1.経済数学

1-9 指数・対数

空と全一、そして、二


 不二にして二。二にして不二。
 空と全一とそして分別。
 分別とは、分けて別にすること。
 無分別と、分別の境界線に意識は生ずる。
 色即是空。
 空即是色。

 神は総てであり、全てである。

 事実は一つ。

 対象の全一を分別することによって自己の一は成立する。
 それが一である。
 そして、一は自己と対象との関係によって二となり、二は三となる。

 識別は、二進法的に行われる。
 最初の認識は、絶対値であり、無分別に為される。
 最初の認識は、直感によって為される。
 最初は無分別知であり、絶対知であり、本性直感である。
 最初は、全てであり、絶対である。
 最初、全ては、総てでもあり、無でもある。
 最初、対象は一でも、二でもない。
 意識は、違いを認識する事から始まる。
 変化する物と、変化しない物を認識した時、意識は目覚める。
 運動する物と運動しない物を分かつことによって識別される。
 相対的知識は分別によってもたらされる。
 それが知るという事である。

 初めは、全ては、一であり、ゼロでもある。
 何ものもないか、それとも全てか。
 分別は、対象をその物自体と他と分かつことから始まる。
 故に、分別の始まりは、二である。
 しかし、最初、二を構成するのは、一とゼロである。
 二という概念は、分別が生じた後に現れる。
 二であって二でなく。二でなくて二である。
 それが分別の始まりである。
 そして、分別は知識を生む。
 分別は、認識の始まりである。

 最初は空しく、移ろいやすい。

 この世に不完全な対象、相対的対象はない。
 全ての存在は、その物自体、完全であり、絶対であり、完結している。
 不完全な存在や相対的な存在は、分別によって生み出される。
 不完全な対象や相対的な対象を生み出すのは分別であり、意識である。
 不完全な対象や相対的な対象は認識によって生じる。

 完全無欠、絶対なる存在を知覚ければ、分別を捨てることである。

 分別は、認識によって生じ。
 違いを分別することによって認識は生じる。
 分別によって違いがわかる。

 分別は、変化によってもたらされる。
 変化によって認識は生じる。
 分別された瞬間に変化は意識される。
 諸行無常。万物は流転する。
 変幻自在。

 破壊は創造であり、創造は破壊である。
 破壊か、創造かの違いは、認識の違い。
 破壊と創造は一体である。

 売るか、買うか。
 買うか、売るか。
 売り買いは一体である。売り買いの違いは、認識の違い。
 立場は、視点の違いから生じる。
 貸し借りも同じ。

 収入か支出かも同じ。
 自分の収入は、自分以外の誰かの支出である。
 あなたの支出は、あなた以外の誰かの収入になる。
 受け取るのか、支払うのかは、立場の違いで実質は同じ。

 費用か、収益かも同じ。

 入(ON)か、切(OFF)か。
 入り口(IN)か、出口(OUT)か。

 全ては、ゼロと一の間に要約する事もできる。
 全ては分別、意識、認識による。

 平衡か、乱調か。

 ゼロは起点であり、原点であり、平衡点である。

 平衡点は、ゼロサムである。

 分別は判別の始まり。
 判別は、判断に繋がる。

 ハイかイイエか。
 真か、偽か。
 善か、悪か。
 美か、醜か。
 成か、否か。
 正か、否か。
 是か、非か。
 好きか、嫌いか。
 一か、ゼロか。

 意識は、変化を認識する。
 連続した変化。
 不連続な変化。
 不連続な変化は連鎖的でもある。

 イエスか、ノーか。

 決断は連鎖だ。
 決断の組み合わせが、物事の筋道を決めていく。
 人生は決断の連鎖によって定まる。

 是か非か。

 意志決定は、二進法によって展開される。

 決断の数は、二の累乗的に増える。

 一回の決断で、イエスか、ノーか、2つの選択肢がある。
 二回の決断で、4つの選択肢が生まれる。
 三回の決断で、8つの選択肢が生じる。
 四回の決断で、16の選択肢が成立する。

 十回の決断で、1024の選択肢がある。

 N回の決断によって2のN乗の選択肢が生まれるのである。

 決断の数は、指数的に増加する。

 意志決定の数は情報の量で決まる。
 情報の単位も二進法である。
 情報の量は、記憶の量で決まる。
 記憶の量が増えるに従って蓄える情報の量や取り扱える情報の量も幾何級数的に増大する。
 故に、意志決定の数と情報の単位は、対数表示によってなされる。

 対数、指数が作り出すのは、1つの相である。位相である。

 人生の様相は、決断の数が増えるにつれて幾何級数に増えていく。
 人間の生き様は無限に拡散していく。

 収束するか、発散するか。

 経済は、人口問題や金利を見れば解るように指数的変化が基礎にある。

 取引の構造は、二進法である。
 取引は幾何級数的に増殖する。
 経済は、取引の連鎖によって成り立っている。

 情報の単位は二である。そして、二進法である。
 二進法で表せば、二は、0乗は、1。二の一乗は、10。二の三乗は、100。

 情報の単位は、経済の単位の下敷きになる。
 売り買い、貸し借りは二進法である。
 売りと買いとは、一体である。
 貸しと借りとは、一体である。
 複式簿記の構造は二進法にある。

 根本は、イエスか、ノーである。
 二者択一。
 二つに一つ。
 何が正しくて、何か間違っていたかは、結果でしかない。
 なぜならば、選択できるのは一つだからである。
 最終的には一つに収束される。
 一回しかない人生である。
 自分は一人。
 一生である。
 結果は一つ。
 決断は、一つに統一すること。

 不決断も誤判断である。
 肯定するか、否定するか。
 曖昧さは残らない。曖昧なのは自分の意識だけである。

 何が正しくて、何が間違っていたかではない。
 どう決断し、どの道を歩み、そして、これからどの様に生きていくかである。

 人生は、決断の数だけ違いがある。
 だから、自分の人生は、自分で決めるしかない。
 確かに、自由か否かは、自分で自分の事をどれだけ決められるか。
 言い換えれば、自分で自分のことを決めるのに、どれだけ制約があるかによって左右される。
 しかし、自由になれるか否かは、制約の数だけで決まるのではない。
 自分の意志も深く関わっているのである。
 自分で何も決められなければ、自由になんてなれはしないのである。

