標 準 化

標準化


 現代経済の根本は、均衡である。その均衡を実現するために標準化がある。

 標準化というのは、任意の集合体を構成する個々の要素をある一定の状態に統一することである。一定の基準に全体を合わせることである。
 標準化は、単位を成立させるための前提となる。標準化は、単位化を促進する。また、標準化は、平均化や、平準化を意味する。

 標準化というのは、平準化に繋がる。そして、平準化というのは、偏りがない事、つまり、均衡である。

 標準化は、効率や生産力を高める。それは、標準化は、互換性、汎用性を高めるからである。標準化された物や作業は、部品化することができる。部品化されると、その部分は、取り替えたり、組み替えることが容易に、かつ、可能になる。つまり、汎用性が高くなる。また、大量にかつ合理的に生産することが可能となる。それによって生産性や効率が高まる。

 現代社会は、あらゆる価値が標準化され、平均化されつつある。
 それは、単位の問題である。つまり、単位が、統一されることによって同一化、均一化されるのである。

 標準化の持つ意味は、重要である。また、その意味を正しく理解しないと重大な過ちを犯す。それは、標準化の意味である。

 標準化の典型的な例は、集合教育である。中でも学級教育である。
 学級化が標準化の典型だとしたら、学級問題の多くは、標準化による弊害でもある。故に、学級問題を考えると標準化の欠点も見えてくる。

 学級教育は、一定の年齢の、一定の人数の子供によって一つの学級を構成し、それを規定された教科書によって決められた人数の教師(基本的には一人の教師)によって規定の時間で教育する制度である。
 この様に、一定の基準によって一定の状態を維持することが標準化である。

 また、標準化は、学級制度を見ても解るように、クラス化、階層化の前提となる。階層間の移動が自由でない場合、規制されている場合は、階級化される。

 所得は、標準化されると階層化される。この階層間が固定され、移動できなくなると階級化し、身分化される。

 市場の規模と拡大を考える時、所得の標準化も合わせて考える必要がある。市場の拡大は、量の増大だけでなく、市場の広がりも認識する必要がある。即ち、市場の拡大は、水平的拡大と、垂直的拡大がある。

 一定の所得の集団が標準化されると生活水準も標準化される。それは、市場の水平的拡大を誘発する。同時に、生活水準によって社会が階層化されると垂直的な市場の拡大を誘発する。水平的拡大は、量的拡大をもたらし、水平的拡大は、質的拡大を意味する。

 つまり、市場の拡大は、所得水準の均衡が重要な要素でもある。最低限の所得が保証され、尚かつ、拡がることが市場の拡大に繋がる。所得水準に偏りがあると、市場は不均衡なものとなり均衡しなくなる。

 バブル現象という言葉が経済ではよく使われる。しかし、実際は、バブルと言うよりも一種の盛り上がりだと考えた方が良い。即ち、偏りである。偏りは、資金の流れを悪くする。必要なところに資金が流れなくする。反面、一部に過剰な資金の流れを作る。金詰まりの原因となり、ストックと、フローの水準の均衡を崩す。

 バブルというのは、ストック部分、つまり、資産、債権が異常な高騰を見せることを言う。債権が高騰すると言う事は、債務の増大も意味する。債権の増大は、ある一定のレベル、実体経済の水準を超えると債務負担からの圧力が徐々に強まる。それが極限に達した時、急速な収縮を招くのである。

 バブルというのは、前兆現象であり、その後に来る、崩壊、収縮現象が破壊的なのである。バブルと崩壊、また、収縮現象を私は、ブラックホール現象と言う。

 債務には、債権を購入する際の資金の提供という作用と負債の返済という作用がある。資金提供という作用は、上昇圧力となり、負債の返済は、下降圧力となる。債権には、債務の裏付けという作用と権利の行使、流動化という作用がある。債務の裏付けは、上昇圧力に、権利の行使、流動化は下降圧力になる。

 ブラックホール現象とは、資産価値が急速に拡大した後、反転して急速に収縮する現象を指して言う。続に、バブルと言うがバブルというのは、資産価値の高騰を意味し、その後に来る資産価値の急速な収縮は考慮されていない。しかし、実際は、急速な収縮活動が怖いのである。

 経済は、暴走すると内部に向かって収縮するか、外部に向かって発散するかしかない。内部に向かって収縮すれば内部崩壊をきたすし、外部に向かって発散すれば爆発かバブルである。それがブラックホール現象を引き起こす原因となる。また、この様な現象は、予測がつきにくい。しかし、それでも何等かの前兆現象があるからそれを的確につかむ必要がある。

 経済が急激に変動する前兆として、なぜか躁な状態が現れる。ある種のエネルギーが市場に蓄積されているのが原因と思われる。そして、市場の破壊的な崩壊の前には、なぜか、急激な膨張現象、即ち、バブル現象が起こる。

