取引量によって変動する。

現金の流れが物の流れを制御する事によって市場経済は成り立っている。

物だけの経済では、変動は一方向の流れになってしまう。
即ち、生産したら必要なだけ消費し一部を備蓄する。
多少の物々交換があっても大きな物流や交易は起こらない。
自己完結的で閉ざされた経済体制しか形成できない。それでは地域的にも、人間関係でも拡大する余地はない。
貨幣価値と結びつく事で物の循環が可能となり、分業も深化する。
金は物の流れと反対方向に流れ、反対方向の働きを生み出す。

それが経済に作用反作用の関係を作り出す。
この作用によって経済は均衡している。

その好例が、需要と供給関係である。需要と供給が生産と消費に結びつく事によって生産量や消費量、労働と分配を制御するのである。
そして、需要と供給、生産と消費、労働と分配の仕組みを関連づけ動かしているのが貨幣である。
故に、需要と供給、生産と消費、労働と分配の関係を維持するように通貨の流量を制御するよう、市場の仕組みを動かさなければならないのである。ところが、現在の自由主義経済は、恣意的な経済政策に対して否定的である。そして、市場の競争力に全てを委ねてしまおうとしている。

それは、経済の仕組みを人口の装置ではなく、神の意志で動く自然物だと捉えているかのようである。
飛行機や自動車が神の意志で動いているわけではないように、市場も神の意志で動いているわけではない。
確かに、飛行機も自動操縦化され、又、飛行機自体が平衡を保ている部分もある。しかし、いざとなったら人が操縦できるようにしておかないと危機的状況は回避できないのである。

現在の市場経済は、貨幣によって動かされている装置だと言える。

経済の変動は、固定的な部分と変動的な部分に区分される。
典型的なのは、変動費と固定費である。
変動費と固定費から導き出される方程式では、損益分岐点が有名である。
しかし、変動費も固定費も一度設定されたら変わらないという性格のことではない。
むしろ絶えず変動している。
ただ、固定的な部分と変動的な部分を区分した方が経済の仕組みを理解しやすいからあえて固定費と変動費を区分しているのである。
固定費も変動費も相対的な事であって絶対的な事ではない。

変動的部分は、固定的部分からの一定の水準の働きによって制御される。一定の水準点に結びつけられることによって変動は制御する事が可能となる。

経済的均衡には、拡大均衡と縮小均衡があるが、経営者や投資家、金融家は、拡大均衡を前提としているような節がある。
だから、縮小均衡の局面に来ると妙な違和感を感じるものである。
しかし、考えて見れば、歴史的に見ると縮小均衡の局面の方が長いのである。

経済の拡大局面では、費用が梃子の働きをして、収益を押し上げていく。逆に、縮小局面では、収益が梃子の働きをして、費用を押し下げようという力が働く。
また、拡大局面では、負債が梃子との働きをして資産を押し上げ、縮小局面では、資産が梃子の働きをして負債を削減しようとする力が働く。
経済は拡大と縮小を繰り返している。
拡大局面は良くて、縮小局面は悪いと強(あなが)ち決められないのである。
拡大も、縮小も一つの局面である。縮小局面は、停滞とも言えるし、成熟とも言える。人のとらえ方によって市場に対する認識も変わるのである。単に、経済拡大し、成長すれば良くて、縮小し、停滞する事は悪いと決めつけているからである。景気の良し悪しは、市場の状況をどう捉えるかによるのである。外見だけ捉えて悪いと判断し、間違った政策を採れば、間違った政策によって景気は悪くなるのである。
市場が縮小しているのは調整局面だと言えるのである。
その時に間違った施策を採れば経済の仕組みを壊してしまう事がある。
拡大局面で景気を過熱させたり、縮小局面で景気を悪化させるのは為政者や金融機関である。

収益と利益の関係には、増収増益、増収減益、減収増益、減収減益の四つの形しかない。
後は収益と利益の水準の問題である。

この様な収益と利益の関係の適否は、市場の状況との兼ね合いによって決まる。
つまり、市場が拡大局面にあるのか、それとも縮小局面にあるのか関係が重要な意味を持つ。

又、固定費と変動費の関係が市場の状況にどう反映して損益分岐点にどの様な影響を与えるかによって変わってくるのである。

収益というのは、変動的なのに対して、費用は固定的で硬直的である性格がある。
それらを前提として外部環境を考慮した上で利益の状況を判断しなければ利益の指標としての働きは無意味である。
赤字だから悪くて、黒字だからいいと短絡的に判断したら利益を測定する意味はない。
なぜ、赤字なのか、なぜ黒字なのかが問題であり、それによって資金を供給すべきか、取引を継続するかを決めるべきなのである。

赤字が是で黒字が非などと、一概に、一律に、決めつける事はできない。

ところが市場の関係や固定費や変動費を構成する要素のどの様な構造的な変化があったかも考えないで、単に、増収増益を企業経営に押しつけてきたように思える。
経済全体を考えれば、縮小局面で企業が資金不足な時ほど、資金の供給をするような施策や仕組みを政府も金融も持つべきなのに、金融も政府も民間が資金不足に陥ると資金を回収するような施策や仕組みになっている。
それが日本経済を長期に亘って低迷させる原因となっているのである。

角を矯めて牛を殺すがごとき施策であり仕組みになっている。

かつて水道理論なるものがあった。蛇口を開いたら流れる水のように商品を無尽蔵に流せば経済は上手くいくという考え方である。
しかし、物を一方的に生産して市場に流し込んでも経済が上手く機能するというのは、短絡的すぎる。資源には限りがあるのである。
有限な資源を如何に効率よく生産し、又、効率よく消費するかが、経済の話なのである。
ちなみに無尽蔵に存在する空気は経済的価値を持たない。水が経済的価値を持つのは、水は有限だからである。
資源が経済的価値を持つのは、資源に対して何らかの人為的な力、労力が働いた場合だけである。
有限である水は、流れを制御する為の蛇口が必要なのである。

経済には神の手と言う思想がある。
見えざる神の手で経済は均衡するという思想である。

経済には奇妙な均衡がいたる所に見られる。
しかし、それは神の手のような偶発的な事象ではなく、人間が仕込んだ仕組みのなせる技なのである。
均衡させようと働く力が働くからであり、それは経済の基本構造にある。
複式簿記のような仕組みが経済を均衡に導くように設定されているのである。
この様な仕組みが働かなくなった時、経済は均衡を失うのである。

円高が急激に進行した時、不況になると騒がれた。蓋を開けてみれば、バブルという未曾有の好況になった。その反動で日本は、長い停滞の時代に突入した。
原油が暴騰した時、日本の企業は壊滅的な打撃を受けると言われたが、それを梃子にして省エネ技術を進歩させた。しかし、温暖化現象が深刻化している。
短期的な意味での均衡は保ても抜本的な解決に取り組まないと結局、均衡を保っている仕組みを徐々に蝕んでいく事になる。そして、真の危機は、その後に来るのである。
目先の均衡が保てたからと言って油断すると根底から覆されてしまう事を忘れてはならない。

平衡がとれている間は、経済は、奇妙な均衡を保つ事が出来るが、この平衡感覚が経済から失われた時、社会の仕組みは破綻し、革命や戦争と言った暴力的な時代に突入するのだろう。




       

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