時    間

時間構造

 会計空間である資産、負債、資本、収益と費用、そして、資金という座標軸に時間軸が加わることによって経済空間が成立し、時間構造が形成される。そして、それは、最終的には、世界観に凝縮されることになる。この経済の時間構造が重要となる。

 つまり、現在の市場空間は、会計的空間と時間軸が組合わさって成立している。その時間軸は、会計期間を一つの単位として成り立っている。
 会計期間における運動を損益によって計算し、位置関係を貸借によって計るのが会計制度である。その為に、経営運動を一定期間の時間の中に押し詰める必要がある。それが期間計算である。しかし、その弊害として長期的な構造が見落とされる結果を招いた。実際には、長期的構造と最終的な構造とがあって短期的構造は、測られ、決められなければならない。その上で短期、長期の均衡が測られるべきなのである。

 経済的時間構造は、貸借構造、損益構造、収支構造からなる。第一に、資産の時間構造。第二に、負債の時間構造、第三に、資本の時間構造、第四に、収益の時間構造、第五に、費用の時間構造、第六に、資金構造、第七に、税務構造などによって構成される。

 時間構造は、固定的なものと変動的なものがある。更に、定型的な変化と不定型な変化に分類される。また、定型的変化は、速度と周期に関係する。定期的な変化と不定期な変化、また、長期的変化と短期的変化に分類される。

 経済の時間的構造においては、投資と言う事が非常に重要な鍵を握っている。投資行動というのは、その後の産業構造の基礎を構築し、その為に、長くその影響力を及ぼし続ける。故に、産業を決定付けるのは投資とその時間構造にあると言ってもいい。

 投機的活動と投資的活動の違いが問題になる。2008年の石油価格の高騰や金融危機においては、投機的資金の動きが問題になった。しかし、投機的資金と投資的資金の動きの差は、基本的には、速度の問題であり、投機ではなく、投資だから、価格の変動についていけずに、価格の乱高下に脆いとも言えるのである。

 近代資本主義において画期的なのは、投資という概念を数値化したことである。そして、投資額を、一定期間を単位にして、収益と費用、資産と負債、資本(純資産)に分割(仕訳)、分類(転記)、集計して期間損益、利益を算出する仕組みが会計制度なのである。この会計制度を基礎として近代市場制度は成り立っている。 
 投資は、初期投資と運転費用からなる。それを一定の年数で消費していくと考えるのである。消費し終わると投資を更新する。消費し、新しいものに更新するまでの期間が更新年数である。
 資金的を時間的な構造で見ると調達と運用になる。
つまり、資金を調達し、それを運用する。運用することによって時点、時点で、消費した貨幣価値を現金というのである。つまり、現時点で実現した貨幣価値である。残存した価値が資産である。消費される部分が費用である。
 ただ、時点、時点で消費したと認識する価値が、資金、資産、負債によって違うために、問題が生じるのである。また、その事によって費用の概念、数値が違ってくるのである。必然的に利益にも大きな差が出る。
 先ず資金は、初期投資資金と運転資金からなる。
 投資によって形成される資産は、償却資産と非償却資産からなる。また、現金化される速度に応じて流動資産と固定資産とに分類される。
 償却資産は、一定期間を単位として消費されることになる。それが減価償却である。減価償却は、投資額と減価償却率、償却年数、残存金額から成る。
 問題は、非償却資産である。つまり、投資の中で費用化されずにそのまま残るのである。その為に、期間費用が過小に計算されることになる。逆に利益が過大に評価される。利益に税がかかる仕組みであると、過剰に税が課せられることになる。その為に、資金的負荷が余計にかかることになる。
 それに対して、資金調達は、自己資金か、他人資金かに別れる。
 負債は、一定の期間で返済が義務づけられている資金である。返済することによって消費することになる。つまり、費用化される。しかし、一部、消費されても、つまり、現金化されても費用とはされずに、資産から直接減価されるか、そのまま資産として残存する部分がある。そして、その資産が資金の調達源、担保として作用するのである。
 負債の時間構造は、負債額と金利、返済期限、返済方法からなる。
 この場合も、自己資金が問題となる。資本は、自己資金と利益の蓄積となる。利益は、期間損益の結果だが、自己資金というのは、期間損益の結果でもなく、また、負債でもない。しかも自己資金は、証券化すると、それ自体が債権と債務の二つの性格を併せ持つようになる。また、自己資本と非償却資産とは必ずしも一致していない。
 この他に、資金の流れがある。キャッシュフローである。キャッシュフローというのは、その時点、その時点で現金化された貨幣価値の出入りを計算したものである。
 キャッシュフローとは、資金の出納に基づいた概念である。故に、期間損益の計算、即ち、利益には、直接関係ない。ただ、損益計算の基礎となる数字である。また、実質的に企業の存立を決定する数値でもあり、常に、不足することは許されない。
 問題は、この資金と資産、負債の時間構造が利益を導き出し方程式と整合性がとれればいい。また、その為に、何をどの様にして費用化するかが重要になる。
 また、もう一つ重要なのは、企業活動には、原則。税金が課せられている。その税を課す対象と、手段が期間損益計算に重大な作用を及ぼしていることを忘れてはならない。その有り様一つで、企業業績、産業の興隆、ひいては、一国の経済情勢に決定的な影響を及ぼす。
 この様に、会計や税の在り方は、経済にとって決定的な要素といえる。ところが、現在の会計制度では、個々の目的すら統一できないでいるのである。つまり、何のために期間利益を計算するのかの目的すら明確にされていないのである。
 その為に、費用への転化が便宜主義的になってしまっている。利益を出さんが為の処理方法になってしまっている。
 しかも、処理の仕方の決定が合目的的なものでなく、その時の力関係で定まるようになっている。
 それが企業経営、ひいては、世界経済を混乱させる原因となっているのである。もし、一定の基準で企業が利益を上げられなくなったら、利益の計算方法を変えるのではなく。経済や産業の仕組みをかえるべきなのである。