 意思決定というのは、一つの過程である。一つの結論が導き出されるためには、多くの決定の積み重ねがなければならない。
 意思決定を是か否かの二つ要素によって構成されていると仮定すると、意思決定の軌跡は、二進法によって表現することができる。
 意思決定の過程によって作り出される形の数は、意思決定の分節点のかず、即ち、決定点の数に累乗して増加する。
 即ち、決定点が一回なら、是とした場合と否とした場合の二つ。決定回数が二回なら四つ。三回なら、八つ。四回なら、十六。五回なら三十二。六回なら六十四。七回なら、百二十八。八回なら二百五十六。この様に選択肢は、幾何級数的に増加していく。

 意思決定の回数は、一回、二回なんて回数ではない。ちょっとした事でも何百という数になる。一つの事象でも、少なくともいつ、どこで、何を、誰が、どの様にするのかと言った五つの要件は最低限含まれている。
 そうなると、決定点に五つの要件があるとすると決定点掛ける五つの要件があることになる。つまり、選択肢は、決定回数に対して指数的に存在するのである。

 そして、意思決定の過程には、筋道や順序がある。だから、意思決定は規則、即ち、アルゴリズムを必要とするのである。

 人生は、0と1との間にある。

 生か死か。

 生と死、天と地の間に我が人生はある。




指数は,桁の基礎となる




 1、10、100、1000、10000。
 十進法というのは、十を寄せ集め、掛け合わせた体系である。
 0、1、2、3、4。
 10のゼロ乗が1を構成し、10の1乗を10とし、10の2乗を100とし、10の3乗を1000とし。10の4乗を10000とする。
 それが桁を構成する。
 1桁、2桁、3桁、4桁。
 0乗、1乗、2乗、3乗。
 1、10、100、1000、10000。

 多数意見は、多数が正しいのではなく。多数決は、多数意見を正しいとするのである。それが多数決の前提である。

 多くの数学の前提、定義は、なるのではなく、するのである。故に、数学は、自明とすることが出来る。1を1とするのは、定義であって、自然ではない。つまり、1を1とするのは、人である。

 10の0乗は、1。
 10の1乗は、10。
 10の2乗は、100。
 10の3乗は、1000。
 10の4乗は、10000。
 これを10進法とする。

 2の0乗は、1。
 2の1乗は、10。
 2の2乗は、100。
 2の3乗は、1000。
 2の4乗は、10000とする。
 これを2進法する。

 3の0乗は、1。
 3の1乗は、10。
 3の2乗は、100。
 3の3乗は、1000。
 3の4乗は、10000。
 これを3進法とする。

 7の0乗は、1。
 7の1乗は、10。
 7の2乗は、100
 7の3乗は、1000
 7の4乗は、10000
 これを7進法とする。

 これは定義である。何々とするのであって、何々となるわけではない。

 何を基数とするか。

 何を基数とするかは、何を独立変数とするか、何を従属変数とするかの違いでもある。
 何を独立変数とするか。
 何を従属変数とするか。
 それは、任意である。それを決めるのは、当事者である。故に、数は、合目的的で主観的なものである。
 何を独立変数とするか、何を従属変数とするか、即ち、何を基数とするかによって見方も変わる。思想も変わるのである。
 故に、何を前提条件とするかが重要なのである。
 前提条件を確認せずに結果を問題とするのは愚かなことである。神を信じるか、信じないかによって世界観は変わる。当然、生き方の根本も変わるのである。

 10進法とは、1桁を10として、累乗することに桁が上がる数の単位体系である。
 2進法とは、1桁を2として、累乗することに桁が上がる数の単位体系である。
 3進法とは、1桁を3として、累乗することに桁が上がる数の単位体系である。
 しかし、元にある数の本質は1つである。
 累乗する毎に桁が変わる数の性格は、経済や、貨幣の性格にも影響する。
 この性格は、経済の変化、貨幣価値の変化、時間価値の変化は、指数的変化にする。
 故に、数の体系は、発散的であり、無限に広がる。

 数は、内に向かっても、外に向かっても無限となる。

 ある基準を1とする。ある時点の値を1、あるいは、100とするのが指数(同じ数を掛けていく場合の指数とは別の意味の指数)。全体を1、あるいは、100とする。

 等比の数値の常用対数は等差である。

 百分率とは、思想である。
 何かを全体とし、あるいは、何かを1とするかによって、全体と部分の位置や働き、また、時間的変化が明らかにする。全体の構造や要素間の関係を明らかにする。
 そうなると何を全体とし、何を1とするかが重要となる。
 つまり、何を全体とするか、何を1とするかが、百分率と言う思想の根底をなすのである。
 さらに、1を100と置き換えることで百分率が成立する。
 百分率は、基数となる値を100%として表現する。

 百分率は、2つの値の相対的な大きさや強さの度合いを表す。
 相対的な大きさや強さは、比率である。
 その為には、任意の値を基数として選択する。

 百分率に変化することで消えてしまう値もある。
 消される値とは、実際の数の値である。
 粗利益率は、粗利益を売上で割る事で与えられる値であるが、粗利益や売上の実際の数値は、消されて、パーセントによって表現される。
 これらから、物価と所得と企業業績の相関関係も推測することが可能となる。

 物価は、長期借入金の元本に影響し、金利は、変化率に影響する。物価の水準は、相対的価値を表し、長期借入金の元本は、名目的価値を表す。言い替えると物価は位置や水準を表し、金利や利益は、速度を表していると言える。故に、利益や金利は微分的変数だと言える。

 百分率は、実際の数値を消し去ることで、数の持つ意味の特定の性格や本来の働きを際立たせる作用がある。
 例えば、全体の値が変化している時に、部分の値が変わらなければ、どの様な影響が全体にも部分にも働くかというようなことである。

 何と何とが相関関係にあるのかを見出すことが要素間の関係を明らかにするための始まりである。

 相関関係の中でも因果関係が重要である。何が原因で、どの様な結果が得られるかを明らかにすれば未来が予測できるからである。

 因果関係が成立するのは、要素が何等かの作用によって結び付けられている場合に限る。また、時間的な順序関係が明らかである場合である。
 連動して変化しているからと言って因果関係が成立するとは限らない。

