場の理念


市場(取引の場・交換の場)

C 市場取引における債務の働き


 過剰流動性とは、金余り現象を指すわけではない。金融市場に、貨幣が滞留した状態を指すのである。

 短期的な収益を基準としている金融機関は、実物市場で収益が上がらなくなり、金融機関は、資金の回収をはじめる。その結果、金融市場に資金が滞留するようになる。それが過剰流動性である。金融機関に滞留した通貨は、借りた金であるから、時間と伴に、金利が債務として増殖する。この債務を解消するために、債券を発行して、金利を稼ぎ出そうとする。つまり、金利で金利を返そうとする。
 つまり、、金融機関は、時間的価値である金利を稼がないと経営が、成り立たなくなる。その為に、金融機関は、金融商品を開発して金融市場内部で貨幣価値を増殖させるようになる。それが実体のない貨幣価値の増殖を生み出すのである。それが、バブル現象である。
 一旦バブル現象が始まると実物市場から金融市場が資金を吸い上げてしまう。その為に、名目的な市場の拡大、経済成長は持続するが、実体を伴わないために、市場が疎となり、仮需要が旺盛になる。実物市場は衰弱し、金融市場は隆盛する。
 金融市場は、潜在的資産価値、即ち、財の将来の時間価値を担保とする。それは、土地や株と言った財の時間的価値を担保とする。それは、財の将来価値と、現在価値との差に依拠する。現在価値、即ち、財として取り引きされる実質的価値と将来的価値の差が制約条件として働く事を意味する。自ずと金融商品の価値にも限界がある。将来的価値と現在的価値の管理が限界に達した時、バブルは、崩壊する。
 バブルは、財の将来価値、即ち、未実現利益を前提している。バブルが崩壊すると、巨額の負の時間価値が発生する。この時間価値は、実物市場に対して返済圧力として作用する。つまり、通貨の流通に対する負荷となる。そのために、実物市場に通貨が流通しなくなるのである。

 借入、借金というと一般にあまり良い印象を持たれない。どちらかという悪いことのように捉えがちである。しかし、現代社会は、負債によって成り立っている。信用の裏付けには、負債があるのである。借入金もただ返せば良いというものではない。借入金の減少は、信用収縮を意味する場合があるからである。
 景気が悪くなりはじめると、一時的に企業の財務内容が改善されているように見えることがある。しかし、それは、資金が回収されていることを意味する。つまり、収益の多くを借金の返済に充てている結果である。信用の収縮を意味する。企業の財務内容が改善されているわけではない。
 逆に、借入を活用して利鞘を稼ぐことは、有能の証だと見なされたときもある。アメリカで、キャッシュフローがもてはやされた時代、つまり、2008年の金融危機が起こる直前は、借入によるレパレッジ効果が高く評価されたこともある。
 現金をただ蓄え、あるいは、含み資産を持つ事は、企業経営として資産を無為に遊ばせているだけだというのである。

 負債を単純に返済のための準備金のように捉えると負債の持つ能動的な働きが否定されてしまう。人は、借金をすると返済することばかりに追われてしまうが、借金は、資金調達という積極的な要素があることを忘れてはならない。もう一つの機能として、信用の創出である。ある意味で今日の信用制度は、債務、即ち、負債、借金を下地にして成り立っていると言えるのである。

 債務には、支払義務が生じる。それが信用の基盤になるのである。借金というのは、資金の調達手段という側面が先にあって、支払義務が付随的に生じる行為なのである。そして、その支払義務は、借り入れた者に対する信用に基づいて成立している。更に、それを担保する物が裏付けに在れば、信用は確立される。また、法制度がこの信用を保証することによって信用制度は社会的な裏付けも持たされる。その信用制度を基盤にして成り立っているのが今日の市場制度である。
 故に、債務は、現在的貨幣価値の実現を意味している。つまり、現金収入を実現する変わりに、支払義務を負うことを意味するのである。そして、この事が同量の貨幣価値を持つ現金と債権を生じさせるのである。

 借入金は、良くも悪くもない。ただ借入には、波があるという事だけは覚えておく必要がある。その波に合わせて資金の収支を調整するのが金融機関の役割である。
 借入金の波は、資金の波に重なる。資金の波には、現金の受け取りと支払の二つの波があり、受取による波と支払による波の間には、時間差が生じる。その為に、現金の受け取りと支払の間にある時間差を調整する必要がある。
 それが運転資金である。また、運転資金に支障をきたすと企業経営は、継続できなくなる。運転資金の調達は、一般に借入によってなされる。
 目先の利益や短期的収益だけで企業業績を判断し、運転資金を供給しなくなったり、資金の回収に走ると企業は破産する。
 景気の下降局面や上昇局面と言った運転資金の変動期におこる資金繰り倒産、黒字倒産の原因は、この様な金融機関のご都合主義や短絡的発想に依るところが大きい。
 現象だけを追いかけ対症療法的な対策では、換えって、資金の必要なところから資金を回収し、資金が余っているところに融資すると言った、逆方向の動きをしかねないのである。
 それは、金融機関だけでなく社会全体に経済のあるべき姿に対する構想が欠けているからである。

 産業は、資金を循環させることによって成り立っている。資金繰りがつかなくなれば、業績に関係なく、経営は成り立たなくなる。実物市場に資金が廻らなくなれば、消費は減退し、産業は衰退する。つまり、市場が機能しなくなり、財の分配が滞るようになるのである。その極端な例が恐慌である。