 バブルが発生する仕組みは、まだハッキリしないが、バブル発生前に過剰流動性が発生している場合が多い。

 過剰流動性というのは、通貨の流れの偏りを意味するのであり、単純に、通貨が過剰に流通していることだけを意味するのではない。つまり、不必要なところに、過剰に通貨が流れている反面、必要なところに通貨が流れないで資金不足を引き起こしている状態である。例えば、実業に資金が供給されず、投機に資金が集中しているような状態である。つまりは経済の脳溢血のような状態である。

 それが過剰流動性である。過剰流動性というのは、過剰に資金が流れているところと資金が不足しているところが偏って現れる現象である。所謂資金の滞留であり、相対的な現象なのである。故に、金融の歪みないしは、偏りによって引き起こされる。
 なぜ、金融部分に資金が集まり、滞留するのかというと、第一に、収益が圧迫されると資産を活用して、資金を調達しようとする。最初は、不動産を担保して資金を調達するが、それに限界がでてくると、貨幣性資産、金融資産を活用することを考えるようになる。金融は、数字が作れるからである。
 経営的に手詰まりになると経営者は、金融資産をやり繰りする。金融資産は、一攫千金を狙うのにも適している。ただし、それだけリスクも高い。
 貨幣性資産、金融資産の方が、流動性が高く、手っ取り早く結果が出せ、操作しやすい上、その上、金融内部で調整ができる。しかし、金融資産は、対極に債務が発生する。債務の負担が過剰になると内部での調整がつかなくなる。それが債権の上昇に対する下降圧力になるのである。
 流動性が高まると金融市場が資金を吸い上げてしまう。それがバブル現象の原因の一つとなる。その原因は、偏りにある。その結果、実物市場に資金が廻らなくなる。

 アメリカの企業利益において、金融業の利益が占める割合が1985年2割強から2004年には、3割強に上昇し、製造業が、5割弱から3割弱へと下がったと言われる。(日本経済新聞 2008年9月24日)日経新聞では、金融立国と言った表現が使われているが、私は、金融に利益が偏っていることを意味していると考える。金融に利益が偏ることは、実物経済に資金が供給されにくくなっている状態を意味する。金融市場は、貨幣市場を意味しているのであり、貨幣は、媒体に過ぎない。貨幣だけでは何も生産しない。貨幣への偏りは、むしろ、経済にとって歪みである。

 現代人には、思い込みや偏見が多くある。そして、その思い込みや偏見、決めつけが社会を歪めてしまっている場合がままある。その一つが、特殊で、特別な知識、専門的な技能を持っている人間が優秀だと言う事である。普通で、平凡で、一般的な人が大多数なのである。平凡な、普通の人を対象とした。
 スポーツでも、天才的な選手だけで成り立っているわけではなく、ごく平均的で平凡な多くの選手に、また、多くの裏方に支えられて成り立っている事を忘れてはならない。
 そのごく一般的で普通の人達にも人間として最低限の生活していく権利があるのである。経済学者の中には、無能な人間を無意識に差別し、特殊な技能を身につけさせることを前提としている者達が居る。自分達の価値観において有能な人間だけを対象としているのである。しかし、本来人間には、適性がある。物理学の原理はわからなくても運転の上手な人間もいれば、物理学に詳しいけれど運転のできない人もいる。どちらが優秀かではなく。何に適しているかの問題である。
 それを無能だからと言って否定してしまうと、社会は成り立たなくなり、対立抗争が始まる。付加価値を高めることが経済効率を上げるというのは、錯覚である。問題は、仕事の内容であり、仕事を万遍なく国民に割り当てられるかの問題なのである。高度な技能を要求する仕事だけに限定してしまうと、それに適合できないものを社会的に排除することになる。大体、一定の割合で、肉体労働に向いている者がいるものである。勉強が苦手な人間は、社会に一定層いる。しかし、勉強が苦手だから、社会に不必要だという訳にはいかない。頭が良い人間だけで構成された社会が必ずしも理想的な社会とは言えない。それを、全ての産業を頭脳労働にしてしまえと言うのは、乱暴な話なのである。頭脳労働が優秀で、肉体労働は劣っているという差別意識が働いているのである。
 労働の分布と適性による分布が均衡した社会こそが最も安定した、また、効率的な社会といえるのである。

 スポーツの世界を例にとる、全体の収入に限りがある以上、個々人の取り合いは、一定の範囲内における配分の問題なのである。要するに、パイの取り合いに過ぎないのである。プロ野球ならば、プロ野球の総収入は、決まっているから、特定の選手に対する高額な報酬は、取得の偏りを生む。それは、分配の仕組みに齟齬を生じさせる。不公平なのである。

 格差は、相対的比率であるから、極端な格差は、社会に偏りを作る。その偏りが、固定的になれば、身分制度や階級制度と言った差別を生み出すのである。

 格差にしても、流動性にしても、偏りがよくないのである。





                    


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