 因果関係が成立するのは、要素が何等かの作用によって結び付けられている場合に限る。また、時間的な順序関係が明らかである場合である。
 連動して変化しているからと言って相関関係が成立するとは限らない。

 会計の思想には、総額主義と純額主義がある。
 グロスというのは、全てとか、総と言う意味であり、ネットとは、正味という意味である。何でもかんでも全て引っくるめてと言うのがグロス、総額ならば、正味とか、実質的な部分を指すのがネット、純額である。故に、これがグロスで、これがネットというような絶対的な概念ではなく、前提条件によって変化する相対的な概念だと言える。
 ただ、経済を考える上では、何をグロスとするか、何をネットとするかが重要な意味を持ってくることを忘れてはならない。

 全体の成長と個々の部分が占める割合、比率が重要となる。
 個々の経済主体からすると絶対額が重要となるが、市場全体で見ると比率が重要となる。例えば、個々の商品に置いては、価格は、絶対的な意味や、働きを持つが、市場全体から見ると占有率と言った比率が重要な意味や働きを持つ。


指数とは


 日本語の指数には、数学的に二つの意味がある。
 一つは、物価指数利用に、ある時点や状態を一、あるいは、百とした時の相対的な数値をいう。
 もう一つは、一つの数がいくつか掛け合わされた場合を想定し、同じ数を掛け合わす事を累乗といい、その掛け合わせた回数を指数といい、その基となる数を底とするのである。
 ここでいう、指数とは後者を指していう。
 この発想の大本にある考え方が重要なのである。そして、指数の大本にある考え方は経済にとって重大な意味がある。
 変化や状態を考える場合、何を基数とするのか、何を単位とするのかを設定する場合、この指数という考え方が威力を発揮するのである。

 一つの数をいくつか掛け合わせるという事が経済的にどんな意味を持っているのか。
たとえば、一ダースです。一ダースというのは、一つの単位が十二個です。つまり、十二進法です。なぜ、十二なのか。こういうことが経済的にどんな意味があるのか。それが重要なんでのである。

 数の塊のうち何を、言い換えると、いくつを基本にするかは、実際には何を背景とするかにある。例えば、五の塊を基本とするのは、手や足の指の数が五だからであり、十ならば、両手の指の数である。

 一つの数の塊と言って最初から一定の数を基本としていたとは限らない。
 例えば、一月の日数は一定の数ではないし、二つ以上の数は、沢山と一括りにしてしまう例もある。近くのスーパーでは、一皿とか、一袋とか、一升という単位で食料品を売っていたりする。また、ワンセットいくらという売り方もある。
 要するに、本来、基本となる数は、数を数える上での目安に過ぎなかったのである。

 同じ数の塊を掛け合わせる。数をそろえるという発想がある。数をそろえるという事は、分配に繋がるのである。

 最初に対象を幾つかの塊、集合に分けるというのが、対象を認識、識別するための基本である。その上で、数を抽象する。それが数の概念の原点であり、数の体系の下地となる。幾つかの塊、集合に分ける為の任意の前提がに認識の根本になる。認識は意識を形成する本となる。

 一つの数の塊をどう処理するかの問題である。
 情報の世界では、数の一つの塊が、意味や動作を持つ様に結びつけられる。あるいは、関係づけられる。
 このようになると演算は、単に数の足し算引き算にとどまらず、意味の足し算引き算、動作の足し算引き算にも拡大する事が可能となる。

 数の世界の本には、本来、実体的な空間や事象が前提としてある。経済と数との関係を知る上ではこの点が重要となる。
 貨幣経済では、数値だけが踊っている場合があるが、経済活動の本質を知るためには、数値の背後にある実体を明らかにする必要がある。

 数と実体との関係を知るための好例が二進数である。
 現代社会は、表だっては、十進法を基本とした世界である。しかし、最初から十進法が中心の世界だったわけではない。また、今でも、情報の世界は二進法が基本である。なぜ、情報の世界は、二進法が基礎となっているのか。そこに、数の体系を理解するための鍵がある。また、実体的世界と観念的世界である数とを結びつける鍵があるのである。

 二進数の背後には、動作や行為が隠されている。
 例えば、スイッチのオン、オフであり、意思決定におけるイエス、ノーである。このような動作や行為がいかにアルゴリズムに反映されるか、それが重大な意味を持つのである。

 また数を揃えるというのは、経済的効用を揃えるという意味もある。
 経済的効用を揃えるというのは、共通の性格を抽出し、共通の性格によって分類する事を意味する。
 スーパーで、一皿とか、一袋という単位で売っている物もリンゴならリンゴ、果物なら果物、、野菜なら野菜と同じ種類の物を皿に盛って売っている。
 ワンセットいうのは、何らかの目的や用途、働きのような事で一括りした単位である。
 共通の性格で分類する事は、次元を揃える事にも繋がる。
 たとえば、生物という共通の性格で分類する。さらに、動物で分類し、次に、人間で分類するというようにである。
 このように、数を揃えるというのは、対象を共通の性格で分類するという行為を促すのである。

 同じ数の塊を掛け合わせるというのは、桁を形成する。桁を形成するというのは、単位を形作る事にもなる。それは、数の体系を意味する。
 数の体系は、数の性格も規定する。
 二進法の世界と十進法の世界は、別次元の世界である。

 情報化が進んだ世界には、二進法と十進法の整合性の問題が隠されている。

 貨幣経済の空間は、十進法的空間である。それに対して、コンピューターの世界は、二進法の世界である。
 十進法の世界と二進法の世界の整合性を保つためには、十進法の世界を二進法の世界に、二進法の世界を十進法の世界に変換する必要がある。この場合、指数の働きが重要となるのである。

 そこで重要となるのは、指数の四則の演算である。指数において四則の演算が成り立つという事、それは、経済現象の時間的変化を単純な四則の演算に還元できる事を意味する。




世の中の現象には桁違いな現象がある。



 経済空間というのは、基本的に、複利的世界である。

 複利というのは、等比数列を意味する。
 経済において、変化の表現は、基数と、変化率の組み合わせだという事である。これは、単に現象から導き出された考え方なのか。それとも、数学的要請によって導き出された考え方なのか。それは、経済を理解する上で、根本的な問題なのである。