 会計制度が悪いと言うよりも会計制度の欠点を悪用して、利益を上げている者がいるのである。それを改める意味でも、利益の持つ意味、また、目的を明らかにする必要がある。

 金融が会計を歪めている。同時に、会計が金融の在り方を歪めている。それは、金融、会計何れも、各々の機能役割を理解していないからである。

 さらにまた、日本では、近年、間接金融(銀行借入)から直接金融(資本取引)へ移行した。間接金融から直接金融へと移行する段階で企業に対する見方、企業評価が変質した。即ち、担保価値(融資)から株主価値(投資)へと変化したのである。担保というのは、所謂事業資産への評価であり、株主価値とは、配当性向やROE、ROAである。事業目的や社会的貢献、社会的責任と言う事ではない。短期収益力だけが問題とされる傾向が高くなり、それが更に短くなって投機的基準が重視されるようになった。

 利益の計算は、最終的には価格に収斂する。故に、適正な価格を維持することが、経済の安定を保証する。ここで言う価格というのは、費用に見合った価格だと言う事である。費用は、消費される現在的価値をいかに配分するかによって決まる。
 価格を、適性であるか否かは、単純に市場に委ねられない。それは、時間的価値の配分を一律に市場に委ねられないからである。
 基本的に、単価×数量、あるいは、単価×時間で表される。このうち、単価の中に占められる固定費の部分は、販売の数量の影響を受けるからである。大量に売れば、それだけ固定費の部分の費用を圧縮することが出来る。それが大量生産、大量消費の大前提である。その為には、限界利益ギリギリまで値を下げて販売する傾向が生まれる。そうなると年々増加する費用の増加分を見込めなくなる。その最たるものが人件費である。この点に過当競争の最大の弊害が隠されている。過当競争が激化すると結局、人件費の削減、あるいは、平準化に至るのである。そして、企業も、家計も、結果的に、国家も赤字になる。

