場の理念


市場(取引の場・交換の場)


A 市場取引と貨幣の働き


 先ず、貨幣は、人的概念であり、貨幣を基礎とした、金利、利益、所得、価格も人為的概念であることを確認しておく。
 豚に真珠、猫に小判と豚や猫を馬鹿にするが、本当の価値を知っているのは、人間なのか、豚や猫なのか。少なくとも、真珠や小判で、豚や猫は、殺し合いをしたりはしない。人は、パンのために生きているのではなく、人が生きるためにパンが必要なのである。

 表象貨幣とは、名目的貨幣である。名目的貨幣は、貨幣そのものに実質的な価値はない。名目的貨幣は、その時の貨幣価値を指し示す物である。
 表象貨幣は、それが発行されると同量の債権と債務を生じる。債権と債務の関係は、作用と反作用である。表象貨幣は、発行者に回収されることによって清算される。即ち、表象貨幣によって発生した債務・債権、信用は、発行元に回収されたときに解消される。故に、通貨の流量は、表象貨幣の発行元によって管理される。

 表象貨幣を考える場合、重要なのは、最初に何を担保としているかである。現在の貨幣経済が成立する時に、担保したのは、金、銀といった希少金属と、国債と言った国の借金と税である。そして、その担保した金の出所は、戦争による賠償金と植民地からの金・銀である。
 よく物語や映画に財宝が出てくるが、その時、頭に思い描くのは、金、銀、財宝であり。その金、銀というのは、主として金貨、銀貨、特に、金貨である。この事が何を象徴しているのか。本来、我々が一般に財宝として考えるのは、金貨である事を象徴している。
 また、借金と言っても返すあてのない借用証書を力ずくでおいていったようなものである。例えば、アメリカの南北戦争時において、兵隊に対する支払を支払証書で行った。それが、紙幣の始まりだといわれている。
 早い話、支払義務を、国家権力が裏付け保証をしていたのが、表象貨幣の始まりである。れも支払不能になると反故にされた場合が多々あった。
 紙幣は、成立時点で、借金、略奪、搾取、支配と言った事象によって成り立ったのである。それは、紙幣が時としてむき出しにする本性でもある。

 国債の働きを、ただ、国の借金としてしか捉えられないとしたら、それは間違いである。国債を負の作用だけで見るべきではない。国債には、信用を創出するという作用や資金を調達するという働きがある。更に、通貨を発行するための根源でもある。
 つまり、国債は、通貨を制御するための重要な手段ともなるのである。問題は、国債を発行する際の財政規律である。国債が悪いのではなく。国債を無原則に発行することが悪いのである。
 国債は、財政破綻の補填という機能よりも通貨の制御するための手段と言う事の働きの方が重要なのである。問題なのは、財政が国債本来の機能を阻害することである。財政の規律があって国債は正常に機能する。故に、財政の赤字が問題なのではなく。財政の赤字によって国債が本来の機能を発揮できなくなり、経済が混乱することなのである。

 国債は、紙幣の根源だとも言える。

 紙幣には、常に、戦争の臭いがつきまとっている。イギリスが国債を発行し、それを担保に紙幣をイングランド銀行が発行した際もイギリスとフランスの長期の戦争が原因とされている。(「国債の歴史」富田俊基著 東洋経済新報社)また、日本の紙幣の基礎となった金は、日清戦争における賠償金を基としていると言われている。(「貨幣の経済学」岩村充著 集英社)また、アメリカの紙幣の始まりは、南北戦争時における兵士への支払証明書(グリーンバック)だと言われている。いずれにしても、紙幣は、戦争という人類の惨禍を根底に抱いているという事を忘れてはならない。紙幣の成り立ち、暗部を直視しない限り、近代貨幣経済の問題点は解決できない。
 もう一つ言えることは、戦争というのは、一時的に消費と生産が爆発的に拡大する現象でもある。それが貨幣経済を成立せしめた要因の一つでもある。