 また、変化のあり方を考える上での基本的な考え方の前提としても重要な意味を持つ。
 変化は、基本的には、累乗的な変化をする。
 これは、変化率というのが、常に、前時点、たとえば一年を単位とするならば、前年を基数とするからである。
 そして、変化は時間の関数であり、貨幣価値は、名目的価値、すなわち、任意な数値を基とした事象だからである。

 経済現象を分析するのに当たり、個々の主体の変化を考える場合は、差が重要となるが、全体を見る場合は、比、即ち、率が重要となる。差は、線形的な変化をし、率は、指数的な変化をする。

 差は、線形的変化を原則とし、率というのは、指数的変化、幾何級数的変化を前提としている。
 問題なのは、指数的変化である。指数的変化は、臨界点を超えると爆発的な変化に変質する。
 逆に、収束していく場合には、臨界点を超えると変化が殆ど認識されなくなると言う性格がある。

 ハイパーインフレがなぜ起きるのか。馬鹿げた値段がなぜつくのか。経済は、時として制御不能な状態に陥るのは何が原因なのか。そのことが、経済にとって最大の問題なのである。その事を忘れて、経済について語ったところで何の意味もないのである。経済とは現実なのである。

 また、指数は、大きな数字を対象とした場合、逆に、小さな数字を対象とした場合に重要な役割を果たす。

 現代人は、物価を上昇といった現象として認識するが、しかし、その現象がなぜ起こるのかについては未だに明確にされていない。その現象を引き起こしている原因を解明するための鍵は、物価の構成する方程式にある。物価は、数量と単位貨幣の積を基礎にして形成されるのである。又、物価を計る基準を構成する要素は、数量と単価と単位時間である。故に、物価の上昇は、指数的な爆発をするのである。

 人は、物事を直線的に捉えようとする傾向があるように思える。真実一路、真っ直ぐな生き方とか、一直線とか。しかし、現実の人生は、紆余曲折している場合が多い。変化は直線的というよりも曲線的である。
 変化というのは、足し算ではなく、掛け算を基本としている。つまり、  経済現象は、指数的、乗法的曲線を描く事があるのである。
 変化は、力によって引き起こされる。力は、加速度的な要素である。加速度は速度の積に依って求められる。

 2008年には、世界に流通する貨幣の総量が一京円を超えたと話題になった。
 資産家を呼ぶのでも、かつては、百万長者で事足りたが、時間が経つにつれて百万長者が億万長者となり、今では、億でも足らなくなりつつある。
 経済規模も、万から億へ。億から兆へ。兆から京へと増大し続けている。一体どこまで経済規模は拡大するのであろうか。

 第一次世界大戦後のドイツで、ハイパーインフレーションが起こり、結局、一兆パピエルマルクを一レンテンマルクに交換する事で収束した。

 近年では、ジンバブエにおいて2008年7月現在で2億3100万%とという猛烈なインフレーションに襲われた。

 経済では、時折、この様な爆発的な現象が起こる。変化は、指数的爆発と言われるような現象を引き起こす。そして、この様な急激な変化を理解するためには、指数を理解する必要がある。

 なぜ、経済現象においてこの様な桁違いの現象が発生するのかというと、経済は、観念の世界の事象であるという点がある。また、経済現象の基本が幾何級数的な事象だと言う事に起因している。

 我々は、経済現象を捉える時、貨幣価値の時間価値は、複利的、即ち、幾何級数的に上昇すると言う事を忘れてはならない。
 つまり、貨幣価値は、最初のうちは小さな変化でも、時間がたつとどこかの時点で、飛躍的に上昇すると言う事である。それに対して、物の経済は、基本的に算術級数的な変化である。需要にせよ、供給にせよ、何等かの制約があり、拡大にも自ずと限界がある。

 貨幣に換算される貨幣価値は名目的価値である。物自体の持つ貨幣価値は、実質的価値である。
 名目的価値は、基本的に単位期間に対して複利、即ち、幾何級数的に上昇する。それに対して、実質的価値には、物理的な限界がある。産業革命以後の生産革命は、この物理的な限界を凌駕して発達してきた。しかし、地球環境は有限である以上いつか、生産力の壁にぶつかる。名目的価値は、開かれた価値であり、無限に拡大することが可能である。それに対して実質的価値は有限である。この事を前提として経済は考察されなければならない。

 経済の仕組みは、人、物、金の要否から成る者の分配を目的とした大きな仕掛けといえる。
 人の要素は、所得に還元され、物の要素は、生産力に、金の要素は、通貨の供給力に還元される。

 近代市場経済は、経済成長、即ち、市場の拡大を前提とし所得の上昇によって成立している。経済成長、市場の拡大は、貨幣価値の時間的増大を前提としている。時間価値は、複利的、即ち、指数的に拡大する。しかし、物の生産、あるいは、重要は、限界がある。
 貨幣価値が爆発的な増大すれば、必然的に貨幣価値の下落を招く。市場は拡大均衡から縮小均衡へと向かわざるを得なくなる。それは、バブルからデフレへの転換、そして、資産価値の圧縮、市場の収縮、所得の減少、消費の減退、生産力の収縮と負の連鎖を引き起こす。

 経済の持続的安定を実現するためには、負の連鎖反応をどの様に食い止め、防ぐ仕組みを構築するかが、鍵なのである。

 我々の意識の中には、負は悪であり、借金や負債は、悪い事だという意識が潜在的にあるように思われる。そして、一度、市場が飽和状態になり、経済成長が限界に達すると貸し手側は、資金の回収を専らにし、借り手側は、資金の返済に負われると言う構図が出来上がってしまう。
 しかし、本来、経済は、正と負を繰り返すことによって資金を循環し、その循環によって財を回転させる仕組みなのである。問題は、市場が縮小に向かい正から負へと転換した時、どの様にして資金を循環させるかなのである。
 負は悪だとして、借金や負債を否定的にのみ捉えたら、負の連鎖を食い止めることは出来ない。

