場の理念


消費の場


A 消費の場



 消費は文化の源である。食文化が好例である。食の多様化が食の文化を生み出し、人々の生活に潤いをもたらした。食は、単なる餌から、嗜好品になった。食事は、喜びに変じたのである。そして、食が文化になった。その根底には、消費経済がある。
 消費が経済を牽引し、生産が、経済を推進する。

 本来、消費者が一番力を持っていなければならないのに、生産者、市場から見ると今、一番、力をなくしている。その現れが家内労働の軽視と、それに端を発した家庭労働である。また、介護や育児、家事の外注化も家庭崩壊に拍車をかけている。つまり、消費の場の崩壊が根底にある。

 経済には、消費の場があり、消費経済がある。労働にも、生産的労働の他に、消費的労働がある。そして、消費の場は、消費的労働の場である。
 消費的労働の代表的なものは、掃除、洗濯、料理と言った家事、それから、育児、教育、介護、医療、福祉、政治、司法、行政、治安、防災、国防と言ったものである。
 また、消費の場は、家計、財政といった共同体内部に多くが占められている。つまり、家庭の内、家内である。

 消費の場には、人的な場、物的な場、貨幣的な場がある。

 狭い意味の仕事や働くという言葉の中には、生産的な仕事という意味に限定されている場合がある。それが問題なのである。所得を得る労働だけが仕事や働きなのではない。家事も立派な仕事であり、働きである。
 また、政治や行政というのは、消費的労働に含まれる。
 家計から見ると生産的労働は、外在的労働であり、消費的労働は、内在的労働である。
 働きに出るとか、稼いでくると言った表現に外の労働を暗に高く評価している響きがある。しかし、生産労働と消費労働は、表裏を為す労働であり、どちらか一方が優れているというわけではない。
 ただ、労働の評価を、所得によって計る傾向がある。その為に、仕事というと、専ら家の外の仕事、職業を指すような風潮が強くなった。それが、家事労働の社会的地位が確立されない原因の一つである。
 しかし、家計から見ると家事が主であり、職業は従である。

 消費の場は、生活の場である。生活の場であるから、住む場である。職場というのは、所得を得る仕事の場である。

 家事というのは、複合的、総合的、一般的、内向的、自己完結的労働である。それに対して、職業というのは、単一的、専門的、特殊、外向的、組織的な仕事である。つまり、家事に要求されるのは、総合的能力であり、職業に要求されるのは専門的能力である。

 現代では、稼ぐことばかりが経済の主要問題だが、使い方も重要なのである。例えば、公共事業として景気浮揚策は、専ら予算ばかりが問題にされ、使い道は、あまり斟酌されない。しかし、景気に対する影響、効果は、むしろ使い道に左右される場合が多い。使い方を間違うと景気を良くするどころか、かえって悪化させてしまう。財政問題の主要な部分は、公金の使い方である。何に公金を使うかである。
 稼ぎ方も重要だが、使い方も重要なのである。職業は、所得に関わる労働、生活は、支出に関わる労働である。

 無駄遣いという考え方がいつの間にか忘れられた。しかし、無駄遣いは、いろいろな弊害をもたらす。
 無駄遣いの最たるものが戦争である。戦争は、人類最大の壮大な無駄遣いである。例え、その様な無駄遣いが景気を浮揚させたとしても何の益もない。戦争でしか景気が、よくならない経済体制があったとしたら、それは、経済構造のどこかに欠陥があるのである。

 消費の場は消費の構造によって形作られる。

 原初、経済は、自給自足を旨とした。その時代の経済は、専ら共同体内部の現象だったのである。
 自給自足の時代には、市場は必要とされなかった。つまり、生産と消費が分離していなかったのである。生産の場と、消費の場が分離する過程で市場が生じ、市場が成立する過程で貨幣が流通した。貨幣が流通することによって社会的な分業が促進されたのである。この段階で経済を構成する場は、生産の場、市場、消費の場である。ただ、自給自足体制が混在する社会では、生産と消費は、同じ共同体内部に存在していた。即ち、経済の場は、共同体と市場からなっていたのである。そして、仕事には、共同体内部の仕事と共同体外部、即ち、市場的仕事に分類することも出来る。

 発生の要因から見ても解るように、市場は、貨幣的空間であり、交換の場である。市場の仕事は、一般に取引を基調とした仕事である。
 共同体は、生産の場であり、消費の場である。共同が作り出す場は、共同の場であり、生活の現場である。共同体は、非貨幣的空間であり、倫理的、また、掟によって成り立つ空間である。故に、共同体内部の仕事は、人間関係を基礎とした 仕事である。
 つまり、市場では取引に拘束され、共同体では、人間関係に束縛される。
 その為に、生産的労働、消費的労働、市場の労働は、質、量、密度が違う。また、その労働とその労働に対する考え方、評価の仕方が違う。この点を念頭に置いておく必要がある。市場と共同体では、価値観の基盤が違うのである。市場では、損得が価値観の基盤となり、共同体では、善悪が価値観の基盤となる。






                    


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