 成熟した市場では、金があっても使わなくなるか、使っても無駄遣いする。貨幣が退蔵されるようになると、通貨の流通、通じが悪くなる。また、無駄遣いは、市場に偏りを生じさせ、市場を歪めてしまう。

 貨幣の特性の一つに蓄積性がある。つまり、貨幣は、必要以上に流通すると貯蔵される正確がある。貯蔵されるというのは、退蔵されることを意味する場合もある。
 一般には、通貨が過剰に供給されるとインフレを引き起こすと想われているが、それは、物的市場と貨幣的市場が相互に作用することによって起こる現象であり、通貨の流通量と言う一面から判断されることではない。
 財が不足している時に貨幣が過剰に供給されれば、インフレを引き起こすが、市場が過飽和な状況では、貨幣は、退蔵され、必ずしもインフレを引き起こさない。逆に、市場が過飽和な時は、買い控えを呼んでデフレに陥る場合すらある。

 貨幣価値は、貨幣を所有しているだけでは、発現・実現しない。表象貨幣の貨幣価値は、貨幣が使用されることによって実現する。実現された貨幣価値は、現金価値と言い、その時に使用される貨幣の現物を現金とする。
 貨幣価値は、最終的には、財との交換によって、実現する。財は、潜在的貨幣価値を有する事を前提として成立する。財の貨幣価値は、人の必要性によって決まる。人は、貨幣価値を貨幣によって表現する。ここに、市場経済、貨幣経済における、人、物、金の関係が形成される。

 貨幣経済の基盤は、決済制度である。金融危機の多くは、この決済制度の障害によって引き起こされる。

 一般に、貨幣は、決済の手段、即ち、売買取引の手段、道具として発達してきたように考えられがちであるが、表象貨幣である紙幣に関しては、その端緒が預かり証、借用書という点から見れば解るように、貸し借り、即ち、貸借取引を基盤にして発達した。つまり、現代の貨幣経済の基盤は、貸借取引である。つまり、売買を基本とした損益計算は、貸借を基盤とした貸借取引の上に成り立っているのである。

 貨幣の供給、即ち、信用力は、貸し付け、即ち、融資によって生じる。言い換えると、貸し付けの増加分だけ、通貨の量は増える。
 貸し付け、融資量が減少すると実物市場に流通する通貨の量は減少する。

 貨幣価値は、物理的制約を受けない。貨幣価値は、財との交換によって清算され、解消される。それが消費である。貨幣自体は、発行元に、即ち、発券銀行、中央銀行に回収されることによってのみ清算される。

 市場では、貨幣価値は、取引によって顕在化する。取引は、市場と貨幣とを連結する役割を担っている。

 市場における貨幣価値は均衡しており、総和はゼロである。即ち、市場における貨幣価値は基本的にゼロサムである。

 次ぎに、市場取引の前提を上げると次のようになる。
 第一の前提は、市場取引は、通貨の流量の制約を受けるという事である。第二の前提は、市場取引は、基本的にゼロサムだと言う事である。

 市場価値は、市場に流通する通貨の量と財の量による関数である。市場取引は、売り手と買い手、通貨と、財からなる。売り手に財、買い手に貨幣の双方が必要な量だけ存在しないと取引は成立しない。故に、市場の取引は、財と通貨の量の双方に制約される。

 市場取引には、売買、貸借の二つがあり、売買とは、売りと買い、貸借とは、貸しと借りという逆方向の同量の貨幣価値として現れ、取引は、同量の現金によって行われる。いずれの取引も、発生した時点では均衡している。貸借取引は、同量の債権と債務を発生させ、同量の現金の遣り取りによって成立する。
 つまり、市場取引は、常に均衡しており、市場取引が、均衡していると言う事は、その時点時点の収支の総和は、常にゼロだと言う事である。
 これらが大前提である。





                    


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