 価格には、量的な部分と質的な部分がある。この量的であるか、質的であるかは、貨幣が決めるのではない。貨幣は、価値を還元したものではなく、価値を決めるのは、その財と消費者である。
 市場は、成熟してくると量から質へと転化する必要がある。その為には、いかに価格を維持するかが重要となる。しかし、初期投資が大きく減価償却が大きい、また、損益分岐点が高い産業は、大量に販売して単価あたりに含まれる固定費部分を早く回収しようとする。その為に、量から質への転化が遅れ、逆に量産を測ろうとする。それが過剰を生み出す。
 不景気な時に、量産を測り、経費の削減を測れば雇用は、失われ景気は、ますます悪化する。ディスカウントすればするほど、収益は圧迫され、質は低下するのである。つまり、本来の在り方に逆行することとなる。
 市場は、情報の非対称によって成立している。それが利点であり、また、欠点でもある。
安売りをしても、なぜ、その価格が成立するのかについての情報は、伝えられない。ただ安いという情報だけが消費者に流されるのである。しかし、安売りには、安売りをしなければならない理由がある。その要件を満たせない者は、市場から淘汰される。中には、正直で真面目だから価格を安くできない者まで含まれている。
 安くすると言う動機には、時間的価値が深く関わっているのである。

 また、価格の中に不動産の償却部分、あるいは、借入の元本部分が含まれていない分、費用が低く設定されている。その為に、不動産の償却が出来ず。また、借入金の返済が滞る事にもなる。それは、企業経営に対し累積的な資金上の負荷を持たせることになる。

 資産相場は、社会全体の総資産価値の変動を増幅する作用がある。この点が時価会計や含み資産の問題を増幅することにもなる。

 また、貨幣価値において何を認識の基準とするかは、実現性を基準とすべきのである。実現性と言って現時点で実現した貨幣価値、あるいは、現時点までに実現した貨幣価値のいずれかを基準とすべきであり、そこに時価価値と原価価値の問題が派生する。ただし、未実現利益を、前提とした場合、利益に実現していない利益が含まれることになる。それは、架空利益であり、損失が派生した場合、是正することが難しい。また、利益には、税がかかるが、その中に架空の利益、損失を対象したものが混入することを意味する。それは、情報の信憑性が失われることになる。

 含み経営を認めない、つまり、時価を前提とすることは、資産価値が上昇局面では、その時点において実現した貨幣価値の総額を前提とすることになり、それは、担保とする価値全てを現金化することを意味する。現金化するという事は、含み資産を担保として借入を起こす行為であるから、その時点での資産と負債は均衡する。しかし、一旦、資産が下降局面に陥ると負債は、固定的であるから、資産の現金価値だけが下降することになる。そして、資産が負債額に均衡するまで不良債権化する。また、資産価値の上昇局面では、現金を生み出すが、下降局面では、現金は回収される。一旦不良債権化すると負債と資産価値が均衡するまで現金を生み出さなくなる。この様に、時価主義は、バブルの発生と崩壊の潜在的原因を内包している。
 また、含み経営は、含み経営で、非償却資産、特に、不動産の評価が出来ないことが遠因である。

 市場は、拡大と収縮を繰り返している。一方通行的に拡大しているわけではない。その拡大と収縮が経済の周期の素となっている。市場が拡大し、その頂点の時に資産価値も上限に至る。その頂点まで、負債を引き上げると、必然的に資産が収縮した時、信用不安を引き起こす。そして、その信用不安が、次の市場の拡大を妨げる要因となるのである。そうなると不況は長引く。最悪の場合、恐慌を引き起こすのである。だからこそ、資産の運用には、ある程度ゆとり、含みが必要なのである。

 日本のバブルの形成と崩壊、アメリカのサブプライムの背景には、時価と原価の乖離による働きが働いていると思われる。
 アメリカでは、手持ち住宅の価格の上限まで借金をして消費に廻していたのである。その住宅価格が下落すると借金の額だけ不良債権化してしまった。

: 経済の基本的方程式は、回収率=倍率(レバレッジ比率)×回転率×時間価値で言える。時間価値は、利益である。回転率は、経済の流動性、速度を決め。倍率は、経済の規模に関係する。いずれにしても時間が重要な鍵を握る。

 日本のバブルやアメリカのサブプライム問題の構造は、この方程式の中に隠されている。つまり、時間が重要な役割を果たしているのである。







                    


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