 負債は名目的価値を保つのに、資産は、実質価値によって収縮する。この貨幣価値の非対称性が不況を深刻化するのである。
 この様な、名目的価値と実質的価値は、常に不均衡な状態にあり、又、不均衡な状態だからこそ市場はエネルギーを蓄えられるのである。

 この物や人の経済と金の経済の不均衡こそ、ハイパーインフレーションや恐慌の潜在的な要因なのである。

 問題は、正から負へ、負から正への転換点、分岐点をどこで見出すかである。
 負だから悪いのではない。正から負、負から正へと経済は常に揺れ動いているという原則を忘れているから悪いのである。

 貨幣とは。元来、負な存在なのである。

 対数は、複利を直線に変える。時間価値は、複利である。時間価値は、対数である。時間価値は、等比数列である。対数は、等比数列を直線に変える。対数は、等比数列と等差数列を結び付ける。また、等比数列を等差数列に変換する。即ち、対数は、時間価値を平準化する。

 現象を構成する要素は、一つの全体と変化する部分、そして、変化させる力である。全体は、位置として表され、変化する部分は、差として表される。比とは、要因であり、差は結果である。全体は、一つの基準単位とすることができる。部分も一つの単位とすることができる。変化させる力は、変化する部分に対する働きである。
 比は、全体と部分によって成立し、差は力によって決まる。力は方向と量から構成される。
 全体と変化する部分は、比として表すことができる。差は、比率と時間の積である。時間とは、一回転するのに要する時間の長さである。故に、一回転するの要する時間の長さを単位時間で割れば回転数が求められる。全体の量に比と回転数をかけることによって差が明らかになる。差は、回転数と比率の積である。
 この比と差から、現象の背後にある関係、即ち、力の性質を解明するのである。力は速度の積である。


平方数、立方数



 経済で重要なのは、数と数とを掛け合わせる事である。中でも、自然数の掛け合わせは、経済にとって重要な意味を持つ。

 同じ自然数を二回掛け合わせた数を平方数という。三回掛け合わせた数を立方数という。平方数や立方数は、いろいろな性格を持っている。そして、経済のみならずいろいろな事象の単位としての働きを持つ。

 連続した奇数の和は平方数になる。

 空間を計測する単位は、同じ数を掛け合わせる事で設定される。

 同じ数を掛け合わす事を累乗、或いは、冪乗という。特に、同じ数を二つ掛け合わせる事を二乗と言い、自然数の二乗を平方数という。平方というのは、面積の単位でもある。

 面積というのは、二次空間を意味し、平方数は、二次元を表す単位でもある。そして、三次元を表しているのが立方で、立方は体積の単位でもある。

 この様に、累乗というのは、次元や空間を表す。

 経済的変化は、累乗である。故に、変化を引き起こす力も累乗である。また、空間も累乗空間である。累乗というのは、平方である。
 空間や次元は掛け算によって成立する。

 この様な変化を前提とした分布は、対数正規分布として現れることがある。
 正規分布は足し算によって現れるが対数正規分布は、掛け算によって現れる。
 掛け算は、対数をとると足し算になる。(「ウソを見破る統計学」神永正博著 ブルーバックス講談社)

 経済の分布は「べき分布」でもある。

 二乗は、力を表す。力は、運動の方程式でもある。

 同じ数字を二つ掛け合わせると空間や力を表す方程式が成立する。それが重要なのである。
 この事は、物の世界でも、事の世界でも言える。
 経済空間において平方は、特別な意味を持っている。
 それが時間価値である。

 経済現象には、爆発的な現象、又、ある時点を越えた瞬間、急激な変動が転じる事が度々起こる。つまり、世の中の現象には、桁違いな現象がよく起こる。
 バブルとか、ハイパーインフレと言われる現象が好例である。そして、爆発的な変動が起きるたびに、国家、社会は激震し、人々の生活は、予測を越えた変化によって甚大な被害を被るのである。この様な爆発的な現象を予知し、それに対する対策が立てられれば経済は、より安定したものになる。その為には、爆発的な現象の背後にある仕組みを理解する必要がある。
 この様な爆発的現象の背景には、指数や羃数、複利などの関数が隠されている場合が多い事を理解しておかなければならない。

 指数は、この様な桁違いな事象を解明したり、説明する時に威力を発揮する。
 桁違いというが、桁違いとは何を意味するのか。桁というのは、位取りを基礎とした概念である。指数は、位取りを確立するうえで重要な概念である。
 桁は、位取りが確立されることによって成立した概念である。つまり、桁違いというのは、一桁、二桁と上昇する意味を持つ。この桁違いの変化を理解するためには、指数的発想や対数的発想が必要となるのである。

 一般に考えられている以上に規模が大きい事を桁違いに大きいと言うが、時折、経済現象は桁違いに大きい事象に発展することがある。
 桁違いに大きいと言うが、では桁とは何を意味するであろうか。

 指数で重要なのは、位取りである。
 位取りというのは、桁を確立する。桁と言う事によって数は、一定の集合を形成することができる。

 指数の底は桁数を表す。十進法の底は、十であり、二進法の底は、二である。

 我々は、基本的には、10進法の世界で暮らしている。
 なぜ、基本的にはと言うと全てが10進法でできているわけではないからである。時間は、60進法と12進法、二進法、更に七進法を組み合わせてできている。月になると固定した桁があるわけではない。
 また、コンピューターの世界は、2進法である。
 
 位取りというのは、一定の数の塊を組み合わせて形成される。
 しかし、数の塊というのは、必ずしも一定の基準があるとは限らないのである。

 十進法が世の中の基礎になったのは、意外と最近のことである。しかし、十進法が定着してしまうと、十進法を所与の前提としていつの間にか、考えるようになってしまた。
 しかし、新たに出現したコンピューターの世界を見ても解るように、十進法以外の位取りの方が都合の良い世界もあるのである。