 恐慌で問題なのは、財を必要としているのに、財を購入するための資金が廻っていないという事なのである。
 故に、恐慌に対する対策は、資金を循環させることである。つまり、買い手に資金が廻るようにすることである。買い手は、財を必要としているのであるから、資金が廻れば需要は喚起される。
 その為には、雇用を作り出して、資金を供給することである。ただ、それは、闇雲に公共投資を増やせばいいと言うのではない。資金や財の環流は、市場のおける空間的差、時間的差によって生じる。

 ゆえに、公共投資による景気の浮揚は、市場の差を利用しないと効果が上げられない。なぜならば、資金を循環させ、景気を活性化するのは、市場における差の活力だからである。
 一つの産業が興隆する初期の段階に公共の資金を投入すれば、市場の所得が先行的に上がり、成長による時間的差を先取りすることによって景気は活性化する。しかし、成熟段階に在る市場に資金を投入しても新たな需要ぱ喚起されず。市場は活性化されない。むしろ、余剰の資金が金融市場に吸い上げられ、滞留して過剰流動性を引き起こす原因になる。つまり、成長が見込める産業に集中的に資金を投入しない限り、資金は環流せず。市場に偏りを生じさせるだけの結果に終わるのである。
 もう一つ重要なのは、市場に万遍なく貨幣を行き渡らせる必要があることである。その為には、市場の密度を高めるような形で資金を投入する必要がある。

 雇用を担っているのは、中小企業である。SBAの資料によると、2004年現在、アメリカの全雇用企業数に占める中小企業の比率は、99.7%にのぼり、民間部門就業者数に占める比率は、50.9%、民間雇用者所得に占める比率は、44.3%をそれぞれ占めている。それを考えても景気を良くする鍵は、中小企業が担っている。また、金を回しているのは、根本的に日銭商売である。また、景気の変動によるダメージを受けやすいのも中小自営業者である。逆にしたたかに生き残るのも自営業者である。
 中小企業を成立させているのは、経済的に自立した自営業者、市民である。ささやかな成功者である。だからこそ、政治的な影響力も大きい。また、中小自営業者は、地域経済の要でもある。
 産業的には、新興産業よりも、斜陽産業と見られている、伝統的産業、コモディティ産業である。
 一見、新興産業は、新たな雇用と、需要を生み出すように見える。しかし、実際は、新興産業には、リスクも限界もあると、考えるべきである。バブルを引き起こし、市場の混乱を引き起こしているのが、新興産業である事が好例である。
 問題は、なぜ、伝統的産業やコモディティ産業が斜陽化したかである。それは、市場にある。つまり、市場が適正な価格を維持できないことにある。
 市場にいかに差を作り出すか、また、差を維持するのかが、重要な鍵を握っている。成熟期の市場の差は、市場の仕組みによって維持される。つまり、何等かの装置によって維持されるのである。

 重要なことは、産業や企業を保護することではなく。市場を保護することである。
 いつの時代でも夢は、町工場から生まれた。

 アメリカでは、中小企業は、銀行借入が困難で、規制が厳しいという日本の研究もある。何れにしても、市場の密度を高め、資金の円滑な循環を促す意味においても中小企業の育成は欠かせない。

 実際的なところ景気が悪化した時、雇用を創出している余地があるのは、中小企業や自営業、個人事業である。
 不景気になると大企業は、すぐに人員削減を打ち出す。それは、大企業にとって人件費はコストでしかないからである。それに対して、中小企業にとって人件費は人である。また、大企業にとっては、人件費は下方硬直的な費用であるのにたいし、中小企業では、柔軟性がある程度、保たれるからである。それに誰も雇ってくれなければ、自分で事業を興すしかなくなる。いずれにせよ、景気が悪化した時に市場の緩衝材になるのは、中小企業や自営業、個人事業である。

 大多数の人が財の将来価値が上がると考えれば時間的価値はプラスに作用し、下がると考えるとマイナスに作用する。市場の成長や拡大が期待できる内は、将来的価値が上昇すると判断して投資する。しかし、将来的価値が下落すると考えるようになると投資した資金を回収する方向に動く。
 では、その変化の分岐点は何か。それは、支払い能力に求められる。支払い能力というのは、所得から固定的な支払を差し引いたもの、即ち、可処分所得が基本となる。
 人は投資する場合、手持ち資金か、手持ち資金が足りない場合は、借金、即ち、負債に頼る。負債というのは、将来的価値の先取りである。今、買って、後から払うと言う事を意味する。つまり、返済が生じるのである。この返済は、固定的な出費であるから、所得からこの固定的出費を差し引いた額が可処分所得である。この可処分所得の範囲内で生計費を納める必要がある。故に、可処分所得の限界が個々の人達の臨界点になる。負債は、累積するために、固定的な出費も嵩んでくる。それがある臨界点に達すると投資に陰りが生じ、市場は、収縮を始める。

 時間的価値において、何が重要なのか。それは、希望。希望である。

 2008年に始まる金融危機の背景にもアメリカの住宅市場の乱高下がある。それは、住宅価格の上昇期待が失われた事と支払い能力の限界を超えたことが原因なのである。

 市場は、拡大と収縮を繰り返している。その拡大と収縮の繰り返しが、経済の循環運動と周期運動を引き起こしている。市場の拡大と収縮の運動を前提とした市場の仕組みを構築しないと、経済は制御できないのである。








                    


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