 位取りというのは、十進法ならば、10を1つの位として桁が構成されている数体系を意味する。そして、十進法の場合は、10を底とする。
 現在の経済や物理的空間は、一部の例外を除いて10を底にした10進法に基づいている。つまり、10が1つの単位を構成する数体系を基盤にして経済は成り立っている。
 そして、この位取りの発想の根底には、指数がある。
 なぜ、10なのか。それには、さしたる根拠はない。つまり、有識者が集まってその様に決め、合意に達したからである。何を底とするのかは、任意な問題である。野球はなぜ、九人でやるのか。サッカーは、なぜ、11人でなければならないのかといった問題と同程度である。
 肝心なのは、我々の住む今日の世界は、10を基調とした世界だと言う事である。
 10進法が基調となってのも決して遠い昔のことではない。日本の江戸時代では、貨幣単位は、1両が4分で、一分は、4朱。1朱は4糸目と4進法が取られていた。
 日本で10進法が取られたのは明治維新後である。
 10進法以外の貨幣単位を採用していたのは、日本だけではない。例えば、イギリスでも1971年に10進法に移行するまでは、1ポンド20シリング、1シリング12ペンスであった。
 つまり、10進法の世界になったのは、さほど昔のことではない。

 今でも時間は、六十進法、十二進法、二進法、七進法を組み合わせたものである。更に、月の日数は、マチマチである。

 経済現象の多くは、直線的な軌跡を描かない。曲線的な軌跡を描くものである。故に、経済現象は線形的と言うよりも指数的な現象といえる。指数的という事は、対数的とも言える。経済現象は、指数的軌跡と対数的軌跡が混在している場合が多いのである。




回転と比率


 量か、率かは、回転率か、率かと置き換えることもできる。
 回転を重視するか、利益率を重視するかは、市場の状況や成長段階によっても違ってくる。成長期には回転を高め、成熟期には、率で儲けるというのが原則である。回転で儲けるか、利益率で儲けるかによって市場の仕組みをも違ってくる。
 差か比かは、量か率かの問題にも発展する。

 回転と率が掛け合わされると変化は、算術級数的変化から幾何級数的変化に転換する。
 つまり、単利的変化から複利的な変化へと変質するのである。幾何級数的な変化とは、指数的変化である。
 そして、自由主義経済の根本は幾何級数的変化であることを忘れてはならない。

 変化は、回転と比率に分解できる。例えば、企業の利益は、利益率に回転数をかけることで割り出すことができる。 

 経済的変化の基本は足し算ではなく、掛け算である。それは、変化は、力によって起こるからである。
 力は、足し算、即ち、加法的に作用するのではなく、掛け算、即ち、乗法的に作用する。故に、変化は、指数的なものであり、線形的なものではない。変化は幾何級数的な軌跡を描き、算術級数的にはならない。

 また、経済的変化が掛け算だというのは、経済的変化の基本方程式が、回転数かける比率だからである。回転数は、単位期間が設定されることで明らかにされる。故に、経済現象は、指数的な変化である

 幾何級数的変化は、個々の変化率は低くてもある一定の期間を経過すると爆発的な変化になる特徴があることを念頭に置いておくこと必要がある。この様な変化を制御する要素が回転である。

 また、量的な拡大は、質的な変化をもたらす。その一つの在り方が相転移である。経済現象は、量的な拡大によって質的な変化を遂げることがある。それが産業革命という形で現れたり、バブルや大恐慌というか現象として現れることがある。その変化の分岐点、特異点を見極めることが重要となる。

 金利も利率と回転期間で計算できる。
 単利か複利かの違いは、一回転に要する期間に置き換えて理解することも可能である。
 一回転するのに、十年かかるのか、一年かかるのか、半年かかるのか、一月かかるのか。金利は、一回転を単位としている。一回転では単利なのである。つまり、単利か、複利かは、単位期間の長さの違いである。

 単位期間を設定することによって指数的現象を線形的な現象に置き換えることができる。

 経済制度は、最初に設定され前提の上に成り立っている。経済は、歴史的産物である。数値的現象として現れる経済現象は、最初に設定された条件の延長線上に導かれる。故に、経済的価値の多くは、初期設定、初期条件が重要となる。

 成長は幾何級数的な事象か、算術級数的な事象なのかは、前提条件の設定の仕方によって変わってくる。
 成長、変化の基準は、差か、比かというのは、単位期間の取り方の問題だからである。

 変化の基本は、足し算ではなく、掛け算である。つまり、指数的なものである。故に、時間と伴に加速度がつき幾何級数的に拡大していく。経済的変化は、線形的、算術級数的な変化ではない。

 我々が日常生活をおくる空間では、力は、質量かける加速度で表現できる。即ち、力は、加速度的な働く。故に、変化は、冪乗(べきじょう)、な軌跡を描く。

 取引は、集合である。取引は足し算的ではなく、掛け算的に連鎖していく。

 経済的変化は、指数曲線的に上昇し、対数曲線的に収束する。
 経済成長は、ロジスティック曲線、累積曲線(Sカーブ)、成長曲線的な軌跡を辿る場合が多い。ロジスティック曲線や累積曲線(Sカーブ)、成長曲線は、離散モデルやベアフルストモデルが有名である。離散モデルはカオスへと繋がる。
 経済成長が成長曲線を描くのは、個々の取引に作用反作用の法則が働くからである。即ち、一つの取引の働きには、必ず、同量の取引に順な方向の働きと反対方向の働きがある。その作用反作用によって取引は均衡しているという原則である。そして、取引の方向の逆に働く作用は、負荷となって変化を均衡状態に導く。
 成長を促す作用には必ず成長を抑制する作用が働いている。場に働く力は、最初は成長を加速させるが、一定の頂点を極めると逆に成長を抑制する方向に働くようになる。

 この様な取引の作用反作用が働く背景は、貨幣の循環運動、回転運動がある。つまり、経済は、一定の範囲において均衡するのである。その範囲を画定するのが貨幣の流通量である。貨幣価値の総量は、貨幣の流通量と回転数によって決まる。回転数は取引数に比例する。

 物価も取引の回転速度が速くなると上昇速度も速くなるが、市場が飽和状態になると上昇速度も加速度的に減衰して平衡状態に落ち着いていく。

 又、取引は連鎖的反応であり、フラクタルに伝達される。取引は、自己相似的な事象であり、それは会計に反映される。


指数的変化



 時間価値に関わる空間は、累乗空間である。また、時間価値に関わる空間は、負のない空間でもある。故に、対数グラフによって表現された方が、より変化の形が理解しやすい。
 物価の変動を時系列的に観察する場合、指数的視点が重要な鍵を握る事となる。特に、インフレーションやデフレーションの原因や実体を理解する上では欠かせない事である。
 例えば、累乗空間は、における平均は、幾何平均でなければならない。

 複式簿記に基づく会計的空間は、正と負の空間から成り立っている。
 会計的空間は、二次元的空間である。それに対して、物の世界は、一次元的世界である。つまり、物の世界の基本は生産し、消費するである。それに対して、会計的空間では、その物の流れの反対方向に流れる貨幣の流れを想定する。物の流れには、物の流れる方向に対する反対方向に流れる貨幣の流れがあることが前提とされる。つまり、物の流れを正の方向とすれば、金の流れは、負の方向に流れるのである。
 正負の概念は、順序と言うよりも方向性が基本にあると言える。(「数とは何か」足立恒雄著 共立出版社)
 正の世界の混乱は、負の世界を制御できないことに原因があり、負の世界を制御できない要因は、正の世界の出来事にある場合が多い。
 負を否定的にのみ捉えていたら、経済問題は解決できない。
 負の世界は、貨幣的な世界であり、名目的な世界である。正の世界は、実物的、実体的世界である。
 負の世界は指数的、即ち、幾何級数的に変化するのに対して正の世界は、何等かの制約があり、多くの変化は、線形的、即ち、算術級数的に変化する。正の世界は、幾何級数的な変化だとしても、何等かの制約によって限界がある。
 名目的価値や時間価値は、幾何級数的に変化するのに対し、実物価値には、物理的な制約があり、物理的な制約による限界がある。つまり、実物価値には、臨界点があるのである。その為に、実物価値は、どこかに算術的価値に変質する。それが景気の揺らぎをもたらすのである。例えば、人間が活用できる土地には限りがある。その限界を超えて開発を推し進めれば必然的に環境問題を引き起こすのである。
 現金主義的世界は一元的なのに対して、会計的世界は、二元的で且つゼロサムを基本としている点である。
 正の世界と負の世界は構造的に一体なのである。そして、正の世界と負の世界が統制できない原因の一つに正の世界が有限なのに対して負の世界は、無限を基盤にしているという点がある。 正と負の空間は、基本的に均衡、即ち、ゼロサム的空間だと言える。
 為替はゼロサムであり、相対的だと言うことである。上がる通貨もあれば、下がる通貨もある。

 貨幣は、取引によって貨幣価値を形成する。貨幣価値は、基本的に複利的に増殖する。即ち、指数的な変化を基礎としている。

 貨幣単位は、自然数の集合である。また、貨幣価値は、複利的、幾何級数的に変化する。そこに、デノミネーションの意味がある。

 取引を構成する要素には、人的要素、物的要素、貨幣的要素がある。
 取引の有り様、状態は、直接的に市場に影響し、経済現象に働きかける。取引状況は、直接的に経済現象を引き起こしている要因なのである。
 例えば、インフレーションの原因には、人的要因、物的要因、貨幣的要因がある。
 インフレーションには、第一に、需要インフレーション、第二に、供給インフレーション、第三に、貨幣的インフレーションがある。人的要因とは、需要側の問題であり、物的要因というのは、供給側の問題である。
 人的要因というのは、消費の問題である。それに対して、物的要因には、費用に押される形で物価が上昇する事象、産業構造の偏りや歪みによって引き起こされる事象、体制の変化や経済成長の急速な発展に伴って引き起こされる事象、輸出や輸入の不均衡による事象などがあげられる。又、貨幣が要因となるインフレーションには財政による事象と信用制度に起因する事象とがある。
 いずれにしろ、経済現象は、相互牽制の上に成り立っており、相互牽制が働かなくなると幾何級数的に暴発する危険性がある。この様な経済現象を制御するのは国家制度である。

 貨幣価値は、数値的価値である。純粋に数値的価値である貨幣価値は、物理的な制約を受けない。そして、幾何級数的に貨幣価値は増殖する。幾何級数的に増殖する貨幣価値は、際限がなくなる。
 貨幣価値を抑制するのは、物的、人的制約である。物は有限である。人の命にも限りがある。この様な物的、人的制約が経済を抑制する。

 物的制約は、指数的変化を対数的な変化に変換する。それが市場の拡大に伴う質的な変化を引き起こす要因である。

 指数が関係してくるのは、等比数列である。経済が、指数的な変化をするのは、経済が基本的に等比数列的な現象だからである。
 そして、成長の多くが等比級数、即ち、複利的な変化を基調としている。それは、成長に関わる単位期間が一年を基準としているからである。

 故に、経済上の数値は、経済の成長に伴って巨大化する傾向がある。

 ゴルフで賭をするのは、違法である。しかし、お遊び程度、賭をする人は多い。なかには、悪党がいて詐欺的な賭博をしかられることもある。
 例えば、最初のホールに、百円を賭、次のホールから掛け金を倍々にていくのである。そうすると十八番ホールでは、掛け金は、千三百十万七千二百円になる。

 これに似た話として秀吉と曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)の話が伝わっている。秀吉が曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)に褒美をやろうとして新左衛門に希望を聞いたところ一日に米を一粒、次の日から倍々にして欲しいと答えたところ、秀吉は、欲のない奴だと思って許したが、一ヶ月後には、十億粒を超えることが解って取り止めたという。

 経済に時間軸を加えると経済的価値は、幾何級数的に増大していく。幾何級数的な拡大というのは加速的な拡大を意味し、際限のない膨張を意味する。膨張というのは、社会的付加を高めることを意味する。例えて言えば、経済成長は、貨幣の流量の増大を前提とし、それだけ、国家財政の拡大を前提とする。国家財政の拡大は、国家の負債を増大させる。経済の幾何級数的な膨張を抑制しようとすれば、経済成長に歯止めをかける必要がでてくる。その為には、時間的価値を抑制するしかないのである。

 かつて高度成長期、日本では、所得倍増計画が打ち上げられた。十年間で所得を倍増しようと言う計画である。十年で所得を倍増しようと言うのは、年間、十%の成長を維持しなければならないことを意味しているのではない。それは、所得が算術級数的に増えていることを意味する。しかし、実際は、幾何級数的な伸びを示すのである。所得を概ね倍増するためには、七パーセント程度の伸びを実現すればいいのである。
 所得というのは、支出と表裏をなすものである。収入が伸びると言う事は、支出も伸びると言う事である。
 社会全体で均衡していても個々の企業は、差が生じる。その差が企業損益となる。全体的に均衡していて部分的に不均衡だという事は、利益をあげている企業ばかりでなく。誰かが損をしていることを意味する。つまり、収益と費用の間には、歪みや偏りがあることを前提としているのである。
 収益と費用の年間の伸び率の差がわずかでも長い期間で見ると収益構造や利益に与える影響は大きいのである。
 一見、老舗企業の様に長いこと事業を継続している企業の方が費用負担は軽減するように思われがちだが、逆に、負担が増大している場合がある。逓減する費用と漸増する費用との構成比率が重要なのである。特に人件費は、幾何級数的に増大する傾向を持っている。それに対し、物的費用は、対数的な動きをする。その為に、多くの企業は、周期的に人員の削減を余儀なくされている。この周期が経済現象に重大な影響を与えているのである。

 変化の単位は、指数的であり、又、対数的に表すことができる。変化の尺度は計算尺で表す事ができるのである。

 経済の変化を表すためには、対数表を用いることも必要なのである。

 指数的変化には、ティッピング・ポイントがある。ティッピングポイントを過ぎると変化は、爆発的なものになる。
 経済の変化を考える上で、このティッピング・ポイントは重大な意味がある。

 成長は、成長曲線を描く。無限に拡大する成長はない。なぜならば、人も資源も有限だからである。いずれは、収束せざるを得ない。収束しなければ無限に発散してしまう。それは、破滅を意味する。故に、成長は、何時かは均衡点に達する。収束しなければ、収束させる方向に変える必要がある。
 故に、成長は、成長曲線を描く。

 数学というと数字を思い浮かべるが、本来数学は、幾何、即ち図形に基礎を置いているという局面を持つ。代数だけが数学なのではない。数学の根底には幾何学もある。音楽も又、数学だと言える。数学の一部には、数値化できない部分がある。



この世の中は、複利的変化が基礎にある。



 十進法的世界においては、百分の一か、千分の一かは重大な意味を持つ。
 指数的変化において、この百分の一と千分の一の差は一つの次元を変えてしまう。言い換えると一パーセント以上か一パーセント未満かで、変化の次元が変わるのである。そして、これは成長率や負債、金利を考える上で重要な境界線となる。
 指数的変化では、一とゼロの間か、一か、一以上かが、変化の形を支配している。
 この性格は、特に経済に重要な意味を持っている。

 「ある状態」に、「ある数字」を掛けた状態は、「ある状態」に対してある操作をした後の状態に均しい。この場合の「ある数字」こそ固定値である。
 この固定値の値によって無限に発展するか、何らかの値に収束するかが決まる。(「とんでもなく面白い仕事に役立つ数学」西成活紘著 日経BP社)
 例えば、固定値をrとする。
 r<0の場合は、収束し、r=1の場合、一で変わらず。r>1の場合、発散する。
 固定値は、指数の底である。固定値が変わると相が変わる。

 経済の状態は、変化によって捉えるのが常道である。というよりも変化に依ってしか捉えられないといった方がいい。その為に、経済の本質は変化だと錯覚されやすい。しかし、経済の実体の多くは、変化しない部分に隠されている。つまり、変化によって変化の背後にある経済の実相を捉えることが経済を理解するために求められることなのである。その点を忘れてはならない。

 一口に変化と言うが、変化から経済の実相を捉えるのは、結構、難しい。
 何が、何によって変化しているのか。そして、その背後で変わらない物は何か。それを見極めることが難しいからである。
 何に対して、何を基にして変化しているのか。それも重要となる。なぜならば、変化というのは、基本的に相対的な現象だからである。

 変化を捉えるのには、変化率によるのか。それとも実数によるのかも重要になる。いずれにしても、変化は、比か差かによって捉えることになる。

 変化は、視点や立場によっても違ってくる。我が国にとってプラスでも相手国にとってはマイナスと言う事もある。それを一概にプラスかマイナスかで議論したら水掛け論になる。

 世の中の変化は、複利的変化が基本である。
 なぜならば、一定の期間を基礎としてそれに変化率を掛け合わせていくことになるからである。
 典型的なのは、複式簿記である。
 金利にしても単利というのは、複数年を一単位とするから、成立するのであり、単位を重ねていくと複利になる。
 つまり、基本は複利である。

 つまり、変化というのは、指数的なものであり、変化を線形的関係に置き換える場合は、対数表が有効なのも変化が指数的であることによる。

 先にも述べたように、変化率が一定に上昇し続ければ変化は、急カーブを描いて上昇していく。
 それに対して、変化率が一定の幅で増減すると変化は、若干、下降気味となる。逆に、一定の率で下がり続けると下降の幅は狭まっていく。

 この変化は、インフレーションやデフレーションの在り方を決める。
 つまり、インフレーションは、加速度的に上昇し、デフレーションは、極限的に収束していく。

 我々は、指数的変化、複利的変化、幾何級数的変化を累乗的な上昇として捉えがちである。しかし、それほど単純ではない。
 複利的変化も単に上昇しているだけとは限らない。減少している場合もある。また、小数点以下の上昇率の場合もある。だから、前提や単位をどの様に取るかが重要となるのである。

 経済現象を分析する際は、この変化の形が、基本となる。特に、インフレーションやデフレーションを研究する際には重要となる。

 一般に人は、変化を直線的、即ち、線形的、単利的な事象として認識する傾向がある。しかし、実際の変化は、複利的なものである。
 この認識の差が経済に影響を与える。
 複利的であるから、物価や所得は、最初、緩やかに上昇する。それがだんだんに加速し、ある時期から急速に上昇していく。

 この様な変化の傾向を弱める為には、貨幣制度に体系や階層を設けるのも悪くない事である。第一、戦前の日本の貨幣制度も戦前までは、円のみでなく、銭や分という単位もあったのである。
 今日上昇する貨幣価値の変化に対応するためには、貨幣制度に階層を設ける事は有効な手段である。


       

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